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ゆうすけブログ
差別と表現
「差別」はいけないとは今や21世紀に生きる人類の共通認識でしょう。
封建制度の時代と違って民衆主義全盛の社会構築が行われているこの時代に身分や身体的精神的な差別がなされることには強い指弾がおこなわれるのは当然のことです。

ですが私にはどうしてもぬぐえない疑問もあり、万民が平等の権利を有しているのは当たり前として「差別」自体を表現するのにどうして規制がかかったり問題視されるシーンが出てくるのかということに納得しかねないこともあります。
「臭いものにはフタ」という発想に疑問と「表現の自由」を奪うことへの言論の権利意識があるからです。

(カムイ伝)という漫画があります。
1964年から1971年にかけて月刊漫画ガロに掲載された白土三平氏の畢竟のライフワークです。
江戸幕府初期の頃の架空の藩を舞台としてもはや時代劇とは言えない深遠なテーマ(身分制度と差別)についてが描かれています。
あまりのテーマに当時は「ビジュアルは映画を凌ぎ、ストーリーは小説を越えた」と評価されました。
3人の若者を中心として物語が進行します。
〇カムイ(非人)-身分最下層とされる非人部落の村で生まれる、同じ集落の人々が気力を奪われ虐げられている現状に憤り立ち上がる忍者。
〇正助(農民)-カムイの姉ナナ(非人)を妻とした水飲み百姓。賢くて勤勉で慈悲深い性格から人望がある。後に本百姓となり農業の発展に才覚をあらわす。
〇竜之進(武士)-日置藩(架空)次席家老の嫡子だったが父が陰謀に巻き込まれ、お家断絶。非人となり浪々の身と成り果てる才色兼備ながら勇気を忘れない剣士。

最近はこの(非人)とか(部落)という言葉自体を使用すれば下手をすると炎上いたします。
(非人)という言葉に関してはパソコン上で打ち込んでもワード転換できない状況です。
ちなみに私が小学生だった昭和40年代は集落・自治会のことを(部落)と呼んでいました。
放課後、一緒に帰る友だちとミーティングすることを(部落会議)と言っていましたが母が学校でこれを聞いて「何?」と訝しんでいたのを覚えています。
当時は(部落問題)や(部落解放)といった社会問題が一挙に噴出していた頃でもありました。

戻りますが(カムイ伝)は後の忍者もの漫画とその風刺性で一線を画すものでした。
(忍者ハットリくん)のユーモア路線、(忍たま乱太郎)のコメディー路線、(NARUTO-ナルト)や(忍者戦隊カクレンジャー)などのアクション路線とは別物です。
もちろんそれらはそれらで面白いのですが。

(カムイ伝)は身分差別とともに身体的差別とも闘っています。
漫画の中では登場人物が現在で言う差別用語を乱発させます。
めくら・つんぼ・いざり・かたわ・・など。
例えば「これは・・めくらのくせに見えているのか!」というセリフ。
このような(表現)が平成になってからうるさく指摘されるようになり、「これは・・目の不自由な方なのに見えていっらっしゃるのか!」と書き換えられます。
作者の白土氏は作品の中で江戸時代の封建制の成立過程で差別が発生した由来と立ち上がる民衆の闘争を描こうとしているのに余計なお節介規制のために持ち味が損なわれています。
(表現)を変えれば、或いは抹殺すれば本当に(差別)は無くなるのかと疑問を呈したいところです。

身体的表現で興行的に失敗したのはディズニーアニメ(ノートルダムのせむし男)。
同時期にリリースした(アラジン)(ライオンキング)(リトルマーメード)(美女と野獣)(ポカホンタス)などが世界的に大ヒットし映画化舞台化ハリウッドでミュージカル化され大稼ぎしているのに(せむし)という表現がひっかかり、AmazonですらDVDは売っていません。

原作はフランスの文豪ユーゴの(ノートルダムドパリ)。
15世紀、ノートルダム大聖堂に引き取られた孤児であり背中から腰が婉曲したまま直立できない鐘突き青年のカジモドと美しいジプシーの少女エスメラルダの純愛を謳うものです。(最近はジプシーも差別用語だそうです、やれやれ)
内容は高尚であり、(せむし)という放送コードに抵触する表現で葬るには惜しいのか(ノートルダムの鐘)という題名に代わって劇団四季よりミュージカル化されています。

人種差別も憎むべき人類の共通課題ですがやりすぎ感が残るのは(ちび黒サンボ)。
この何とも味があり楽しい絵本が発刊禁止となっています。
最後の場面でヤシの木に登り、トラたちの襲撃をさけるサンボの周りをぐるぐると回り過ぎたトラたちがバターになってしまい、持ち帰ったサンボの家でママがホットケーキを焼いてくれるくだりなどは本当においしそうで気に入った逸話なのにここでも(差別と表現)に触れているそうです。
どうも(ちびと黒)がいけないようです。
肌の色が黒い人、白い人と色で差別が行われた時代は世界史の中でも暗黒的に捉われています。
私たち日本人などの東洋人も白人種から「イエローモンキー」とか言われていた頃もありますが現在では少なくとも公の場でこのような差別的発言をすればその人の知性を疑われることになりかねない程度の合意形成はあります。

さて、縷々延々と書いてしまいましたがここまで目を通していただいた方に真意は伝わったか自信はありません。
(差別の心)と(表現の自由)は果たして同一に論じるものでは無いにしても「罪を憎んで人を憎まず」で表現だけに魔女狩りを進めても世の中から差別は根絶できないのではないかと考えますがいかがでしょうか。
















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