ゆうすけブログ
滋賀県の危機
先日のブログで新幹線新駅建設中止に伴い栗東市が非常に困難な財政状態に陥ったのが2007年(平成19年)頃とお伝えしましたがちょうどこの年には北海道・夕張市が財政再建団体に転落しています。
法令により市区町村では赤字額が標準財政規模の20%に達した場合に適用されますが(都道府県では5%)、民間で例えると倒産もしくは民事再生のような状況に陥ると言われます。
地方自治権の返上を余儀なくされ国による集中管理となるからです。
正式には準用財政再建団体と言われ、2009年の法改正からは財政再生団体と呼ばれますがいづれにせよ住民にとって福祉の向上などはとても求められない惨めな状況となります。

栗東市がこのような状況に1歩近づいた要因をつくった嘉田県政がしからば安定していたかと言えばそうではなく財政上の火薬庫を抱えていました。
「造林公社問題」です。
私が県庁に行き始めた2006年(平成17年)にはすでに先輩議員たちが「造林公社は危ないぞ」と囁いていたのを憶えていますが、それまで一県民に過ぎなかった私としては問題の把握どころか理解さえできていませんでした。

造林公社といっても滋賀県には2っあり、(社)滋賀県造林公社・・S40年創設と(財)びわ湖造林公社・・S49年創設がありそれぞれが木材の国産材利用振興と琵琶湖がある滋賀県にとっては水源地の涵養と保全が目的として下流8団体(大阪府・大阪市・兵庫県・神戸市など)を連携出資先に迎えて主に杉やヒノキの植林に乗り出したのでした。
当時としては遠大ながら同時に長大な計画であり、杉やヒノキが実際に植林から伐採・搬出されるまで早くて25年、だいたい30年から40年以上かかることを考えればその時の製材価格の変動等が読めない危なかしいものと言えました。
それでも約2万ヘクタール、県土の5%の面積に植林を開始したのです。

だいたいにして長期計画などは外れることになるものです。
不謹慎ですがゴルフなら10メーター以上のロングパット、まず入りません。
国策として国にも唆されたのですがまずその国が輸入材の全面解禁に踏み切り、安い木材が海外から大量に入るようになりみるみるうちに国産材の価格が下落していきました。
すると将来的な伐採収入を計画よりはるかに下方修正せざるを得なくなり計算上はどうみても赤字となってきました。
林業崩壊です。
もともと農林漁業金融公庫(現日本政策金融公庫)などからの巨額の借り入れによって成り立っている事業ですが平成に入った段階ではすでにビジネスモデルとして破たんしているのは明らかなのですからここで決断がなぜ下せなかったか不思議です。
また、「分収造林方式」を採用していたので山林の所有者から土地だけを借りて植林から育樹過程における費用、伐採費用も含めて一切を造林公社が負担して木材売却収益を公社と所有者で6:4で分けると契約されていました。
(後に公社が不採算林の増加を理由に9:1の見直しを提案して大いに揉めた)
不採算林の見込みは全植樹面積の6割と認定され、それも公社の経営を疑問視することにもつながります。
つまり伐採に有利な道路や平地に接した植林地ではなく、わざわざ費用がかさむ奥山や傾斜地に手を広げていったことにも首をかしげるわけです。

私が滋賀県の農業、漁業、林業と琵琶湖の保全、環境問題を検討する環境・農水常任委員会の委員になったのが平成19年でしたが所轄である県のびわこ環境部長は県職員の山仲善彰氏でした。
その頃には滋賀造林公社は391億円、びわ湖造林公社は735億円と両公社合わせて1126億円という巨額の負債を抱えており、有利子負債だけでも年20億円が積みあがっていくという抜き差しならない状況でした。
これを放置すれば滋賀県は夕張どころではなく全国的にもありえなかった都道府県として初の財政再建団体となることが絵空事ではなく現実味を帯び始めていました。
他の県会常任委員会が粛々と県政課題を話し合える状況だったのに環境・農水委員会だけはいつもタイムオーバーで委員としても押しつぶされるような雰囲気のなかで(なんて委員会だ)と自嘲したくなるような日々でした。
加えて栗東市のRD最終処分場問題をめぐって最終解決に入りつつありダブルパンチでした。

造林公社問題としては滋賀県として「特定調停」の道を選ぶことを決めましたがそれまでの過程は茨の道であり、私は債権者である金融公庫との交渉の一部始終を県庁で見ていましが山仲部長が顔をゆがめて公庫職員とやり合っていたのを憶えています。
かなり荒っぽい言葉を投げかけられており、誇り高い滋賀県職員でも公庫からすれば一債務者扱いでありました。
この年から滋賀県が利息支払い停止をしていたことが彼らの怒りに火をつけたのかもしれません。
同時に造林契約者や下流8団体との折衝、チエック機能を果たせなかった県議会への方針説明に追われてびわこ環境部は次々と部長が代わり、次長が過労で倒れして県庁内では「呪われた部」と言われるようになりました。
私も議員と職員という関係上あまり突っ込んだお話しを山仲氏としていなかったのですが公庫との交渉でゆっくりしゃべらせてもらうと氏の見識の高さに驚いた覚えがあります。
訊けば相当な読書家でいらっしゃると認識してさもありなんと納得しました。
ただ、造林公社とRD処分場問題の解決法については嘉田知事(当時)とかなり意見に相違が出き、ぶつかり、それが原因で県庁を去られることとなりました。
それから程なくして地元・野洲市の市長に立候補され当選(2008年10月)、現在も現職です。

県として最初は「重畳的債務引き受け」を目指していたのが総務省から「政府の財政援助の制限等に関する法令」に違反する恐れがあると指摘を受けたことに対する知事との見解の相違やRDでのA案・B案での採択をめぐっての対立から県庁に居場所がないと思われたのかもしれませんが今は自分の城を守っておられるようで良かったと思っています。
私も当時はRDについて遮水壁の不備が感じられる県の原案について「知事はびわこ新駅中止で訴えた260億円をこんな時こそ使うべき」などいささか滅茶苦茶ながら嘉田知事の「もったいない県政」を批判していましたがそれも職員ではなく議員だからこそ言えたことであり山仲氏の職員の立場ならかなり勇気が必要だったと推測しています。






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