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ゆうすけブログ
食事に合う飲み物は?
休日の朝、食堂でテレビを観ながら簡単な朝ごはんを食べていました。
私はゆで卵とベーコンをカリカリに焼いたものに珈琲、妻はマーマレードを塗ったトーストと紅茶。
テレビはNHKの朝ドラ「まんぷく」。
日清食品の偉大な創業者にして日本が世界に誇る発明(チキンラーメン)をつくった安藤百福氏と仁子夫妻の物語です。
主人公の福子さん役には女優の安藤サクラさんがただ今、熱演していますので皆さま、観てください。
今日の話は遂に福子が天婦羅を揚げる動作にヒントを得た百福氏役の夫・萬平さんがチキンラーメンの原型をつくったところでした。
ラーメンを油で揚げて湯をかけて戻す、おそるおそる食べてみれば麺は見事に戻っていて・・美味い!と喜び合う夫婦。
感動のエピソードでした。
朝からテレビを観て涙するなど近年なかったことでした。

脱線しましたがゆで卵を食べながら妻の方を見れば彼女は紅茶を飲んでいました。
(食べ物に合う飲み物って何だろう?)素朴な疑問が頭をかすめました。
少し考えて出した結論は(それはいろいろ)。
一般的に和食は緑茶、洋食の軽食は珈琲とか紅茶、ハンバーガーやサンドイッチにはソフトドリンク、ホットドックにはビール、フレンチのコース料理にはワイン・・いろいろ別々、個人の好みです。
それではと考えて(水)、ただの水は?
水に合う食べ物はと考えて行きついたのはそうカレーライス!
カレーに緑茶やコーヒー、コーラなどは合いません。
カレーのスパイス感をリスペクトしてくれるのは雑味の無い(水)しかありません。

ただこれは私の思いつきではなく料理漫画の草分け的存在であり、金字塔でもあるビッグ錠氏の「包丁人味平」の中のカレー戦争の巻にてすでに立証されている話です。
ちなみにこの「包丁人味平」が世に出て認められたからこそ、その後の料理漫画・グルメコミックというジャンルが確立したと言っても過言ではありません。
挙げだしたらキリもありませんが、「美味しんぼ」・「クッキングパパ」・「ミスター味っ子」・「ザ・シェフ」・「将太の寿司」・「味いちもんめ」・「中華一番」・「トリコ」・「深夜食堂」・「大使閣下の料理人」・「食の軍師」・「食戟のソーマ」・「バンビ~ノ!」etc。
水に一番合う食べ物はカレーライス、だからどうしたと言われればそれまでですが・・。






突然のお別れ
今朝から高島市内では平野部も粉雪が降っています。
1年で最も寒い時期を迎えているせいか私自身の心の中もペシミズム(厭世主義)が蔓延しているようです。
それに加えて今週は長年にわたってお世話になった方のお通夜に参列して心労が重なりました。
突然の訃報を受け愕然といたしました。
最後にお会いしたのが昨年の夏だったと思いますがその時はお互いに笑ってしゃべっていたのになぜという思いがはしりました。
その方は昨年の11月に重い病気が見つかり、緊急で入院、薬石効なく、わずか2か月でお亡くなりになったのです。
本人の考えで入院を言わなかったそうですがご逝去の知らせを受けた方としてはただただ驚くほかなかったのです。

大変誤解を招く発言かもしれないので少し考えていたのですがやはり思いを吐露したいという誘惑が勝りました。
病気というものはあの世からの誘い、死の使者というものだけではなくある種の(救済)という一面もあるのではないかと思う時もあります。
もちろん生は素晴らしく、人生は意味あるものとは思っていますがそれでも生きていくことは疲れるものです。
精いっぱい、へとへとになるまで生き抜いて倒れそうなぐらい辛くなった時に病気が「もう無理しなくてもいいんだよ」と声をかけてくれることもあるのではないかと考えてしまいます。
今はただ故人のご冥福を心よりお祈りするのみです。

冬の朝
昨夜から少しいつもの寒さとは違うなと感じていましたが朝起きて外を見れば一面真っ白の雪化粧でした。
テレビのモーニング番組でもここ滋賀県高島市の画像が映っていましたが市内は全域にわたって降雪模様のようでした。
考えてみれば(考えるまでもないけれど)1月下旬から節分にかけては1年でも最も寒い季節になるわけでインフルエンザなども猛威をふるっているとニュースでもありましたから外出して帰ってきたら手洗い・うがいはマメに行いましょう。

真冬の怪
ブログで自身の赤裸々な体験を書くことはある意味、とても恥ずかしいことです。
それがいい大人ならなおさらのこと。
なんでも好きなことを書いていると精神的ストリッパーにでもなった気もします。
せっかく書き込むなら一家言あるようなそれらしいことを述べてみて世間の尊敬を集めたいと思うのは私だけではないと思います。
孔子は大人だったら「妖怪乱神を語らず」と戒めています。
いい歳して怪談話をまじめにするな、恥かくぞということです。
ですが私は語らずにはいられません。
受けを狙うとかそんな底意は毛頭ありませんがただ体験したことをブログに書き込むだけのことです。

私は少年時代、大変ビビりな性格でいつもおどおどと暮らしていました。
平成生まれの人は何を言っているのかわからないことと思いますが昭和の人ならああ・・と理解してもらえる比喩でしたらマジンガーZや仮面ライダー、あしたのジョーよりも怪奇大作戦やおばけの鬼太郎、どろろん閻魔くんを好んでTVで観る少年。
漫画を読むなら巨人の星やドカベン、侍ジャイヤンツより楳図かずおの(おろち)や古賀新一の(エコエコアザラク)、つのだじろうの(うしろの百太郎)を愛読する病弱な子どもでした。
ただ、超常現象とか怪奇という体験は結婚して子どもが生まれてからも一切なかったので私もやはり世の中には不思議などないんだなと京極夏彦のように考えていました。
それが4、5年前から50才を超えてからですがかなり頻繁に遭遇することになっています。

2019年1月13日正午過ぎ(つまり昨日)のことです。
私は自宅から車で5分ばかり琵琶湖岸の方に走ったらある、滋賀県人なら誰でも知っているスーパーセンターで買い物をしていました。
車は2階に停めました。
2階と言ってもスロープで上がって天井はなく、40台ばかりの駐車スペースがあり、空いているのでいつもそこに停めて買い物をしています。
買い物を終えて車の運転席に座り、バックで発車しようと思いましたが最近は慎重な運転を心がけているつもりなのでまずバックミラーで後方確認をしました。
すると腰が曲がったような老婆が買い物かごを押して私の車のすぐ後ろを通る様を見ました。
(あぶない、あぶない、確認せず出たら接触事故になるところだった)
もう車の後ろから離れてくれたかなと今度はサイドミラーを見ると・・あれ映っていない・・まだ車の後ろかな?
だったら声をかけてこちらがバックすることを伝えようと車から降りれば誰もいません。
考えられないシチュエーションです。
ほんの10秒ばかり前にはっきりとバックミラーに映ったのに、左右の車に乗り込んだのかとすぐに確認しても誰も乗っていないし、私の停車していた場所は直線なので若者がダッシュで走ったなら建物の陰に隠れることもありかもしれませんが間違いなく年配の老女だったのにと頭が混乱しました。
あれは霊かと不思議に思いながら帰りました。

最近はそんなことが多いのです。
昨年暮れにはある取引先の工場のトイレを借りた時、用を足して洗面所で手を洗っていたら隣に作業帽をかぶりマスクをした女性が同じように手を洗っていました。
その時は何も思わなかったのですがトイレから出た時は(あれ?確か男子トイレだったよな)と少しの間、トイレの前で立ち止まっていたのですが後から誰も出てこないのでおそるおそるトイレを確認しに入ると誰もいませんでした。
これを私の創作と読んだ方が思うのは自由ですが冒頭に申し上げたように嘘をついてまで記名でブログを書く意味が私にはありません。
実際に私が体験した話です。






昨夜の悲劇
私にとって入浴とは睡眠・食事と並んで疲労を回復する手段でありながら一日の精神的ストレスの解消、夏場は清潔に、冬は体を温め心地よい眠りに就くための(儀式)とも言えるものです。
バスタブに毎日お気に入りの入浴剤をいれたりして工夫もしています。
もちろん入浴だけではなく入浴後の快適さも追求いたします。
脱衣所にバスマットを置くのもその一つです。
せっかくほかほかの状態でお風呂から上がってきても足元がびしゃびしゃなら興ざめです。
マットでさっと足裏の水分を拭き取ってバスタオルで素早く体を包みたいものです。

冬なので我が家に幾枚かはあるバスマットの洗濯と乾燥が追い付かず、そのような時はしかたなくタオルを代用していましたがやはり気分と使い心地がイマイチなのでホームセンターで2枚ばかり買ってきました。
ふわふわの感触、適度に抑えたデザイン・・これならお風呂上りも楽しめそうだと早速その夜の入浴からひいてみました。
バスタブの中で(湯上りが楽しみだな)などと考えていました。
買ってきたばかりのバスマットを家族のなかで一番に使う・・・何か誰も踏んでいない新雪を踏みしめるようなちょっと幼心に通じる期待感。

お風呂場の戸を開けて、さぁマットを踏みしめようと思ったら視界に入ったのが我が家の飼い猫・ふくちゃん(スコテシュホールド・♂6才)でした。
一瞬、嫌な予感がしました。
彼は買ってきたばかりのマットの上でがんばっていたのです。
コロコロとフンが・・・・!
(コ・殺す!)
ターゲットは私の殺意を察知して「ニャン!」と鳴いて一目散に2階へ駆けあがっていきました。
台無しです、新雪のマットが・・憩いのひと時が・・私は天を仰ぎました。
昨夜の悲劇です。


誕生日を迎えて考えた
昨日は私的に誕生日でした。
妻や息子・娘が里帰りしていたので何とかのいない間に洗濯、いや静かにひっそりと過ごそうと思っていたら豈はからわんや、ブロ友・FBともだちの皆様から誕生日のお祝いメッセージをたくさん頂きました。
お亡くなりになった西城秀樹さんを偲んで「ヒデキ感激!」の気分です。
この年にもなると自分の誕生日が来て、またひとつ歳をとることが喜びではなく正直、憂鬱なのですがそれでも「おめでとう」と言ってもらえることは若い頃の何乗にも増して嬉しい事です。
唐突ですが今年もよろしくお願いいたします。

50を過ぎて世間的には(初老)となりました。
時間がある時に自分の顔を鏡でまじまじと眺めてみれば目の下には隈としわができ、頭髪はびんの辺りから白いものが混じり、皮膚からはみずみずしさが失われ、筋肉が弛緩して・・老人とまでは行ってないと思いますがりっぱなオヤジ・おっさんです。
FBに載せている個人の写真は最後の選挙に出る前に近江・今津浜で撮ったものですからもう4年前、何とか40代の最後だったと思いますので差し替えなきゃと考えたりしています。
10代の頃はテレビで刑事コジャックのテリー・サバラスや刑事コロンボのピーター・フォークを観ていて(こんな渋い中年になりてぇ)と憧れたものですが現実は残酷でした。
もちろん老いると言っても一人、ひとりに個人差や生物学的に個体差があり、父母から受け継いだ遺伝子情報や日々の生活習慣(運動・食事・睡眠など)、或いは精神の持ち方でかなり見た目に差異が出てくることはある意味しょうがないとは思うものの誰しもある程度の年になれば「若いね」と言われたいものですよね。

先日もテレビで(下町ロケット)を観ていました。
主演の阿部 寛さんは彼のプロフイールをみれば同年で同じ学校を卒業しているらしいのですが遭った、見かけた憶えがないもののそれはいいとして、「阿部さんも社長役やるような歳になったんだね、少し老けてきたのかな」と言うと妻が「自分の顔を鏡で見たことある?」というので前述の如く、洗面所まで行ったわけです。
見れば阿部さんではなくこれも同年のリアクション芸人・出川哲郎さん風の私が映っていました。

いづれにせよ人は誰しも年は取りたくないと願うものの、ゲーテの(ファースト)を紐解かずとも叶わぬ夢であり、せめて老境に入ってから無駄な時間を過ごしてきたなと後ろ指だけはさされないよう今のうちにがんばりましょう。


平成30年大晦日に自己の1年を想起してみる
今年も遂に大晦日となりました。
静かな朝です。
庭の松の木には雪が積もり、表道路を走る車もまばらです。
やはり師走という事もありバタバタした1か月だったのでなかなかブログを更新することもできませんでしたがやっと一息ついた感じです。

京都や東京の学校に通うために一人住まいしている長男や長女も冬休みということもあってここ高島・今津に帰省してきて久しぶりに我が家は賑やかさを取り戻したような感じですが私自身も休みに入り、朝は一杯の珈琲を片手に好きな本を読み、それに飽きると気晴らしに近所に買い物に行きそれなりの気ままな生活を楽しんでいます。
かっては公私ともに年末・年始もフル回転していた多忙な日々も嘘のように落ち着いた静かな時間を過ごせることは幸せなことと思っています。
明日、元旦なども以前は朝の5時に起きて雪がしんしんと降る夜明け前のまだ真っ暗な道を歩き、朝起き会に出席して年頭のご挨拶をしてから琵琶湖の浜に走っていき初日の出をみる会に合流して挨拶、それが終わると地元の老人会の集まりに顔を出して交流と1年の初めから走り回っていたことが遠い過去のようになりました。
もう飲酒運転に気をつけながら無茶な酒を飲むこともなくなり、睡眠時間も規則正しく取れるようになり、体調も快適に、体型もスリムに戻ってきました。
「私」は無理でも「公」はリタイアしたのですっきりした毎日を送ることができています。
好きな時に好きなものを飲んだり食べたりでき(或いは飲まないで)好きなことができるライフサイクルはとても大切なこととつくづく感じます。
思えば20年近くそんな生活習慣とは逆の方向を走っていたのですから。

今年の暮れも清水寺で発表された(今年の漢字)は『災』。
自然災害だけでも・・
2018年(平成30年)は年初から災害が多い1年でした。
1月23日には草津白根山が噴火、死者1名・負傷者11名を出しました。
2月5日から9日にかけて北陸を中心に記録的な豪雪。
交通障害が深刻な状況になり自動車に閉じ込められて凍死された方、道で行き倒れとなった方8名、負傷者90名を超えました。
4月には島根県西部でM6・1の地震発生、家屋倒壊432軒。
大分県耶馬溪では山崩れで死者6名。
6月18日には大阪北部でM6・1震度6弱の地震発生。
死者6名、負傷者443名、家屋全半懐532軒、一部損壊5万7000軒以上という大規模な被害が生じました。
29日には滋賀県米原市で竜巻。
負傷者8名、家屋倒壊100軒以上。
7月に入り西日本では連日の集中豪雨で広域大規模水害に見舞われ死者・行方不明者・床上浸水が多数発生。
何とも災害の多い1年でした。

私個人的な今年の漢字は『再』。
再起、再出発、再会、再開、再就職など再ずくしでした。
明日からはじまる新しい1年は皆様にとってどのような年になるのでしょうか。
どうぞ良いお年をお迎えください。








レジ前で考えたこと
今日は15日。
早いもので師走も半分過ぎました。
ここ高島もこの1週間でめっきりと寒さが強まり、朝方などは山肌にうっすらと白いものが見られたりもします。
これは降雪も近いと今日は車のタイヤ交換をしました。

近くのスーパーで買い物をしていましたがレジ前は大賑わいでカートを手に行列に並んでいました。
何となくですが考え事をしてしまいました。
レジ係の人は大変だろうな。
忙しいお仕事だ。
正直なところ手先の不器用な私なら務まらないだろう。
しかし、この仕事もマスコミによると近い将来はAI化・自動化で無くなる職種と聞いた。
中国(上海)ではすでに無人コンビニもオープンしていると聞く。
働き方もずいぶんと変わってきそうだ。等々。
それと同時にこんなことも考えてしまいました。
政府が年金の拠出年齢を70歳に引き上げることを検討し始めている。
しかし現行の年金65歳から5年もアップするのであれば労働者も60歳定年から10年のスパンはとても持つまい。
(自営業者は別ですが)
たぶん、企業定年も法改正により65歳となる日が近いだろうが果たしてこれがすんなり経済社会に馴染むかが問題。
韓国の文政権が最低賃金の引き上げをしたが企業サイドは雇用の縮小でこれに応えており、若者の失業率が都市部でさえ10%を超え、政権支持率の悪化を招いているのは周知のこと。
政策が経済を主導することは本当に難しいことだと思うと。

レジで待っている間にそういえば、昔は海外出張で渡航してよく税関に並んだものだと述懐していました。
あの頃は太っていて税関の職員に腹に何か捲いてないかとよく訊かれたのを憶えています。
懐かしくも恥ずかしい思い出です。


今年も師走
いよいよと言うか、とうとうと言うか、今年も師走に入りました。
慌ただしさのなかに何か気分がちょっぴり高揚する季節です。
昔の人がこの時期に言っていたのを思い出します。
「これで年が越せる」
なんで?なにで?年が越せなかったらどうなるの?と子ども心に思ったものです。

TUTAYAをぶらぶらしているうちに目に止まって昔のDVDをレンタルしてきました。
ケイト・ブランシェトが演じる「エリザベス ゴールデンエイジ」
映画を観ながら私の輝いていた日々はいつ頃だったかなと考えていました。
結論・・ありません、そんなもの。
生まれてこのかた、長じるに、世俗にまみれながらも、いつも不安と不満を持っていたのが私の実情でした。
(これからどうなるのだろう)、(こんなことでいいんだろうか)と葛藤しながら生きてきたのです。

あれは私が30代後半、JCを卒業して数年経った先輩方と一緒に飲んだ時のことです。
30代と比べて40代の今はどうですか?とお尋ねしたところ、口々に40代は素晴らしく充実している、この40代を迎える為に30代があったんだと思うと話されたのを羨望の思いで聞いていたのを映画を観ながら思い出しました。
(いいな、この人たちはゴールデンエイジを迎えたんだ)と心中、軽く嫉妬したものです。
その後、私が迎えた自身の40代は昭和の歴史さながらに前半は怒涛と喧騒、後半は祈りと復興。
50代の今となっては高度成長もバブル経済もなく、いきなりデフレと就職氷河期。
そう、私の50代前半はまさに今の平成の世相まんま。
とてもしけた話です。

昨日は大津で自民党県連の政経パーティが開催されました。
党籍を持つ私も招かれましたが出席しませんでした。
来年は春に統一地方選挙、夏に参院選挙が予定されています。
公認・推薦を受けた立候補予定者が壇上で紹介されましたがそれはある人から送ってもらった画像で拝見したぐらいです。
私が政治の世界に復帰するなら次の選挙は無所属と決めています。
政党推薦は受けるつもりがありません。
理由はたったのひとつ。
政治的在野にいること4年、政党がいかに庶民感覚から乖離したところにあるかが身に染みてわかったからです。
しかし、これは政党政治を否定したものではありません。
政治家は国民の命と財産を守るべき仕事をさせていただくものである以上、常に現実的であらねばならないというのが私の持論でもあります。
政党のお世話にならず、一から立ち上がってこそ見える風景も変わるものと考えているだけです。

ここは抗議するしかない
だんだんと秋が深まりいい感じと思っていたら暦の上では立冬を過ぎていたようです。
もう冬なんですね。
今年の夏があまりに猛暑だったので肌感覚では少し涼しいぐらいかと思っていたら一昨日あたりから寒さを感じてそろそろ冬支度をしなければと考える昨今です。

関連は無いのですが今朝はガソリンスタンドに洗車に行きました。
昔は家のガレージ前でホースとカーブラシを持ってゴシゴシやっていたのですが寄る年波で億劫になり、洗車は機械洗いが一番と決めています。
それにタイヤ交換を頼んだ際にサービスで洗車券をもらって、使おうと考えたからです。
いつもはシャンプーのみか、ワックス付き洗車で済ましていますがこのチケットはプレミアム洗車優待なのでありがたかったです。

スタンドの事務所に入っていって30代ぐらいでしょうか、男子店員さんに「すいません、このチケット使いたいんですけど」と見せると、「はい、わかりました!今、セットしますね」と洗車機の方へ。
「オプションで泡ジェット洗車か下部洗浄を選んでいただけますが・・」
そこで私は5秒ほど考えました。
どうしょう・・下部洗浄といってもまだ路面から融雪水も出ていないから車の下部は汚れていないし、ここはしっかりボディを洗いたいので泡ジェットにしようと思い、「泡ジェットでお願いします」と言いました。
「かしこまりました」と店員さんは下部洗浄のボタンを押しました。
おやぁ?なぜかな・・私は泡ジェットをリクエストしたのに・・。
意に反して下部洗浄が始まりました。

ここで性格が出ると思います。
注文が違ったらすかさず抗議する人としない人(できない人)。
私は後者で泣き寝入りをします。
この店員さんが愛想よく対応してくれているのでここでクレームを出して流れを変えたくないという人間関係重視派です。
利害優先派にはなりきれない甘ちゃんです。
コンビニで肉まんを注文してあんまんがきても黙々と食べることもありました。
穏便に、何事もなく、波風が立たなければそれでいい・・でも悲しいです。




眼圧が高いね
あれはもう半月ほど前のことでしたか。
窓ガラスを布巾で拭いていた私は少し他の事を考えながら作業していました。
突然、バッシ!という音と右目に強烈な痛みを感じてその場にうずくまりました。
しばらく目を押さえて様子をみていたら初めは目が開けられないほどだったのが徐々に痛みも引いて右目も開けられるようになりました。
何だったんんだとガラスに近ずいたら15センチ角程のプラスチック版が転がっていました。
どうやらテープで窓ガラスに留めてあったのを上下に拭いた際に押し上げて飛んで来たようでした。
やはり作業する時はちゃんと集中せにゃならんなとその時はそれで受け流していた私でした。

その日の夕方、ある人としゃべっていたら、「あれ?石田さん・・目が真っ赤ですよ」と指摘を受け、慌てて鏡の前に行って見てみたら右の黒目のちょうど右半分の白目部分が真っ赤になっていました。
まるでドラキュラ映画に出てくる怪人のような感じで。
これは出血からきてるなと身に覚えがありながらさりとて特に痛みもなく、目もちゃんと見えているのだからそのうち何とかなるだろうと植木等のように(古い!)考えて放置することにしました。

それが一日経っても二日経っても真っ赤な目はそのままで周囲も眼科に行ってちゃんと診てもらったらと勧めてくれるのでネットで調べて生涯初となる(大袈裟な・・)眼科医さんの門をくぐったのでした。
もう夕方でしたが案外患者さんは多くて受付に行ったら看護師さんが何も言わないうちに「あら、目が赤いですね」と察してもらえて診察カードに名前や住所、症状などを書き込んで保険証と一緒に渡して診察の順番を待つことになりました。
待つことおよそ20分ばかりか私の名が呼ばれて診察室に入ると下あごを台に載せて望遠鏡を覗き込むような検査機械に座るように言われると野原にぼんやりと何かが浮かんでいる写真で撮ったような光景が広がっていました。
「風船が見えたらレバーのスイッチを押してください」と女性の看護師さんに言われてみると、なるほど徐々に青空に浮かんでいる風船が見えてきたのでカチャカチャとボタンを押していました。
「今度は風が当たりますがそのまま目を開いたままにしておいてください」と言われると機械からブワーと目に風が強めにあたりました。
言われたとおりに目を開けておこうと思ったのでしたが風の勢いでどうしても閉じてしまいがちでした。

検査が終わって看護師さんが「左目の眼圧が高いですね、言われたことありません?」とおっしゃいました。
眼圧?眼圧って何やろ?初めて聞いたわ・・でも今まで言われたことも無いので取りあえずありませんと答えようと思い「いいえ、ありません」と言いました。
その後、診察室の奥に通されると男性の先生がいらっしゃって診察を受けましたがどうも心配していた眼球の損傷などはなかったようで点眼薬と飲み薬を出して頂き、内出血なので1週間ばかりで元にもどると診断を受けて病院を辞しました。
その診察通りに目の出血は引きましたが私は看護師さんから言われた(眼圧が高い)という言葉が頭から離れず調べてみることにしました。
だいたい、血圧が高いとかはイメージがつくけど眼圧って何だろうか?

眼圧・・眼球は丸い球形をしていて正常な大きさや形を維持するための圧力を(眼圧)というそうです。
それが異常値になるとピントが狂ったりして急激な視力の低下が起こり、最悪の場合は緑内障などを引き起こすと言われています。
眼圧を調整しているのは眼球にある(房水)と呼ばれる体液だそうですが目の酷使、ストレス増加、食習慣、運動不足、睡眠不足などで減少した際に眼圧を高めると言われている(そうです)。
ちなみに日本人の平均眼圧は10mmHg~12mmHgだそうでそれが25mmHg以上になると(眼圧が高い)と言われるそうです。
そうか、私の左目の眼圧は25mmHg以上なのかと納得。
でもmmHgという単位がわからない・・これも初めて聞いたねと人生は未知の太洋を航海するが如しと思っている昨今です。








朝の珈琲☕
秋も深まりを見せそろそろ街路樹が紅葉を始めています。
明日はハロウイン。
この欧米の風習というか行事が日本でも定着あるいは市民権をもちつつあるのかなとマスコミ報道を通じて感じたり、国会では移民法の改正法案が審議されていたりでなかなかかまびしい思いがしています。
アメリカのトランプ氏の台頭、ブラジルで超右派大統領の当選、ドイツの社会主義勢力の敗退など国際社会は明らかにブロック経済ならぬ1国主義・保守化されてきている傾向が見られるのに日本の場合は働き手の減少の為に廃業・倒産などの件数が増加しているにも関わらず賃金の上昇は低位置で抑えられ、個人消費は伸び悩み、更には来年からの消費税増税で更なる不況の連鎖が十分予想されつつある時に外国人労働者の受け入れ枠の拡大と世界に開かれた日本と威張ってみても国民理解は得られるのかと心配になります。

そんな身も心も少々寒々としている私を慰めてくれるのは朝の一杯の珈琲です。
珈琲に含まれるカフェインは頭をすっきりとさせてくれるとともに気分も爽快に導いてくれる効果があるのはよく知られていますが同じく他の飲み物、緑茶や紅茶にもカフェインが含有されているのに珈琲ほどの覚醒効果が感じられないのは不思議です。
珈琲の持つ香り、苦味、酸味は朝の私をリフレッシュさせてくれる不思議な飲み物です。
今朝は好天。
朝日が道を金色に照らす様を見ながら珈琲を楽しんでいます。
小さい男
最近、私は何て小さい男なんだろうかと悩むことが多くなっています。
昨日も近くの平和堂で買ってきたグリコ・プッチンプリンを冷蔵庫に入れました。
プッチンプリンは子どもの頃からの好物で昨今の妙に凝ったプリンと違い、いかにもスタンダードな味わいであのカラメルの甘くて少し焦がしたようなほろ苦がさがクセになるのです。

しかし、私がお気に入りのスイーツを買って来ても次の日にはなくなっている超常現象が起こっているので防衛の為に(祐介)とマジックで自分の名前を書いておきました。
なのに・・それでもプッチンプリンは冷蔵庫から消えていたのです。
whY?Who?What?
謎は深まります。
思いあまって次男に訊きました。
「私のプッチンプリンがないんだけど?」
「昨日、ママと食べたで、それにしてもプリンにまで名前を書くとは小さい男になったな、パパは」
これは屈辱でした。
小さい頃から育ててやった息子から小さい呼ばわりされたうえにプリンまで取り上げられるとは・・・
確かに50を過ぎてお菓子に名前を書くのも如何なものかと私も思っていましたが誰でもやっているでしょうと訴えたかったです。

昭和の名残り
あまりに暑かった平成最後の夏。
本当に死ぬのではと思いました。
もしエアコンがなければと思うと背筋が寒くなり、文明の利器に感謝します。
その亜熱帯体験から体が抜け出せず秋もそろそろ深まりつつあるこの連休もTシャツに短パン姿で過ごしています。

さて平成もあと半年ほどで終わるわけですが昭和生まれの私としては何だか時代に取り残されていくような気分で少し寂しい思いもしています。
平成も30年間、いろいろなことがありました。
個人的には結婚したのも生まれた3人のこどもたちも平成婚と平成生まれ。
仕事が軌道に乗ったのも破たんしたのも平成年間。
実に実にいろんな出来事が次々と起こり、過ぎ去っていった平成。
平成は私に何を与え、何を奪ったのか・・いや私は平成という時代にどう向き合っていたのかと考えることしきりです。

俳人の中村草田男は1931年(昭和6年)に母校の松山中学を訪れ校庭を眺めながら「降る雪や明治は遠くなりにけり」と詩っています。
草田男は明治34年生まれ。
大正・昭和と激動の時代を過ごした感慨と明治へのノスタルジーが蘇ったのでしょうか。

昭和と言う時代は西暦では1926年に始まり、1988年の63年間で終わっています。(いわゆる昭和64年は昭和天皇崩御の為わずか7日間しかなく1989年は平成元年となる)
この昭和生まれと言うご同輩は現在、上は93歳から一番若くてつまり昭和63年生まれで31歳と今の日本社会の中核的存在です。
昭和生まれが今の日本を引っ張っていると言っても過言ではないと思います。
ですがいづれ、いつか、草田男の俳歌ではありませんが「昭和は遠くなりにけり」となる日が来るのでしょう。
先人もいつかは後続に抜かれる運命にある・・・後世畏るべしです。


災害大国日本
今夏は本当に自然災害に見舞われる日本列島。
今日はつぶやき程度にいたしますが昨日発生の北海道地震にも驚きました。
北海道で震度7とは想定を超えています。
電力の供給も道内ではままならない状態と報道されていますが一日どころか一時間でも早くインフラが復旧されますことを願っています。
生きるべきか死ぬべきか
今日はお休みの日です。
朝から゛忙中閑あり゛と洒落こんでスーパー銭湯に行きました。
私は時折、自分の疲れを癒すために銭湯に行くことがあります。
平日の午前中なので入浴客はまばらでしたがそれでもご隠居めいたお年寄り以外に働き盛りの年齢の男子も何人か入湯していました。
湯船につかり何気なく他の客の様子を眺めていた私は不意に(私はなぜ生まれてきたのだろう、この世に何をしにきたのだろう)という人生のというか生き物として根源的な疑問が頭をよぎりました。

人は生き死にを自分の意思で決めることができるのだろうかという今さらながらの質問です。
哲学的というか、神学的というか古今東西より多くの人々がこの難問に挑戦してきました。
自分の意志で死ぬことは可能です。
よくいう自死・自殺というやつです。
しかし、いつか来る゛死゛を回避することは誰もできません。
老衰死、病死、事故死・・人の意志に反してそれはやってきます。

それでは゛生まれる゛という点ではどうでしょうか。
(よ~し、そろそろ生まれてやるか)と明確に思ってこの世に誕生したという方はぜひ連絡して頂きたいものです。
インタビューをさせて頂きたいものです。
多くの人は幼年期のある日、ものごころつき自分自身が生まれてきて存在することを悟ります。

このように考えると人生は生きるも死ぬもそのタイミングをはかれないという誠に不自由極まりないものと考えてしまいます。
他の人に意見を聞いてみると、「だから生きているうちが華なんだ」、「人はそれぞれが使命を持って生まれてきた、その使命を探すのが人生」、「生まれたからには面白おかしく過ごせればそれでいい」、「人生には何の意味もない・・」など種々の考え方があります。
ますますハムレットのように「生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ」という心境になっているうちに風呂につかり過ぎでのぼせました。




地名は大切
あの過酷な暑さも盆過ぎから少しは和らいだ気もいたしますがまだまだ残暑厳しい日が続いています。
昨日は台風20号が四国に上陸、そのまま瀬戸内海を渡り、岡山、京都北部と日本海に抜けていきましたが私の棲む高島でも一晩中凄まじい風雨の声が鳴り響いていました。
先月は西日本豪雨という災害に見舞われたばかりで地盤が緩んでいる被災地などは大丈夫だろうかと心配もしていましたが゛天災は忘れた頃にやってくる゛ではなくてしよっちゅう来ると思えます。

そのような嵐の晩に思い出していたのは以前、平成などの市町村大合併などで地名が大幅に変わったりで゛自由が丘゛とか一見何の変哲もない、むしろ耳障りもいい呼称に変更された市町がすべからく少なくない中、先人が地名にこめた゛暗号゛むしろ゛警告゛が見過ごされがちだと考えていました。
今年になってイギリスの災害研究機関が「世界で最も危険な地下街」に大阪の梅田を指名しました。
私は「梅田」と聞いて今まで漠然と(昔は梅林でもあったのかしら)と思っていました。
それがそうではなく「梅」は「埋め」、つまり埋め立て地だったようです。
川の氾濫時の流水が流れ込みやすく、地盤が緩いため要警戒な土地柄のようです。

そのように調べていけば地名には結構暗号が隠されていることがわかります。
地名にあると考えなければならない(防災上ですが)ものとして・・・
「萩」・・゛剥ぐ゛からきており地層が流れやすい
「灘」・・゛入り江など港湾に多いが津波や満潮時での被害に遭いやすい
「釜」・・灘と同じく
「桜」・・゛割く゛゛裂く゛゛狭く゛から由来した地名が多く、土砂災害の発生した記録が残る場所でもある
「草」・・硫黄臭などの匂いから゛臭い゛とされたりもするが地盤が活性化しすぎて地震の際にあぶない
「柿」・・゛欠く゛から由来するが地盤がはがれやすい
「龍」・・風水害被害が起こりやすい、竜神が暴れるイメージがある地名
「蛇」・・河川がのたうち廻る

このように挙げていけばもっとあるでしょうが古の方々が命名した地名は簡単に変えてはいけないということではないでしょうか。
ちなみに私の地元・滋賀県高島市今津町にも梅原という集落がありますが郷土史で調べたところ梅の原っぱではなく明治の初期に原野を埋めた、つまり開墾してできた在所だそうです。
地名の由来・歴史は大切にしたいものです。

ある地方政治家の死
家の番には犬がいいか、猫がいいかなど能天気なブログを書いていたら夕方になって訃報が飛び込んできました。
元滋賀県議会議員・栗東市選出の三浦治雄先生が本日、入院先の栗東市済生会病院でお亡くなりになったとのことでした。
私のブログを覗いて頂いている方のおよそ半数ぐらいは三浦先生の名をご存知いただいていると勝手に解釈して話を進めます。

ちょうど電話がかかってきて昨日、三浦先生のお見舞いに病院に行った方がすでにこん睡状態になられていて看病に付き添っておられる奥様と少ししゃべって帰ってきましたと語っていただきました。
私はよく存じ上げなかったのですが三浦先生は議員を辞められてから重い手術を二度も受けられ体調を崩しておられたと聞きました。

三浦先生は滋賀県議会では議長も経験され、自民党会派の代表も務められた方ですがおそらく平成15年ごろから議員辞職される平成26年まで滋賀県政を引っ張っておられた実力者でもありました。(初当選は平成3年)
私も途中で議会に入った際に三浦先生に言葉ではなく、その背中で政治について教えていただいたと感謝しております。
三浦節ともいうべき独特の言い回しで「そういうことがあれれば滋賀県に重大な影響があり」と演説されていて私たち若手はこぞって真似をしていたのを懐かしく思い出します。
痩身ではありましたがよく通る声で広い会派の隅々にまで意見をされていました。
栗東市選出の議員ということもあったのでしょうか、ちょうどもったいない県政の嘉田知事と栗東新駅建設凍結を巡って議場で激しく議論をされていたことを思い出します。

しかし、私と三浦先生は政治家としてがっちり手を握っていたとは思えません。
私は三浦先生のことを「喰えないタヌキ親父」と思っておりましたし、先生は私の事を「言う事を聞かない若造」と思っていらっしやったのではないかと思っています。
とにかく、三浦先生の路線に特に会派運営については盾ついてきたので途中で会派を割って別会派をつくったことさえありました。
(約1年後に再統合しましたが)
今の若い政治家の皆さんでもこれはおかしい、理屈にあわないと思ったら先輩議員にでも堂々と意見して市民・県民の負託に応えてほしいと思っています。
なんでもかんでも上がおっしゃる通りとイエスマンになっていても政治は前には進みません。

それ以外の自民党としての政策については三浦先生に教えて頂き、従ってきたつもりです。
選挙についても十分にご協力してきた自負もありますし、助けても頂きました。
ともかく存在感のある政治家でいらっしゃったと三浦先生のご冥福を心よりお祈りさせていただきます。
明後日は地元で通夜式を営まれるとお聞きいたしましたのでご弔問に伺うつもりです。

お盆は自宅で
お盆休暇の真っ最中ですがテレビでニュースを観ているとすでに帰省のUターンラッシュが始まっており私になじみがあるところでは名神高速京都南インターから大津の蝉丸トンネルまで20キロの渋滞が発生しているとのことでした。
ここ数年、そう10年あまりにもなりますが我が家は盆暮れに旅行などは行かず、ひたすら家にじっとしています。
特に夏・・家の中で好きなことをしてエアコンの効いた快適な部屋で体を休めるといった心身ともにリフレッシュする方法を世間はなぜインドア派と虐げるのかわかりません。
無理に山や海に行ってBBQ?
暑さで汗がだらだらと流れ、寝泊まりはテントや車中泊。
蚊やアブに蜂に刺されてストレスはマックスになります。
睡眠不足になります。
どこがいいのか、未だにわかりません。
そんな将棋で言うと穴熊のようにガチガチ家から離れない私に愛想を尽かせてか妻と長男は実家に里帰りです。
学生最後の夏を迎えている長女は東京から帰ってきません。
向こうの方が刺激があって楽しいのでしょう。
次男は珍しく私と高島に残っているのでおかしいと思っていたら明日から1人で四国にぶらりと旅行に行くというので驚きです。
誰と行くんやと訊くともちろん1人、携帯だけは電源入れとけよというのが精いっぱいでした。
可愛い子には旅をさせろとは言うものの君は受験生なのにいいのだろうかと思うことしきりでした。
次男曰く、「出かけなければ勉強する気がおこらない」とのこと。
確かに私も勉強は好きなほうではありませんでした。
何か教科書を開いてみんなで同じことをするのが嫌でそれならばとテスト範囲以外のことを調べたり、趣味にはしったりと今から考えれば集中力のない、もっと言えば落ち着きのない軽薄な青年だったように思います。
同級生たちはそんな私をどう見ていたのかこの年齢になってきたらそろそろ本音を訊けそうです。
そうかしているうちに同級生BBQのお誘いがありました。
これはレジャーじゃない、旧交を温める為に、失われた時を求めて参加しようとSAY YESをしました。

アクション映画好き
盆休みに入り、映画館に足を運びトム・クルーズ主演のスパイ・アクション映画「ミッションインポッシブル・フォールアウト」を観てきました。
私がミッションインポッシブルのようなアクション映画が好きだと言うと「へぇー石田さんがねえ、意外ね」とレスポンスが返ってくることが多いです。
私のように見た目が文弱で腺病質系の人間は余計にそう思われるようです。
アクション映画の良いところは変に後に残らないところです。
ビールのようにぐいぐい飲んでもオ〇ッコしたら全部出てしまう感じですか。
日本酒やワインなら二日酔いでガンガンしているような深い余韻が残る映画は実は苦手なのです。
1アウト走者1・2塁、ショートゴロ、ダブルプレー、チェンジ!
すっきりとさばさばな感じがいいです。

「ミッションインポッシブル」シリーズが好きな理由に私がトム・クルーズのファンであることもあります。
1962年生まれの彼は今年で56歳。
正直なところアクション映画の主役を張るのはかなりきつい年齢です。
走ったり、飛んだり、昇ったり、泳いだり、格闘したりとよく息切れしないなと見ていて思います。
事実、今回もロケ中に足首を骨折して大きなニュースになっていました。
それを驚異的なリハビリで回復してクランクインまで短時間で持っていったトムの根性に敬服です。
私より年配が動き回っている映画を観て少し勇気をもらっている感じです。

さて、今夏配給の「ミッションインポッシブル・フォールアウト」はシリーズ6作目となっていますがアクション部分はシリーズの売りであるのでハラハラドキドキは前5作と比べても遜色ないものの、人間関係は少々複雑になっているので鑑賞には注意が必要です。
こいつ危ないな、裏切りそうだなという奴がそのままついてきたり、大丈夫と思った仲間が実は敵の組織の人間だったり、癖があるけどどうかなと思った女が案外もったりと序盤からじっくりと人物鑑定をしないと(トムの目で)騙されます。

※ 注) ここからは作品のネタバラシになりますのでこれから鑑賞を考えている方はお気をつけください

イーサン・ハント(トム・クルーズ)とIMFの仲間3人は遂にテロリスト組織゛神の使徒゛を追い詰めインドとパキスタン国境のカシミールの山岳地帯に辿り着きました。
あと残されたミッションはテロリスト集団に奪われた核爆弾の配線を切り無効にすることです。
もし核が爆発すれば世界最大の水がめ・水源と呼ばれるヒマラヤ水脈が汚染され25億の人々の生活に重大な支障が出ることを覚悟しなければなりません。
核のコントローラーはテロリスト組織の一員であった裏切者のオーガスト(ヘンリー・カヴィル)がヘリコプターで持ち逃げを図りました。
すかさずイーサンはヘリの脚につかまり空中に。
山村に残ったルーサー(ヴィンク・レイムス)、ベンジー・ダン(サイモン・ペック)、イルサ・ファウスト(レベッカ・ファーガソン)のIMFメンバー男女3人はどこかに隠された核爆弾2器をすみやかに発見して回線を切断しなければ爆発を解除できません。
しかし、それには順序があり、まずイーサンが核コントローラーの電源を切ってからでなければむやみに回線を切るとやはり爆発します。
ここで往年の名解説者・淀川長治先生なら「こわいですねぇ、恐ろしいですねぇ、イーサンは無事にミッションをクリアできるのでしょうか、あとでまた会いましょうね、サイナラ、サイナラ、サイナラ」と映画を盛り上げてくださるはずです。

とうとうイーサンはオーガストの乗ったヘリを山中に墜落させ、2人はコントローラーを奪い合い壮絶な死闘の末、電源を切ることに成功します。
しかし、遠く離れた山村にいるIMFメンバーはイーサンが電源を切ることに成功したことを知る由がありません。
ルーサーはイーサンを信じて見つけた核爆弾の回線を切断しました。
もう1器を追っていたベンジーとイルサは山小屋の中に隠された核を発見してこれもテロリストとの格闘の末にペンチを持って回線を切るところまでいきます。
爆弾はカウントダウンをしていて爆発まで残り45秒!
赤の導線と黄色の導線を同時に切れば解除となります。
イルサが「ベンジー、切るわよ!」と声をかけます。
額に脂汗を流しているベンジーが「待て待て、時間ギリギリでやろう」と答えます。
ベンジーは離れたイーサンが本当に電源を解除しているか疑心暗鬼だからです。
イルサがすかさず、「じゃ2秒前でね」と言うと、ベンジー考えて「いや1秒前」と言います。
イルサが「遅れたら爆発するじゃない!」と怒鳴ります。
ベンジーは「それじゃ2秒前、いや、やっぱり1秒前だ」と答えます。
ここで私は思わず笑ってしまいました。
人間はつくづく゛生゛に執着するのだなぁと。
更に女性はいざとなると度胸があるが男はヘタレだなと。
1秒でも長く生きていたい、少しでも生死の判断を遅らせたいという心情が色濃く発信されたエピソードでした。

昔と違って映画も少し待てばテレビの地上波で放送されたり、ネット配信やレンタルもすぐに始まったりと映画館に足を運ばなくても家庭で手軽に楽しめる環境になったことはご同慶ですがやはりアクションものは大画面のスクリーンで観ると迫力が違いますね。









エアコンの夏
この前の8月7日が暦の上では「立秋」、文字通り秋が始まるの意ですがまったく季節を感じません。
農家の人と話していると「田んぼの稲穂が垂れてきてるので予定通り9月になったら刈るわ」とかおっしゃていますが元気ですね、お米が獲れたら分けてくださいねとしか言いようがない暑さが続いています。
私も半世紀生きてきて今夏の暑さはとにもかくにも゛異常゛だったと感じています。
異常と言うのは常と異なるというか、想定外と言うか、気象庁観測史上初と言うか、想像を絶する暑さに見舞われた夏でした。


それまでの夏場などは滋賀県でも大津の人や京都、大阪の人たちが「あ~暑いね、夜はエアコンを入れないと寝られんわ」とおっしゃっているのを「ホントにそうですね」などと適当に相槌をうっていて心の中では(うちはエアコン無しでも寝られるもん)と密かな優越感に浸っていました。
なにせ私の住んでいるのは滋賀県の高島市です。
高島は英語で直訳するとhigh island、つまり島です。
高い島、何かフィジーのような南洋の楽園の語感です。
故に夏涼しくて冬もっと寒いところです。

子どもの頃は夏になるとプールなどなかったので歩いて10分の琵琶湖までいって泳ぎました。
ある程度泳ぐと体がそれなりに冷えてくるので岡に上がり、Tシャツを着て下は海パンのまま歩いて家に帰りました。
冷えた体に夏の西日がちょうどポカポカと温めてくれるので帰り道は冷えポカ状態で気持ちがよかったものです。
家に戻ると冷蔵庫からスイカかかき氷を出してきて食べてから縁側でごろりと昼寝をするのが日課でした。
まさに楽園。

今年の夏は琵琶湖に入っても水温が高くて体が冷えません。
上がって歩いても太陽光が強すぎて電子レンジのように体を直射するので眩暈がします。
ぜんぜん楽園じゃない、むしろ亜熱帯。

そのようなわけで夜になっても気温が下がらず、この年になって初めてエアコンを入れて寝ています。
じゃなければ寝苦しくて熟睡ができない、これは高島で初めての夏です。
「暑さ寒さも彼岸まで」とも言いますがまだまだ当分は残暑の厳しい時期が続きそうです。

異常気象の夏
夏の夕暮れ、日中の猛暑もさすがになりを潜めだし、通り雨の夕立に凉を感じ、縁側で蚊取り線香をつけて夕涼みをしながらうちわを片手に遠い日のことをしみじみと思い出す。
こんな詩情溢れた夏の日が恋しくなるほど今年の日本の暑さは異常です。
もっと言うなら異常気象の夏です。

だいたい私が子どもの頃は暑くても30℃超え、うんと暑くて33℃とか、スイカを食べながら甲子園を観ていて、「え!33℃あんの!そりゃ暑いわけだ」とかなんとか言っていました。
真夏日とか猛暑日とかの表現はなかったのですから。
35℃超えが連日当たり前でお隣京都では観測史上初めての39.7℃・・K点軽く突破です。
もうすぐ40℃!
人間なら3日間この体温出したら死ぬと言われる気温です。

去年の夏、一緒に働いていた人が「石田さん、暑いね、僕はこの会社に入って7年目の夏を迎えるけどここまで暑い夏は初めてだよ」とのたまっていらっしゃいました。
なんのなんの、今夏はレコード更新です、天井知らずの日本の夏です。

異常なのは気温だけではありません。
雨の降り方・・昔のように夕立がさっときて涼しくなるなんてこともありません。
降らなかったら1週間でも10日でも降らない、降るととことん降る、もの凄く、どしゃ降りに、山を突き崩すほど。
先日の西日本大豪雨も記憶に新しいところですが天は容赦をしなくなったというかほどほどが無くなったというか、極端な天候になります。

今来ている台風12号も太平洋上を北進して小笠原諸島からそのまま東北とか北海道に行くのかと思っていればスライダーのように左に急旋回、上陸していつもとは逆進、東海から関西、中国・四国にどんどん進むのですからこれも異常です。
(想定外)があまりにも続く気象ですがこれは天災なのか人災なのか判断に迷います。



熱中症にご用心
3連休が終わってまた忙しい日常が始まります。
それにしても暑いですね。
7月は盛夏とも言いますが今が1年で1番暑い頃だと思います。

車で走っていればかなりの確率で救急車に出くわします。
今朝のテレビの(朝チャン)で放送していましたが共同通信によれば昨日(7月16日)に熱中症で緊急搬送された方は全国で2020人(うち5名死亡)とありました。
熱中症をなめてはいけないと思いますし、室内・室外を比べれば実は室内で倒れている方が7割と案外、家の中で熱中症にかかる人が多い傾向のようです。
そのうち7割の人がエアコンをつけていなかったとか。
室内での温度管理にも気を配りたいものです。
私が子どもの頃は扇風機しかなかったのですが昔の人はどうしていたのでしょう。
今より地球は暑くなかったのでしょうか、温暖化の影響もありそうです。
これもテレビでやっていましたが昨日は東京の公園で滑り台が使用中止。
理由は火傷するからとか。
表面計で測定すると63℃。
鉄板やきそばの世界です、確かに危ない。
滋賀県でも一昨日は米原市で94歳の女性が畑で倒れられていて、大津市では74歳の男性が室内でとお亡くなりになっていますがまったくお労しいことです。
少しの体調の不良を感じたらこの時期は熱中症を疑ってもいいのではないかと。
それにしても熱中症っていつからそう言うようになったのでしょうか、確か昔は(日射病)と呼んでいたのですが今は直接日差しに当たらなくても温度変化により発症するからなのでしょうか。

ラジオでも十分な水分と塩分補給を心がけるよう呼び掛けています。
これについては私も経験があります。
これは去年ですがちょうど7月のカンカン照りの暑い日に友人とゴルフに行きました。
蒲生のゴルフ場です。
とにかく楽しくプレーしていたのですが炎暑で汗がだらだらと出てきます。
喉も当然乾きますから水筒に入ったお茶を頻繁に飲んでいました。
突然、頭がくらくらしだしてゴルフ場の芝生やコースの木々、遠くの山並みがセピア色になりました。
まるで昔のヨーロッパ映画を観ているような風景でした。
それでもがんばってショットしていると今度はだんだん視界が狭くなってきました。
ちょうど映画の最後で銀幕がどんどん狭まって(FIN)と字幕に出て終わるようなあの感じです。
(これは人生が終わるな、死ぬな、このまま)と思いました。
たぶんよろけていたのだと思います。
背後からキャディさんが「お客さん、大丈夫?これなめて」と白いザラザラした結晶を渡してくれました。
夢中でなめてみれば塩辛い、つまりは塩でした。
するとみるみるうちに視界が戻ってきて画面もカラーになり、頭もシャキッとしました。
あのままだったらゴルフ場から病院に搬送され、家族に連絡が入り、私が御しのびでゴルフに興じていたことが妻にばれるところでした。
それにしてもゴルフに熱中して熱中症とはシャレになりません。
何を言いたかったかというと熱中症対策にはがむしゃらに水分補給だけではだめでむしろ血液の塩分濃度が下がってしまい私のように倒れますから適度に塩分も補給しないといけないですという事です。
何かのご参考になればと。



雨が下しる
今は梅雨なんでしょうね。
何か暑いのか、涼しいのか、ピンとしない天気が続いています。
それでもこの梅雨が明けたら全国的に暑い夏が到来するかと思うとウンザリともします。

明智光秀が茶会で詠んだ、主君・信長を討つと決めた覚悟の歌で「時は今、雨が下しる五月かな」という一句が後世に伝わっていますが旧暦は5月でも本能寺の変が起こったのは新暦の6月21日の未明のことでした。
きっと朝から蒸し暑いことだったのだな、火事まで出してと考えていた一日です。
田舎道は怖い
月曜日は台風5号が来るから大雨かと思っていたらずっと東の海上を抜けて関東方面に向かったようでそれほど雨脚は強くありません。
朝から国道161を自家用車で南に走っていたら高島町白髭神社付近の側道でキツネの子が横たわっていました。
たぶん道路を横切る際に車に轢かれたんだろうと思うとその少し前方にこれも鷹(トンビ?)の子が仰向けになっていました。
その様は両脚の爪を空に向かって突き出しており死後硬直が始まっているかのようでした。
推測するとキツネの子を食べようと降りてきたところを後続の車にはねられたのだろうと。
二重事故でしょうか。

白髭神社のカーブを曲がって直線に入ったら前方に黒いお椀のようなものがコロコロと動いていました。
私の前を走っていた車は急ハンドルで回避しましたが私は対向車とすれ違うタイミングなので避けようもありません。
ブレーキを踏もうと思いましたが後続車と追突する恐れがありますからそれもできません。
物体を良く見るとどうやら原付バイクのヘルメットのようでした。
(南無さん!)ヘルメットを踏みつけました。
バキ!バリバリ!とタイヤから衝撃を受けていました。
バックミラーで確認してみるとヘルメットは跡形もなくなっていました。

最近は車の事故関連のニュースが毎日のように報じられています。
私の子どもの頃には「せまい日本、そんなに急いでどこに行く」という標語が流行っていました。
また「注意一秒・怪我一生」とも。
車を運転の皆様、交通事故だけにはくれぐれも気をつけましょう。
自戒を込めてそう思います。


ゆで卵の思い出
大型連休はどこに行っても人の波、だからどこにも行かず家でゆっくりするに限ると毎年そのように過ごしています。
地元の祭りも昨日終わり、今日は晴天、妻は妹と信楽に遊びに行き、長女は東京から帰って来ず彼女の生活を満喫しているようで、長男はこの春から京都の学生寮に入り、次男は高校生最後の部活(サッカー)の試合というわけで私は1人で静かに家守です。
あ、猫が3匹いました。
彼ら、彼女らは私と一緒です。

テレビでは「大型連休も終盤です」と女性アナウンサーが言ってましたがやっと休みらしくなったのにもう終盤とは悲しいものです。
今日の私のような状況を昨年読んだ村上春樹氏の小説「騎士団長殺し」になぞらえてしまいます。
冒頭で妻に出て行かれた(見捨てられた)主人公(職業・画家)が友人の別荘に転がり込みますが深い谷間に囲まれた高台の1軒家で誰ひとりとして訪れない静謐な生活が始まるところから物語が進行していきます。
今朝はそんな状況です。

起床して特にお腹が減っておらず、さりとて何か軽く口にしたいのでコーヒーを淹れてからゆで卵をつくって食べました。
ゆで卵は便利です。
特に調理の手間がかからず、卵をゆでている間にコーヒーを飲みながら新聞を読んでいればいいのですから。
ゆで卵を食べながら随分と昔のことを思い出しました。
それこそ50年ばかり昔のことです。
幼稚園児だった私は大津駅前にあるプロテスタント系の幼稚園に通っていました。
キリストの復活祭(イースター)になぜかゆで卵が園児に出されました。
お皿も何もなく、ただ手渡しされ、その場で食べるのですがなぜか卵の殻全面に塩がついていて私たちは器用にその塩を殻から掌に落としてから殻をむき、むいた卵を塩につけて食べるのです。
今考えてみると塩を卵の殻に引っ付けるのはどうしていたのかと思います。
別に卵の表面が濡れていたわけではなく、カラカラに乾いた塩の結晶がびっしりと付いていたのですから。
暇だと昔のそんな他愛のないことを思い出します。

どうでもいいのですが母方の祖母は京都に住んでいましたがゆで卵のことを(にぬき)と呼んでいました。
祖父は(うでたまご)と言っていました。
子どもながらにこの(うでたまご)の語感は大阪の下町の人がきつねうどんのことを(けつねうどん)と呼ぶのに似ていると感じていました。
それなりのこだわりがあったようですが今となっては確かめようもありません。
さてGWもそろそろUターンラッシュが始まったようです。
皆様、どうぞお気をつけてお戻りください。


日本人と海苔
今日は日曜日、起床して天気が良いのでお布団を干してから朝食を食べましたが軽くごはんと海苔とお味噌汁。
素朴です。
ごはんを海苔に巻きながらふと考えたのは先日、テレビでやっていた「海苔を消化できるのは日本人だけだった」という番組。
日本への海外からの旅行者は年々増えてきていますが外国人にお土産屋で袋入りの海苔を見せてもこれは何だという反応を番組では紹介していました。
でも不思議なのは世界的に日本食が人気・認知されているのにあの寿司などのカリフォルニア巻きとか海苔を使う場面も多くあるのに消化できないものを出していいのかという疑問がわきました。

調べてみると海苔は紅藻・緑藻・シアノバクテリア(藍藻)などを含む藻類の総称だそうです。
その海苔を溶かす(消化する)ことができるのが海洋性バクテリアであるソベリア・ガラケタニボラという一種の酵素成分。
それが日本人の腸内に住みついているので海苔を食べても消化できるとのことです。
外国人は食べてもそのまま未消化で出てくるようです。

そこで再び素朴な疑問が生じました。
「でも韓国海苔とか、韓国にも海苔製品はあるし、中国でも海岸部、イギリス・ウエールズ地方でも食べているそうだ」と。
それで調べてみるとそれらは焼き海苔であって日本古来からの板海苔ではないとのことです。
焼き海苔なら消化酵素のない外国人でも消化すると聞いて少し納得しました。
日本人が海苔を食べ始めたのが遡ること8世紀、それまでワカメなど海藻類を多く摂取していたので自然と分解酵素が腸内に住み着きだしたとあります。
韓国人が海苔に接したのが日韓併合の1910年以降でまだ100年ちょっとのことですから生物学的・遺伝工学的には板海苔(生海苔)にはまだ適合できていないのかとこれも納得。
それにしても日本人すべての人に海苔を消化する微生物がすんでいるなんて考えてみればすごいことではないかと思ってしまいます。
遺伝子的に記憶、生物的に共有するというのは文化人類学を越えています。
おむすびに海苔を巻いて食べる時にちょっと考えていただきたいテーマです。


元政治家として訃報に接して
議員時代からの癖と言うか習慣で毎朝、新聞のお悔やみ記事(訃報爛)を見ています。
お誕生の記事もありますがそちらはざっと目を走らせるぐらいの素通りです。
かって田中角栄元首相は派閥の若手政治家に「お祝い事は後回しでいい、ご不幸があったら真っ先に駆けつけろ」と人情と義理を教えています。

今朝の訃報爛を見て仰天したのは同じ町内に住む方のお亡くなりの記事。
この方は私が初めて選挙に立候補した時に熱烈に応援して頂いた人物でした。
企業にお勤めで特に公職に就かれていたことはありませんが区長などをされ温厚で地域の仕事はテキパキとされていたので信用があった方です。

私の最初の選挙は一番の地元が割れて私自身も大変なストレスに苛まれながら戦ったものでした。
私の他にもう一人有力な方が立候補を表明しており互いに引くに引けなくなり地盤が割れてしまったのです。
尤も街の市議会議員の大半、元行政の主要な立場の方たちなど政治的オピニオンリーダーと言える人たちがもう一人の候補者の応援に回り、私は大変苦しい立場に置かれました。
いろんな人が入れ替わり立ち代わりと私のところに来ては選挙から身を引くように説得をするのです。
地域を割らない為にも降りるべきなのかと真剣に悩みました。
しかし、その頃の私には燃えるような政治への情熱が滾り、政治を通して世の為人の為に働きたいという思いがどうしても拭い去れないところまで高まっていました。
街の政治的に主要な方々からいかに批難されようとも自分の気持ちに正直になり、ここで降りれば一生後悔するとともすれば折れかける心に鞭を打って立ち向かう事を決心いたしました。

そんな時に孤立無援の状態の私を支持して頂いた方のおひとりが今朝の訃報にということです。
もちろん友人・同級生・これまでご縁をいただいた多くの方々も応援してくださり約10か月間の苦しい後援会活動と選挙戦に勝利させていただくことができました。
私を応援して頂いた方々は普段はあまり政治の表に出てこられない市井の人たちでその時の選挙体制はまさに草の根選挙の典型だったと思います。

現在は政治の現職でない私もその時に受けたご恩は自身の一生をかけてもお返ししていかねばならないものと思っています。
また人に対してだけではなく、地域についても何か災害が、大きな課題があれば出て行って矢面に立つ気持ちは今も忘れていません。
それが一度でも選挙に出た者の節度だと思っています。
思えば選挙に出るという事は多くの方々にお世話にならねばならず、また立候補するということは公的にも責任が発生することでもありますからまことに大それたことだと考えてみれば身震いするような行為だと思ってしまいます。
それでもルビコン川を渡ってしまった私はこれからも政治的な課題から評論ではなく行動で地域社会にお返しをしなければならない、それが頂いたご支援に対する義理と人情ではないかと考えます。
政治家になるということは業の深いことです。
表現的にお許しをいただくと「行くも地獄、戻るも地獄」の世界です。
お昼から告別式に伺います。







最後の花見
今夜はおぼろ月夜です。
煙ったような月光の下に我が家の庭の桜の花が今年も咲きました。
東山魁夷の1枚の絵を思いだします。
この桜は今の家を新築した時に母が植えたものですが水が良かったのか大木に育ちました。
ですが築40年の家と一緒でもはや老木です。

今日のお昼にご近所でお付き合いをしている方のご母堂がお亡くなりになり告別式に参列させていただきました。
喪主はご長男であるその方がお勤めでしたが式の終わりの喪主挨拶で『母は桜が好きで毎年この頃になると私が車を運転して助手席に乗せ、二人で花見に行きました。ここ数年前から「今年の花見が最後ね」と言うようになりましたが戦後苦労して私たちを育ててくれた母も晩年は好きなことができて幸せだったと思います。これから斎場に向かいますが琵琶湖沿いの桜並木の下を通ってほしいとお願いしました。母と最期の花見を楽しみます』と言われました。
なぜかホロリとしました。
桜の花の季節はなぜか出会いと別れを私たち日本人に想像させます。

淡々と日曜日
昨夜は高校時代の同級生らと久しぶりに会って痛飲。
今朝は春らしい日差しが柔らかい日曜日のお天気となりました。

妻が入っているNPOが今津総合運動公園で婚活イベントをするというので頼まれて司会の吉本興業の芸人さんとそのマネージャーを今津駅まで迎えに行きました。
車中、いろいろと高島市について尋ねてこられてのでザっと市の概要や現状の問題点、特に人口動態についてお話をしましたが熱心に聞いておられました。
たぶん、今日のイベントのネタづくりに活かそうというところだと思いました。

以前は日曜日だとかなり忙しくイベント・行事に走り回っていましたがここ数年は休みは休みとして完全に個人で消費できるところがありがたいと思っています。
そのように思っているうちに車の給油ランプが点滅したのでガソリンスタンドに入って給油をしました。
そのまま買い物に行こうとスタンドを出て信号待ちをしていると左の窓ガラスをコンコンと叩く音が。
思わず顔を向けるとニコニコした私よりは少し若いかなという男性が、しかし感じは良い人ですが見おぼえがなく「何でしょうか?」と言うと「給油口が開いてますよ」と親切に口を締めてくださいました。
丁寧にお礼を言って発進しましたが人の親切にふれて何だか明るい気持ちになりました。

平和堂に着いて買い物をしました。
コーヒー・愛猫のエサ・スパゲティなど。
まだ開店して間もなしなのでレジは混雑していませんでしたが最近見たテレビの特集では中国などは無人のコンビニやスーパーがすでにオープンしているということ。
AIの進化が社会の便利を生み出す反面、人の仕事を奪うというおそらくこれからの10年は産業革命に匹敵する激変期を迎えるんだろうなと考えながら家に戻りました。
買ってきたコーヒーを挽いて飲みながら猫と戯れる日曜日です。



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