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ゆうすけブログ
災害大国日本
今夏は本当に自然災害に見舞われる日本列島。
今日はつぶやき程度にいたしますが昨日発生の北海道地震にも驚きました。
北海道で震度7とは想定を超えています。
電力の供給も道内ではままならない状態と報道されていますが一日どころか一時間でも早くインフラが復旧されますことを願っています。
生きるべきか死ぬべきか
今日はお休みの日です。
朝から゛忙中閑あり゛と洒落こんでスーパー銭湯に行きました。
私は時折、自分の疲れを癒すために銭湯に行くことがあります。
平日の午前中なので入浴客はまばらでしたがそれでもご隠居めいたお年寄り以外に働き盛りの年齢の男子も何人か入湯していました。
湯船につかり何気なく他の客の様子を眺めていた私は不意に(私はなぜ生まれてきたのだろう、この世に何をしにきたのだろう)という人生のというか生き物として根源的な疑問が頭をよぎりました。

人は生き死にを自分の意思で決めることができるのだろうかという今さらながらの質問です。
哲学的というか、神学的というか古今東西より多くの人々がこの難問に挑戦してきました。
自分の意志で死ぬことは可能です。
よくいう自死・自殺というやつです。
しかし、いつか来る゛死゛を回避することは誰もできません。
老衰死、病死、事故死・・人の意志に反してそれはやってきます。

それでは゛生まれる゛という点ではどうでしょうか。
(よ~し、そろそろ生まれてやるか)と明確に思ってこの世に誕生したという方はぜひ連絡して頂きたいものです。
インタビューをさせて頂きたいものです。
多くの人は幼年期のある日、ものごころつき自分自身が生まれてきて存在することを悟ります。

このように考えると人生は生きるも死ぬもそのタイミングをはかれないという誠に不自由極まりないものと考えてしまいます。
他の人に意見を聞いてみると、「だから生きているうちが華なんだ」、「人はそれぞれが使命を持って生まれてきた、その使命を探すのが人生」、「生まれたからには面白おかしく過ごせればそれでいい」、「人生には何の意味もない・・」など種々の考え方があります。
ますますハムレットのように「生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ」という心境になっているうちに風呂につかり過ぎでのぼせました。




地名は大切
あの過酷な暑さも盆過ぎから少しは和らいだ気もいたしますがまだまだ残暑厳しい日が続いています。
昨日は台風20号が四国に上陸、そのまま瀬戸内海を渡り、岡山、京都北部と日本海に抜けていきましたが私の棲む高島でも一晩中凄まじい風雨の声が鳴り響いていました。
先月は西日本豪雨という災害に見舞われたばかりで地盤が緩んでいる被災地などは大丈夫だろうかと心配もしていましたが゛天災は忘れた頃にやってくる゛ではなくてしよっちゅう来ると思えます。

そのような嵐の晩に思い出していたのは以前、平成などの市町村大合併などで地名が大幅に変わったりで゛自由が丘゛とか一見何の変哲もない、むしろ耳障りもいい呼称に変更された市町がすべからく少なくない中、先人が地名にこめた゛暗号゛むしろ゛警告゛が見過ごされがちだと考えていました。
今年になってイギリスの災害研究機関が「世界で最も危険な地下街」に大阪の梅田を指名しました。
私は「梅田」と聞いて今まで漠然と(昔は梅林でもあったのかしら)と思っていました。
それがそうではなく「梅」は「埋め」、つまり埋め立て地だったようです。
川の氾濫時の流水が流れ込みやすく、地盤が緩いため要警戒な土地柄のようです。

そのように調べていけば地名には結構暗号が隠されていることがわかります。
地名にあると考えなければならない(防災上ですが)ものとして・・・
「萩」・・゛剥ぐ゛からきており地層が流れやすい
「灘」・・゛入り江など港湾に多いが津波や満潮時での被害に遭いやすい
「釜」・・灘と同じく
「桜」・・゛割く゛゛裂く゛゛狭く゛から由来した地名が多く、土砂災害の発生した記録が残る場所でもある
「草」・・硫黄臭などの匂いから゛臭い゛とされたりもするが地盤が活性化しすぎて地震の際にあぶない
「柿」・・゛欠く゛から由来するが地盤がはがれやすい
「龍」・・風水害被害が起こりやすい、竜神が暴れるイメージがある地名
「蛇」・・河川がのたうち廻る

このように挙げていけばもっとあるでしょうが古の方々が命名した地名は簡単に変えてはいけないということではないでしょうか。
ちなみに私の地元・滋賀県高島市今津町にも梅原という集落がありますが郷土史で調べたところ梅の原っぱではなく明治の初期に原野を埋めた、つまり開墾してできた在所だそうです。
地名の由来・歴史は大切にしたいものです。

ある地方政治家の死
家の番には犬がいいか、猫がいいかなど能天気なブログを書いていたら夕方になって訃報が飛び込んできました。
元滋賀県議会議員・栗東市選出の三浦治雄先生が本日、入院先の栗東市済生会病院でお亡くなりになったとのことでした。
私のブログを覗いて頂いている方のおよそ半数ぐらいは三浦先生の名をご存知いただいていると勝手に解釈して話を進めます。

ちょうど電話がかかってきて昨日、三浦先生のお見舞いに病院に行った方がすでにこん睡状態になられていて看病に付き添っておられる奥様と少ししゃべって帰ってきましたと語っていただきました。
私はよく存じ上げなかったのですが三浦先生は議員を辞められてから重い手術を二度も受けられ体調を崩しておられたと聞きました。

三浦先生は滋賀県議会では議長も経験され、自民党会派の代表も務められた方ですがおそらく平成15年ごろから議員辞職される平成26年まで滋賀県政を引っ張っておられた実力者でもありました。(初当選は平成3年)
私も途中で議会に入った際に三浦先生に言葉ではなく、その背中で政治について教えていただいたと感謝しております。
三浦節ともいうべき独特の言い回しで「そういうことがあれれば滋賀県に重大な影響があり」と演説されていて私たち若手はこぞって真似をしていたのを懐かしく思い出します。
痩身ではありましたがよく通る声で広い会派の隅々にまで意見をされていました。
栗東市選出の議員ということもあったのでしょうか、ちょうどもったいない県政の嘉田知事と栗東新駅建設凍結を巡って議場で激しく議論をされていたことを思い出します。

しかし、私と三浦先生は政治家としてがっちり手を握っていたとは思えません。
私は三浦先生のことを「喰えないタヌキ親父」と思っておりましたし、先生は私の事を「言う事を聞かない若造」と思っていらっしやったのではないかと思っています。
とにかく、三浦先生の路線に特に会派運営については盾ついてきたので途中で会派を割って別会派をつくったことさえありました。
(約1年後に再統合しましたが)
今の若い政治家の皆さんでもこれはおかしい、理屈にあわないと思ったら先輩議員にでも堂々と意見して市民・県民の負託に応えてほしいと思っています。
なんでもかんでも上がおっしゃる通りとイエスマンになっていても政治は前には進みません。

それ以外の自民党としての政策については三浦先生に教えて頂き、従ってきたつもりです。
選挙についても十分にご協力してきた自負もありますし、助けても頂きました。
ともかく存在感のある政治家でいらっしゃったと三浦先生のご冥福を心よりお祈りさせていただきます。
明後日は地元で通夜式を営まれるとお聞きいたしましたのでご弔問に伺うつもりです。

お盆は自宅で
お盆休暇の真っ最中ですがテレビでニュースを観ているとすでに帰省のUターンラッシュが始まっており私になじみがあるところでは名神高速京都南インターから大津の蝉丸トンネルまで20キロの渋滞が発生しているとのことでした。
ここ数年、そう10年あまりにもなりますが我が家は盆暮れに旅行などは行かず、ひたすら家にじっとしています。
特に夏・・家の中で好きなことをしてエアコンの効いた快適な部屋で体を休めるといった心身ともにリフレッシュする方法を世間はなぜインドア派と虐げるのかわかりません。
無理に山や海に行ってBBQ?
暑さで汗がだらだらと流れ、寝泊まりはテントや車中泊。
蚊やアブに蜂に刺されてストレスはマックスになります。
睡眠不足になります。
どこがいいのか、未だにわかりません。
そんな将棋で言うと穴熊のようにガチガチ家から離れない私に愛想を尽かせてか妻と長男は実家に里帰りです。
学生最後の夏を迎えている長女は東京から帰ってきません。
向こうの方が刺激があって楽しいのでしょう。
次男は珍しく私と高島に残っているのでおかしいと思っていたら明日から1人で四国にぶらりと旅行に行くというので驚きです。
誰と行くんやと訊くともちろん1人、携帯だけは電源入れとけよというのが精いっぱいでした。
可愛い子には旅をさせろとは言うものの君は受験生なのにいいのだろうかと思うことしきりでした。
次男曰く、「出かけなければ勉強する気がおこらない」とのこと。
確かに私も勉強は好きなほうではありませんでした。
何か教科書を開いてみんなで同じことをするのが嫌でそれならばとテスト範囲以外のことを調べたり、趣味にはしったりと今から考えれば集中力のない、もっと言えば落ち着きのない軽薄な青年だったように思います。
同級生たちはそんな私をどう見ていたのかこの年齢になってきたらそろそろ本音を訊けそうです。
そうかしているうちに同級生BBQのお誘いがありました。
これはレジャーじゃない、旧交を温める為に、失われた時を求めて参加しようとSAY YESをしました。

アクション映画好き
盆休みに入り、映画館に足を運びトム・クルーズ主演のスパイ・アクション映画「ミッションインポッシブル・フォールアウト」を観てきました。
私がミッションインポッシブルのようなアクション映画が好きだと言うと「へぇー石田さんがねえ、意外ね」とレスポンスが返ってくることが多いです。
私のように見た目が文弱で腺病質系の人間は余計にそう思われるようです。
アクション映画の良いところは変に後に残らないところです。
ビールのようにぐいぐい飲んでもオ〇ッコしたら全部出てしまう感じですか。
日本酒やワインなら二日酔いでガンガンしているような深い余韻が残る映画は実は苦手なのです。
1アウト走者1・2塁、ショートゴロ、ダブルプレー、チェンジ!
すっきりとさばさばな感じがいいです。

「ミッションインポッシブル」シリーズが好きな理由に私がトム・クルーズのファンであることもあります。
1962年生まれの彼は今年で56歳。
正直なところアクション映画の主役を張るのはかなりきつい年齢です。
走ったり、飛んだり、昇ったり、泳いだり、格闘したりとよく息切れしないなと見ていて思います。
事実、今回もロケ中に足首を骨折して大きなニュースになっていました。
それを驚異的なリハビリで回復してクランクインまで短時間で持っていったトムの根性に敬服です。
私より年配が動き回っている映画を観て少し勇気をもらっている感じです。

さて、今夏配給の「ミッションインポッシブル・フォールアウト」はシリーズ6作目となっていますがアクション部分はシリーズの売りであるのでハラハラドキドキは前5作と比べても遜色ないものの、人間関係は少々複雑になっているので鑑賞には注意が必要です。
こいつ危ないな、裏切りそうだなという奴がそのままついてきたり、大丈夫と思った仲間が実は敵の組織の人間だったり、癖があるけどどうかなと思った女が案外もったりと序盤からじっくりと人物鑑定をしないと(トムの目で)騙されます。

※ 注) ここからは作品のネタバラシになりますのでこれから鑑賞を考えている方はお気をつけください

イーサン・ハント(トム・クルーズ)とIMFの仲間3人は遂にテロリスト組織゛神の使徒゛を追い詰めインドとパキスタン国境のカシミールの山岳地帯に辿り着きました。
あと残されたミッションはテロリスト集団に奪われた核爆弾の配線を切り無効にすることです。
もし核が爆発すれば世界最大の水がめ・水源と呼ばれるヒマラヤ水脈が汚染され25億の人々の生活に重大な支障が出ることを覚悟しなければなりません。
核のコントローラーはテロリスト組織の一員であった裏切者のオーガスト(ヘンリー・カヴィル)がヘリコプターで持ち逃げを図りました。
すかさずイーサンはヘリの脚につかまり空中に。
山村に残ったルーサー(ヴィンク・レイムス)、ベンジー・ダン(サイモン・ペック)、イルサ・ファウスト(レベッカ・ファーガソン)のIMFメンバー男女3人はどこかに隠された核爆弾2器をすみやかに発見して回線を切断しなければ爆発を解除できません。
しかし、それには順序があり、まずイーサンが核コントローラーの電源を切ってからでなければむやみに回線を切るとやはり爆発します。
ここで往年の名解説者・淀川長治先生なら「こわいですねぇ、恐ろしいですねぇ、イーサンは無事にミッションをクリアできるのでしょうか、あとでまた会いましょうね、サイナラ、サイナラ、サイナラ」と映画を盛り上げてくださるはずです。

とうとうイーサンはオーガストの乗ったヘリを山中に墜落させ、2人はコントローラーを奪い合い壮絶な死闘の末、電源を切ることに成功します。
しかし、遠く離れた山村にいるIMFメンバーはイーサンが電源を切ることに成功したことを知る由がありません。
ルーサーはイーサンを信じて見つけた核爆弾の回線を切断しました。
もう1器を追っていたベンジーとイルサは山小屋の中に隠された核を発見してこれもテロリストとの格闘の末にペンチを持って回線を切るところまでいきます。
爆弾はカウントダウンをしていて爆発まで残り45秒!
赤の導線と黄色の導線を同時に切れば解除となります。
イルサが「ベンジー、切るわよ!」と声をかけます。
額に脂汗を流しているベンジーが「待て待て、時間ギリギリでやろう」と答えます。
ベンジーは離れたイーサンが本当に電源を解除しているか疑心暗鬼だからです。
イルサがすかさず、「じゃ2秒前でね」と言うと、ベンジー考えて「いや1秒前」と言います。
イルサが「遅れたら爆発するじゃない!」と怒鳴ります。
ベンジーは「それじゃ2秒前、いや、やっぱり1秒前だ」と答えます。
ここで私は思わず笑ってしまいました。
人間はつくづく゛生゛に執着するのだなぁと。
更に女性はいざとなると度胸があるが男はヘタレだなと。
1秒でも長く生きていたい、少しでも生死の判断を遅らせたいという心情が色濃く発信されたエピソードでした。

昔と違って映画も少し待てばテレビの地上波で放送されたり、ネット配信やレンタルもすぐに始まったりと映画館に足を運ばなくても家庭で手軽に楽しめる環境になったことはご同慶ですがやはりアクションものは大画面のスクリーンで観ると迫力が違いますね。









エアコンの夏
この前の8月7日が暦の上では「立秋」、文字通り秋が始まるの意ですがまったく季節を感じません。
農家の人と話していると「田んぼの稲穂が垂れてきてるので予定通り9月になったら刈るわ」とかおっしゃていますが元気ですね、お米が獲れたら分けてくださいねとしか言いようがない暑さが続いています。
私も半世紀生きてきて今夏の暑さはとにもかくにも゛異常゛だったと感じています。
異常と言うのは常と異なるというか、想定外と言うか、気象庁観測史上初と言うか、想像を絶する暑さに見舞われた夏でした。


それまでの夏場などは滋賀県でも大津の人や京都、大阪の人たちが「あ~暑いね、夜はエアコンを入れないと寝られんわ」とおっしゃっているのを「ホントにそうですね」などと適当に相槌をうっていて心の中では(うちはエアコン無しでも寝られるもん)と密かな優越感に浸っていました。
なにせ私の住んでいるのは滋賀県の高島市です。
高島は英語で直訳するとhigh island、つまり島です。
高い島、何かフィジーのような南洋の楽園の語感です。
故に夏涼しくて冬もっと寒いところです。

子どもの頃は夏になるとプールなどなかったので歩いて10分の琵琶湖までいって泳ぎました。
ある程度泳ぐと体がそれなりに冷えてくるので岡に上がり、Tシャツを着て下は海パンのまま歩いて家に帰りました。
冷えた体に夏の西日がちょうどポカポカと温めてくれるので帰り道は冷えポカ状態で気持ちがよかったものです。
家に戻ると冷蔵庫からスイカかかき氷を出してきて食べてから縁側でごろりと昼寝をするのが日課でした。
まさに楽園。

今年の夏は琵琶湖に入っても水温が高くて体が冷えません。
上がって歩いても太陽光が強すぎて電子レンジのように体を直射するので眩暈がします。
ぜんぜん楽園じゃない、むしろ亜熱帯。

そのようなわけで夜になっても気温が下がらず、この年になって初めてエアコンを入れて寝ています。
じゃなければ寝苦しくて熟睡ができない、これは高島で初めての夏です。
「暑さ寒さも彼岸まで」とも言いますがまだまだ当分は残暑の厳しい時期が続きそうです。

異常気象の夏
夏の夕暮れ、日中の猛暑もさすがになりを潜めだし、通り雨の夕立に凉を感じ、縁側で蚊取り線香をつけて夕涼みをしながらうちわを片手に遠い日のことをしみじみと思い出す。
こんな詩情溢れた夏の日が恋しくなるほど今年の日本の暑さは異常です。
もっと言うなら異常気象の夏です。

だいたい私が子どもの頃は暑くても30℃超え、うんと暑くて33℃とか、スイカを食べながら甲子園を観ていて、「え!33℃あんの!そりゃ暑いわけだ」とかなんとか言っていました。
真夏日とか猛暑日とかの表現はなかったのですから。
35℃超えが連日当たり前でお隣京都では観測史上初めての39.7℃・・K点軽く突破です。
もうすぐ40℃!
人間なら3日間この体温出したら死ぬと言われる気温です。

去年の夏、一緒に働いていた人が「石田さん、暑いね、僕はこの会社に入って7年目の夏を迎えるけどここまで暑い夏は初めてだよ」とのたまっていらっしゃいました。
なんのなんの、今夏はレコード更新です、天井知らずの日本の夏です。

異常なのは気温だけではありません。
雨の降り方・・昔のように夕立がさっときて涼しくなるなんてこともありません。
降らなかったら1週間でも10日でも降らない、降るととことん降る、もの凄く、どしゃ降りに、山を突き崩すほど。
先日の西日本大豪雨も記憶に新しいところですが天は容赦をしなくなったというかほどほどが無くなったというか、極端な天候になります。

今来ている台風12号も太平洋上を北進して小笠原諸島からそのまま東北とか北海道に行くのかと思っていればスライダーのように左に急旋回、上陸していつもとは逆進、東海から関西、中国・四国にどんどん進むのですからこれも異常です。
(想定外)があまりにも続く気象ですがこれは天災なのか人災なのか判断に迷います。



熱中症にご用心
3連休が終わってまた忙しい日常が始まります。
それにしても暑いですね。
7月は盛夏とも言いますが今が1年で1番暑い頃だと思います。

車で走っていればかなりの確率で救急車に出くわします。
今朝のテレビの(朝チャン)で放送していましたが共同通信によれば昨日(7月16日)に熱中症で緊急搬送された方は全国で2020人(うち5名死亡)とありました。
熱中症をなめてはいけないと思いますし、室内・室外を比べれば実は室内で倒れている方が7割と案外、家の中で熱中症にかかる人が多い傾向のようです。
そのうち7割の人がエアコンをつけていなかったとか。
室内での温度管理にも気を配りたいものです。
私が子どもの頃は扇風機しかなかったのですが昔の人はどうしていたのでしょう。
今より地球は暑くなかったのでしょうか、温暖化の影響もありそうです。
これもテレビでやっていましたが昨日は東京の公園で滑り台が使用中止。
理由は火傷するからとか。
表面計で測定すると63℃。
鉄板やきそばの世界です、確かに危ない。
滋賀県でも一昨日は米原市で94歳の女性が畑で倒れられていて、大津市では74歳の男性が室内でとお亡くなりになっていますがまったくお労しいことです。
少しの体調の不良を感じたらこの時期は熱中症を疑ってもいいのではないかと。
それにしても熱中症っていつからそう言うようになったのでしょうか、確か昔は(日射病)と呼んでいたのですが今は直接日差しに当たらなくても温度変化により発症するからなのでしょうか。

ラジオでも十分な水分と塩分補給を心がけるよう呼び掛けています。
これについては私も経験があります。
これは去年ですがちょうど7月のカンカン照りの暑い日に友人とゴルフに行きました。
蒲生のゴルフ場です。
とにかく楽しくプレーしていたのですが炎暑で汗がだらだらと出てきます。
喉も当然乾きますから水筒に入ったお茶を頻繁に飲んでいました。
突然、頭がくらくらしだしてゴルフ場の芝生やコースの木々、遠くの山並みがセピア色になりました。
まるで昔のヨーロッパ映画を観ているような風景でした。
それでもがんばってショットしていると今度はだんだん視界が狭くなってきました。
ちょうど映画の最後で銀幕がどんどん狭まって(FIN)と字幕に出て終わるようなあの感じです。
(これは人生が終わるな、死ぬな、このまま)と思いました。
たぶんよろけていたのだと思います。
背後からキャディさんが「お客さん、大丈夫?これなめて」と白いザラザラした結晶を渡してくれました。
夢中でなめてみれば塩辛い、つまりは塩でした。
するとみるみるうちに視界が戻ってきて画面もカラーになり、頭もシャキッとしました。
あのままだったらゴルフ場から病院に搬送され、家族に連絡が入り、私が御しのびでゴルフに興じていたことが妻にばれるところでした。
それにしてもゴルフに熱中して熱中症とはシャレになりません。
何を言いたかったかというと熱中症対策にはがむしゃらに水分補給だけではだめでむしろ血液の塩分濃度が下がってしまい私のように倒れますから適度に塩分も補給しないといけないですという事です。
何かのご参考になればと。



雨が下しる
今は梅雨なんでしょうね。
何か暑いのか、涼しいのか、ピンとしない天気が続いています。
それでもこの梅雨が明けたら全国的に暑い夏が到来するかと思うとウンザリともします。

明智光秀が茶会で詠んだ、主君・信長を討つと決めた覚悟の歌で「時は今、雨が下しる五月かな」という一句が後世に伝わっていますが旧暦は5月でも本能寺の変が起こったのは新暦の6月21日の未明のことでした。
きっと朝から蒸し暑いことだったのだな、火事まで出してと考えていた一日です。
田舎道は怖い
月曜日は台風5号が来るから大雨かと思っていたらずっと東の海上を抜けて関東方面に向かったようでそれほど雨脚は強くありません。
朝から国道161を自家用車で南に走っていたら高島町白髭神社付近の側道でキツネの子が横たわっていました。
たぶん道路を横切る際に車に轢かれたんだろうと思うとその少し前方にこれも鷹(トンビ?)の子が仰向けになっていました。
その様は両脚の爪を空に向かって突き出しており死後硬直が始まっているかのようでした。
推測するとキツネの子を食べようと降りてきたところを後続の車にはねられたのだろうと。
二重事故でしょうか。

白髭神社のカーブを曲がって直線に入ったら前方に黒いお椀のようなものがコロコロと動いていました。
私の前を走っていた車は急ハンドルで回避しましたが私は対向車とすれ違うタイミングなので避けようもありません。
ブレーキを踏もうと思いましたが後続車と追突する恐れがありますからそれもできません。
物体を良く見るとどうやら原付バイクのヘルメットのようでした。
(南無さん!)ヘルメットを踏みつけました。
バキ!バリバリ!とタイヤから衝撃を受けていました。
バックミラーで確認してみるとヘルメットは跡形もなくなっていました。

最近は車の事故関連のニュースが毎日のように報じられています。
私の子どもの頃には「せまい日本、そんなに急いでどこに行く」という標語が流行っていました。
また「注意一秒・怪我一生」とも。
車を運転の皆様、交通事故だけにはくれぐれも気をつけましょう。
自戒を込めてそう思います。


ゆで卵の思い出
大型連休はどこに行っても人の波、だからどこにも行かず家でゆっくりするに限ると毎年そのように過ごしています。
地元の祭りも昨日終わり、今日は晴天、妻は妹と信楽に遊びに行き、長女は東京から帰って来ず彼女の生活を満喫しているようで、長男はこの春から京都の学生寮に入り、次男は高校生最後の部活(サッカー)の試合というわけで私は1人で静かに家守です。
あ、猫が3匹いました。
彼ら、彼女らは私と一緒です。

テレビでは「大型連休も終盤です」と女性アナウンサーが言ってましたがやっと休みらしくなったのにもう終盤とは悲しいものです。
今日の私のような状況を昨年読んだ村上春樹氏の小説「騎士団長殺し」になぞらえてしまいます。
冒頭で妻に出て行かれた(見捨てられた)主人公(職業・画家)が友人の別荘に転がり込みますが深い谷間に囲まれた高台の1軒家で誰ひとりとして訪れない静謐な生活が始まるところから物語が進行していきます。
今朝はそんな状況です。

起床して特にお腹が減っておらず、さりとて何か軽く口にしたいのでコーヒーを淹れてからゆで卵をつくって食べました。
ゆで卵は便利です。
特に調理の手間がかからず、卵をゆでている間にコーヒーを飲みながら新聞を読んでいればいいのですから。
ゆで卵を食べながら随分と昔のことを思い出しました。
それこそ50年ばかり昔のことです。
幼稚園児だった私は大津駅前にあるプロテスタント系の幼稚園に通っていました。
キリストの復活祭(イースター)になぜかゆで卵が園児に出されました。
お皿も何もなく、ただ手渡しされ、その場で食べるのですがなぜか卵の殻全面に塩がついていて私たちは器用にその塩を殻から掌に落としてから殻をむき、むいた卵を塩につけて食べるのです。
今考えてみると塩を卵の殻に引っ付けるのはどうしていたのかと思います。
別に卵の表面が濡れていたわけではなく、カラカラに乾いた塩の結晶がびっしりと付いていたのですから。
暇だと昔のそんな他愛のないことを思い出します。

どうでもいいのですが母方の祖母は京都に住んでいましたがゆで卵のことを(にぬき)と呼んでいました。
祖父は(うでたまご)と言っていました。
子どもながらにこの(うでたまご)の語感は大阪の下町の人がきつねうどんのことを(けつねうどん)と呼ぶのに似ていると感じていました。
それなりのこだわりがあったようですが今となっては確かめようもありません。
さてGWもそろそろUターンラッシュが始まったようです。
皆様、どうぞお気をつけてお戻りください。


日本人と海苔
今日は日曜日、起床して天気が良いのでお布団を干してから朝食を食べましたが軽くごはんと海苔とお味噌汁。
素朴です。
ごはんを海苔に巻きながらふと考えたのは先日、テレビでやっていた「海苔を消化できるのは日本人だけだった」という番組。
日本への海外からの旅行者は年々増えてきていますが外国人にお土産屋で袋入りの海苔を見せてもこれは何だという反応を番組では紹介していました。
でも不思議なのは世界的に日本食が人気・認知されているのにあの寿司などのカリフォルニア巻きとか海苔を使う場面も多くあるのに消化できないものを出していいのかという疑問がわきました。

調べてみると海苔は紅藻・緑藻・シアノバクテリア(藍藻)などを含む藻類の総称だそうです。
その海苔を溶かす(消化する)ことができるのが海洋性バクテリアであるソベリア・ガラケタニボラという一種の酵素成分。
それが日本人の腸内に住みついているので海苔を食べても消化できるとのことです。
外国人は食べてもそのまま未消化で出てくるようです。

そこで再び素朴な疑問が生じました。
「でも韓国海苔とか、韓国にも海苔製品はあるし、中国でも海岸部、イギリス・ウエールズ地方でも食べているそうだ」と。
それで調べてみるとそれらは焼き海苔であって日本古来からの板海苔ではないとのことです。
焼き海苔なら消化酵素のない外国人でも消化すると聞いて少し納得しました。
日本人が海苔を食べ始めたのが遡ること8世紀、それまでワカメなど海藻類を多く摂取していたので自然と分解酵素が腸内に住み着きだしたとあります。
韓国人が海苔に接したのが日韓併合の1910年以降でまだ100年ちょっとのことですから生物学的・遺伝工学的には板海苔(生海苔)にはまだ適合できていないのかとこれも納得。
それにしても日本人すべての人に海苔を消化する微生物がすんでいるなんて考えてみればすごいことではないかと思ってしまいます。
遺伝子的に記憶、生物的に共有するというのは文化人類学を越えています。
おむすびに海苔を巻いて食べる時にちょっと考えていただきたいテーマです。


元政治家として訃報に接して
議員時代からの癖と言うか習慣で毎朝、新聞のお悔やみ記事(訃報爛)を見ています。
お誕生の記事もありますがそちらはざっと目を走らせるぐらいの素通りです。
かって田中角栄元首相は派閥の若手政治家に「お祝い事は後回しでいい、ご不幸があったら真っ先に駆けつけろ」と人情と義理を教えています。

今朝の訃報爛を見て仰天したのは同じ町内に住む方のお亡くなりの記事。
この方は私が初めて選挙に立候補した時に熱烈に応援して頂いた人物でした。
企業にお勤めで特に公職に就かれていたことはありませんが区長などをされ温厚で地域の仕事はテキパキとされていたので信用があった方です。

私の最初の選挙は一番の地元が割れて私自身も大変なストレスに苛まれながら戦ったものでした。
私の他にもう一人有力な方が立候補を表明しており互いに引くに引けなくなり地盤が割れてしまったのです。
尤も街の市議会議員の大半、元行政の主要な立場の方たちなど政治的オピニオンリーダーと言える人たちがもう一人の候補者の応援に回り、私は大変苦しい立場に置かれました。
いろんな人が入れ替わり立ち代わりと私のところに来ては選挙から身を引くように説得をするのです。
地域を割らない為にも降りるべきなのかと真剣に悩みました。
しかし、その頃の私には燃えるような政治への情熱が滾り、政治を通して世の為人の為に働きたいという思いがどうしても拭い去れないところまで高まっていました。
街の政治的に主要な方々からいかに批難されようとも自分の気持ちに正直になり、ここで降りれば一生後悔するとともすれば折れかける心に鞭を打って立ち向かう事を決心いたしました。

そんな時に孤立無援の状態の私を支持して頂いた方のおひとりが今朝の訃報にということです。
もちろん友人・同級生・これまでご縁をいただいた多くの方々も応援してくださり約10か月間の苦しい後援会活動と選挙戦に勝利させていただくことができました。
私を応援して頂いた方々は普段はあまり政治の表に出てこられない市井の人たちでその時の選挙体制はまさに草の根選挙の典型だったと思います。

現在は政治の現職でない私もその時に受けたご恩は自身の一生をかけてもお返ししていかねばならないものと思っています。
また人に対してだけではなく、地域についても何か災害が、大きな課題があれば出て行って矢面に立つ気持ちは今も忘れていません。
それが一度でも選挙に出た者の節度だと思っています。
思えば選挙に出るという事は多くの方々にお世話にならねばならず、また立候補するということは公的にも責任が発生することでもありますからまことに大それたことだと考えてみれば身震いするような行為だと思ってしまいます。
それでもルビコン川を渡ってしまった私はこれからも政治的な課題から評論ではなく行動で地域社会にお返しをしなければならない、それが頂いたご支援に対する義理と人情ではないかと考えます。
政治家になるということは業の深いことです。
表現的にお許しをいただくと「行くも地獄、戻るも地獄」の世界です。
お昼から告別式に伺います。







最後の花見
今夜はおぼろ月夜です。
煙ったような月光の下に我が家の庭の桜の花が今年も咲きました。
東山魁夷の1枚の絵を思いだします。
この桜は今の家を新築した時に母が植えたものですが水が良かったのか大木に育ちました。
ですが築40年の家と一緒でもはや老木です。

今日のお昼にご近所でお付き合いをしている方のご母堂がお亡くなりになり告別式に参列させていただきました。
喪主はご長男であるその方がお勤めでしたが式の終わりの喪主挨拶で『母は桜が好きで毎年この頃になると私が車を運転して助手席に乗せ、二人で花見に行きました。ここ数年前から「今年の花見が最後ね」と言うようになりましたが戦後苦労して私たちを育ててくれた母も晩年は好きなことができて幸せだったと思います。これから斎場に向かいますが琵琶湖沿いの桜並木の下を通ってほしいとお願いしました。母と最期の花見を楽しみます』と言われました。
なぜかホロリとしました。
桜の花の季節はなぜか出会いと別れを私たち日本人に想像させます。

淡々と日曜日
昨夜は高校時代の同級生らと久しぶりに会って痛飲。
今朝は春らしい日差しが柔らかい日曜日のお天気となりました。

妻が入っているNPOが今津総合運動公園で婚活イベントをするというので頼まれて司会の吉本興業の芸人さんとそのマネージャーを今津駅まで迎えに行きました。
車中、いろいろと高島市について尋ねてこられてのでザっと市の概要や現状の問題点、特に人口動態についてお話をしましたが熱心に聞いておられました。
たぶん、今日のイベントのネタづくりに活かそうというところだと思いました。

以前は日曜日だとかなり忙しくイベント・行事に走り回っていましたがここ数年は休みは休みとして完全に個人で消費できるところがありがたいと思っています。
そのように思っているうちに車の給油ランプが点滅したのでガソリンスタンドに入って給油をしました。
そのまま買い物に行こうとスタンドを出て信号待ちをしていると左の窓ガラスをコンコンと叩く音が。
思わず顔を向けるとニコニコした私よりは少し若いかなという男性が、しかし感じは良い人ですが見おぼえがなく「何でしょうか?」と言うと「給油口が開いてますよ」と親切に口を締めてくださいました。
丁寧にお礼を言って発進しましたが人の親切にふれて何だか明るい気持ちになりました。

平和堂に着いて買い物をしました。
コーヒー・愛猫のエサ・スパゲティなど。
まだ開店して間もなしなのでレジは混雑していませんでしたが最近見たテレビの特集では中国などは無人のコンビニやスーパーがすでにオープンしているということ。
AIの進化が社会の便利を生み出す反面、人の仕事を奪うというおそらくこれからの10年は産業革命に匹敵する激変期を迎えるんだろうなと考えながら家に戻りました。
買ってきたコーヒーを挽いて飲みながら猫と戯れる日曜日です。

世間は3連休
世間では3連休だそうですが私は3連急、または3連窮、3連糾、3連泣、3連救、3連灸です。
2月に入っても俄然、寒さが身に沁みます。
関東でも北陸でも大雪。
豪雪の為、立ち往生もありました。
季節でも暦上は節分も終わって「立春」、春が立っているのに気配すら見えません。
せめて梅の花でも咲いていればと思うのですが。

暦の四季と人間の感覚では微妙に季節感がズレていると最近では思うようになりました。
例えば「冬至」。
ご存じのように冬の最中で昼と夜を比べて日照時間が最も短いとされる日です。
だいたいは12月の21~23日ぐらいです。(今年は12月22日)
ですが昔から「冬至、冬半ば、冬始め」と表現され、冬至の頃は季節的に冬の半ばだけどまだまだこれから寒くなる冬の初めだよと言われてきたそうです。
そう言われるとなるほど本当に雪がどっさり降ってくるのは年が明けてからだもんな、心底寒くなるのは1月の半ばぐらいから2月かと思い当たる節はあります。
昔の人は鋭いなと考えながら今朝は雪が降り積もった庭を見ながら一杯のコーヒーを飲んでいました。




冬来たりなば
早いもので平成30年が明けたと思ったらもう2月、今日は節分です。
このところ車で早朝に出ていますが先月までは午前7時ぐらいまでは薄暗くてライトを点けていましたが今月になってやはり春に近づいてきたのでしょうか、夜明けが早くなってきたように思います。

数日前の皆既月食の朝も国道161湖西路を南下中に左手の琵琶湖方面(東)から朝日が昇って来たと思ったら右手に比良山系(西)に沈んでいく満月を同時に見ました。
何とも面白い光景でしたが確か「巨人の星」で飛雄馬がこれを見て(ガーン!)と感動する場面があったように記憶しています。
パノラマ写真があれば撮りたかったシーンですがいつかの楽しみに取っておきます。
来週も何やら寒くなると天気予報では言っていますが「冬来たりなば春遠からじ」、気長に暖かくなるのを待ちたいと思います。

心配しています
今年の元旦、私より先に届いた年賀状を見ていた妻が「どうしていますか?心配しています・・・」とつぶやきました。
「え!何が?」と私。
「だって年賀状に一言添えてあるのは゛どうしていますか?心配しています゛ばかりじゃない」
「誰を?」
「無論、あなたよ」
「どうして?」
「ふらふらしていると思われているからよ」
「何で?」
「近頃、音信不通だからよ」
「誰が?」
「あなたよ」
「どうして?」
「ふらふらしているからよ!」
「何で?」
「そう思われているからよ!」
「誰を?」
「あなたよ!」
「どうして?」
「みんなの前に出ないからよ!ゼイゼイ」
「何で?」
「知りません!」
とうとう見捨てられてしまいました。
世間では私の事を心配してくれていたのか、まるで植村直巳さんのような扱いじゃないかと思っていた気楽なお正月でした。

新春事始め
平成30年が明けてからもう4日目。
世間ではそれぞれのお正月をお迎えになっているでしょう。
昨日はそんな華やかな年明けに地味に誕生日を迎えましたが50才を過ぎてから誕生日もそんなに嬉しくなくどちらかと言えば(ああ、またひとつ年を取ってしまった)という何とも言えない寂寥感が心の中を吹きすさびます。

それでも唯一の救いはブログをFBに公開しているのでお祝いメッセージを多数のお友だちから頂いたことです。
もらってうれしいメッセージ。
「クリスマスキャロル」の主人公・ひね者スクルージーのようにお正月が楽しくなりました。
私もこれから人様の誕生日にはできうる限りお祝いの言葉を贈るようにしたいと思います。

昨年末から東京の学校に行っている長女が正月帰省してきて我が家は久しぶりに一家全員が揃いました。
正月にはおせち料理を食べ、控えめに近くの氏神様に初詣をすませて3が日を自宅半径5キロ以内生活で送っています。
同級生と飲んだりもありましたが10時間延々と座っているのは楽しいような、健康に悪いような。

それと今年の干支は「犬」です。
犬も好きですが猫派の私としては飼っている猫3匹をなだめて「どうしてお前たちの年はないんだろうね」と言い聞かせています。
猫たちは口々に「ふざけるニャン!」と怒っています。
これについては最近借りてきたDVD「まんが日本むかし話」でその答えがありました。
箱根駅伝ならぬ干支争奪レースがあり、猫はある動物からレースの日を間違って教えられ寝ていたので不戦敗となり干支になれなかったのです。
それ以来、猫はだまされたその動物を追いかけるようになりましたとさというお話。
戌年の方、今年は年男・年女がんばってください。

いよいよ大晦日
今年の師走はもう何年かぶりと言ってもいいほどの(個人的には)忙しさでひたすら夜は家に帰っては食べて寝るの繰り返しでゆっくりブログなどを更新している余裕がありませんでした。
やはり人間にとって最低限の命の保証は栄養と休養です。
疲れ果てて気がつけば大晦日となっていました。

まだ若干の掃除や買い出しも残っています。
年が明けるまであと14時間ばかりですが今夜ぐらいはゆっくりしたいともうひと頑張りします。
平成29年もいろいろありましたが終わってみれば早いものだと述懐しつつ、どうぞ良いお年をお迎えください。

猫のエサを間違えた
猫と犬は長く人類と生活を共にしてきました。
猫などは古代エジプト文明の頃から人間社会に関りがあったとされてきましたが最近の発見ではそれより先の文明(ミケーネ)の遺跡から人の骨と一緒に猫も発掘され従来は5000年ほど前からと言われていた人間と猫の共生関係が数万年前と大きく学説が変わりました。

その人間との生活の中で狼の先祖ともいえる犬がほぼ人間と同じものを食し栄養吸収構造を獲得していったのに比べて猫の場合はこれほど人間と暮らしているにも関わらず断固として体内の必用栄養素の消化能力を変えないということは猫の神秘性をより高めています。
つまり猫は人間や犬のように三大栄養素(タンパク質)(脂質)(炭水化物)という均等の摂取を必要とせずタンパク質オンリーで成長・生育できるのです。
タンパク質とは乳・卵・肉・魚などであり猫にはご飯やパン、野菜、果実などは要らない栄養素なのです。
最近、猫の平均寿命が延びてきた要因として家庭内においてキャットフードの普及が挙げられています。
昔は(ネコまんま)と言って余ったごはんに鰹節をかけて猫に与えていました。
しかし、猫にとって鰹節はタンパク質ながらごはん(米)は必要がない、消化しても栄養とならないものでしたからどうしても食べ続けると長生きができないということが起こっていたと推測ができます。
その点、犬ならば炭水化物は栄養ですからガツガツいっていたのです。
つまり、現在売っているキャットフードとドッグフードは中身が違う、少なくとも犬と猫にとって最適の栄養バランスを保っていると考えていいでしょう。

私は猫派で自宅に3匹の猫と住んでいます。
先日、近くのドラッグストアでいつものようにキャットフードを買ったつもりが間違えてドッグフードを購入してしまいました。
ストアのレシートを捨ててしまったので返品・交換もできず、困った末にいつものように愛猫に与えてみました。
彼ら彼女らは近寄ってきて鼻でクンクンとドッグフードを匂い、私に(これは違うにゃー、いつものエサを出すんだにゃー)と騒ぎました。
私も意地になって「ええい、吾輩のミスを咎めるのか?おとなしくドッグフードを食べろ」と怒りました。
それでも猫たちは騒ぎ、にゃーにゃーと抗議するのでそのままドッグフードを食べるまで置いておきました。
すると仕方なく猫たちはポリポリと嫌々食べていましたが私を見る目が妙に冷たく心の中では猫の労働組合をつくる準備を固めたのかと恐れおののいた昨今です。
EX)ですがよく考えてみたらいつも寝ている彼らがストライキを起こしても寝ているだけですから何ともないことに気づきました。
セーフ。



昭和テイストとは
10月も今日で終わり、季節の移り変わりの早さを感じるこの頃です。
中秋の名月を眺めていたかと思えばもう木枯らしの吹く晩秋。
そろそろ冬支度をしなければと考えたりしていました。

車に乗っている間にラジオをつけていると昭和の歌謡「ちいさい秋みつけた」が流れていました。
思わずしみじみとして(昭和の歌っていいな)とひとりごこちの気分に浸ります。
「ちいさい秋みつけた」は1955年(昭和30年)、NHK特別番組「秋の祭典」で伴久美子がソロで歌ったのが初めてと言われています。

♬だれかさんが だれかさんが
だれかさんがみつけた 
ちいさいあき ちいさいあき
ちいさいあきみつけた
めかくしおにさんてのなるほうへ
すましたおみみにかすかにしみた
よんでるくちぶえもずのこえ

そんな一種感傷的な気分に浸っていた夜にカラオケに行くと受付で若者の集団と出会います。
「やっぱ〇〇美の歌って昭和テイストかかってんだよね」
「いやだ~」

(昭和テイスト?いやだ~)だって・・・・。
何か軽く昭和をバカにされたような気分。
私たち昭和人間は前年号の人たちを大正ロマンと敬っていたのにテイストとはなんだ、テイストとは。
テイストって味って意味でしょう、勝手に料理しないでね。
ぷんぷん。😡

でも平成も言ってるうちに終わるんですね。
私は今上天皇がご退位されるのが来年末かなと勝手に思っていたのですが新聞では宮内庁が行事日程が調整しづらいとかなんとかいちゃもんをつけて来年春となる可能性が大と報道していました。
ですがまだまだ世の中、元気な昭和人間がはびこりますよ。






あなたならどうする
昨日は選挙の投票率を心配していましたが今朝の新聞を読めば「期日前 最多1564万人 20日まで」とありました。
衆院選挙で期日前が始まった2005年以来過去最高のようです。
良かったね、やはり日本人は義理堅いねと新聞にささやきました。
雨にも負けず、風にも負けず、投票所に行ってくださった方に選挙管理委員でもない私でも感謝です。
これで日本の民主主義も守られたと。

今晩にも大勢が判明するので今さらごちゃごちゃと御託を並べず近況報告をします。
昨日はコンビニエンスストアに寄りました。
急に甘いものが欲しくなる突発性甘味希求症に襲われたからです。
チョコレートとドーナッツを買って店先で食べていたら横から「ああ、これ要りませんか」と缶コーヒーを差し出されました。
急なことなのでびっくりしてその声の主をマジマジと見れば面識がない(と思う)20代(と見た)の眼鏡をかけた細面の青年。
髪は七三でオーソドックスないで立ち。
普通の人っぽい。

「くじを引いたら当たったんですが僕はブラックを飲まないんで良かったら」
「いいんですか?」ともう貰う気でいる私。(私は基本的に素直な人なんです)
青年は私に缶コーヒーを渡して去っていきました。

さて、見ず知らずの人からただ今貰ったこの缶コーヒー(無糖)を飲みたくなってきました。
チョコとドーナッツで口の中が甘味いっぱいなので苦味の効いたコーヒーでしめたいと思いました。
子どもの頃、親から「道端に捨ててある食べ物は食べてはいけない」と教えられこの年まで守ってきましたが「知らない人からもらったものを食べてはいけない」とは言われていなかったなと幼き日を述懐しました。
だが、これから先は自己責任、これを飲んで気分が悪くなっても誰も同情してくれません。
缶に妙な穴が開いていないか、細工はないかと目を凝らして見てみても傷ひとつありません。
この状況、あなたならどうします。
私は・・飲みました。


風邪って伝染病だったんだ
今日から総選挙が始まります。
私も候補者のポスター貼りや選挙カーの先導など細々とした仕事がもらえました、一兵卒としてがんばります。

ところで先日会合でお会いした知人が鼻をぐすぐすいわせて苦しそうに息をしているので「風邪ですか?」と聞いてみたら「娘が風邪を引いていてもらったようです」との返答。
よく(風邪は人にうつしたら治る)などと聞きますが私は今までの人生で風邪は伝染病とは思っておらず単なる体調不良の進化系と考えていました。
だから風邪は滅多に罹らず、つまり馬鹿だったんだと気づきました。(バカは風邪をひかないとも言います)

家に帰ってPCでウイキペディアを叩いて(風邪)を検索してみれば立派に風邪は伝染病つまりウイルス由来と書かれているではありませんか。
風邪の30%から80%までは(上気道感染症・ライノウイルス・普通風邪と呼ばれる)・・へぇ感染症、つまり人から人にうつるんだと納得。
長年の迷が解けました。
残りの20%ほどの風邪はコロナウイルス(SARS)、インフルエンザウイルス、アデノウイルス、エンテロウイルスなどがあるようです。
私は風邪とインフルエンザは別物と思っていましたがインフルエンザが風邪の一種だったようです。
その点でもおバカでした。
気候も涼しくなってきたのはありがたいのですが夏の疲れがじわじわと出てきたり、急な気温の変化に対応できず風邪をお召しになる方もいらっしやると思います。
どうぞご自愛ください。
PS でも選挙の時に吹く゛風゛も人づてに伝わりますから一種の伝染病でしょうか?

写真今昔
いつも政治のことばかりブログに書いていると肩が凝りますから今日はさらりと。
昨夜は中秋の名月で私も車を停めて琵琶湖岸から中天にかかる満月を観ていました。
その足で同好の士(何の同好なのか?)と今津にあるとあるホテルの和食で宴会。
ススキと月見団子を飾ってお酒を飲み楽しんでいました。
これも風流なものです。

その時に参加者の1人が「写真を撮ろう」と呼びかけ携帯でパチリ。
今朝、起きたらメールでもう写真が配信されていました。
便利だなと感心することしきりでしたが今日は休みだったので押し入れを整理していたところ昔懐かしいコダックのポケットカメラが出てきました。
もう40年以上も前に親戚の叔父さんからお土産にもらったものでした。
貰った時は嬉しくて少年写真家になってあちこちに出歩いたのを憶えています。
それから程なくしてポラロイドカメラが出たりと写真の世界もめまぐるしく進化してきましたが現代ではみんなが携帯を持って出歩いているので1億総写真家の時代ですね。



キャンドルナイトと解散風
台風18号が徐々に関西に近づいていた昨晩、激しくなる風の音を聞きながら借りてきたDVDを鑑賞していたら突然部屋が真っ暗になりました。
慌てて近所を見渡すと明かりがついている家がありません。
停電でした。
夜の9時ごろです。
妻がロウソクを出してきて食堂だけは明かりが灯りましたがどうしようもありません。
電気の有難さが如実にわかりました。
お風呂も順番に懐中電灯を持って入って、妻と子どもらは早々に寝てしまいました。
私は休日なのでお昼にゆっくりしていた(昼寝をしていた)のでそんなに早い時間から眠れません。
仕方なくロウソクの光を頼りに読みかけの文庫本を出して文字を追い始めました。
キャンドルナイトになりましたがロウソクの火で本を読むなど子どもの頃以来でした。
台風の夜長、読書に灯火親しむ秋です。
再び電気が点いたのは午後11時過ぎ、ほっとしました。

台風と供にやって来たのは(解散風)でした。
ニュースによると安部首相は今月28日召集の臨時国会冒頭に解散を行うとの報道が流れました。
そうなれば10月16日公示、22日投開票となります。
安部首相の決断を後押ししたのは各報道機関によりますと・・
1)都議選では最悪だった内閣支持率のある程度の回復
2)民進党の前原新体制のゴタゴタと離党ドミノ
3)小池新党の準備不足
が要因だと言われています。

私は隠れたアクター・アクトレスとして元民進党の山尾志桜里議員と北朝鮮労働党の金委員長の2人と思っています。
山尾議員のW不倫騒動は他の自民党の議員の不祥事を一掃する迫力でしたし、北朝鮮による度重なる太平洋へのミサイル発射は北朝鮮が皮肉なことに自民党政権の支持率を押し上げる結果となりました。
国民の間では前回政権担当時に尖閣で中国船にぶつかられた海上保安庁の失態が記憶に生々しく、何もできない民進党に国防を託すのは無免許のバスに乗り込むようなものだと思っていますし、小池新党も全くの未知数です。(素人です)
小池新党の若狭議員にしてもマニフェストに参議院の廃止などどうしようもないことを訴えているのを見ても新党がポピュリズム政党であることを露呈しています。(議会制民主主義の否定と破壊)
安部首相自身は加計学園問題などで「首相が信じられない」など批判を浴びしたが自民党はまだまだ人材が豊富なので(有事の自民党)(危機対応の自民党)と国民の間では一定の評価を得ています。

もちろん今回の総選挙は自民党にとって前回、前々回のように地滑り的圧勝は期待できませんがそれでも若干の減少ですみそうです。
自民党現有287議席・予想273議席(小選挙区212・比例61)、民進党現有90議席・予想72議席(小選挙区44・比例28)
小池新党現有0・予想35(小選挙区9・比例26)、維新現有15議席・予想18議席(小選挙区6・比例12)などを予想します。
自民党としてはこの解散を逃せば来年以降は追い込まれ解散となり自滅の道を辿るのは見えているので勝負に出るべきでしょう。





危ない兆候
「へぇーそうなんだ」、「なるほど」、「それで結論は?」とTVを観ながら番組と対話していると妻が「気持ちが悪いからやめて」と言いました。
私が若い頃観た(ポルターガイスト)というハリウッドのホラー映画で少女がテレビとお話ししている場面がありましたが結構危ない兆候かもしれません。

今年の夏もそれなりにイベントに足を運びました。
イベントだから行事だから人が来なければ盛り上がりません。
人が来たら会場がギュウギュウになってそれこそ立錐の余地なしという状況で歩けません。
そこで私が編み出した歩行術が「対イベント散策法ーぶつぶつ歩き」です。

これは人混みで賑わっている会場で少し伏し目がちに或いはもっと大胆に宙をにらみながら「くそー」、「ちくしょー」とか「宇宙は原子の集まりなんだ」や「みんな孤独や」とか言いながらぶつぶつ言って時に少し声を荒げて「ともだち欲しいか?」とかアクセントをつけながら歩くと自分の周囲から人がよけ始め、エアポケットのように歩きやすくなります。
要は自分が人混みの渦の台風の目になるイメージです。

これは今夏、大津の花火大会で試してみて大成功を収めました。
ですが注意しなければならないのは一所に留まると通報で駆け付けた官警から尋問を受ける可能性もあります。
身体調査もあります。
もうひとつは(地元ではやってはいけない)です。
地元だと万が一顔と名前が一致したらイベントの夜だけではなく次の日からも噂になり人が避けるようになります。
それはまったく本意ではありません。
下手をすれば引っ越さねばならなくなります。
あくまで(旅の恥はかき捨て)的に誰も知らない場所で行います。



真夏の台風
東海に進むと思われた台風5号はこの時期としては大胆にも本州を直撃、近畿そして私たち滋賀県を琵琶湖の上を北上して日本海に抜けていきました。
昨日(7日)に開幕が予定されていた甲子園夏季大会の第一試合で彦根東高校の出番を心待ちにしていましたがこれも繰り延べ順延となりました。
それどころか私の地元の高島市でも朽木・高島地域の中山間部の集落では激しい降雨を警戒して避難指示が出されるなど大混乱です。
不安な一夜を明かされた皆様には心からお見舞いを申し上げます。
隣の長浜市・姉川でも一部、河川氾濫が発生して床下浸水、住民の方々約250名が避難場所である小学校体育館に退避されたと今朝のニュースで知りました。
「天災は忘れた頃にやってくる」とはよく言ったもので常日頃から備えをしておかなければならないとつくづく思います。
6月らしからぬ
書くことがないと時候のネタしかありません。
政治や経済もいいのですが最近はどうも触手が動くような事案が無くて森ナントカとかカケほにゃららとかいつまでやっているのかと思ってしまいます。

さて6月らしからぬ晴天が続いています。
6月らしからぬ湿度の低い、さらりとした天候です。

このところ大津方面に出ていますが今朝も自動車を運転して高島市白髭神社を越えて北小松の集落に達したところで琵琶湖を眺めると5~6艘の漁船がすくい鮎漁をしていました。
夏の琵琶湖の風物ですがさて、今夏は鮎の漁獲が大変悪いためにどうなるのだろうと心配しながら眺めていました。


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