ゆうすけブログ
高島市の陣
昨夜、高島に戻ってきたら「市長が市役所問題が解決した」と防災無線で放送していると聞き何事かと電話で詳細を調べてみるとどうやら市議会が開催初日に意見書を議決して市長に手渡したことから端を発したと把握しました。

マルクスは「ルイ・ボナパルトのブリューメール18日」の中で『歴史は繰り返す、一度目は悲劇として、二度目は喜劇として』と述べていますが、今年の3月に高島経済会から一度目の意見書が市長に直接出され性急な住民投票を実施して市政どころか統一地方選挙の意義もぼやけたものになったにもかかわらずそれを「市長によるマッチポンプだ」と批判した議会自身が二度目の意見書を提出したのは前回は悲劇ですんだが今回は喜劇であると私は断じます。

百歩譲って今回の意見書を6月議会にかけて充分な議論を重ね、特に市長の意見を引き出す手練管を議会は用意すべきでした。
なぜこれだけ(不毛な)議論ではありますが高島市を二分、三分する騒動を起こしたうえで(これも)拙速に事態の収拾をはかろうと考えたのか理解に苦しみます。
少なくとも政治のプロが導く手法ではありません。
なぜ議会初日に議決したのか意味が見えてこないのです。
市民の声を聴くこともできません。

意見書の内容を見ると今津建設推進派(とあえて色をつけます)は①現庁舎を「暫定の事務所位置」とすることを前提と
する。
②種々比較検討の上、必要最小限の経費により(新旭“仮”庁舎を)改修及び増築されることを求めるとあります。

これをもらった市長が「う~ん、重く受け止めてあくまで庁舎は条例上は今津が原則、今の仮庁舎はもっと予算を見直して必要最小限の執行でいこう」と思うと思ったのでしょうか。
お墨付きがあるのだから「これは議会も後押ししてくれた」と宣言してすでに可決している予算を堂々と執行するに決まっているでしょう。
現庁舎の計画だけで22億8、680万円が「必要最小限」なのかを6月議会で問うべきだったのです。

1615年(慶長20年)今から400年前となりますが大阪夏の陣で豊臣家は滅亡しました。
その前年の冬の陣で真田幸村らの大阪浪人軍の予想を上回る奮戦に徳川方も和議を申し込みました。
「大阪城の外堀を埋める」これが条件でした。
結果はまんまとタヌキおやじの策に嵌まり内堀まで埋められた大阪城はまさに裸同然となり再戦の結果は太閤の天下が露と消えることとなりました。

先に3月議会で議決をしてしまった「庁舎増築整備事業および支所庁舎整備事業」はまさに「外堀を埋める」ということ、では内堀は?タヌキおやじは誰?ということは想像にお任せします。
いづれにせよ「独裁政権」と「未成熟な民主主義」の邂逅の結果は市民不在の政治だったのです。






カレンダー

07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -



天気予報


-天気予報コム- -FC2-



最近の記事



月別アーカイブ



カテゴリー



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる



ブログ内検索



counter