ゆうすけブログ
生と死ー身近な考察
このところお葬式が多くて気持ちが萎え気味です。
人とのお別れの儀式ですから心浮き立つわけもありませんが昨日、一昨日と地元で活躍されてきた方が相次いで亡くなりました。
これらの方々はすでにある程度の年齢に達しておられたのでお元気な頃を偲んでお別れできたかもしれませんがショックだったのはその夜に同級生からメールで同級の女の子が病気で亡くなったと知らされたことでした。
すでに女の子と言える年齢ではないにせよ、最後に会ったのが高校卒業からですから私の記憶の中では溌剌と青春をしているイメージが残像としてあったのでどうしても割り切れない思いがありました。

学生の頃によく読んだ村上春樹氏の小説に「ノルウェーの森」という作品がありましたが主人公が友人のキズキが自殺した際に述懐する「死は生の対局としてではなく、その一部として存在している」と語るくだりは若かった私にとって難解でしたが今ではわかってきたような気がしています。

この前の日曜日にふらりと入った(ブックオフ)で「恐山ー死者のいるところ」南 直哉著 新潮新書刊という本を見つけたのでちょうどそのような気分だったのでしょう、買いました。
中古本で108円、この108円という値段が微妙で来春からは110円で売っていそうです。
家に帰ってから早速ページを開き、夜には読了。

著者は20年間福井県永平寺で修行を重ねた後、青森・恐山菩提寺の院代(住職代理)として当地に赴きますが息子の死を問い続ける父、イタコの前で号泣する母など死者に会うために霊場を訪れる人々と接するうちに仏教の教義や修行体験が全く通用しない世界に身を置いて初めて向き合う弔いの意味を語っています。
決してスピリチュアルな内容ではなく生と死が人をどう別けるのかという根源的な考えを追及した死生観に対する哲学書として読みました。
東日本大震災後に書かれたとある、あとがき「無常を生きる人々」では静かな感動を覚えて本を閉じました。

その後でこれもふらりと近所のスーパーに買い物に出たのですがレジで支払いをしていて前を見ると何列か先に久しぶりに見るこれも同級生が立っていました。
彼は小学校の先生をしていると聞いていたのですが頭はオール白髪、てっぺん部は禿げ上がっており同年として若かりし頃を記憶している私としては再び驚いたと同時に思ったのは「私も見た目はこう思われているのだろうか」という素朴な疑問でした。
誰しもそうでしょうが、案外自分は若いと思っていても忍び寄る(老い)は確実にその人を捉えているものだと感じざるをえないここ1週間でした。








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