ゆうすけブログ
GDPは本当に万能な指標なのだろうか
第二次安倍政権が樹立した際、経済的目標としてGDPの年2%成長を掲げました。
更に昨年の第三次組閣においてはGDP総額600兆円目標が謳われました。
先週の読売新聞朝刊の経済欄を読んでいるとこの数値目標は未達となっており実際は0.6%成長だったと書かれていました。
私個人の実感としてはそれでもマイナス成長でなくて良かったねというぐらい民活に元気がない世相です。
「人はパンのみにて生きるにあらず」とは言うものの「無い袖は振れない」も実際であり、経済と社会の持続可能な成長は強い結びつきがあるのは理解できます。
しかしながら経済白書で繰り返し唱えられるこのGDP成長が国民の幸福度を上げるべき指標として機能しているのかは甚だ疑問なところもあるのが事実です。
「株価の乱高下なんか庶民には関係ない」、「円高?わしゃ知らん」、「国債金利がどうしたと言うんじゃ」という声をいっぱい拾っています。
事実、平均賃金は上がるどころかこの20年でむしろ1%ダウンしているのですから生活者としても景気がいいなんて感じるわけもありません。
生活者が元気が出ないということはGDPの6割を占める「個人消費」が振るわないということですから成長戦略の描き様もないはずです。

今から44年前の1972年、当時ブータンの国王であったジグミ・シング・ワンチェクが提唱した国民総幸福量(GNH・Gross Nationl Happiness)は従来のGNP信仰に凝り固まっていた世界の経済アナリスト達に新鮮な衝撃を与えました。
日本ではそれほど騒がれていなかったのですがそれでもバブル経済が破裂し、誰の眼からも高度経済成長が終焉して長引く平成不況にうんざりしていた頃、この幸せ大国・ブータンから結婚されたばかりの国王と王妃が来日された時には末法にお釈迦様が降りてきたかのような熱狂があったのは記憶に新しいかはわかりませんが事実です。
2011年11月15日から20日までの日本へのご滞在でした。
その3月に東日本大震災の惨禍を経験してうちひしがれていた日本国民にとって明るいニュースになったことは確かでした。
ただその後のブータンが結構悲しい状況に置かれていることについては心を痛めるものです。

話を戻すとGDPです。
日本はこの指標にこだわる必要が本当にあるのかということを感じています。
GDPというのは経済学でいうと比較的新しい概念で、生み出したのはサイモン・クズネッツというユダヤ系ロシア人の経済学者ですが彼はその功績により1971年にノーベル経済学賞を受賞しましたが作成した1934年にアメリカ上院議会ではっきりと「GDPでは国民の幸せは測れない」と証言しています。
では何を持って国民いや個人の福利厚生度を推計するのかと言えば先述のブータンのGNHではなく、答えは国連の議論にありました。
事実、ヨーロッパ諸国やオセアニア、中南米や東南アジアではGDPによる経済成長よりも個人や家庭にとってもっと大切なものがあると経済政策の指標をそちらの方へとウエイトを移している傾向があります。
GDPを上げる為に公共事業が必要というのは本末転倒な議論ではありませんか。
そんなことを政治家が国会で唾を飛ばして議論している姿を見ることが国民をして白けた気分にさせられるのではないかと最近は思います。
その国際間での議論について今日は長くなりましたので後日(明日以降)触れてみたいと思います。











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