ゆうすけブログ
中国のエビ
1990年頃から2010年にかけて中国に年1回は行っていました。
お洒落な沿岸地域ではなく歴史あふれる西方でもなく不細工な真ん中のド田舎などを転々と周りました。
もちろん仕事であり、水産加工に従事していた当時の私は「手長海老」の買い付けと現地での選別、冷凍、港湾へ運び、日本へ送る作業をしていました。
手長海老は和食では必須の食材であり、おせち料理には欠かせなく、懐石料理にも婚礼の席でも提供されるものです。
私の経験上、琵琶湖の手長海老がおそらく全世界(言い切ります)の湖沼で獲れる淡水のエビのなかで極上のものでしょう。
身は柔らかくて臭みがなく、加工時にボイル(煮沸)して赤く発色させるのですが琵琶湖産は見事に色が出るので合成着色料などが必要なかったのです。
ですが琵琶湖の水環境の悪い意味での変化の影響からか年々取れ高は激減して今では地元の料理屋が漁師から獲れた時に買う程度ですから私たちのような加工業者が扱うだけのボリュームがもう期待できないというわけで世界中の湖沼に出向き、手長海老を探しました。
フィリピン、インドネシア、韓国、アメリカ、ベトナム、ラオス、タイ、カナダ・・最終的には量的に満足できるのは中国でした。

本当は手長海老ではなくロブスターや中国でも盛んにやっていた鯛やふぐの養殖の方がはるかに儲かるのはわかっていたのですが湖国水産の旗印を下すのは残念との思いから淡水魚にこだわりました。
別に手長海老だけではなく琵琶湖の固有種であるニゴロブナなども鮒ずしの原材料としてあれほど適したものはなく他の鮒ではどうしてもあの柔らかみと香りがでません。
アユもモロコも琵琶湖産は他の湖、全世界(言い切ります)のどれよりも優れています。
これは滋賀県が参加している世界湖沼会議でもきっぱり言ってやってもらいたいものです。(誰にでしょう?)

手長海老の繁殖期は例年6月から7月でこれが終わると殻を脱皮させて固くなるのでこの時期を狙って仕入れに走ります。
だいたいは上海経由でもういちど国内線に乗り換えて奥地に向かいますが、この中央部は「中国の釜」と言われ夏はとてつもなく暑い地域です。
連日、38度以上はザラ、40度越えの日が続き死人が続出していました。(たぶん熱中症)
私は学校で第二外国語として中国語を専攻しましたが文法などはある程度わかるものの、あの中国語独特の四音は使い分けできなくて満足にしゃべれませんでした。
現地では英語が通じずにほとんどが「筆談」、これは日本の漢字でもニュアンスがわかってもらえました。

私がよく行った、武漢からさらに車で約3時間ばかりの洞庭湖のほとりに工場がありました。
海老専門の工場でしたが工場長はどうも現地で何やってたかわからないおっさんで「私は共産党ではないよ」と言っていました。
彼は総経理(中国では社長)と言われていました。
工場の敷地内では海老加工の工場が2棟あり、まったく別々の管理をしていました。
1つは私が依頼している淡水のエビ、つまり手長海老を扱いますがもう1つはザリガニを加工していました。
ザリガニなんかもう日本人は食べなくなっていますが戦前は貴重なたんぱく質の補給源として普通に食べられていました。
田んぼにもふつうに生息していたのです。
フランスでは「エクルビス」と言われオマール海老に匹敵する高級食材なのでこの工場にはフランスの商社の人間が張りついていました。
余談ですがザリガニは文字通り「カニ」であってカニ種でありエビではありません。
このフランス人がやはりフランス人で工場の若い職工に「ボンジュール!マドマゼル・・ごきげんいかが」と愛想を振りまいていました。
化粧っ気もまったくない田舎の姉ちゃんに何ちょっかい出してんだかと内心は思っていましたが日仏友好とここは外国なので問題は起こしたくありませんから何も言いませんでした。

このザリガニ工場は国際規格ISO取得で衛生的にもHACCAPも認証されたかなりお金がかかった工場でした。
入場するのに頭からすっぽりと宇宙服のような白い制服に身を包みますから外見では誰かわからないのでID(認証カード)を下げていました。
もちろんエアコンはばっちり効いていますから暑くはありません。
ここには現地の若い姉ちゃんが200人ぐらい働いていました。
私の手長海老工場は今だから言えますがブルースリーやジャツキー・チェンの映画に出てくるようなぼろっちい、みすぼらしいたたずまいで入口から中が吹き抜けで一応はステール製の作業台がありますがエアコンなどなくてとても暑く、おまけにホースから流れる水で絶えず作業所内(もう工場とは言えない状態)は湿っていました。
作業は生活に疲れたような近所のおばちゃんが何の愛想もなく(暑いので)Tシャツ姿で二の腕出して黙々と50人ばかりが海老の選別とパック詰め、出来あがったら冷凍庫に運ぶ作業の繰り返しでした。

海老が湖から上がってくるのが夕方ですが日中はすることがないので事務所で工場長とぬるい中国ビールを飲みながら中国将棋をして時間をつぶしているのが多かったように憶えています。
工場長の方もザリガニ工場に近寄れば人間的に軟派でも仕事ではお堅いフランス人にあれこれ要求されるので私のいるオンボロの手長海老工場に(避難)してきていました。
「なあ、工場長・・あっちはなんであんなピチピチした娘ばかり働いてこっちはおばさんばかりなの?」
「お金よ、賃金の差があるのよ、シャオチェ(小姉)は高く雇うのよ」
「工場もあっちと比べると御殿とスラムぐらいの差があるよ」
「お金よ、フランス人は高く買ってくれるから設備投資しているのよ、あなた高く買いなさい」
「この国は共産主義じゃないのか、大切なのは人民の福利厚生でしょ」
「お金よ、この国ではお金で手に入らないものはないのよ」
実際、長く滞在したら中国に反日なんて無いのがよくわかります。
(しかし親日でもない、悲しいが拝金主義が蔓延していて人はお金儲けならがむしゃらに働く)

1ゕ月して手長海老も港湾まで運ぶ準備が終わり、また来年と工場を出るときにフランス人が「ジャポネ、国に帰るのか、奥さんによろしく」とか言ってくれましたが彼らは社交辞令でも必ず女性絡みだと思いました。
(会話は英語で交わしました)
ここ5年以上、中国には行っていませんがおそらく内情は変わっていないでしょう。
ただ、問題は表面化していると思っています。










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