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ゆうすけブログ
真冬の怪
ブログで自身の赤裸々な体験を書くことはある意味、とても恥ずかしいことです。
それがいい大人ならなおさらのこと。
なんでも好きなことを書いていると精神的ストリッパーにでもなった気もします。
せっかく書き込むなら一家言あるようなそれらしいことを述べてみて世間の尊敬を集めたいと思うのは私だけではないと思います。
孔子は大人だったら「妖怪乱神を語らず」と戒めています。
いい歳して怪談話をまじめにするな、恥かくぞということです。
ですが私は語らずにはいられません。
受けを狙うとかそんな底意は毛頭ありませんがただ体験したことをブログに書き込むだけのことです。

私は少年時代、大変ビビりな性格でいつもおどおどと暮らしていました。
平成生まれの人は何を言っているのかわからないことと思いますが昭和の人ならああ・・と理解してもらえる比喩でしたらマジンガーZや仮面ライダー、あしたのジョーよりも怪奇大作戦やおばけの鬼太郎、どろろん閻魔くんを好んでTVで観る少年。
漫画を読むなら巨人の星やドカベン、侍ジャイヤンツより楳図かずおの(おろち)や古賀新一の(エコエコアザラク)、つのだじろうの(うしろの百太郎)を愛読する病弱な子どもでした。
ただ、超常現象とか怪奇という体験は結婚して子どもが生まれてからも一切なかったので私もやはり世の中には不思議などないんだなと京極夏彦のように考えていました。
それが4、5年前から50才を超えてからですがかなり頻繁に遭遇することになっています。

2019年1月13日正午過ぎ(つまり昨日)のことです。
私は自宅から車で5分ばかり琵琶湖岸の方に走ったらある、滋賀県人なら誰でも知っているスーパーセンターで買い物をしていました。
車は2階に停めました。
2階と言ってもスロープで上がって天井はなく、40台ばかりの駐車スペースがあり、空いているのでいつもそこに停めて買い物をしています。
買い物を終えて車の運転席に座り、バックで発車しようと思いましたが最近は慎重な運転を心がけているつもりなのでまずバックミラーで後方確認をしました。
すると腰が曲がったような老婆が買い物かごを押して私の車のすぐ後ろを通る様を見ました。
(あぶない、あぶない、確認せず出たら接触事故になるところだった)
もう車の後ろから離れてくれたかなと今度はサイドミラーを見ると・・あれ映っていない・・まだ車の後ろかな?
だったら声をかけてこちらがバックすることを伝えようと車から降りれば誰もいません。
考えられないシチュエーションです。
ほんの10秒ばかり前にはっきりとバックミラーに映ったのに、左右の車に乗り込んだのかとすぐに確認しても誰も乗っていないし、私の停車していた場所は直線なので若者がダッシュで走ったなら建物の陰に隠れることもありかもしれませんが間違いなく年配の老女だったのにと頭が混乱しました。
あれは霊かと不思議に思いながら帰りました。

最近はそんなことが多いのです。
昨年暮れにはある取引先の工場のトイレを借りた時、用を足して洗面所で手を洗っていたら隣に作業帽をかぶりマスクをした女性が同じように手を洗っていました。
その時は何も思わなかったのですがトイレから出た時は(あれ?確か男子トイレだったよな)と少しの間、トイレの前で立ち止まっていたのですが後から誰も出てこないのでおそるおそるトイレを確認しに入ると誰もいませんでした。
これを私の創作と読んだ方が思うのは自由ですが冒頭に申し上げたように嘘をついてまで記名でブログを書く意味が私にはありません。
実際に私が体験した話です。






納得できないー2018芸能編
1月に入ってからの連休は蒼天がのぞめる良いお天気となっています。
それでも2月の節分までは1年でも最も極寒の季節ですから注意が必要です。
週明けからオホーツク寒気団が南下してきて列島もかなり冷えると天気予報が出ていますから備えもいることでしょう。
私事ながら長男が20歳となり地元の成人式に出席する為に帰ってきていますが式の当日は晴れ間の予報でまずは一安心というところです。

さて当ブログの恒例、(納得できない)シリーズですがお正月もまだ松の内ながら昨年の芸能界を考えてみても納得できない!と憤慨することがあります。
まず、(レコード大賞)・・これは日本歌謡界のアカデミー賞とも呼ばれ、まっこと栄えある賞であることは万民共通の認識です。
その年に1番、日本人の心に届いたsong of the yearです。
2018年レコード大賞に輝いたのは乃木坂46の「シンクロニシティ」でした。
この受賞で乃木坂はライバルのAKB48と並ぶ女性グループとしては2年連続の大賞受賞となりました。
立派なものです。
乃木坂についてはAKBと同様にいつまでも「秋元の学芸会」という悪口がつきまといその歌唱力を疑問視する声が絶えませんが
別に彼女らは一生懸命に歌っている様が可愛らしいのであってそれでファンとしては応援したくなるから歌の上手い・下手なんかはいいんです。
でも、それでもレコード大賞は違うんです。
何が違うかと言えば(お・我ながら力が入ってきましたよ)、大賞はその年に最も販売曲数が出たとかではなく、人々の心に残り、また口ずさまれる親しみのある曲が受賞するべきものです。
その意味からも2018年を代表すべきはDA PUMPの「U・S・A」しかありません。
あの「♬カモン ベイビイ アメリカン」というくだりが日本の2018年を象徴しています。
乃木坂には悪いけど納得できない!

(M-1グランプリ)・・若手漫才師の登竜門と呼ばれています。
漫才だけでは喰っていけないからバイトでつないで幾年、グランプリに輝き、スターダムにのし上るというジャパンドリームの一角。
まさに才能の発掘、スター誕生。
毎年、その暮れに行われるこのグランプリ決戦に2018年は「霜降り明星」が彗星のように現れ、かっさらいました。
コンビ結成6年目と言う早い快挙だったようです。
TVで観ていましたが確かに躍動感があって面白い、勢いを感じるしダレがない、ネタも笑える。
ですけど、何かグランプリコンビとして今もうひとつ足りないものを感じてしまったのです。
だったらどのコンビが取るべきだったかと問われれば私は文句なしに「和牛」を推します。
正直、私は「和牛」がそんなに好きではありませんでした。
なんかあざとさや(俺らはこんなに漫才が上手いんや)みたいなものが鼻についていたのですが昨年はそのアクがすっかり抜けて漫才に純粋に特化している、これが(漫才)という域に達している、極みだと感じてグランプリは「和牛」が取ってほしいと思っていました。
ですが「霜降り」の若さというか青さの残るオーバーアクションにわずか、わずかですよ、最終選考の1票差で敗れて惜しくも2位でした。
これがコントだったらそれでもいいでしょう。
ですが漫才です、話術と間の芸なのだから騒がしくやったら受けるというのは如何なものでしょう。
「和牛」のお二人には今年も活躍してもらいたいです。
う~ん、納得できない。




国防が心配
あまり時事問題、とりわけ防衛をブログで書くとネトウヨの一味と思われるのでなるべく取り上げたくないのですが最近では韓国が酷すぎますね。
昨日も韓国・文在寅大統領がわが国に対して年頭会見で「日本は謙虚であるべきだ」と高飛車発言をして物議を醸しだしました。
こちらとしてはあんたの国こそどうなってるんだとキレたくもなりました。
徴用工訴訟問題で戦時中に日本より(正確には現・住友金属)より強制徴用され無理やり働かされたという韓国人原告団の訴えを韓国最高裁が認め、補償金の支払いを求めた判決に対して当然ながら日本企業側は拒否の態度をとり、それならば合弁企業の株式を差し押さえて売却、補償に充てるとした解決を図ろうとしている問題です。
日本政府はすでに外交ルートを通して1965年に日韓両国の間で締結した日韓請求権・経済協力協定に基づき韓国は第2次世界大戦前までの全ての日本に対する戦時補償問題を放棄するという条約を指針としているにもかかわらず今さら何を蒸し返すのかと徹底抗戦の姿勢です。
国と国との条約は法的にすべての法規の最上位にあってもちろん国内法とて例外ではありません。
それが例え不平等条約と呼ばれるものであったとしても一旦結んでしまえば歯をくいしばって履行しなければならないというのが国際社会の常識です。
日本も江戸時代後期にイギリス・ロシア・アメリカ・フランス・ドイツなど諸外国の働きかけにより治外法権や関税自主権、通貨の交換比率など国の主権に関するものでも一方的な不平等条約を結ぶ羽目となりその完全なる是正には日清・日露の大戦や第一次大戦まで尾を引きました。
はっきり言って国と国との取り決め(条約)を都合のいいものに変えさせる、あるいは破棄するという行為は両国間での《戦争》を意味します。
また残念ながら戦争でしか解決しない問題ともなります。
クラウゼビッツが『戦争論』のなかで「戦争は政治の延長である」と言っているのはそのような意味です。
それを文大統領は韓国の司法が下した判決だから日本は謙虚になれとか、詫びろとかを公の場で言っているのでこの人はよほどの甘ちゃんなのか、アホなのか、たぶん両方だろうと思うのです。

アホを相手にしていても問題は解決しないのは一般生活の場でも同じですが私が最初に防衛問題と申し上げたのは韓国は日本にとって地理的に一番の隣国であって旧西側諸国としての括りの中では安全保障上の一応は(同盟国)です。
その同盟国がガリガリの反日国家・体制であり、その周辺には中国・北朝鮮・ロシアなどそれを上回るやばい国がうようよいるのに日本は小泉政権の時代からすでに10数余年に亘り防衛予算を減らし続けている現状があります。
中国など潜在的反日体制国家がGDPに占める軍事予算を年々大幅に増加させている状況下で韓国がアホなら日本はボケと言ってよいでしょう。(平和ボケです)
安全保障はもちろん有事に備えてですが起こってしまえばとんでもないことになります。
戦争・大災害、みんなそうです。
しっかりとした予算の獲得と備えをすることによりそれが勃発しないか、起こっても軽微なものになるのです。
(備えあれば憂いなし)という言葉を日本人は平成最後の年にかみしめてみる必要があると思います。
それならば韓国大統領の発言も多少は日本人の目を覚まさせる意味でショック療法になるのかと・・・。




昨夜の悲劇
私にとって入浴とは睡眠・食事と並んで疲労を回復する手段でありながら一日の精神的ストレスの解消、夏場は清潔に、冬は体を温め心地よい眠りに就くための(儀式)とも言えるものです。
バスタブに毎日お気に入りの入浴剤をいれたりして工夫もしています。
もちろん入浴だけではなく入浴後の快適さも追求いたします。
脱衣所にバスマットを置くのもその一つです。
せっかくほかほかの状態でお風呂から上がってきても足元がびしゃびしゃなら興ざめです。
マットでさっと足裏の水分を拭き取ってバスタオルで素早く体を包みたいものです。

冬なので我が家に幾枚かはあるバスマットの洗濯と乾燥が追い付かず、そのような時はしかたなくタオルを代用していましたがやはり気分と使い心地がイマイチなのでホームセンターで2枚ばかり買ってきました。
ふわふわの感触、適度に抑えたデザイン・・これならお風呂上りも楽しめそうだと早速その夜の入浴からひいてみました。
バスタブの中で(湯上りが楽しみだな)などと考えていました。
買ってきたばかりのバスマットを家族のなかで一番に使う・・・何か誰も踏んでいない新雪を踏みしめるようなちょっと幼心に通じる期待感。

お風呂場の戸を開けて、さぁマットを踏みしめようと思ったら視界に入ったのが我が家の飼い猫・ふくちゃん(スコテシュホールド・♂6才)でした。
一瞬、嫌な予感がしました。
彼は買ってきたばかりのマットの上でがんばっていたのです。
コロコロとフンが・・・・!
(コ・殺す!)
ターゲットは私の殺意を察知して「ニャン!」と鳴いて一目散に2階へ駆けあがっていきました。
台無しです、新雪のマットが・・憩いのひと時が・・私は天を仰ぎました。
昨夜の悲劇です。


誕生日を迎えて考えた
昨日は私的に誕生日でした。
妻や息子・娘が里帰りしていたので何とかのいない間に洗濯、いや静かにひっそりと過ごそうと思っていたら豈はからわんや、ブロ友・FBともだちの皆様から誕生日のお祝いメッセージをたくさん頂きました。
お亡くなりになった西城秀樹さんを偲んで「ヒデキ感激!」の気分です。
この年にもなると自分の誕生日が来て、またひとつ歳をとることが喜びではなく正直、憂鬱なのですがそれでも「おめでとう」と言ってもらえることは若い頃の何乗にも増して嬉しい事です。
唐突ですが今年もよろしくお願いいたします。

50を過ぎて世間的には(初老)となりました。
時間がある時に自分の顔を鏡でまじまじと眺めてみれば目の下には隈としわができ、頭髪はびんの辺りから白いものが混じり、皮膚からはみずみずしさが失われ、筋肉が弛緩して・・老人とまでは行ってないと思いますがりっぱなオヤジ・おっさんです。
FBに載せている個人の写真は最後の選挙に出る前に近江・今津浜で撮ったものですからもう4年前、何とか40代の最後だったと思いますので差し替えなきゃと考えたりしています。
10代の頃はテレビで刑事コジャックのテリー・サバラスや刑事コロンボのピーター・フォークを観ていて(こんな渋い中年になりてぇ)と憧れたものですが現実は残酷でした。
もちろん老いると言っても一人、ひとりに個人差や生物学的に個体差があり、父母から受け継いだ遺伝子情報や日々の生活習慣(運動・食事・睡眠など)、或いは精神の持ち方でかなり見た目に差異が出てくることはある意味しょうがないとは思うものの誰しもある程度の年になれば「若いね」と言われたいものですよね。

先日もテレビで(下町ロケット)を観ていました。
主演の阿部 寛さんは彼のプロフイールをみれば同年で同じ学校を卒業しているらしいのですが遭った、見かけた憶えがないもののそれはいいとして、「阿部さんも社長役やるような歳になったんだね、少し老けてきたのかな」と言うと妻が「自分の顔を鏡で見たことある?」というので前述の如く、洗面所まで行ったわけです。
見れば阿部さんではなくこれも同年のリアクション芸人・出川哲郎さん風の私が映っていました。

いづれにせよ人は誰しも年は取りたくないと願うものの、ゲーテの(ファースト)を紐解かずとも叶わぬ夢であり、せめて老境に入ってから無駄な時間を過ごしてきたなと後ろ指だけはさされないよう今のうちにがんばりましょう。


おでんにコロが帰ってくる
新年おめでとうございます。
ブロ友の皆様、今年もよろしくお願い申し上げます。
そして何よりも本年が皆様にとって充実した良い1年でありますように。

昨日の元旦、当然のように食卓にはおせち料理が並び初春の雰囲気に新しい年の息吹のようなものを感じていました。
やはり日本のお正月はいいねと家族で語らい、ついつい食べ過ぎながらも次男の今年の受験もあって学問の神様・菅原道真公が祀られている近くのマキノ・海津神社に初詣に行きました。
夜になると食べ過ぎで胃もたれ気味の私はご馳走よりほんわかと゛おでん゛などが食べたくなりました。
大根・ちくわぶ・はんぺん・牛すじ・たまご・ごぼてん・ロールキャベツなどを焼酎お湯割り片手につつくのが冬の贅沢というものです。
ですがおでんを食べる時になぜか誰か足りない、何か不足の思いがありました。
そう、関西では「コロが無いとおでんと言わない」とまで定義されているクジラの本皮(コロ)です。
あのおでんだしをたっぷり含んだコロを食べたいと思っていたところ昨年暮れにはビッグニュースが飛び込んできました。

政府がついにIWC(国際捕鯨委員会)からの脱退を決めて関係国に通告、今夏から商業捕鯨の再開が決定したのです。
これは久々の朗報でした。
30年間、委員会の中で海洋資源の保護の重要性を認めながらも我が国の独自の食文化の継続と来るべき全世界的規模の食糧難問題への対応に備える為委員会脱退を決めたと菅官房長官は記者発表していました。
正しい・・そして勇気ある英断だと私はテレビの前で涙を流しました。(これは誇張です)
官房長官は更に我が国の国際協調路線と資源保護の考えに今後も変更はないがIWC内でどれだけ訴えても反捕鯨国から理解を得られないとの認識に至り、やもなくの脱退を決意したと捕捉がありました。
そうだ、日本は30年もよくがんばった、言いたいことを主張して理解を得られないなら仕方がないじゃないかと私の心の中で誰かが叫びました。(誰じゃ?)
この決断はもしかして安部内閣の支持率を10%ぐらい押し上げるのとちゃうと感じました。

次の日、各紙の社説は予想に反して批判一辺倒でした。
拙速な判断だ!日本はIWCに残って粘り強く反捕鯨国の説得に努めるべきだ、世界的に孤立するぞ、シーシェパードが襲ってくるぞ、そうなったらどうする、戻れ!今すぐあやまってIWCに戻れ、だいたい独自の食文化などと言っているが日本人がいまやクジラを食べるか?1962年のピーク時に23万tあった漁獲量も今は5千t足らず、20分の1以下じゃないか、これで文化と言えるか?商業捕鯨を再開しても鯨肉がダブつきまた米国から槍玉にあげられるぞ、オーストラリアが黙っていないぞ!干されるぞ、日本は、世界的に、そうなったら政府はどう責任をとるんだ・・・。

うわ~ん!マスコミは何もわかってちゃいない。
鯨と日本人はそんな関係じゃないんじゃと私は新聞を引き裂きました。(誇張です、念のため)
焦ってTVをつけると関口博司会のワイドショーをやっており居並ぶコメンテーターが口々に外交上の失敗だと言っていました。
中にはどうみても30歳ぐらいの若造がいて学者らしいですが「ええ、僕も鯨は好きですよ、でも今日本でどれだけ鯨が食べられています?食文化とか言っていますが古い考えですね、拙速ですよ、政府の判断は」とのたまっていました。
おまえが古いっうの、石頭が!
大和煮のこくと旨さも知らずに何が゛僕も鯨は好きですよ゛だ、鯨の竜田揚げを食べたことはあるのか?鯨ベーコンにウスターソースかけて熱々ごはん食べたことあるのか?はりはり鍋食べたことあるのか?この若者は?

日本は30年も反捕鯨国を説得するために粘り強く加盟してきたんです。
それがどうして拙速な判断なのでしょう。
就任と同時に早速、TPPの席を蹴飛ばし、パリ協定から脱退したトランプ大統領と一緒にしないでちょうだい(ここはおネイ言葉が出てしまって・・)。
すいません、今日は興奮と怒りでいつもの怜悧な私ではありません。(いつも怜悧ではありませんが)
ですがIWCに所属しながら違約して堂々と商業捕鯨をしているノルウェーやアイスランドよりましな態度ではないですか、日本は。(また敵をつくってしまった・・)
いづれにせよ、鯨とおつきあいしてみましょうよ、それで個体数の激減があると科学的データーで指摘されるなら種の保存のために規制しましょう、冷静な判断で。



平成30年大晦日に自己の1年を想起してみる
今年も遂に大晦日となりました。
静かな朝です。
庭の松の木には雪が積もり、表道路を走る車もまばらです。
やはり師走という事もありバタバタした1か月だったのでなかなかブログを更新することもできませんでしたがやっと一息ついた感じです。

京都や東京の学校に通うために一人住まいしている長男や長女も冬休みということもあってここ高島・今津に帰省してきて久しぶりに我が家は賑やかさを取り戻したような感じですが私自身も休みに入り、朝は一杯の珈琲を片手に好きな本を読み、それに飽きると気晴らしに近所に買い物に行きそれなりの気ままな生活を楽しんでいます。
かっては公私ともに年末・年始もフル回転していた多忙な日々も嘘のように落ち着いた静かな時間を過ごせることは幸せなことと思っています。
明日、元旦なども以前は朝の5時に起きて雪がしんしんと降る夜明け前のまだ真っ暗な道を歩き、朝起き会に出席して年頭のご挨拶をしてから琵琶湖の浜に走っていき初日の出をみる会に合流して挨拶、それが終わると地元の老人会の集まりに顔を出して交流と1年の初めから走り回っていたことが遠い過去のようになりました。
もう飲酒運転に気をつけながら無茶な酒を飲むこともなくなり、睡眠時間も規則正しく取れるようになり、体調も快適に、体型もスリムに戻ってきました。
「私」は無理でも「公」はリタイアしたのですっきりした毎日を送ることができています。
好きな時に好きなものを飲んだり食べたりでき(或いは飲まないで)好きなことができるライフサイクルはとても大切なこととつくづく感じます。
思えば20年近くそんな生活習慣とは逆の方向を走っていたのですから。

今年の暮れも清水寺で発表された(今年の漢字)は『災』。
自然災害だけでも・・
2018年(平成30年)は年初から災害が多い1年でした。
1月23日には草津白根山が噴火、死者1名・負傷者11名を出しました。
2月5日から9日にかけて北陸を中心に記録的な豪雪。
交通障害が深刻な状況になり自動車に閉じ込められて凍死された方、道で行き倒れとなった方8名、負傷者90名を超えました。
4月には島根県西部でM6・1の地震発生、家屋倒壊432軒。
大分県耶馬溪では山崩れで死者6名。
6月18日には大阪北部でM6・1震度6弱の地震発生。
死者6名、負傷者443名、家屋全半懐532軒、一部損壊5万7000軒以上という大規模な被害が生じました。
29日には滋賀県米原市で竜巻。
負傷者8名、家屋倒壊100軒以上。
7月に入り西日本では連日の集中豪雨で広域大規模水害に見舞われ死者・行方不明者・床上浸水が多数発生。
何とも災害の多い1年でした。

私個人的な今年の漢字は『再』。
再起、再出発、再会、再開、再就職など再ずくしでした。
明日からはじまる新しい1年は皆様にとってどのような年になるのでしょうか。
どうぞ良いお年をお迎えください。








レジ前で考えたこと
今日は15日。
早いもので師走も半分過ぎました。
ここ高島もこの1週間でめっきりと寒さが強まり、朝方などは山肌にうっすらと白いものが見られたりもします。
これは降雪も近いと今日は車のタイヤ交換をしました。

近くのスーパーで買い物をしていましたがレジ前は大賑わいでカートを手に行列に並んでいました。
何となくですが考え事をしてしまいました。
レジ係の人は大変だろうな。
忙しいお仕事だ。
正直なところ手先の不器用な私なら務まらないだろう。
しかし、この仕事もマスコミによると近い将来はAI化・自動化で無くなる職種と聞いた。
中国(上海)ではすでに無人コンビニもオープンしていると聞く。
働き方もずいぶんと変わってきそうだ。等々。
それと同時にこんなことも考えてしまいました。
政府が年金の拠出年齢を70歳に引き上げることを検討し始めている。
しかし現行の年金65歳から5年もアップするのであれば労働者も60歳定年から10年のスパンはとても持つまい。
(自営業者は別ですが)
たぶん、企業定年も法改正により65歳となる日が近いだろうが果たしてこれがすんなり経済社会に馴染むかが問題。
韓国の文政権が最低賃金の引き上げをしたが企業サイドは雇用の縮小でこれに応えており、若者の失業率が都市部でさえ10%を超え、政権支持率の悪化を招いているのは周知のこと。
政策が経済を主導することは本当に難しいことだと思うと。

レジで待っている間にそういえば、昔は海外出張で渡航してよく税関に並んだものだと述懐していました。
あの頃は太っていて税関の職員に腹に何か捲いてないかとよく訊かれたのを憶えています。
懐かしくも恥ずかしい思い出です。


2019年滋賀県選挙俯瞰

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今年も師走
いよいよと言うか、とうとうと言うか、今年も師走に入りました。
慌ただしさのなかに何か気分がちょっぴり高揚する季節です。
昔の人がこの時期に言っていたのを思い出します。
「これで年が越せる」
なんで?なにで?年が越せなかったらどうなるの?と子ども心に思ったものです。

TUTAYAをぶらぶらしているうちに目に止まって昔のDVDをレンタルしてきました。
ケイト・ブランシェトが演じる「エリザベス ゴールデンエイジ」
映画を観ながら私の輝いていた日々はいつ頃だったかなと考えていました。
結論・・ありません、そんなもの。
生まれてこのかた、長じるに、世俗にまみれながらも、いつも不安と不満を持っていたのが私の実情でした。
(これからどうなるのだろう)、(こんなことでいいんだろうか)と葛藤しながら生きてきたのです。

あれは私が30代後半、JCを卒業して数年経った先輩方と一緒に飲んだ時のことです。
30代と比べて40代の今はどうですか?とお尋ねしたところ、口々に40代は素晴らしく充実している、この40代を迎える為に30代があったんだと思うと話されたのを羨望の思いで聞いていたのを映画を観ながら思い出しました。
(いいな、この人たちはゴールデンエイジを迎えたんだ)と心中、軽く嫉妬したものです。
その後、私が迎えた自身の40代は昭和の歴史さながらに前半は怒涛と喧騒、後半は祈りと復興。
50代の今となっては高度成長もバブル経済もなく、いきなりデフレと就職氷河期。
そう、私の50代前半はまさに今の平成の世相まんま。
とてもしけた話です。

昨日は大津で自民党県連の政経パーティが開催されました。
党籍を持つ私も招かれましたが出席しませんでした。
来年は春に統一地方選挙、夏に参院選挙が予定されています。
公認・推薦を受けた立候補予定者が壇上で紹介されましたがそれはある人から送ってもらった画像で拝見したぐらいです。
私が政治の世界に復帰するなら次の選挙は無所属と決めています。
政党推薦は受けるつもりがありません。
理由はたったのひとつ。
政治的在野にいること4年、政党がいかに庶民感覚から乖離したところにあるかが身に染みてわかったからです。
しかし、これは政党政治を否定したものではありません。
政治家は国民の命と財産を守るべき仕事をさせていただくものである以上、常に現実的であらねばならないというのが私の持論でもあります。
政党のお世話にならず、一から立ち上がってこそ見える風景も変わるものと考えているだけです。

規制と撤廃ー塩と日本人
今日で11月も終わります。
いよいよ師走を迎えますが気象庁の天候短観によれば12月は例年より若干暖かく暖冬傾向とのことですがやはり冬は寒いのでしょうね。

江戸期のお話。
殿様が家老に問いました。
「爺、世の中で一番旨いものはなんであろうか」
「殿、それは塩でございます、塩がなければどんなものも食べられたものではありません」
「それでは一番まずいものはなんだ」
「塩です、塩だけでは食べられたものではありません」

塩と日本人の歴史は深くて長いものがあります。
人間にとって必要にして不可欠な(塩)

戦国期半ば、甲斐(山梨)の武田信玄、山ばかりなのに山無しとはこれ如何にという戯言はよして、甲州(武田)・相模(北条)・駿河(今川)のいわゆる甲相駿三国同盟が破られ、海を持っている二国から(塩止め)をくらい、甲斐に塩が入って来なくなりました。
なにせ甲斐は山国、塩だけは領内で生産できません。
何とも困った信玄の元に塩が続々と送られてきたのは越後(新潟)の宿敵・上杉謙信から。
さすがの信玄も謙信の義将ぶりに感激したという逸話とともに(塩)がいかに大切かということも感じるエピソードです。
現代もサラリーマンと言ってますがサラリーの語源は塩。
働いて塩を得る人という意味です。

平成生まれの方はピンとこないかもしれませんが私たち昭和生まれの人間は長らく人工塩のみの食生活を送っていた時期がありました。
テーブルには食卓塩と書かれた空色の瓶。
塩辛いだけでうま味もなにもありませんでした。
世の中にはこのイオン交換膜製法でしかつくっていないにがりもミネラルもない人工塩しか流通してなかったのです。
1995年(平成7年)にやっと廃止されましたが戦中から続いていた悪名高い食糧管理法(食管法)に基づき旧大蔵省の外郭団体である特殊法人・日本専売公社が米・塩・樟脳の流通権限を握っていたからです。
もともとは米の偏在を是正する意味から生まれた公社ですが戦後も復興が進み、コメ余り現象から米買取の逆ザヤや自主流通米以外のいわゆるヤミ米問題が深刻化するなかで歴史的役割はとっくに終わっていたのですが遅まきながら日本たばこ産業や(財)塩事業センターなどに解体されたのです。

ですから当時、私たち幼少の戦争を知らない子どもたちは大人に「お前らは本当のおむすびを食べたことがないやろ、本当の塩で握ったおむすびは旨いで」と言われたものです。
甲斐と同じく淡水の琵琶湖があるが海はない滋賀県の子どもだった私は生まれて初めて三重県の海岸に海水浴に行った時、海の水を舐めてみてあまりの深くてまろやかな塩味に感激して海水をもって帰りたいと思ったのを憶えています。

考えてみれば世の中には時代にそぐわなくなった(規制)が山のようにあります。
と同時に緩和しなくていい規制を緩めたり、撤廃することでいかにも世直しをやっていると訴えている輩も多いものです。
どこまで(保守)でいけばいいのか、何を(革新)すればいいのか、政治学として一度整理しなければならないと思っています。
私は概ね現政権に対してその政策を支持する者ですがそれでも(これは如何なものか)と疑問を呈したい法案もかなりあります。
農業面で言えば(種子法改正)、日本の品種改良を大きく歪めるものです。
議論されている水道事業の民間移行、諸外国では失敗の連続です。
今国会で衆院本会議で通過した出入国管理・難民認定法(入管難民法)改正法案・・国内の労働問題をもっと現状把握したうえで改正すべきと思います。
おそらく国民の大半は納得がいかないでしょう。
この政治的流れが進めばやがて日本もトランプばりアメリカ同様、(日本自国第一主義)が台頭してやっかいな国になる可能性が非常に高いものです。
全く拙速で未熟な議論(国会)でした。
IR統合リゾート法案?
あれはなんですか。
ギャンブル大国日本を目指すなんてビジョンでもなんでもありません。
大阪市の吉村祥文市長は2025年大阪万博開催決定と同時に万博開催予定地・夢州に大阪府が計画しているカジノ計画へのインフラ建設マネーとして200億円の拠出を議会に提案していますが万博が全世界から笑われますよ。
余談ですが私が経営していた会社の相談顧問として大阪梅田にイデア総合法律事務所という弁護士事務所があり、吉村市長はここに所属する若手弁護士だったのと同時に大阪市議会議員でもありました。
大阪維新の会所属で橋下さんや松井さんの子分でしたが当時の印象として政治家としては少し線が細いかなと感じていました。
流れに乗って今は市長をお勤めですが滋賀県民の私としては大阪の方々が支持している首長をこれ以上はどうこう言いませんが市民の声をもっと汲み取り、寄り添う姿勢に欠けてきたんとちゃうとアドバイスしてあげたいです。
今日のブログは久しぶりに暴走してしまいました。
反省です。



最高の人生の見つけ方
明日死ぬとしたら何を考えるだろう、明日と言わず余命がわかったら何をするのだろうとたまに思ったりします。
人が自分の人生で確実にわかっているのは自分がいつか死ぬことだけ。
大変わかりきったことながらこれは人類にとって普遍のテーマであり、個人にしてもそれぞれの捉え方がこうも違うのかと驚きを禁じ得ないものです。
ある人は会社を辞めて旅に出るかもしれないし、またある人は自暴自棄の生活を終末まで送るかもしれません。
今までの毎日、毎日の生活をただ何となく生きてきたことを激しく後悔する人もいれば、後に残される人(家族や組織のメンバー)の為に残りの命を再び燃え滾らせる人・・様々と思います。
私個人としては死ぬという事が異常に怖かった頃があります。(幼少期)
今、初老を迎え人生というものをもう一度考えてみれば死への恐怖よりも生の尊さの方が勝っているような気がしています。
これは陳腐に(人生は素晴らしい)といった生命賛歌とは少し違っているような感覚ではあります。

生と死については普遍的テーマと申し上げました。
これまでに洋の東西を問わず多くの文学・音楽・絵画・演劇・映画などがこの課題について取り上げてきました。
そのごく一部ですがこれもごく最近、私が観て考えさせてくれた作品として・・・・

『最高の人生の見つけ方』
2007年公開の映画です。
大金持ちで剛腕の実業家(ジャック・ニコルソン)と勤勉実直な自動車修理工(モーガン・フリーマン)。
お互いの人生は交わらないと思われるもののひょんなことからガン病棟で同室入院となります。
余命半年と宣告された2人は棺桶をつくり、そこに死ぬまでにやりたいことを書き込んだリストを放り込みます。
生涯最後の冒険に出かけ、ピラミッドに登り、ダイビングに興じ、憧れのスーパーカーでレースコースをぶっ飛ばします。
でも流砂の中から出てきたわずかな砂金のように2人の人生で最後に本当にやらなければならないことが現れた時2人が取った行動は?

『生きる』
1952年(昭和27年)と相当古い映画になりますが監督は黒澤 明氏。
ある市役所に勤める市民課長(志村 喬)は無気力な公務員を絵に描いたような人物。
役所自体も住民からの声をたらい回しにしてはばからない典型的な形式主義に支配されていました。
そんな時、市民課長に胃がんが発見され余命6っか月が宣告されます。
自暴自棄になって職場を無断欠勤して夜の街を飲み歩く課長にある女性が近づき・・・。
自らの生の限界を受け入れた彼は住民からの要望が強かった公園の建設に奔走し始めます。
頭の固い役所の上司や同僚を説得し、反社会的勢力を前に一歩も引きません。
彼には怖いものがなくなっているからです。
そして公園が出来上がる時がきました・・・。

『クリスマスキャロル』
英国の文豪チャールズ・ディケンズの小説です。
個人商会を営む守銭奴のスクルージーは強欲で冷酷無比、街の誰からも嫌われていてもはばかりません。
クリスマスイブの夜、そんな彼の元に3人?の精霊がやってきます。
それぞれ(過去)(現在)(未来)と名乗り、スクルージーを彼の人生のポイントに連れていきます。
一夜明けて我に返ったスクルージがとった行動とは。





堕ちたカリスマ
「♬新しい上司はフランス人、ボディランゲジも通用しない、これはチャンス、これはチャンス、勉強しなおそう」。
昨年解散したSMAPの「明日がある」をもう20数年前、11月の雨の日でしたが友人の披露宴でグループ唱歌していたのを思い出していました。
この曲の(新しい上司)とは当時、日産自動車工業の社長に就任したカルロス・ゴーン氏。
(コストカッター)の異名を持ち、これも当時ですが深刻な経営危機に陥っていた日産の不用施設の売却、軌道にのらない工場の閉鎖、大幅すぎる人員削減を次々と打ち出し、業績をV字回復させた名経営者として国内では最も有名な人物の一人となっていました。
「なぜ外国人の手を借りなければならなかったのか?日本人でこの勇断を下す人材はなかったのか」と当時の新聞の社説でも書かれています。
今週冒頭のゴーン氏逮捕には驚かれた諸兄も多かったことと思います。
その辣腕を褒め称えられ、名声をほしいままにしてきた人物が今や容疑者と報道されるのは複雑な思いですが組織の私物化をはかったことへの批判は避けられないでしょう。
今後さらに事実が明るみになってくることと思います。

僕のお母さんになってください
昨日、男ばかりで雑談をしていました。
なぜそんな話題になったのかは憶えていませんが所詮は雑談は雑談、とりとめなく流れていくものです。
その場には既婚者がニ名(私を含めて)と未婚者がニ名いました。
私が「この前、田舎道を散歩していたらメスのカマキリがむしゃむしゃと何かを食べているのを見たんだけど何とそれはオスのカマキリでさぁ、首の処だけ残して・・もう思い出すだけで気持ち悪い」としゃべりだしたら、もう一人の既婚者が「なんで女性って子どもを産む前は夫に対して従順なのに子どもができたとたん子ども第一になって夫のことをないがしろにしだすんだろう?」と問題提起がありました。
未婚者の一人が「それなら結婚は男にとって何の意味があるんだろう、癒しや潤いを求めて結婚しようと思っているのに」と言えばもう一人が「女性はカマキリですかねぇ、子どもができる前は菩薩、出来た後は夜叉」と嘆くので私も「男は女性に二度求愛しないと行けないのかも、一度目は゛結婚してください゛だけど子どもが生まれたら゛僕も息子に加えてください゛とか」。
「そんなの嫁にドン引きされますよ、キモイとか言われて・・」と先の未婚者。
四人の男は「はぁ~」とため息をついてこの話題から撤収したのでした。


ここは抗議するしかない
だんだんと秋が深まりいい感じと思っていたら暦の上では立冬を過ぎていたようです。
もう冬なんですね。
今年の夏があまりに猛暑だったので肌感覚では少し涼しいぐらいかと思っていたら一昨日あたりから寒さを感じてそろそろ冬支度をしなければと考える昨今です。

関連は無いのですが今朝はガソリンスタンドに洗車に行きました。
昔は家のガレージ前でホースとカーブラシを持ってゴシゴシやっていたのですが寄る年波で億劫になり、洗車は機械洗いが一番と決めています。
それにタイヤ交換を頼んだ際にサービスで洗車券をもらって、使おうと考えたからです。
いつもはシャンプーのみか、ワックス付き洗車で済ましていますがこのチケットはプレミアム洗車優待なのでありがたかったです。

スタンドの事務所に入っていって30代ぐらいでしょうか、男子店員さんに「すいません、このチケット使いたいんですけど」と見せると、「はい、わかりました!今、セットしますね」と洗車機の方へ。
「オプションで泡ジェット洗車か下部洗浄を選んでいただけますが・・」
そこで私は5秒ほど考えました。
どうしょう・・下部洗浄といってもまだ路面から融雪水も出ていないから車の下部は汚れていないし、ここはしっかりボディを洗いたいので泡ジェットにしようと思い、「泡ジェットでお願いします」と言いました。
「かしこまりました」と店員さんは下部洗浄のボタンを押しました。
おやぁ?なぜかな・・私は泡ジェットをリクエストしたのに・・。
意に反して下部洗浄が始まりました。

ここで性格が出ると思います。
注文が違ったらすかさず抗議する人としない人(できない人)。
私は後者で泣き寝入りをします。
この店員さんが愛想よく対応してくれているのでここでクレームを出して流れを変えたくないという人間関係重視派です。
利害優先派にはなりきれない甘ちゃんです。
コンビニで肉まんを注文してあんまんがきても黙々と食べることもありました。
穏便に、何事もなく、波風が立たなければそれでいい・・でも悲しいです。




眼圧が高いね
あれはもう半月ほど前のことでしたか。
窓ガラスを布巾で拭いていた私は少し他の事を考えながら作業していました。
突然、バッシ!という音と右目に強烈な痛みを感じてその場にうずくまりました。
しばらく目を押さえて様子をみていたら初めは目が開けられないほどだったのが徐々に痛みも引いて右目も開けられるようになりました。
何だったんんだとガラスに近ずいたら15センチ角程のプラスチック版が転がっていました。
どうやらテープで窓ガラスに留めてあったのを上下に拭いた際に押し上げて飛んで来たようでした。
やはり作業する時はちゃんと集中せにゃならんなとその時はそれで受け流していた私でした。

その日の夕方、ある人としゃべっていたら、「あれ?石田さん・・目が真っ赤ですよ」と指摘を受け、慌てて鏡の前に行って見てみたら右の黒目のちょうど右半分の白目部分が真っ赤になっていました。
まるでドラキュラ映画に出てくる怪人のような感じで。
これは出血からきてるなと身に覚えがありながらさりとて特に痛みもなく、目もちゃんと見えているのだからそのうち何とかなるだろうと植木等のように(古い!)考えて放置することにしました。

それが一日経っても二日経っても真っ赤な目はそのままで周囲も眼科に行ってちゃんと診てもらったらと勧めてくれるのでネットで調べて生涯初となる(大袈裟な・・)眼科医さんの門をくぐったのでした。
もう夕方でしたが案外患者さんは多くて受付に行ったら看護師さんが何も言わないうちに「あら、目が赤いですね」と察してもらえて診察カードに名前や住所、症状などを書き込んで保険証と一緒に渡して診察の順番を待つことになりました。
待つことおよそ20分ばかりか私の名が呼ばれて診察室に入ると下あごを台に載せて望遠鏡を覗き込むような検査機械に座るように言われると野原にぼんやりと何かが浮かんでいる写真で撮ったような光景が広がっていました。
「風船が見えたらレバーのスイッチを押してください」と女性の看護師さんに言われてみると、なるほど徐々に青空に浮かんでいる風船が見えてきたのでカチャカチャとボタンを押していました。
「今度は風が当たりますがそのまま目を開いたままにしておいてください」と言われると機械からブワーと目に風が強めにあたりました。
言われたとおりに目を開けておこうと思ったのでしたが風の勢いでどうしても閉じてしまいがちでした。

検査が終わって看護師さんが「左目の眼圧が高いですね、言われたことありません?」とおっしゃいました。
眼圧?眼圧って何やろ?初めて聞いたわ・・でも今まで言われたことも無いので取りあえずありませんと答えようと思い「いいえ、ありません」と言いました。
その後、診察室の奥に通されると男性の先生がいらっしゃって診察を受けましたがどうも心配していた眼球の損傷などはなかったようで点眼薬と飲み薬を出して頂き、内出血なので1週間ばかりで元にもどると診断を受けて病院を辞しました。
その診察通りに目の出血は引きましたが私は看護師さんから言われた(眼圧が高い)という言葉が頭から離れず調べてみることにしました。
だいたい、血圧が高いとかはイメージがつくけど眼圧って何だろうか?

眼圧・・眼球は丸い球形をしていて正常な大きさや形を維持するための圧力を(眼圧)というそうです。
それが異常値になるとピントが狂ったりして急激な視力の低下が起こり、最悪の場合は緑内障などを引き起こすと言われています。
眼圧を調整しているのは眼球にある(房水)と呼ばれる体液だそうですが目の酷使、ストレス増加、食習慣、運動不足、睡眠不足などで減少した際に眼圧を高めると言われている(そうです)。
ちなみに日本人の平均眼圧は10mmHg~12mmHgだそうでそれが25mmHg以上になると(眼圧が高い)と言われるそうです。
そうか、私の左目の眼圧は25mmHg以上なのかと納得。
でもmmHgという単位がわからない・・これも初めて聞いたねと人生は未知の太洋を航海するが如しと思っている昨今です。








日本シリーズか終わって
私はヤクルトスワローズのファンです。(サンケイアトムズの時代から)
従って福岡ソフトバンクホークスと広島カープが激突した今年の2018日本シリーズはそんなに関心がなくスルーする気でいました。
それが疲れて帰宅した時に何の気なしにテレビのチャンネルをひねったら(もうひねるじゃないんですね、昭和レトロな表現でした)日本シリーズ第1戦が中継していて、これも何の気なしにビール片手に眺めていたらどんどん引き込まれて延長戦の最後まで力を入れて観てしまったのです。
その試合は引き分けで終わりましたがとても奥が深い試合であり、これは全試合観にゃならんと決心して昨日のマツダスタジアムでの第6戦までどちらを応援するでもなく、強いて言えば両方応援しながら観戦しました。

繰り返しますが私はソフトバンクも広島にも興味がありませんでした。
両チームの4番に誰が座っているのかすら知らずにいたのです。
ソフトバンクの工藤監督は選手時代、常勝西武ライオンズの勝ち頭でしたが何となくチャラチャラしたキャラが嫌いでしたし、広島の緒方監督は選手の時はいいプレーを見せる渋い職人だったと思っていましたがあまりにも地味でわからない人でした。
しつこく繰り返しますがスワローズファンの私としては日本シリーズで過去に対戦してコテンパンにやられたホークスも嫌いでしたし、ここ数年台頭著しく球団史上初のV3を成し遂げている広島にも嫉妬していました。
前田健太が大リーグに行ったのでしめしめと思っていたら黒田が返ってきてV。
黒田が引退したと思ったら阪神から復帰した新井貴浩がシーズンで活躍。
これは広島の時代が当分続くのではないだろうか、我がヤクルトもクライマックスシリーズに何とか出るには出たが3位の巨人の下克上撃沈で終わり、その巨人もあっさり広島に敗れ、そんなに簡単に負けるなら挑戦権を譲ってくれよというのがヤクルトファンの偽わざる心境でした。(だいたい菅野を温存して何をしていたのだろうか、敗軍の将高橋由伸は・・)

しかしそんな怨念・嫉妬・卑下・見栄を吹き飛ばすほど今年の日本シリーズの両チームの戦いは見ごたえがありました。
もっと言ってしまうならカッコ良かったのです。
私が福岡に住んでいたらホークスの、広島在住ならカープの年間パスポートを買ってでも毎日球場に応援に行きたいと思わせる試合運びでした。
MVPにソフトバンクの甲斐捕手が選ばれましたが肩で受賞するなどとは長い日本シリーズの歴史でも寡聞にして知りません。
広島の誇る俊足をことごとく(甲斐キャノン)で封じたスローイングはお見事の一言に尽きました。
ソフトバンクの内川選手も今年2000本安打を達成したほどの実力と技量は誰しも認めるものですが私は彼のクセのありそうな外見が好きになれなかったところ、チームの為に第5戦、第6戦と過去の栄光をかなぐり捨てて送りバントを決め、それがいずれも決勝点に結びついたこと、デッドボールを浴びながらも果敢に試合に出たガッツ溢れる姿勢に一流プレーヤーの風格を見てファンになりました。
カープの新井貴浩も今年限りで引退を表明、試合では再三いいところで代打に出てスタジアムを沸かしましたがいづれも凡打に終わり、ついぞ快音が聞かれなかったのですがこれがリアルで良かったです。
ホークスのピッチャーが変に気をまわして甘い球を投げず真っ向勝負をしているのが野球の良さだと実感しました。
両チームのリリーフ陣も魅せてくれました。
完投能力がある先発投手を繰り出していましたが日本シリーズという短期決戦なのでお互いに1点の取り合い、1点も与えないという緊迫した試合を演出してくれました。
とりわけ、なかんずくカープのフランスア、一岡、ホークスの武田、森投手・・見事なリリーフでした。
堪能できました。

総じてレベルが高い日本シリーズだったので実のところ今日、第7戦を観たかったのですがソフトバンクが勢いを失速させずカープを押し切ってしまいました。
私は個人的に元広島カープの曲者キャツチヤー達川光男氏がソフトバンクのヘッドコーチとしてベンチでこそこそ動いていたのを注意して見ていましたが古巣いじめに徹していたようです。
この達川ヘッド、私が思うに球史に残る歴代2位の悪賢い捕手です。(1位は野村克也氏)
以上、両チームの選手の皆さん、熱い試合をありがとうございました。




朝の珈琲☕
秋も深まりを見せそろそろ街路樹が紅葉を始めています。
明日はハロウイン。
この欧米の風習というか行事が日本でも定着あるいは市民権をもちつつあるのかなとマスコミ報道を通じて感じたり、国会では移民法の改正法案が審議されていたりでなかなかかまびしい思いがしています。
アメリカのトランプ氏の台頭、ブラジルで超右派大統領の当選、ドイツの社会主義勢力の敗退など国際社会は明らかにブロック経済ならぬ1国主義・保守化されてきている傾向が見られるのに日本の場合は働き手の減少の為に廃業・倒産などの件数が増加しているにも関わらず賃金の上昇は低位置で抑えられ、個人消費は伸び悩み、更には来年からの消費税増税で更なる不況の連鎖が十分予想されつつある時に外国人労働者の受け入れ枠の拡大と世界に開かれた日本と威張ってみても国民理解は得られるのかと心配になります。

そんな身も心も少々寒々としている私を慰めてくれるのは朝の一杯の珈琲です。
珈琲に含まれるカフェインは頭をすっきりとさせてくれるとともに気分も爽快に導いてくれる効果があるのはよく知られていますが同じく他の飲み物、緑茶や紅茶にもカフェインが含有されているのに珈琲ほどの覚醒効果が感じられないのは不思議です。
珈琲の持つ香り、苦味、酸味は朝の私をリフレッシュさせてくれる不思議な飲み物です。
今朝は好天。
朝日が道を金色に照らす様を見ながら珈琲を楽しんでいます。
NHKドラマの出来・不出来
私はテレビでドラマと言うものをほとんど観ません。
夜、疲れて家に戻り私の生活自体がドラマなのに他のフィクションを眺めようとする気力が湧かないのが理由です。
たぶん観ていると寝てしまう陳腐なドラマも数多くあります。
そんな私でも10代の頃からNHKの朝ドラと大河ドラマは観てきました。

朝ドラはだいたい当たりはずれがなしで安心して観ていられます。
問題は大河ドラマでこれが毀誉褒貶が激しい作品が多いというか、傑作もあるのですが問題作や愚作も数多くありました。
そんなドラマに当たればその1年間は不作の年と諦めるお百姓のようなものでした。
脚本・演出・俳優の演技・時代考証・舞台・大道具・小道具と確かに大河ドラマを創るというのは大変な作業と思っても国民から広く視聴料を集めている以上は納得のドラマをNHKには制作してもらいたいと思っています。

さて今年の大河ドラマ「西郷どん」は間違いなく駄作です。
回を追うごとに観る気が失せてくるのですが秋になりもはや惰性で観ています。
衛星放送1年分一括払いを返して欲しいと思っています。
俳優陣はまあいいでしょう、懸命な演技が見えてきます。
問題は時代背景の捉え方と考証と脚本の不出来です。

初回からもたもたしていたのですが前回は酷かったです。
幕末のクライマックス戊辰東北戦争を完全にすっ飛ばしていきなり明治政府成立まで行ってしまい目が点になりました。
「このあと甲州・会津・越後・函館と戦乱が続きますが時代は明治の夜明けを迎えました」とナレーターが読んだ時は(こりゃ端折り過ぎだわ)と憤慨したものです。
ある意味、西郷隆盛の黒歴史ともいうべき戊辰戦争を脚本家もスルーすることにより真実を隠そうとしているとしか思えないあざとさでした。
西郷が組織した赤報隊の非道とそれを使い捨てにした非情や会津や二本松に対して行った京都以来の怨恨を晴らしているとしか思えない長州・薩摩軍の暴虐ぶりなどは歴史の事実としてきちんとドラマの中に繰り入れるべきだったと思います。
この大河ドラマ、ぜひ全国都道府県別に視聴率を公表してもらいたいものです。
東北地方、特に福島県などではがた落ちでしょう。

あと、相変わらず坂本龍馬暗殺の回などは人気があったようです。
今回は小栗旬さんが演じていましたがなぜか二枚目が担当する龍馬です。
何年か前の龍馬主役の大河ドラマでは福山雅治さんが龍馬役でした。
これは国民的作家ともいえる司馬遼太郎氏の「竜馬がいく」の影響が大なのでしょう。
天衣無縫でバンカラ、自由な行動力で維新の回天の原動力になった坂本龍馬。
なるほど国民に人気があるのは当然でしょうか。
キューバ革命のチェ・ゲバラが人気があるように。
しかし、これも司馬遼太郎氏の創作でしかありません。
フィクションであるから司馬氏も「竜馬がいく」とわざと龍馬を竜と書き換えているのです。
実際の坂本龍馬は幕末史から見ればただのグラバー商会の使い走りに過ぎない存在であり、そう評価するべき功績もありません。
もっと言えばやたら明治維新だとか平成維新とか維新という言葉をありがたがる日本人が多いのですが司馬遼太郎氏の一連の明治・幕末ものはあくまで小説であり、司馬氏は歴史家でもなく研究者でもなく(作家)なのですから物語はフィクションです。
それを司馬史観とも祭り上げてドラマ作成のモチーフにするからいつもNHKのドラマはずっコケると私は思っています。
一概に言えることはNHK大河の明治維新を扱った作品は今年の「西郷どん」もそうですが噴飯もののオンパレードです。
(誤解のないように申せば司馬遼太郎氏の作品は小説として読めば一流のエンターテーメントです)
言いたい放題になりましたがNHKさんもそろそろ独自の視点でドラマ作成をして頂きたいものです。
その意味からも次はあの戦国のダーティヒーロー(信長を殺した男)明智光秀がいよいよ主役で登場です。
期待したいと思います。




小さい男
最近、私は何て小さい男なんだろうかと悩むことが多くなっています。
昨日も近くの平和堂で買ってきたグリコ・プッチンプリンを冷蔵庫に入れました。
プッチンプリンは子どもの頃からの好物で昨今の妙に凝ったプリンと違い、いかにもスタンダードな味わいであのカラメルの甘くて少し焦がしたようなほろ苦がさがクセになるのです。

しかし、私がお気に入りのスイーツを買って来ても次の日にはなくなっている超常現象が起こっているので防衛の為に(祐介)とマジックで自分の名前を書いておきました。
なのに・・それでもプッチンプリンは冷蔵庫から消えていたのです。
whY?Who?What?
謎は深まります。
思いあまって次男に訊きました。
「私のプッチンプリンがないんだけど?」
「昨日、ママと食べたで、それにしてもプリンにまで名前を書くとは小さい男になったな、パパは」
これは屈辱でした。
小さい頃から育ててやった息子から小さい呼ばわりされたうえにプリンまで取り上げられるとは・・・
確かに50を過ぎてお菓子に名前を書くのも如何なものかと私も思っていましたが誰でもやっているでしょうと訴えたかったです。

昭和の名残り
あまりに暑かった平成最後の夏。
本当に死ぬのではと思いました。
もしエアコンがなければと思うと背筋が寒くなり、文明の利器に感謝します。
その亜熱帯体験から体が抜け出せず秋もそろそろ深まりつつあるこの連休もTシャツに短パン姿で過ごしています。

さて平成もあと半年ほどで終わるわけですが昭和生まれの私としては何だか時代に取り残されていくような気分で少し寂しい思いもしています。
平成も30年間、いろいろなことがありました。
個人的には結婚したのも生まれた3人のこどもたちも平成婚と平成生まれ。
仕事が軌道に乗ったのも破たんしたのも平成年間。
実に実にいろんな出来事が次々と起こり、過ぎ去っていった平成。
平成は私に何を与え、何を奪ったのか・・いや私は平成という時代にどう向き合っていたのかと考えることしきりです。

俳人の中村草田男は1931年(昭和6年)に母校の松山中学を訪れ校庭を眺めながら「降る雪や明治は遠くなりにけり」と詩っています。
草田男は明治34年生まれ。
大正・昭和と激動の時代を過ごした感慨と明治へのノスタルジーが蘇ったのでしょうか。

昭和と言う時代は西暦では1926年に始まり、1988年の63年間で終わっています。(いわゆる昭和64年は昭和天皇崩御の為わずか7日間しかなく1989年は平成元年となる)
この昭和生まれと言うご同輩は現在、上は93歳から一番若くてつまり昭和63年生まれで31歳と今の日本社会の中核的存在です。
昭和生まれが今の日本を引っ張っていると言っても過言ではないと思います。
ですがいづれ、いつか、草田男の俳歌ではありませんが「昭和は遠くなりにけり」となる日が来るのでしょう。
先人もいつかは後続に抜かれる運命にある・・・後世畏るべしです。


日本は英語圏?
外出して見慣れた近所を歩いているとパトカーの巡回に出くわしました。
それ自体は特別に不思議なことではなく、勤務ごくろうさまですといった感慨ぐらいしか湧かなかったのですがこれも見慣れたはずのパトロールカーを眺めていて(おや?)と思ってしまいました。
日本の警察のパトカーは上部が白で下部が黒、これは白黒をはっきりするという意味でデザインされたと聞いていたのですがその車体下部の黒部分に白文字で(POLICE)と書かれてあるではありませんか。
(あれ、あんな文字いつから書いてあったけ?)とつい思ってしまいました。
ポリスはもちろん英語で警察ですが日本国の公務車両に何で英語が表記されているんだろうと素朴な疑問が湧いてきました。

理由として考えられるのは・・
1)日本はまだ独立していない・・サンフランシスコ講和条約は実は嘘で依然としてアメリカの実効支配を受けている。
2)海外からの外国人が観光・留学・就労様々な理由で入国してきたので国際語と言われる英語表記が採用された。
3)お洒落だから。

3)は別にふざけて言っているのではなく、リアルに漢字で(警察)とか(警視庁)とか書かれていると威圧感が増してしまうのでライトな感覚で英語を採用したと考えて頂ければ結構です。
そう、単に語感の問題です。

そもそも人種が交差する商業地や観光地ではもちろん多文化・言語の最低限の理解を求めるために各国言語表示があるのは常識となっています。
日本でも平成になって駅や宿泊施設などのトイレ、非常口、浴場など公共・民間施設では英語・中国語・韓国語などが見受けられるようになりました。
そのこと自体は不思議ではなく、私たちも海外に行った時に日本語表記があれば便利とともに安心感もあります。

ここで問題なのは(なぜ警察?)の観点です。
見方を変えてこれが陸上自衛隊の車両だったらどうでしょうか?
(ARMY)と書かれてあったら・・。
おそらく社会問題になるというか論争になるに違いありません。
開き直って(陸軍)とか(軍隊)と書かれてあったら自民党総裁選もぶっ飛んでしまいます。
左派と言われる論客が「いつから陸自は軍隊になったんだ!」と騒ぎます。(容易に想像できます)
マスコミも大いに取り上げます。
そうなると仕方がなく(自衛戦力)と書き直したりすると「やはり自衛隊は戦力だったのか!憲法違反だ、違憲の集団だ!」と追い打ちをかけられます。
今日のブログは別に改憲問題を考えるでも国防を論じるでもなく、あくまで素朴な問題提議に留めておきたいと思います。
私が言いたかったのは(外国語はソフトで母国語は生々しい)という現実です。



自民党総裁選から考えてみる
テレビ・ラジオでは盛んに自民党総裁選挙が始まっていることを言い募っていますが世間一般の関心は薄いようです。
現総裁の安倍晋三氏と元幹事長の石破 茂氏の一騎打ちとなりましたが自民党総裁に指名されるということはそのまま日本国首相になると同意語と言ってもよく、国民の政治代表を決める大切な選挙になぜかくも無関心なのでしょうか。
確かにもう勝負は見えています。
自民党7大派閥のうち石破氏支持は自派と竹下派の一部のみ、国会議員の7割は安部さんに付き、頼みの全国党員票、政治協会会員票も6年前の石破氏7割獲得は無理な情勢です。
党員の間にあった石破氏待望論は完全に萎んでしまっています。
やはり閣外に出てから盛んに野党かと思えるような政権批判を繰り返していたことが反党行為と党員に映ったことが人気凋落に繋がりました。
安部氏が今回の総裁選挙で「格差是正」を訴えるに対抗して「中小企業の活性化・地方創生」を打ち出していますが古い経済政策であり、地方創生に至っても石破氏が地方創生担当相の時に何の成果があったのかと疑問に思われます。

総裁選挙の行方は見えていてもこの国のトップリーダーを決める党首選挙は今後思い切って国民投票のように全国民選挙に切り替えるべきと私は思います。
党員の資格がなどと言わず、全国民(もちろん18才以上)による事実上の首相決定への参加意識の高揚しかこの閉塞した政治への無関心を打破できないでしょう。
これが社会実験的に首相公選制度やもしかしたら大統領制への議論の端緒になるやもしれません。
もちろん突拍子もない人の名が出てくるのは十分わかっています。
芸能人・スポーツ選手・他の政党の政治家等々、全部ひっくるめて今、国民が一番リーダーに選びたい人が浮き彫りになるのはそれはそれで民主主義の発展の為と割り切ればいいことです。
もちろん自民党がいつまでも政権党である保証などないのですから他党の党首も国民選挙をすればいいと思います。
そう言うとすぐに「財源はどうするんだ?」と夢のないことを言う人が現れますが国民が負担している政党交付金(助成金)の配分を変えれば十分に賄えます。
そうなれば助成金の受け取りを拒否している共産党は党首(書記長)の一般選挙を行わないことになりますがますますイリーガルでアナーキーな感じが醸し出されて素敵かなと思います。

今までは自民党総裁選挙と言っても国会議員は自らが所属する派閥の流れで1票、自身の選挙区の支部には特に働きかけをせず、地方の党員票は事実上の自主投票でした。
それが今回は違います。
安部さんが勝つのはわかっているので「バスに乗り遅れるな」ならぬ「アベに乗り遅れるな」と後援会を使って安部票の掘り起こしに懸命です。
これは初入閣が見えている当選4回生・5回生に顕著で論功行賞を得ようとする思惑が見え見えで党員から顰蹙をかっています。
「末は博士か大臣か、そんなに欲しいか大臣が」と陰口を叩かれる某代議士・・あなたのことですよ。




下駄のお守り
今現在は、そうここ12年ばかり家族旅行というものを全く行っていません。
結婚して子どもが生まれて学校に上がる前や彼女、彼らが小学生だった頃は海外旅行はさすがにおさなごを連れては体力的に無理なので国内に絞って年2回ばかり行っていました。
あれは私の初めての選挙がやっと終わった夏(平成18年)だったと思います。

10か月にも及ぶ選挙活動で心身ともにヘロヘロになっていた私は息抜きに家族を連れて1泊で飛騨高山に行きました。
川沿いの旅館に投宿してから夕飯前に散歩でもしようと街中を歩き始めました。
飛騨の古風で落ち着いた佇まいの家並みと川向うにテントを張った「出し物市」が見えたので行ってみました。
地元の野菜や特産品などが置かれた出店を見て回っていると一人のおばあさんが守をする民芸品店の前に来ました。
店と言ってもテントもなく露店で机に品物が並べられただけお店です。
出し物を見ていると小さな下駄の置物に目が留まりました。
二足で掌にのるぐらいの置物で赤く塗られていました。
おばあさんが「下駄の置物を便所に置いておくと転ばないと言うんだよ」と説明してくれたのを何となく聞いていて一種の厄除けと思って買って帰りました。

家に戻って下駄の置物をトイレの窓際に置きました。
それからこの平成30年夏まで私と我が家の運勢は二転三転、転ぶわ転ぶ、谷底まで急降下でした。
世間から見れば山道をゴロゴロと転がり、落下していき(あいつ死んだな)というぐらいの凋落と没落ぶりではなかったかと思います。
もっとも転がっている本人にしてみればそんなことを考えている余裕がなく、ただただ骨折など怪我をしないように、頭を打って死なないようにとひたすらどんどん転がるのが止まるのを必死で祈るばかりでした。
一度同じ境遇に陥った人の話を生で聞いたことがありますが「あれは地獄やった」と言われていたのを私もそうだろうなと思ったこともあります。
もう一家離散か夜逃げかと日中くたくたになってそれでも帰巣本能で我が家に戻り、疲れた体を引きずるようにまずトイレに入ると飛騨で買った下駄のお守りが目に入り、(何が転ばないお守りや、嘘ばかりだ)と何度思ったでしょう。

日曜の今朝、この前の地震で北海道が大変なことになっており行方不明の方の安否確認に山中を歩いている捜索隊のニュースが流れていました。
コーヒーを飲みながら報道を見ていた私はそれでも本当に家財産を、家族を、命を失った方々に思いを馳せれば私の10年の受難など何でもないと思えてきました。
まだ生かされていることに感謝の念しかありません。
転んだと思った私の人生は本当は転んでもいなかったのだと思えてきました。
世間一般ではみなさん同じように歯を食いしばって生きていることに気が付いたのです。
まだまだ私は甘かったようです。
何事もなく無事人生を謳歌できる人はそれはそれで良いと思っています。
運と実力もあるのでしょう。
そうではないごく普通の市井の人間である私などは天が与えてくれた試練を越えていく楽しさもあるのではないかと思い至った災害報道でした。
平成最後の夏は本当に酷暑と災害の夏でもありましたが我が家のトイレにはそのまま変わらず下駄の置物があります。




災害大国日本
今夏は本当に自然災害に見舞われる日本列島。
今日はつぶやき程度にいたしますが昨日発生の北海道地震にも驚きました。
北海道で震度7とは想定を超えています。
電力の供給も道内ではままならない状態と報道されていますが一日どころか一時間でも早くインフラが復旧されますことを願っています。
台風並みの暴風必至ー来春滋賀地方選挙
このブログを書いている8月4日朝、大型で強い勢力を持つ台風21号は四国沖にあり徐々に近畿圏に接近しています。上陸は昼前とニュースにあり、すでに鉄道や航空などの輸送機関は全面運休を発表し、多くの企業、学校もお休みとなっているようです。
本土上陸ということになれば威力を持つ台風なだけに十分な防災対策を講じておく必要もあり、今後ますますの警戒が必要です。

さて拙ブログで6月17日にアップした「滋賀県議会議員補欠選挙の話」の続きというべきネタが舞い込んできました。
自民党滋賀県連は一昨日から来春の統一地方選挙の公認・推薦の受付を始めましたが滋賀第1選挙区(大津市・高島市)では不協和音が響いている模様です。
第一選挙区支部長の肝入りで補欠選挙に立候補して見事当選を果たした新人の地元にある現職が来春選挙に立候補する意思を固めたという情報が入ってきました。
こうなれば票が割れるのは必至な上に他の大津市選挙区から選出されている3名の現職県議も支部長による今回の補選の候補者擁立に不快感を露わにしており支部長の選挙支援を拒否する構えとなっています。
自民党ではただ今、総裁選の準備が進められているところですが来春の県議選の結果しだいでは夏に予定されている参議院選挙にもし衆院のW選挙が実施された場合は地方議員の応援を著しく欠くことになる自民現職の苦戦も予想されます。
同じく高島市でも前回(4年前)の県議選挙で初当選した新人をこれも支部長推薦で自民党に入党させました。
現在、高島市の県議定数は2名ですが自民党籍の現職はおらず、往年の保守地盤は損壊している状態とはいうものの人選に問題がありすぎました。
件の新人県議は長年アンチ自民党で政治活動していた人物で地元高島連協も反発しています。
この方は自民党籍は取得したというもののスタンドプレーが目立ち、県議会では最大の「自民党県議団」の会派入りは拒否されています。
高島市においても長年自民党を応援してきたいわゆる支持層が瓦解する可能性もあり、これも次回衆院選挙に大きな禍根を残したとみるべきです。
これについて支部長の候補者擁立過程や政策決定過程をサポートしてきた事務局の重要人物もさじを投げ近く依願退職を申し出る話もあります。
こうなれば鼎を失った支部事務局が正常に活動できるかは疑問です。
滋賀県ではかってこの第1選挙区の事務局があまりにも局員の入れ替わりが激しすぎて結果として支部長辞任に至ったケース、第4選挙区では支部長と県議の連携・折り合いが悪すぎて支部長落選の結果を招いたケースもあり、今回の第1選挙区も相当ガタがきていると見るべきでしょう。
小選挙区制の時代、衆院議員・代議士はいつ起こるかわからない自身の選挙の為に自力をつける必要があり、その為に組織作り、地元密着を旨に土日の活動を行うのが正しい選挙対策ですが滋賀第1選挙区の場合、あまりにもミスが目立ち敗着の1手ばかりが指されている感があります。
自分の地元の地方議員選挙の候補者擁立や支援を自在に行える国会議員は派閥の領袖クラスに限られ、それ以外はひたすら地方議員・後援会・支援組織と密接な連携をとり、まず自分の次の選挙に生き残ることを考えなければならない時に自己の考えだけで行動しては取り返しのつかない事態となります。
自民党は上意下達ではなく下意上達の組織なのですから。
台風は注意してその通り過ぎるを待てば一過で済むかもしれませんが選挙の怨念は後々にまで禍根を残します。




作者と作品の寿命
平成最後の夏はものすごい酷暑だったと語り継がれることでしょう。
熱中症という言葉を毎日聞きながら暮らしました。
秋の訪れをようやく感じ始めた昨今ですがこれからが溜まった疲労が出てくる頃です。

同年代、とりわけ同級生と言ってよいのか同年の訃報を聞くと心が落ち込みます。
すでに報道されているように漫画(ちびまる子ちゃん)などの作品で知られる、さくらもも子さんが先月15日にご病気の為お亡くなりになりました。(享年53歳)ご冥福を心よりお祈り申し上げます。
私もファンでしたので漫画はもとよりテレビアニメなどもよく観ていました。
テレビのアニソン、BBクイーンが歌う(おどるポンポコリン)は何か聴いているとテンションが上がり、気持ちがハイになったものです。
さくらさんにはもっと活躍してほしかったと思いながらつらつらと作者にとって作品とは何かと考えてしまいます。

戦前、子どもたち(特に男子)に人気があったのが田川水泡氏の(のらくろ)と島田啓三氏の(冒険ダン吉)であり、少年倶楽部やキングなどで漫画界の世相を二分する好評を博していました。
(のらくろ)などは戦後昭和40年代までテレビアニメとして番組制作をされていましたが内容は原作の主人公のらくろが軍隊生活を送りながら軍功を立て立身出世をしていくという戦前の軍国少年の夢を煽るという作風からがらりと変わって下町の野良犬のらくろが仲間の犬たちとほんわか生きていくというストーリーに変更されていました。
(冒険ダン吉)に至っては南洋の小さな島に流れ着いた日本人少年が勇気と知恵を振り絞り、現地人(これも危ない表現なのですが)の尊敬を得て島の王になっていくという筋立てです。
戦後、外国への侵略をイメージした作風と批判され現在ではほとんどお目にかかることがありません。

さて、それでは戦後この(ちびまる子ちゃん)の先輩作品として一世を風靡した(している?)のが長谷川町子氏の(サザエさん)でしょう。
本当に息の長い作品で戦後間もない1946年(昭和21年)西日本新聞の姉妹紙である夕刊フク二チで連載がスタートしています。
平成の現在ではテレビで日曜日8チャンの18時30分からアニメが放送されています。(18時からは゛ちびまる子ちゃん゛が放映)
このサザエさんのテーマ曲がお茶の間に流れると世のお父さん方は(あ~ぁ、また明日から仕事か・・)とブルーになることから「サザエさん症候群」とも言われました。
ちなみに作者の長谷川氏の先生が(のらくろ)の田川水泡氏であることはもう忘れられています。
長谷川氏は平成4年自宅の窓から落下し全身打撲、事故死されました。(享年72歳)
(サザエさん)は家族漫画の中核として戦後の国民に安らぎと潤いを与えたと国民栄誉賞が贈られています。

ただ、最近の(サザエさん)は視聴率が低迷気味で長年のスポンサーも支援の打ち切りをほのめかしており番組としての寿命がそろそろ危惧されてきています。
これは作品の質が落ちたのではなく、おそらく祖父・祖母・嫁・夫・長男・長女・孫といった3世帯・大家族制を舞台にした物語がそろそろ世相と著しく乖離してきたことが影響しています。
現在は核家族・ダブルインカム・ノーキッズ・非婚化・晩婚化の時代であり、(サザエさん)の世界観は当世からしてみれば現実離れしていると思われているのでしょう。
しかしながらこのことは(サザエさん)が戦後の復興期から高度成長期、成熟期に日本人に提示してきた家族像が陳腐化したと軽々に批判できるわけでもなく作品として時代を映す大きな鏡であったことは否定できません。

およそ漫画に限らず書物(文学・評論など)はその作品が作者と同じ寿命を越えたあたりで世相の評価に耐えているかで古典・クラシックと呼ばれるものと思います。
その意味からも(サザエさん)は1946年の連載開始から今年で72年。
ちょうど作者の長谷川氏のご生涯と並びました。
すでに古典と呼ぶにふさわしいでしょう。






生きるべきか死ぬべきか
今日はお休みの日です。
朝から゛忙中閑あり゛と洒落こんでスーパー銭湯に行きました。
私は時折、自分の疲れを癒すために銭湯に行くことがあります。
平日の午前中なので入浴客はまばらでしたがそれでもご隠居めいたお年寄り以外に働き盛りの年齢の男子も何人か入湯していました。
湯船につかり何気なく他の客の様子を眺めていた私は不意に(私はなぜ生まれてきたのだろう、この世に何をしにきたのだろう)という人生のというか生き物として根源的な疑問が頭をよぎりました。

人は生き死にを自分の意思で決めることができるのだろうかという今さらながらの質問です。
哲学的というか、神学的というか古今東西より多くの人々がこの難問に挑戦してきました。
自分の意志で死ぬことは可能です。
よくいう自死・自殺というやつです。
しかし、いつか来る゛死゛を回避することは誰もできません。
老衰死、病死、事故死・・人の意志に反してそれはやってきます。

それでは゛生まれる゛という点ではどうでしょうか。
(よ~し、そろそろ生まれてやるか)と明確に思ってこの世に誕生したという方はぜひ連絡して頂きたいものです。
インタビューをさせて頂きたいものです。
多くの人は幼年期のある日、ものごころつき自分自身が生まれてきて存在することを悟ります。

このように考えると人生は生きるも死ぬもそのタイミングをはかれないという誠に不自由極まりないものと考えてしまいます。
他の人に意見を聞いてみると、「だから生きているうちが華なんだ」、「人はそれぞれが使命を持って生まれてきた、その使命を探すのが人生」、「生まれたからには面白おかしく過ごせればそれでいい」、「人生には何の意味もない・・」など種々の考え方があります。
ますますハムレットのように「生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ」という心境になっているうちに風呂につかり過ぎでのぼせました。




地名は大切
あの過酷な暑さも盆過ぎから少しは和らいだ気もいたしますがまだまだ残暑厳しい日が続いています。
昨日は台風20号が四国に上陸、そのまま瀬戸内海を渡り、岡山、京都北部と日本海に抜けていきましたが私の棲む高島でも一晩中凄まじい風雨の声が鳴り響いていました。
先月は西日本豪雨という災害に見舞われたばかりで地盤が緩んでいる被災地などは大丈夫だろうかと心配もしていましたが゛天災は忘れた頃にやってくる゛ではなくてしよっちゅう来ると思えます。

そのような嵐の晩に思い出していたのは以前、平成などの市町村大合併などで地名が大幅に変わったりで゛自由が丘゛とか一見何の変哲もない、むしろ耳障りもいい呼称に変更された市町がすべからく少なくない中、先人が地名にこめた゛暗号゛むしろ゛警告゛が見過ごされがちだと考えていました。
今年になってイギリスの災害研究機関が「世界で最も危険な地下街」に大阪の梅田を指名しました。
私は「梅田」と聞いて今まで漠然と(昔は梅林でもあったのかしら)と思っていました。
それがそうではなく「梅」は「埋め」、つまり埋め立て地だったようです。
川の氾濫時の流水が流れ込みやすく、地盤が緩いため要警戒な土地柄のようです。

そのように調べていけば地名には結構暗号が隠されていることがわかります。
地名にあると考えなければならない(防災上ですが)ものとして・・・
「萩」・・゛剥ぐ゛からきており地層が流れやすい
「灘」・・゛入り江など港湾に多いが津波や満潮時での被害に遭いやすい
「釜」・・灘と同じく
「桜」・・゛割く゛゛裂く゛゛狭く゛から由来した地名が多く、土砂災害の発生した記録が残る場所でもある
「草」・・硫黄臭などの匂いから゛臭い゛とされたりもするが地盤が活性化しすぎて地震の際にあぶない
「柿」・・゛欠く゛から由来するが地盤がはがれやすい
「龍」・・風水害被害が起こりやすい、竜神が暴れるイメージがある地名
「蛇」・・河川がのたうち廻る

このように挙げていけばもっとあるでしょうが古の方々が命名した地名は簡単に変えてはいけないということではないでしょうか。
ちなみに私の地元・滋賀県高島市今津町にも梅原という集落がありますが郷土史で調べたところ梅の原っぱではなく明治の初期に原野を埋めた、つまり開墾してできた在所だそうです。
地名の由来・歴史は大切にしたいものです。

ある地方政治家の死
家の番には犬がいいか、猫がいいかなど能天気なブログを書いていたら夕方になって訃報が飛び込んできました。
元滋賀県議会議員・栗東市選出の三浦治雄先生が本日、入院先の栗東市済生会病院でお亡くなりになったとのことでした。
私のブログを覗いて頂いている方のおよそ半数ぐらいは三浦先生の名をご存知いただいていると勝手に解釈して話を進めます。

ちょうど電話がかかってきて昨日、三浦先生のお見舞いに病院に行った方がすでにこん睡状態になられていて看病に付き添っておられる奥様と少ししゃべって帰ってきましたと語っていただきました。
私はよく存じ上げなかったのですが三浦先生は議員を辞められてから重い手術を二度も受けられ体調を崩しておられたと聞きました。

三浦先生は滋賀県議会では議長も経験され、自民党会派の代表も務められた方ですがおそらく平成15年ごろから議員辞職される平成26年まで滋賀県政を引っ張っておられた実力者でもありました。(初当選は平成3年)
私も途中で議会に入った際に三浦先生に言葉ではなく、その背中で政治について教えていただいたと感謝しております。
三浦節ともいうべき独特の言い回しで「そういうことがあれれば滋賀県に重大な影響があり」と演説されていて私たち若手はこぞって真似をしていたのを懐かしく思い出します。
痩身ではありましたがよく通る声で広い会派の隅々にまで意見をされていました。
栗東市選出の議員ということもあったのでしょうか、ちょうどもったいない県政の嘉田知事と栗東新駅建設凍結を巡って議場で激しく議論をされていたことを思い出します。

しかし、私と三浦先生は政治家としてがっちり手を握っていたとは思えません。
私は三浦先生のことを「喰えないタヌキ親父」と思っておりましたし、先生は私の事を「言う事を聞かない若造」と思っていらっしやったのではないかと思っています。
とにかく、三浦先生の路線に特に会派運営については盾ついてきたので途中で会派を割って別会派をつくったことさえありました。
(約1年後に再統合しましたが)
今の若い政治家の皆さんでもこれはおかしい、理屈にあわないと思ったら先輩議員にでも堂々と意見して市民・県民の負託に応えてほしいと思っています。
なんでもかんでも上がおっしゃる通りとイエスマンになっていても政治は前には進みません。

それ以外の自民党としての政策については三浦先生に教えて頂き、従ってきたつもりです。
選挙についても十分にご協力してきた自負もありますし、助けても頂きました。
ともかく存在感のある政治家でいらっしゃったと三浦先生のご冥福を心よりお祈りさせていただきます。
明後日は地元で通夜式を営まれるとお聞きいたしましたのでご弔問に伺うつもりです。



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