ゆうすけブログ
信濃の人
10月初めての朝は曇天。
なんでも台風18号が日本列島に接近してきているらしいとのことで滋賀でも天候が荒れ模様です。
この夏はまったく台風が来なかったのに今になってビュンビュン来ます。

先週のNHK大河ドラマ「真田丸」では戦国武将・真田昌幸が大往生されました。
この草刈正雄さん迫真の演技もさることながら私は昌幸という人物に興味があり、好きなタイプの武将です。
加えて徳川家康はそうも好きになれないタイプで関ケ原の合戦の時に石田三成から「石田殿!ご加勢いただきますよう」とか言われたら親戚ではありませんが西軍についていただろうなと思いながらテレビを観ていました。

徳川を2度も破った真田というよりも昌幸恐怖症が家康には根強くあったようで後年、豊臣家を滅ぼす戦「大阪冬の陣」を起こした際に「真田、大阪に入城!」と告げられ顔面蒼白となり「親か!子か!」と慌てて側近に尋ねたという逸話も残っています。
実際にはその時点で昌幸は死去しており息子の幸村が大坂方についたわけですが家康の(昌幸恐るべし)の思いは終生ついてまわったようです。

真田昌幸が信州の人なら文人としてそれから少し下った時代の俳諧師・小林一茶も好きな人物です。
宝暦8年(1763年)6月15日生まれ、文政10年(1828年1月5日)没と資料にあります。
江戸時代中盤から終盤にかけて活躍されたようです。

・雪とけて村いっぱいの子どもかな
・やせ蛙(がへる)まけるな一茶ここにあり
・大根(だいこ)引き大根で道を教えけり
・雀の子そこのけそこのけお馬が通る
・ともかくもあなたまかせの年の暮れ
・我ときて遊べや親のない雀
・これがまあ終(つい)のすみかか雪五尺
・名月をとってくれろと泣く子かな

評などを読むと一茶の句は当時、風雅に欠け田舎俳諧の域をでないと酷評されていたようですが明治になって正岡子規がその鋭い観察眼や風刺の精神に着目し、「松尾芭蕉、与謝野蕪村に並ぶもの」と再評価を試み世に出たようです。
私が一茶に興味を覚えるのはその作品の出来の良さもさることながら何となく信濃の好々爺とした俳人といったイメージが作風から伝わってくるからではなくむしろ評伝などをひもとくと昌幸同様(表裏比興の者)といったしたかかな人物像が浮かび上がってくるからです。

県民性というくくりで言うと間違いなく信州人(長野県人)は真面目です。
教育県と言うのでしょうか、私の大学時代の友人にも数人長野の人がいましたが寒いアパートでもコタツに入ったら朝まで延々と議論をする、それが何よりも楽しみといった実に話好きを通り越して一向に帰ってくれない迷惑な人たちでした。
だから明るい千葉県人やあっけらかんとした愛知県人とは反りがあいませんでした。
滋賀県人の私は誰とも適当に話を合わせていたから下宿の部屋が学生の溜まり場になっていたのを懐かしく思い出しています。







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