ゆうすけブログ
新聞の今日的意味は
今日の朝刊は各新聞では「甘利経済相辞任」のニュースが一面を飾りました。
ここでこの辞任劇を論じようというのではありません。
多くの識者が昨日から繰り返しあらゆるメディアで述べているからです。

私が問題提議をしたいのは「新聞に今日的意義はあるのか」についてです。
噛み砕いて言い直すと「新聞は必要か」となります。
新聞・・読んで字の如く、新しいことを聞く、つまり最新のニュースをいち早く届けるという役割を江戸時代のかわら版の頃から社会に対して担ってきました。
昭和のある程度の頃まで、新聞の情報の早さはテレビと競っていたように思えます。
また新聞社とテレビ局は同一系列の資本関係が成立していた為、両者の住み分けもできていたきらいもありました。
その頃の一般的な認識はまずニュースは新聞が先行、少し遅れてテレビ、一週間の間に週刊誌がバック情報を掘り下げて出し、一か月ばかりすると月刊誌が解説するという業界の「秩序」があったように思えます。
もともと「スクープ」という言葉は新聞のためにあったのです。

この「方程式」が崩れ出したのはもちろん「ネット」の登場でした。
現代社会においてはニュースの伝達の早さはネットに勝るものはありません。
新聞にせよ、テレビにせよ、ラジオでもタイミングというものに拘束されますがネットはリアルタイムに発信されてしかも人々が端末を持ち歩いているご時世ですから瞬時に情報が手に入ります。
こんなことを嬉しそうに書いていますが世間の人にとって当たり前の認識なのではないでしょうか。

また情報の伝達の優先順位というか、先ほどの「住み分け」もすでに戦国時代に突入しています。
今回の大臣辞任劇もまず火をつけたのは週刊誌である「週間文春」でした。
そう、昨年の夏には滋賀県選出のM代議士を沈めたあの「文春」です。
さすがに辞任劇を最初に報じたのはネットでしたがその際に文春からのニュースソースであることに断わりを入れなかったので後で謝罪しています。
そこからテレビが一晩中取り上げ、新聞が続きと一連の騒動は続きました。

ここで新聞は情報の早さにおいて遅れをとっているのでマスコミ媒体として時代遅れかという議論になれば私は「否」と思います。
紙媒体としての新聞の持つ情報量と解説力は決して侮れません。
ネットの即効性やテレビ・ラジオの持つ言語力に匹敵する文章力というものが新聞にはあるからです。
新聞の必要性は今後も薄れることはないと私は思いますし、またそうでなければ文化という側面からも寂しすぎます。
ここまで目を通された方は「いや、待てよ、新聞にも号外や夕刊があるのでは?」と思われたでしょう。
残念でした。
私の住む地域は地方なのです、旧郡部なのです、そんな気のきいたサービスとは無縁なんですと最後は負け惜しみで終わります。




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