ゆうすけブログ
日本横断運河計画
数日前にfbお友だちの投稿とおしゃべり(コメント)を眺めていたら日本海に面した福井県敦賀から琵琶湖のほとり・近江塩津まで運河を作って海運を行うという構想があったと囁かれていました。
口々に「ウソー」とか「そんなの知らなかった」とコメントがありましたが私は以前、仕事柄、滋賀県と福井県の交通政策を調べていた時に関係の文献を見て存在を承知していました。

もう平清盛の頃に遡りますが敦賀津から笙の川を通って疋田に出てから七里半越えを掘り進み塩津までを結ぶ全長約19キロの運河構想でした。
ただ当時の土木技術ではついていけないこともあったようで構想はとん挫したままだったようです。

時代は進み、1960年代の高度成長が緒についた頃にこの琵琶湖運河構想から更に飛躍して日本横断運河、正式には「中部横断運河構想」が持ち上がります。
文字通り日本海から太平洋まで中部圏を貫徹する運河を造るというものですが日本海から琵琶湖までは前述のルートで琵琶湖から岐阜の揖斐川を利用して25キロ、伊勢湾まで掘り進むという壮大な計画で総延長は108キロでした。
建設目的としては太平洋側から韓国、ロシア向けのタンカーが山口県・福岡県の関門海峡廻りより約20時間ほど時間短縮が図れること、琵琶湖の水害対策、それに海の無い岐阜県が海運の要衝となることなどでした。
この(岐阜県が)というところにこの計画のすべてが隠されていたように思えるのは裏で(オモテで?)音頭をとっていたのが当時の岐阜県選出の衆議院議員・自民党幹事長・大野伴睦氏だったからです。
ライバルの河野一郎氏が亡くなってから急速に党内を掌握し実力者として自民党に君臨していた頃です。
その剛腕は地元に新幹線・岐阜羽島駅を一撃でつくらせるなど縦横無尽でした。

大野氏の要請(強制?)で愛知県、三重県、岐阜県、滋賀県、福井県の5県でパシフイックコンサルタント社に分担して調査を依頼、その5県の知事と名古屋・四日市・敦賀の3市の市長を加えて「中部運河建設促進協議会」が1962年(昭和37年)に設立され、更にその5県選出の国会議員により「中部運河建設促進議員連盟」を結成、会長に大野伴睦氏が就任しました。
会長から国に要請して調査費として予算1000万円が計上、今の貨幣価値なら7~8000万円ぐらいでしょうか。
大野先生は「私の政治生命を賭して運河を建設する」と表明されました。
ただ、後世の我々が知っているように平成の世になってもこの話はもうぴくりともしていません。
1964年(昭和39年)に大野氏が急死し指導者が不在となり、折からの海運不況が始まりその経済波及効果が疑問視されつつ計画はお蔵入りとなりました。
現在では建設土木の国家的プロジェクトを一個人が先導していくのはどだい無理がありますが、この流れはそれから田中角栄氏にしばらく引き継がれます。
「日本列島改造論」として。




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