ゆうすけブログ
モーツァルトであること
今朝は長浜市に用事があり車を運転して出かけました。
琵琶湖を眺めながら走りたいと思い、湖岸の道を行きましたが冬の朝の湖は大気が澄んでいて迫りくる対岸の山々にもうっすらと冠雪などがあり中国の水墨画のような味わいでそれは美しいものでした。
私は車に乗っている時は音楽(多くはクラッシク)を聴くか、やっていればラジオを国会中継に合わせます。
国会中継は自分たちが国民から選ばれたと恍惚感いっぱいの人とその中でもなお選ばれて内閣を組織していると優越感いっぱいの人たちの掛け合いがとても面白くて、下手な落語よりよっぽど聞きごたえがあります。
国営の寄席ですね。
(すいません、政治の現場をむやみに茶化したり、揶揄することは衆愚に陥ると心得ていても生来の皮肉癖が抜けずに・・・)

一方の音楽なのですが私のようなアマチュアでも何度も同じCDを聴いていれば、(ここはもう少し強く吹いた方が)とか(このフレーズはもう一回繰り返した方がいいのに)など古今の偉大な作曲家や指揮者、オーケストラに注文などをつけたくなったりするものです。
これはクラッシクに限らずジャズやロック、演歌などどんな楽曲にもファンである以上のめり込めば存在する感慨でもあり、音楽の楽しみの一つではないかと思ってしまいます。

ただ、別格というか例外は「モーツァルト」
これだけは注文がつけられない音楽だと思っています。
さながら選ばれた天才におりてきた天上の楽譜がそのまま奏でられているとしか思えません。
何も加えず、何も引かない、それがモーツァルトなのだと素直に感嘆しながら聞き惚れるだけの音楽、ある意味(神の言葉)。
評論家の小林秀雄氏が生前、「死ぬということはモーツァルトを聴けなくなること」とおっしゃっていますがそれもむべなるかなです。


カレンダー

04 | 2017/05 | 06
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31 - - -



天気予報


-天気予報コム- -FC2-



最近の記事



月別アーカイブ



カテゴリー



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる



ブログ内検索



counter