ゆうすけブログ
高島の陣は続くが続く
ちょっとしつこい感じですが高島市6月議会冒頭で出された意見書について三度目のコメントを。

私の先日のブログ「高島の陣は続く」で高島市の政情を沖縄県の基地問題に重ねた書き方をいたしました。
それについて少し追加したいことがあります。

御存じのように沖縄県は第二次大戦中は最大の戦火に見舞われ県土は灰と化し、民間人9万4千人、軍属10万人の死傷者を犠牲とした上に戦後を迎え、1951年のサンフランシスコ講和条約で米国領となることが決定し、以降21年間、1972年5月までその統治下にありました。
日本に復帰した後も米軍基地はそのまま県土の15%にも及ぶ面積に存在し、戦後からこれまでもたびたび主権問題がクローズアップされるなかで1995年には「米兵狼藉問題」が明るみに出たため県民の怒りは心頭に達し、基地問題も再燃焼しました。

沖縄県民の心境は大変複雑だと思います。
本土の盾となり県土に侵攻され多くの人々が犠牲になり倒れた、戦後は日本から引き裂かれ米国の庇護の下憤懣やるかたない感情を押し殺しながら生活を続けた、復帰後も基地を提供して日本及び東アジア自由主義諸国の防衛の為と言われてもどうにも納得がいかない自己犠牲感がもたげてくるというところでしょう。
なぜ自分たちだけがという思い、沖縄のプライド、歴史を正しく検証されていないといういら立ちが交差して現在の混乱に至っていると思われます。

高島市も観点は違っても、高島今津地域は高島郡発足から広域連合行政の旗振り役として他の地域がしり込みすることも引き受けてきました。
下水処理場、火葬場、去年大問題になったクリーンセンター(ゴミ処理場)の設置など住民は文句を言わず認めてきたのです。
演習での空砲の音がうるさくても自衛隊基地とも友好を築き、これら「迷惑施設」にあたると言われるところも懐深く抱えてきたのです。
10年前の市制移行については合併協議会はそれらの今津地区の特異性、さらに警察署、裁判所、税務署、消防署、法務局、金融機関母店なども今津地区に集中して立地していることを充分に踏まえた上で新市の庁舎は今津にすると高島郡全町村議会で合意、条例としたのです。
ここへきて1回の市長選挙で「庁舎は今津に建てない」という決定は高島の歴史、地理的要件、行政効率を全く無視した暴論だと今津地区住民は怒っているのです。
ぽつりと市庁舎だけ他所に持っていく合理的理由はどこにあるのだという主張であります。

築40年から50年になろうとしている火葬場やごみ処理場は建て替えをしなければなりません。
市はこれをそのまま今津地区に再建設しようとしても今度は住民運動が発生するおそれがあります。
沖縄に対して国がしたように、市が今津地区に対して今までの忍従と貢献を忘れプライドを踏みにじった結果はまとまりない市政に発展しました。

ですから先日の高島市長の防災無線での「市庁舎問題は解決しました」という放送は軽はずみだと批判させていただいたのです。
鳩山由紀夫元首相の「最低でも県外」に匹敵するものと思っています。
そのことによって「パンドラの函」を開けたことにより市内がこれから騒然としてくると私は指摘しておきます。


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