ゆうすけブログ
平成を生きてきて
今朝の読売新聞の一面を観て驚いたのは今上天皇があと2年後の2019年にご退位あそばされ、皇太子さまが即位され新しい年号に代わることが発表されたことです。
もともと天皇陛下が一昨年ごろからご退位のご意向をお示しめになられており、政府内や国民の間でも様々な議論が進んでいたところでしたので(とうとう決まりましたか)という気持ちです。

そうなりますと平成も30年というひとつの区切りで次の御代に移行するわけですが陛下のご健康上のこともありますから寂しいですがいたしかたないと思います。
紙面を観て(平成もあと2年残っているものの、どんな時代だったかな)と考えていました。
私は昭和40年生まれで昭和という時代を23年間生きてから平成ですから自身の半生を考えますと平成の生きざまの方が長かったわけになります。

私が子どもの頃、明治の産まれの方が「ワシは明治・大正・昭和と3時代を生きてきたんじゃ、すごいだろ」と自慢されていましたがとうとう私も3っの時代を生きる切符が手に入ったとミーハーとは思いますが喜んでもいます。
小学生の時の国語の教科書に日本植物学の祖と言われた牧野富太郎教授の伝記があり、「牧野博士は明治に生まれ、大正、昭和と3時代にわたり活躍しました」と書いてあり、子ども心に(すげー)と思っていました。
長生きはするものです。
このご発表を期に皇室の益々のご発展を心より念じておる次第です。

誕生日の次の日に思うこと
改めまして新年おめでとうございます。
昨日はケーキも花束もない誕生日でしたが私にとって一番の贈り物は皆さんのお言葉でした。
これも改めてありがとうございましたと申し上げます。

さて誕生日の翌日、またお正月から縁起でもないことを書き込みますが、「門松は冥土の旅の一里塚」という和歌があります。
お正月は華やかだがみんな年をひとつづつとってそれだけあの世に近づいているんだよという意味です。
この歌、下の句は「めでたくもありめでたくもなし」と続く一休禅師の作です。

私事でまた気恥ずかしいのですが私の子どもの頃、この「死」というものに異常にビビっていてとにかく死ぬのが怖くて怖くてたまらない、死ぬことを考えたら生きる意味を失うぐらいに忌み嫌っていました。
夜中にトイレに1人で行けない、行けばトイレの花子さんが待っていて地獄に引きずり込まれるのではないか、朝までがんばろうという少年でした。
もう究極は「死にたくない、死にたくない、死んでも命がありますように」と近所のお稲荷さんに願掛けに日参していたほどです。
小学校の卒業文集に「将来の夢は?」で「不死身」・・バカです。

私の学校の大先輩で俳優の故・丹波哲郎氏が晩年、霊界研究者を名乗り「死後の世界はある」と声高らかにおっしゃっていたのでお話を聞いたことがあったのですが子どもの頃はTVドラマ(Gメン75)などで颯爽とした演技を見せていた丹波さんがなんで死後の世界を語るようになったんですかと訊いてみれば「子どもの頃から死ぬのが怖かったから」とおっしゃって(私と同じだ)と思ったことがありました。
このことを京都産業大学に行っていた友人に話したら「いいな、俺らの先輩は゛あのねのね゛なんだぜ」というので(どうでもいいやん)と思っていました。

脱線しましたがだからと言って私は死後の世界というものをどうしても信じることはできなくて死んだらただ無に帰すのみと思っていました。
いつだったか仕事帰りに車を運転中、眠くて眠くてたまらなくなり、このままでは交通事故を起こすと思い、急遽路肩に車を止めてシートを倒して寝たことがありました。
30分ほどしてぱっと起きたのですが一瞬、あ、生きてた!と感じたのを憶えています。
あの何も考えることなく眠っていた時間が私にとっては死のイメージかなと。
あれがおそらく永遠・永劫に続くのでしょう。

50才を過ぎてさすがに子どもの頃のように「死」に対して構えることはなくなりました。
これまでに「死んだ方がマシだ」という経験が何度もあり、「生きていてよかった」と思うことが数度ありで死に対して不感症とまではいかなくても特別なものと思わなくはなりました。
死は生の向こう側にあるものではなく表裏一体、(今そこにあるもの)に過ぎなくなったからです。
それよりも限られた「生」そのものを楽しむことの方がより建設的と捉えています。
正月から辛気臭いお話をしてしまいました。
クリスマスケーキに売れ残りはあるのか
今日はクリスマスイブです。
以前から思っているのはクリスマスよりイブの方が盛り上がるのです、日本では。(世界中も)
イブの終わった次の日(12月25日)に街を歩くともうひっそりとしたもので前夜のあの賑わいや高揚は何だったのでしょうかと祭りの後のような寂しさすら覚えます。

さて、これを言うと世のジェンダー論者から袋叩きに遭うので今まではためらっていたのですが女性の婚期をクリスマスケーキに例える話を昔はしていたことがあります。
(12月)24日前のケーキは売れるが25日になってしまったら(売れ残り)というあの話です。
女性も24歳までならほいほい行きてがあるものの25歳にともなれば賞味期限が切れてくるよというとんでもない(今から考えれば)話です。
クリスマスケーキに例えた俗話です。

それを言うなら私が妻と結婚した時には彼女は27歳でしたがすでにクリスマスケーキではなく正月用の餅だったと言えます。
(意味不明の例え)
正月三が日は床の間に鏡餅で飾っていましたが松の内を過ぎた頃にはひび割れてきたので慌てました。
(これは比喩です、あくまでも)

話を元に戻しますと現在では女性の結婚する年齢は30歳を越えてからなど世間にはザラにあり、時には40代もさほど珍しくもなくなる世相でそもそも(結婚しない)という選択も当然あるという昔から考えれば随分と結婚観の幅が広がったような気がします。
(結婚適齢期)という言葉自体がすでに死語となってしまっています。
これも月並みですが晩婚化も日本人の平均寿命が延び続け、男女ともに(特に女性に)経済力がつき、価値観の多様化が進んだからかなと思ったりしているクリスマスイブの今日です。
もっと言えばクリスマスには3種類の人々がいます。
恋人と過ごす人、家族と一緒の人、孤独を愛する人です。
サンタクロースは誰に微笑むのでしょう。

電灯今昔
まいど馬鹿馬鹿しいお話を。
平成生まれの人がもうすぐ30歳にもなろうとしているこの頃ですがいよいよ平成世代が社会の中核になってきたかなと思ったりする半面、最近では私たち昭和生まれの人間が昔を懐かしんだりすると「昭和テイスト」などと言われたりでちょっと心境が複雑です。
思えば私たちもひとつ前の年号世代を「大正ロマン」などと言ったりして懐古趣味として遠ざけていた感もあったりでいつの世も後から来たのに追い越される「後世畏るべし」は避けられない運命かなと嘆息することしきりです。

45才以上の人はおそらく憶えていらっしゃると思いますがLEDも普及してきた最近からはもう考えられないことに昔の蛍光灯はスイッチを入れてから点灯するまでにすごく時間がかかったものです。
部屋にかかった蛍光灯から伸びている紐などを引っ張っても点灯管がチカチカしだして30秒以上かかってやおらパッと電気がともるという風情でした。
なのにトイレなんかにつけられていた白熱灯などはすぐに点くというわけで蛍光灯や白熱電球の違いがわからない当時幼稚園児の私なんかは父に「なんでトイレの電気はすぐに点くの?」と訊いた覚えがあります。
父は「急いでいる時にすぐに点かんと不便やからや」と説明しました。
その時は(ああ、そうか)と納得したのですが後から(なんかおかしい)と疑問がさらに深まりました。

父はよく言えば鷹揚、悪く言えば大雑把な人でしたが残念なことに息子の私もその気質を受け継いでしまっているようでどうも細部に目が届かないことが多くて困っています。

NHK「真田丸」いよいよ最終回
1年間、私を楽しませてくれたNHK大河ドラマ「真田丸」がこの日曜日にいよいよ最終回を迎えます。
幸村の最後はどうなるのか?家族は?真田の庄の人々の運命は?
結末を知りたくて今から居ても立ってもいられない心境になり当日の忘年会は即答で断りました。

来年の大河ドラマは柴咲コウさん主演の「おんな城主直虎」ですがこれにも期待しています。
ところがここへ来て井伊直虎は男だったのではないかと文献上の注文がつきネットなどでは話題になっています。
歴史研究の上では1次資料、2次資料、伝聞など様々な資料を上から横から比べて判断していきますが古代、中世はもとより近世、近代も資料の検討は難しい作業となります。

来年の大河主人公・井伊直虎についての1次資料は皆無、それ以外でも極めて乏しく検証は大変困難な人物とされてきました。
今の浜松市・龍潭寺和尚の「井伊家伝記」により戦乱で男の子が次々と討ち死にし、お家風前の灯で断絶しかかっていた井伊家に後見人の井伊直盛の一人娘「次郎法師」が直虎と名乗り相続、井伊家中興の祖として戦国期を乗り切ったと言われてきました。
私たち滋賀県人にも(ひこにゃん)じゃなく彦根城の井伊家としてなじみが深いドラマになりそうです。

もともと歴史は本当のところがわからないのが想像力をそそり、面白いものです。
近世・近代でも「戦国武将・上杉謙信は実は女だった」とか「維新の英雄・坂本竜馬は存在しなかった」とか「源義経は大陸に渡ってジンギスカンになった」とか「明智光秀は天海和尚だった」など奇説・珍説がゴロゴロしています。
ドラマですから肩肘を張らず、ファンタジーのような感覚で私はいつも鑑賞しています。



小池知事、あなたもか
先日のブログの続きのような内容ですが都議会でも議会(主に自民党)と小池知事の舌戦が続いています。
質問合戦。
小池知事に対して「黒い○○とは誰のことか?」と議員が質問すれば知事は「発言通告になかったことは答えられない」と応戦。
小池知事は場外乱闘では(希望の塾)を立ち上げ「来夏の都議会議員選挙に塾生から出馬したいという人がいる」と議会内での政党政治を牽制しつつ知事与党形成の為の多数派工作に乗り出し、これが自民党都連を刺激しています。

あれ?こんな光景をいつか見たな・・と既視感というかデジャービューに捉われますがそうでしたいつかのK知事が新幹線栗東新駅建設停止を公約して初めて滋賀県知事選挙に出馬した時に議会(主に自民党)と起こった経緯マンマです。

あの時は(もったいない旋風)が湖国を吹き荒れ、3選を狙う現職K知事を倒して挑戦者のK氏が勝利した選挙でした。
もともと現職K知事の3選はおそらく固いと言われていました。
ところが自民党県連はなぜか現職に対して推薦をなかなか出さなかったのです。
選挙は暑い7月と日程決定されており、現職の続投宣言は議会で表明されていたにも関わらず2月になっても3月になっても県連は動きませんでした。
では知事選挙は自民党として誰を応援するのかと党員からブーイングが出始めていましたが挑戦者のKさんから自民党に(推薦依頼)が出ているので慎重にというのが県連役員の答えでした。
しかし、それを主導していたのは当時の県連会長でありました。

結局、Kさんは自民党の推薦獲得を諦め、3月以降は「新駅もったいない」のビラを県内に配布しだしてムーブメントを創ります。
Kさんに政党として推薦を出したのは社民党だけでした。
当時の現職K知事は自民党と政策的に相反するものもなく良好な関係であったにも関わらずこの時、推薦決定が遅れたことは大きく足を引っ張る結果になり、新人Kさんの勝利を呼ぶ結果となりました。
なぜ、このような出し惜しみをしたのか今となっては謎です。

新人Kさんが知事選挙に勝利してわずか1週間で今までの知事与党だった民主党(現民進党)が「民意は新駅反対だった」とあっさりと寝返り、知事与党宣言をします。
なんと変わり身の早い民主党よ!と呆れたのですが残った自民党は反知事勢力とレッテルを貼られ、新知事は対話の会を結成し、塾生から来春の県議会議員選挙に立候補者を擁立すると宣言。
翌春の選挙では自民党はズタボロ負けで過半数割れ、県政始まって以来の革新議長が誕生します。
これは滋賀県におけるK劇場と言われましたが今の東京・小池劇場と似通っていませんか?


議会における答弁協議
師走に入り国会でも地方議会でも議会では質問の日々が続いています。
一般人からみると(あれは何をやっているのか?)と疑問を持たれたりもするでしょうが民主主義は言論主義ですから議場でまた委員会で政治課題を質問したり、答弁することで一歩でも前に進もうとしているわけです。
議員が質問することにより問題が浮き彫りになり行政サイドが対策検討や取り組みを明らかにすれば予算もつき、問題解決につながるということですから大きな前進ですし、議会の質疑には収穫があったとなります。

たまに議員の中には(爆弾男・女?)のようにネーミングされ、政府内事情や県・市町の内部事情とかゴシップに近い形の内容のものを当局にぶつける人もいます。
世の中にはいろんな考えの人がいるわけであり、議会でそのような不確かな内容のものを質問されても議事録に残ったり、マスコミの好餌となって報道されさらに人々の憶測を呼んだりで概して(良い結果)を生みません。
そこで行政当局としてはそのような発言通告(○○について質問すると事前に通告書を出すこと)を受理したらその議員とコンタクトを取ろうとします。
誤解を解き、できれば質問を翻意してくれればいいと意図するわけです。

「あ、○○先生ですか!今回の先生のご質問なんですが一度お目にかかってご相談をさせていただきたいのですが・・」
「私の質問に何かあるのか」
「はい、実は先生のご質問の○○の部分がすでに条例上過去に確定していることがありまして、更に○○については一度高裁で争われた時にも判決が出ており、その他文言についても少し修正をお願いしたい件があり・・」
「失敬な!ケチをつける気か」
「そうではございません、先生のご質問の内容を担保させていただくお手伝いをさせていただきたいだけです」
「直すとこなどないわ、これで質問する!ガチャン!」(実際は携帯電話なのでガチャンなどと鳴ったりしない)

以上のように当局と議員先生の話し合いは決裂・没交渉となりました。
議会を前に首長を囲んで答弁協議に入りますが担当者は「○○議員のこの質問については一切の話し合いを拒否されました、つきましては知事に置かれましては適当にあしらっていただきとう存じます」

議会の質問を傍聴していて首長と議員の質問がまったく嚙み合っていない、チグハグで首長がそっけない態度をとり、質問を早く打ち切ろうとするように見える時はこのパターンが進行しているケースです。

くどいですが議会の質問は行政と立法が互いに適度な緊張感を持ちながら政治としてどこで決着点を見出すのかという作業であり、政治そのものといっても差し支えありません。
誰しもそのような重要な場所でいきなりテーマを持ち出されても即答できるはずもなく、その為に(事前協議)が必要になります。
議員としてはできるだけ丁寧に自分の質問の意図を説明しておき、当局と信頼関係を結び、できればこのように妥協点を出してもらえるかと言質でも頂いておくと完璧です。
もちろんそれは自分たちの住む街の発展や住民福祉の向上に繋がるものでなければ単なる我田引水や売名行為、もっと酷ければ利権と後ろ指をさされることは言うまでもありません。

太平洋の架け橋
安部首相がハワイを訪問し、真珠湾の慰霊祭に参列されています。
この訪問の目的を菅官房長官は「慰霊の為であって謝罪の為ではない」と政府見解をコメントしていますが適切な表現だと評価します。

1941年12月8日の日本軍によるパールハーバー奇襲によって火ぶたを切られた太平洋戦争はその後3年8か月の激闘に至り、日米両国に深甚なる戦争の爪痕を残して終戦となりました。
歴史を特に戦争というものを評価することは大変困難な作業です。
特にそれが自国のことになると尚更です。
ましてや終戦から71年が過ぎた今でもこの戦争の真実はすべてが明らかになっていないのですから。
先日もNHK特番で「戦艦武蔵の最後」というドキュメンタリーを観ていましたがレイテ沖海戦で沈んだ旧帝国海軍の(不沈艦)と呼ばれたこの戦艦が静かに海底で眠っている画像が映り、(まだまだ生々しいな)と思っていました。

アメリカでも次期大統領にトランプ氏が選ばれ、氏が選挙期間に主張していた「日米同盟はアメリカに不公平、日本に応分の負担を求める」という発言から今後の日米関係を懸念する声も多くあがっています。
今朝もネットニュースを見ていれば政治コメンテーターのビル・オライリーが書いた米国でバカ売れしている本、「killing the Rising sun」(日出づる国をやっつけろ)が取り上げられていました。
内容は過激で広島、長崎への原爆投下はもちろん、日本の都市部への無差別爆撃も正当化しているものです。
それならアメリカは非戦闘員への戦闘行為を禁じたジュネーブ条約を批准しながらどう考えているのかとこの本の内容に憤りを感じますがここは冷静にならねばならない時です。

日米同盟は軍事同盟ですからいつかは両国にとってその使命と役割が終わり失効する日が来るでしょう。
ですがその日が来ても日本とアメリカは新時代を迎えて友好的に太平洋を囲む諸国と対話を尽くして付き合っていくべきでしょうし、そうでなければなりません。
「パールハーバー攻撃を日本が謝った代わりにアメリカに日本への無差別空爆の謝罪を求める」などと言い合いをしている場合ではなく、太平洋ひいては世界の平和の為にも日米がより緊密に付き合っていくことが大切なのです。
(憎しみの連鎖)を断ち切っていくことを主眼とした安部首相のハワイ訪問は未来志向で、その意味からも好判断であり、官房長官の「慰霊であり、謝罪でない」という言葉も活きてくると思っています。


疑問・小池劇場は続いているものの
昨夜もテレビのニュースで流れていたのは都議会での小池知事の発言でした。
地方議会ではすでに全国津々浦々で12月議会が始まっていますが取り上げられた小池知事の内容とは「予算編成に関して都議会の゛復活予算゛を廃止する」というものでした。
更には「こんな習慣があるのは全国でも都議会ぐらい」と批判。
あたかも議会(議員)の特権、団体との癒着や汚職の温床のような言われ方でありました。

まず(復活予算)ですが、これは全国の地方議会というよりも予算編成の過程であります。
何も東京だけの専売特許ではありません。
滋賀県にもあります。
もともと予算編成の実務は前年の夏場ぐらいから始まりますが予算(案)という形で協議の過程において何度でも(消滅)したり(復活)したりして最終的には年を越えておそらく1月10日~15日ぐらいに(知事協議)で確定します。
この12月議会中に議会としては各団体や市町さらに住民のみなさんのご意見を集約して(消滅)した予算を何とか(復活)できないかと折衝します。
これが(復活予算)であり、何もおかしな点はありません。
議会は承認機関ですから予算に対して(減額)はできません、できるのは上積み(増額)だけです。
もちろん予算には限りがありますから財政担当から拒否されるケースが多々あるものの必要性に応じて粘るのも議会の役割です。
小池知事が二重に錯覚していると思われたのはこの予算に対する(陳情行為)をこれから議会を通さず、直接知事が聞くと発言している点です。
議会が一定の行政に対する発言権があるとすればそれは承認機関として立法の重みで意見ができるというものです。
これを団体や個人が直接知事に訴えても聞き届けられるのか、いえ、そもそも知事にそんな時間があるのかという疑問です。
よく選挙の時に議員候補者が「私は住民と市政の架け橋になります」と訴えるのもそのような意味からです。

これについても過去に大失敗の事例があり、民主党政権時代に当時の小沢一郎幹事長が全国の要望はすべて民主党幹事長室を通すようにお達しをして政治が全く動かなくなった時がありました。
全国の行政要望は毎年雲霞の如く(失礼)湧いてくるものでこれを政党の一部署でさばけるはずもなかったのですが夜郎自大に陥っていた民主党は理解できず政治停滞によって国民の支持は下落しました。
小池知事もその愚を犯そうとしています。

小池百合子氏は知事選挙出馬の会見でも「当選したら議会解散」など?マークの発言をされていましたが本当に地方政治をご理解されているのか、まだ国会と同じように思っていやしないかと心配になります。
都議会はもちろん二元代表制であり、国会のように与党や野党という構図を押し付ければ迷惑するのは最後は都民です。
劇場型政治は見ている分にはおもしろ可笑しいものですが当事者には何の益もありません。
知事と議会はなれ合いはいけませんが適度な緊張感のもと方向は都民の為と一致して協力関係を築くべきでしょう。
今は都議会も来年の選挙を踏まえておとなしくはしていても終われば政局が待っているようでは何度でも指摘しますが都民の利益となりません。
小池知事も筋の通った問題提議をされることを期待します。

韓国大統領の沈没
他国の政治形態や指導者を無規範に批判するのは如何なものかと思いますが今の韓国の政治指導者はちょっと酷すぎると思えます。
朴槿恵大統領が昨日、自身の身柄を国会に丸投げする声明を出しましたがこれは野党中心で検討されていた弾劾決議逃れからの延命策ではないかと疑われています。
政治的混乱を避けるのなら潔く辞任すべきですがそうすれば大統領権限を失い、即刻逮捕となるのでそれもできないと勘繰られてもいます。
現在の支持率は4%!
これはすさまじく酷いものです。

思えば朴大統領の任期となって韓国は国勢を著しく落としてきました。
あまり詳しくは書きませんが内政面でもかなりの反民主化傾向が出ています。
一昨年の12月には憲法裁判所(日本で言う最高裁)にとある政党を違憲政党審判で引き出し解党判決を出させました。
北朝鮮に同調する趣旨が強いというのが理由でしたが憲政史上始まって以来のことでもありこれは言論弾圧に直結するものと韓国マスコミも強く批判しています。
大統領に批判的な報道をすれば容赦なく名誉棄損罪で訴えるという事例が強まり、これは自由主義諸国の一員として問題があるのではないかと論じられてきました。
我が国の産経新聞ソウル支局長に対する起訴もそうです。
身柄を出国禁止処分として韓国国内に留めるという措置は内外で批判を浴びました。

経済もガタガタです。
今年の11月時点で(火を噴くスマートフォン)のサムスンを始め、現代自動車、SKイノベーション、現代重工業、起亜自動車、GSカルテック、韓国ガス公社など錚々たる企業が大幅減収、あるいは赤字転落と燦々たるものです。
頼みの対中国輸出も21か月連続減と振るいません。
日本には今年早々に日韓通貨スワップ再開を打診してきましたが「告げ口外交」でこれもさんざん(反日)を世界中に触れ回ってどの顔して頼んでくるのかと日本政府もさすがに冷ややかです。

国民からの支持も先ほどのとおりですが特に10代、20代、30代からは支持率0%!
これは呆れるのを通り越して笑える数字です。
ノンアルコール、糖分0%と間違っているのではと思ってしまいます。

2014年4月に起きたフェリー船セウォール号の海難事故でも乗客・乗員合わせて295人という死者を出し、うち250人は修学旅行中の高校生という大変悲惨なものとなりました。
この時に朴大統領は日本の救援申し出を断っています。
(反日)のメンツの方が大切だったのでしょうか。
これで若者の支持が離れたと言えなくもないでしょう。
事実、事故1周忌の追悼式典に合わせて中米への外遊を入れて不参加を決め込んでいたことに批判が集中して慌てて参加するという見苦しさでした。

もちろん現在の韓国では若者失業率が11%超という今世紀に入ってからでは最悪と問題視されるべき状況にあり、朴政権のかじ取りの稚拙さや汚職以外の要因がマグマのように国民感情から噴出していることは多くの識者が指摘されているとおりです。
私も個人的には当然ながら隣国とは仲良く、またお互いに発展していける環境づくりが大切とは思うものの朴大統領の行動を見ていたら残念に感じるものが多いのでとほほとなっています。




NHK大河いよいよクライマックス
今年のNHK大河ドラマ「真田丸」も12月を迎えていよいよクライマックスです。
ドラマや映画、舞台などは演じる俳優さんの力量が問われますが見えないところで大切なのは(脚本)です。
これの出来・不出来で作品の質が大きく変わります。
「真田丸」の脚本は三谷幸喜氏。
2004年の大河「新選組」も素晴らしいものでしたが今年もバツグン、1年を通して楽しませていただきました。
三谷氏の映画も「ラヂオの時間」(1997年)、「ザ・マジックアワー」(2008年)、「ステキな金縛り」(2010年)、「清州会議」(2013年)など傑作が目白押しですが、上手の手から水も漏れることもあり「ギャラクシー街道」(2015年)などの疑問作もあります。
NHK大河ドラマにもそれは言えて三谷脚本ではありませんがあの衝撃のズッコケ作「○燃ゆ」などは放映開始されてからすぐに観なくなりました。
1年を棒にふりました。

「真田丸」も今週の放送は家康秘策のエゲレス製大筒が淀殿(竹内 結子)の寝所を襲い炸裂、多数の侍女が犠牲になったことから真田幸村(堺 雅人)が猛反対するも大阪方は徳川連合軍と和睦します。
そこで家康はしっかり狸おやじぶりを発揮して真田丸はおろか大阪城の内堀、外堀を埋めてしまい、(大阪冬の陣)が終わったところです。
次回からいよいよ最終局面の(大阪夏の陣)が始まりますがこの「戦国日の本最後の大戦」をどう三谷氏が脚本したかが私にとっては関心事です。

史実では大野治長ら家老・近習が(籠城)を主張しますが丸裸の城に籠るアホウはいないと浪人集が徳川方に対して(野戦・要撃)を主張します。
この時点で浪人集がいなければ戦にならない大阪方としては野戦案を黙認します。
ただ、大阪方の二人の軍師・真田幸村と元黒田家家臣・後藤又兵衛(哀川 翔)の「どこで邀撃するか」の意見が分かれます。
幸村は四天王寺、又兵衛は小松山を決戦場に押しました。
四天王寺は大阪城から約4キロ、いざとなると城からの支援(増援)も受けられ徳川軍の動きに柔軟な対応ができるメリットがあり、他方、小松山は城からすでに20キロ離れて孤立無援ながら東から進軍してくる徳川軍も(国分越え)といって大和川を越えて隘路を登ってこなければならず、ここに布陣すれば少数の大阪軍でも徳川軍を各個撃破できる地理でもありました。

当然ながら幸村と又兵衛はお互いに譲らず激しく口論したと伝えられていますが、ここにまたあの大野がしゃしゃり出て四天王寺と小松山にそれぞれ真田軍、後藤軍と分けてしまいます。
古今東西、軍法では敵に対して少数の味方を分けることは「各個撃破」を招き、もっとも避けなければならないのにこの大野は・・いつもいらんことをする奴です。

私はこの時の大阪方は後藤案で行くべきだったと思っています。
事実、徳川は小松山に現れ、6400名の後藤軍にさんざんやられており、もしここに真田軍がいれば勝利していた可能性が高いからです。

ここで私は三谷幸喜氏の脚本を観たいのです。
歴史では真田幸村も後藤又兵衛の策の鋭さに気がつき小松山に進軍をします。
幸村のいる四天王寺から小松山までは15キロあまり、5月6日の夜半2時に出て合戦場に到着したのが手前の藤井村で正午になっていました。
行軍速度は4キロを3時間もかかっています。
神速真田軍としては考えられない遅滞、スローモードでした。
すでに小松山の合戦は終わっており、真田軍はもう一度四天王寺に引き返し、翌7日に徳川勢18万と戦い、家康本陣にまで肉薄する猛攻をみせますが衆寡敵せず東に下がった安居天神境内で割腹して最後を遂げたといわれています。
私としては知将幸村の「小松山謎の遅延」をどう三谷脚本が捌くかが今から楽しみです。




韓国大統領の呪い
表題の「韓国大統領の呪い」は正確には「韓国大統領への呪い」ですが、昨夜ある会合に出席して雑談になり座長が「しかし、韓国の大統領はいつも悲惨な末路を辿るね、どうなってんのか」と話されたので考えてみました。
現在の朴政権も身内びいきが祟って100万人抗議集会などで政権としてはすでにレームダック(死に体)です。
韓国の歴代大統領は建国後、揃いもそろって呆れるほど悲惨というかお粗末な最後を見せつけてきました。
日本で言うと「晩節を汚しまくる」といった感じです。
挙げてみても・・。
初代~第3代 李承晩 選挙不正でハワイに亡命
第5第~9代 朴正煕(現大統領の父)側近のKCIA長官に暗殺される
第11第~12代 全斗愌 粛軍クーデターの反乱首謀容疑で逮捕 光州事件で無期懲役
第13代    盧泰愚 秘密政治資金が発覚 逮捕 懲役17年
第14代   金泳三 次男が収賄 逮捕
第15代   金大中 息子二人が金銭授受で逮捕
第16代 盧武鉱 収賄事件で事情徴収 自殺
第17代 李明博 兄が不正資金で逮捕 長兄も脱税
第18代 朴槿恵 キャビネット主要人物らの公金不正流用疑惑発覚

見事に亡命・暗殺・汚職・逮捕・懲役などよくもこれだけ続くなと呆れますが日本ならおそらく「政治浄化」の名のもとに何らかの対策が取られるところですが韓国にはこの(自浄作用)が働きません。
なぜなのでしょう。

「本当の民主化ができていない」と批判するのは簡単なのですがそれはまだまだ皮相的な観方です。
私は「儒教の影響」または「大統領にかけられた儒教の呪い」がキーワードになると思っています。
もともと儒教はその祖である孔子が広めた宗教ですが2000年に亘り、東アジアで絶大な影響を振るいました。
5大教義の仁・義・礼・智・信は現在の私たち日本人が聞いても「別に悪いこと言ってないじゃん」と思えるのですが儒教には「毒」が隠されていました。

ある国が敵国に攻められて苦戦。
国王は有能な将軍に討伐に出向くよう命令します。
ところが将軍は「行けません」と命令を拒否。
色めく国王に彼は「私の父が病気なので故郷に帰って看病しないといけません」と答えます。
普通なら「何言うてんねん!」と怒るところですが儒教の国では法律・法規より「忠義・孝行」がそれを越えて最高規範となります。
国王は出征命令を押し付けられず他のどちらかと言えば無能な軍人に兵を預けざるをえませんが大敗して国は滅亡という筋書きです。

本家の中国ではすでに影響力が全く低下していますが21世紀の現在でも純粋培養され社会通念として人々の行動規範としてしぶとく生き残っている儒教大国が「韓国」です。
とにかく親や親戚の叔父さん、伯母さんに言われたら子どもとして拒否することができません。
それは儒教の教えに反するからです。
染みついた孔子スピリッツのDNAが命令違反を許さなのです、それが法に触れようが。
もうおわかりだと思いますが大統領という政治的最高権力を得たらこれら家族・友人・知人が群がってきてワシワシと利権漁りをするのを本人が止められません。
閨閥が完全に儒教論理と結びついて社会通念を排斥します。

朝鮮半島では14世紀の李氏朝鮮時代、光宗が儒教に基づく「科挙制度」を導入し、成宗の世には「国子監」、儒教の最高学府を設立して国教として確立しました。
日本にも江戸幕府時代に入ってきて朱子学や陽明学として教えられたのですが幕府の意図としては「将軍の権威に忠実な武士をつくる」でした。
余談ながら儒教には他の毒もあってそれは(商業蔑視)でしたが自分の手を汚さずモノを右から左に動かして利を得る商いを蔑み、「士農工商」という身分制度を作り上げました。
しかし、マックス・ヴェーバーの「プロテスタンティズムの論理と資本主義の精神」を紐解くまでもなく、人は対象物を馬鹿にするとそれを得られないという原則が働きます。
女性を馬鹿にする男はもてない、家庭を馬鹿にすれば離婚、政治を馬鹿にすれば不満の呪縛から、お金を馬鹿にすれば貧乏に。
明治維新になり日本が近代化に成功したのは中国や韓国(当時は李氏朝鮮王朝)のように科挙制度を導入せず、儒教を立身出世の必須科目にしなかったこと、つまり毒に侵されていない人が大勢いたことが幸いしました。
今も韓国の受験競争は世界で一番激しくて、いい成績を収めて有名大学に入り、財閥系企業に就職できないと一生お先真っ暗という価値観が社会に横溢していると問題になっています。

韓国は縦社会と言っても家や閨閥が強すぎる。
このような悪い政治的見本をこれ以上国際社会に見せつけない為には韓国は儒教の「呪縛」または「毒」から解き放たれる必要があるのではないかと個人的には考えます。
そうでなければいくら大統領が代わっても同じことの繰り返しでしょう。

社会を支えるのも楽じゃない
私の知人がこぼしていたのは妻に死に別れた父親と2人で住んでいるが朝、自分が出勤する時に父はテレビを観ていて、夜に仕事が終わって帰宅しても観ている・・父は一日中テレビ漬けになっているのではないかと心配していました。
そう言えばわが身にも思い当たるフシがあって最近、テレビの視聴時間が増えてきたかなという自覚があります。

今朝もテレビを観ていたら「犯罪被害者支援センター」の取り組みが報道されていて、広島のお好み焼き店に強盗が入り、店のご主人と奥さんが刺殺された悲惨な事件があったようです。
そのご子息が現場を発見してしまいかなり精神的に参ってしまったところセンターを紹介してもらって裁判の付き添やカウセリングを受けて「闇夜に一筋の光がさした」と感謝しておられる映像がありました。
ただ、センターの現状では5年前に比べれば相談数が約3倍となり、人出もかかる、研修費ももちろん、相談者への訪問の交通費もそれなりに増加となり、慢性的な財源不足を嘆いているようです。
これは広島県だけではなく全国的に同じ傾向でまず「活動財源の確保が必要」とアンケートに答えているセンターが9割を超えているという現状から社会的必要性が増しているにも関わらず活動費の捻出に苦しんでいる窓口の思いが浮き彫りになっていました。

これは類似したケースとなるかも知れませんが運転免許の更新に行くと窓口で「交通安全協会」への入会を勧められます。
私も免許取得した20代から毎度の更新の際には会費を払ってきました。
この会費の額も都道府県によって違って確か滋賀県の場合は現在、3年1000円・4年1200円・5年1500円だったと記憶しています。
私が毎回の更新時に感じることは協会への会費納入者がだんだんと少なくなってきたかなと思えることです。
世の中は決して景気がいいとは言えなくて皆さんもできる限り不必要と思える出費を抑えようとされている心境は私もまったく同じです。
協会に会費を払わなくても別に免許更新に支障は生じません。
知人に「会費を払わなかった理由はなに?」と訊いても「別にメリットがないじゃないか」と返答があります。
確かに個人としてのメリットはないかもしれませんが協会が行っている交通安全啓蒙活動は交通教室の開催や収入印紙の委託販売事業、自転車の反射シール配布事業などなかなか民間では行えない社会活動を展開していることを考えたら私は3年に1000円ぐらいは出そうと思っているだけなのです。
「今だけ、自分だけ良ければいい」という風潮がもし社会に蔓延してくれば随分と殺伐とした世の中になるのではないかと心配もします。
みんなの悩み
私の精神状態またはバイオリズムが下降線を辿っていて今日も愚痴になることをお許しください。
また、お食事中の方またはこれから1時間以内に食事をされる予定の方はお目通しを控えられるようお願いします。

私は新聞・雑誌の悩み事相談欄などが好きで自分も(若きウェルテルの悩み)や(ハムレット)のように人生をくよくよ生きて来ましたから他人が悩んでいる姿を見てかえって(悩んでいるのは私だけじゃないんだ)と安心するというか、納得するというかのうじうじした性格の持ち主です。
そのような中で日々愛読しているのが読売新聞の(人生案内)です。
投稿者は人生における様々な悩みを紙上で開陳して回答者が大学教授や弁護士さんなど社会的立場がそれぞれにある方々で一家言持っておられてやさしく悩める相談者に答えていくというスタイルです。
相談の内容は仕事や家族関係、恋愛など多岐に渡っていますがどうも家族間の悩みが5割ばかりを占めている感じです。
やはり基礎的生活基盤である(家庭)は一筋縄ではいかないのだと思います。

2016年11月21日の(人生案内)は「私の新車で吐いた夫に冷めた」でした。
40代前半の主婦、夫が泥酔して買ったばかりの車の中で吐き、一気に愛情が冷めたと相談。
夫の顔を見るたびに吐いている姿が目に浮かび、一緒に食事をするのが苦痛になったと訴えられ、それからは別々に食事をするようになったと言われています。
あの日を思い出すと離婚したいと考えてしまうと締めくくられていました。(山梨・I子さん投稿)

記事を見ての正直な感想は(こんなことで離婚されたら男って悲しいね)でした。
それなら私も妻からすでに100回ばかり離婚されているでしょう。
私たちの結婚式の時に親戚のおじさんが「夫婦生活は長い航海、晴れの日もあれば嵐の日もあり・・・」と挨拶してくれていたのを憶えていますがその時は(またぁー一般論言っちゃって・・いるんだよね、こんな教訓おじさんが)などと不遜極まりないことを式中に考えていました。
結婚してから10年はエーゲ海をクルーズしているようで順風満帆、ところが次の10年に入り海が荒れだして5年ばかりは(嵐にしやがれ状態)で家庭という船は右に左にと振り回され難破、破船、転覆、沈没、漂流と進み、ただ今は社会の無人島に命からがら漂着した状態です。
夫婦生活ってエーゲ海と思っていたらいつの間にか魔の三角海域サルガッソーに入ってたのねとよく破たんしなかったなとさえ思っています。

小泉元首相は「人生いろいろ、上り坂があれば下り坂あり、しかし(まさか)もある」と名言を残しています。
自分たちだけは大丈夫と思っていても私の場合も(まさか)がありました。
先のことは自分も読めない人生航路を誰しもが恐る恐ると進むのですがそう考えてみれば人生は深いなと思います。
はい、本日も見事に愚痴になりました。






地域猫についての世間の評価
いささか言い訳から入りますが私の場合、ブログを毎日書いていた理由の一つは「文章オンリーだった」ことによるものです。
写真や動画だと見た瞬間に投稿者の意図を察知してもらえますが文章はそうはいきません。
現代人は忙しい、やらねばならぬ事が実に多い、そのような中でSNS上で見かけた石田某というののブログには何が書いてあるのだ?政治のこと?家族?猫?・・・こいつは分裂症なのかと疑いの念を世間様から持たれた場合、世間から排斥されるのが「怖い」からです。
人間何が怖いといっても戦争・革命・恐慌・飢饉・暴動・・いやいや、それはわが身に降りかかる時はみんな一緒・・根源的な恐怖は(自分一人だけが)村八分・シカト・排斥される・・これが一番怖い・・。
日本は自殺大国ですがおおよその原因は経済的な理由、重篤な病気に悲観して、受験や出世競争に敗れてなどが引き金になっての(孤立化)です。
よくある(金の切れ目が縁の切れ目)とはこのことを指します。
誰にも相談できなくなった、支えてくれる人がいなくなった・・これら人生最後のセフティーネットが外れる瞬間に人は自ら死を選ぶことになる可能性があるようです。

重たい・・重たい話になってしまいました。
こんな事をしゃべりたくてパソコンの前に座ったのではないのですが手が勝手に動きます。(これも怖い!)
話を元に戻して「文章オンリーのブログ」ですから読み手によって私が人格破綻者の烙印を押されるのが怖くて毎日書いていれば(ああ、彼はこのような人間なのだ)と思ってもらえるのではないかと・・「木を隠す時は森に隠せ」と言うではありませんか、そのせいで何処に隠したかわからなくなっても・・・。

本日書きたかったことは今朝のテレビを観ていて千葉県浦安市で市が地域猫について斬新なアプリを提供している取り組みについて思うことを書いてみようと考えたのですがこれから延々と地域猫についてをしゃべると益々人間性を疑われるのでまた日を置いてから書き込むことといたします。
(私は結構ビビりなのです)



知能指数って結局何なんだろう
今まで十数年に亘ってブログを毎日書いていましたが何かルーチンワークのようになり、(もう毎日書くのはやめよう)と思いったったらなぜか心が軽くなり、日々の行動面でも時間ができてきたのでバカボンのパパのように(これでいいのだ)と思っていた矢先に友人から電話があり、「おい、ブログ更新してないけど大丈夫か?」と。
「毎日読んでくれてたの?悪いね」と言ったら、「邪魔臭いから読んでないけど生きているかチエック代わりにな」と返ってきて複雑な心境でした。
私は何?独居老人か?君は遠縁の息子か、見守りか・・。
ともかくこれからは気の向いた時に書く程度にしようと心に決めたのでした。

その友人としゃべっていたらなぜか小学校時代の思い出が蘇ってきて「知能テスト」の話になりました。
そういえば受けたよなって感じで。
学校の説明では知能指数(Intellℊence Quotient)つまりIQを測定するために実施してそれ以外の目的には利用しない、もちろん完全非公表で本人にも結果は伝えないと前説があってから答案用紙が配られた覚えがあります。
そりゃ結果を貼りだしたら大問題になるだろうと思いつつ本人にぐらいには教えてよとも思ったりもしました。
後で概略を聞いてみるとIQの平均値は100で集団としては前後に分布されるがおおよそ130を超えるのが母集団の上位2%。
犬で賢いのなら65ぐらいのがいるので後ろの1%はそれぐらいと言われて(いぬぅ!犬かぁ!あの干支になっている犬!人間なのに犬扱いとは・・・)とショックを受けたのでした。
ウルフマン(狼男)ならまだかっこいいがドッグマン(犬男)なんて全然おしゃれじゃない。

そういえばマイナーな話になりますが昔観たアメリカのTVドラマ「刑事コロンボ」のなかでエピソード「殺しの序曲」(邦題)というのがあり、アメリカのエリート集団で(シグマ協会)という組織があり、ここは知能指数がトップから2%という天才しか入会が認められない会員制クラブなのですがそのメンバーの1人が対立したメンバーを完全殺人で葬るわけです。
頭のいい人ばかりのクラブ内で起こった殺人事件なのですがエリート達が頭を絞っても犯行の方法がわからない。
そこへコロンボ警部が現れ、犯人を追い詰めていくという筋書きでした。

捜査中に犯人がコロンボを見下してある問題を出します。
『ここに金貨が複数枚入った袋がいくつかあります。でもその中の1袋は(ニセ金貨)の袋です。ニセ金貨は本物より(10g重い)です。さて、ここに(ハカリ)が1個あります。このハカリを(1回だけ)使って、ニセ金貨の袋を見つけてください。できますか?』
コロンボ警部の悩む姿をみて犯人は安心します。
(大した奴じゃない)と。
しかし、それは演技であってラストで犯人の殺害トリックが暴かれ、この問題も解かれて改めて犯人がコロンボに脱帽するというオチでドラマが終わります。

この歳になってくればもうIQが小学校の時にどうだったのかなどは実はどうでもいい話になってきます。
かのエジソン先生も教師から劣等生扱いを受け、アインシュタイン博士も落ちこぼれと言われました。
その程度のものです。
それよりも社会に出れば協調性や自主性、また心の指数(EQ)や(稼ぐ力)などが重視される(現実)のなかを渡っていくことになります。
本当の頭の良さなどはなかなか定義が難しいものです。
「知識があっても知恵がない」などと言われてしまうのも(学校秀才)の陥りやすいところです。
結局、知能指数って何なのでしょうね。

サンマは頭から腐る
昨週、知人から「とんでもない条例が市議会で検討されているのよ」と聞かされ、何か?と尋ねたら「共産党の折り込みを見て」と言われ、家に帰って紐で括ってあった新聞の束から探したら・・ありました。

「議員政治倫理条例案」゛市民の知る権利゛を奪う 委員会に提案、即決と表題に。
これは酷いことを議会がやっていると私すら思いました。
(議員の立場で知った、議会情報をみだりに漏えいしないこと、ただし、市が公開している情報についてはこの限りではない)
なんだ!これは?
これは全国で公開されている「全国珍・迷トンデモ条例集」の筆頭をいく内容じゃないかと。

(漏えい)とは何を言っているのかわかりません。
市民の負託で市政のチエックをする為に議会に赴いている議員さんが知り得た市政・議会情報を広報するのはむしろ議員活動の原点ではないのでしょうか。
高島市議会は病んでいるのではないかと失礼ながら思いました。

知っている高島市議会の女性議員さん(共産党所属ではない)に「あんな議会制民主主義を破壊するようなとんでもない条例をなぜ審議しているのですか?」と尋ねてみれば「だって、市長が可哀想じゃないですか」。
あいた口がふさがりませんでした。
こりゃダメだ・・・。

どうも推測すれば6月に議会と市の執行部との間で開かれた「全員協議会」の場で一部議員が監査請求人の名前を教えろと迫り、市長の指示で監査委員会事務局が請求書をコピーして配布したおそまつな事件がありましたがその内容の一部始終が監査請求人たちに(漏えい)していたことに対して今後このようなことがないようにブロックするためにこの条例の追加が行われたフシがあります。
市と議会がこのようなことが起こらないように襟を正すのが大人の態度なのに、今度は市民に情報を公開するなと縛るなど病んでいるのかと議会に言ったのはその意味からです。
二元代表制の一方としての矜持やプライドの欠片も感じられず、厳しく言いますがこれでは高島市議会は(学芸会)です。
市民の代表者としての責務を自ら放擲する重大な権限放棄につながります。
SNS上でこれだけの地元議会批判をするのですから私もそれだけの覚悟もあってのことですがこれは酷過ぎる条例ともう一度言っておきましょう。
抗議は受け付けますが今度は市の職員に言わせたりせず、議員自ら出向いてきてもらいたいものです。
討議いたしましょう。
これでは市の最重要課題だった昨春の市庁舎位置条例問題も議会で解決せず、市民に丸投げとなった(住民投票条例)に賛成して市民に亀裂を入れた軽い判断と議会としての責任逃れもよくわかります。

戦前の権力に阿る(大政翼賛議会)に堕してから日本に民主主義は消え、軍部独裁の政治体制のまま戦争に突っ込んでいった情けない政党政治の成れの果てを知っているだけにこの「議員政治倫理?条例案」には断固反対します、一市民の立場として。
「サンマは頭から腐る」と言われますが「政治は議会から腐る」と議員のみなさんは肝に銘じて日々の議会活動に取り組んでいただきたいと思っています。
この一連の条例についてまともなことを言っているのは共産党だけではないかというところに悲しさを感じます。
13日には市議・市長選挙説明会がありますがこれも荒れそうなのはむべなるかなとしか言いようがありません。



運命の選択
もう10年以上前になるが知人が脱サラしてラーメン屋を始めると言い出しました。
「もう豚骨ラーメンは古い、これからは牛骨や」とのたまい、退職金と貯金を崩し、それに借り入れまでして暖簾を上げました。
「牛骨ラーメン」・・店主は意気揚々でした。
おりしも九州発の「狂牛病騒動」が勃発して、原因はどうやら米国産の牛の骨髄となり世は騒然となりました。
テレビで子牛がよろよろと歩き、いきなりバタンと倒れる映像が流れ衝撃を与えたのです。
知人の店には誰も入りませんでした。
そんな怪しげな、やっかいなものを食べようとするチャレンジャーはいなかったのです。
3か月で廃業となりました。
ちなみにこの時、牛丼チェーンの「吉野家」もアメリカ産牛肉にこだわり、長きにわたって牛丼の販売を中止する羽目に陥いっています。
商売に限らず世の中には常に運・不運がついてまわります。

この知人が不運なら最寄りの幸運を引き寄せたのはトランプ氏でしょう。
もうクリントン氏で決まりというところを最後にメール事件でひっくり返しました。
しかし、民主党というよりもクリントン氏勝利を予想していた政府関係者や投機筋が大慌てです。
これからの世界の政治経済に深刻な影響が出ると論じています。
おそらくTPPはご破算になりますし、メキシコ国境に壁を造ったり、アメリカは内向きの姿勢を前面に出すことになるでしょう。
「世界の警察官」なんてヤメヤメと言い出して、喜ぶのは中国やロシアとなります。
このアメリカの汎アメリカ主義、いわゆるモンロー主義に回帰するのは80年ぶりです。
これから世界中に激震が走ることになります。

大統領選挙中、私はジョン・スタインベックの「怒りの葡萄」を読んでいました。
この小説の中にはトランプ氏を応援しそうな人が大勢出てきますし、なぜ今回クリントン氏が負けたのが納得できる作品でした。


首長と議員のW(同日選挙)は本当にいいのか
私の住む高島市の選挙人は滋賀県選挙管理員会のHPによれば2016年9月2日時点で43、049人、うち男20、765人、女22、284人となっています。
ちなみに人口は2016年10月1日で50、514人と統計にあり単純に2つの数字を割ってみれば43、049÷50、514=0.85となり高島市の全人口に占める18才以下の割合がわずか15%と自治体として思いっきり高齢地域にまっしぐらという現状も見て取れます。
また来年は改選の年となり市長選挙と市議会議員選挙(今回から定数2減の18)が2017年1月22日告示で投票は1月29日と日程は決まっており、説明会は来週行われます。
私がいつもこれは問題ではないかと思っているのは市長選挙と市議選挙が同日に行われることは果たして市民にとってメリットがあるかどうかという点です。

調べてみると高島市以外でも全国なら結構W選挙がある市町はありました。
これは平成の大合併の後遺症とも言えそうですが、私は個人的な見解として高島市の市政と議会の在り方を変える意味では同日選挙は好ましくないと思っています。
まず高島市長選挙でよく言われることは「合併以来4年ごとに市長が代わる」です。
別に市長が勇退や事故に遭ったからではなく現職と新人の選挙になって現職が負け続けている結果です。
これは市議会の選挙が同時に行われていることに原因があります。
普通はスポーツでもそうなんですがチャンピオンの防衛戦ではベルトホルダーの方が圧倒的に有利です。
全国的に見ても市町の現職再選率は75%を超えているという数字もあります。
4回に3回は勝つのです。
では高島市はどうして現職が負け続けるのか。
これは第二次大戦末期の選管いや戦艦大和の沖縄特攻の如く制海権・制空権なしで突っ込むからです。
護衛の市議会議員はみんな自分の戦いで市長を守る余裕もありません。
市長は戦艦大和のように四方からグラマンやドントレス急降下爆撃機にシッチャかメッチャかに撃たれ放題になります。
そしてあえなく撃沈。

よく市長派の選対では「市長を応援する市議会の先生は選挙の際には自分と同時に市長も頼んでください」と言います。
できません。
そんな光景はお目にかかったことがありません。
なぜなら(みんな自分がかわいい)からです。
市議会議員候補が個別に票取りに各家庭を回ります。
その際に「市議会は私に市長は現職の〇〇さんに」と頼むことは非常に困難です。
お願いは1度きり、選択は1回限りの原則で特に人の心は見えないものです。
頼まれた方も市議会はこの人に入れてもいいなと思っても次のハードルで市長は〇〇?嫌だ!となる可能性は少なくとも50%の確率であります。
それなら自分、まず自分を頼むのが当たり前です。
別の人の選挙をしている余裕などないのです。
つまり同日選挙においては市議会の応援は首長に機能しないの法則が成りったっています。

選挙後の市政においても首長と議会の関係において同日選挙は不幸を招きます。
市長も市議会議員も当選して市役所に来ます。
楽勝もあり苦戦もあり首の皮1枚もありで各人各様です。
ただ共通することは(あなたたちに世話になっていない)という心境です。
これはその後の市政運営や議会運営にとても影響があるマインドで人は若い頃自分を引き立ててくれた(恩人)に終生、恩義を感じるものです。(朴大統領の事例をみてください)
首長と議員の間にも貸し借りがないので市長はどうしても議会を軽視します。
次もどうせあなた方に世話にならない・・これは態度に出ます、どうしても。
かくして首長と議会の間は冷え込む構図が形成されていきます。
このあたりのおどろおどろしい人間関係はもっと字数を割きたいのですが面倒なのでやめておきます。

同日選挙の方が選挙費用が安上りでいいのではと考える人もいらっしゃるかもしれませんがもともと民主主義は他の政体に比較して最もコストがかかるようにできています。
そのあたりはケチらないでおきましょう。
それよりも真冬なのに高島市ではデズニーパレードのごとく選挙カーが走り回ってまともな市政議論がほとんどなされない方が問題だと思います。
市長は市長選挙、市議会は市議会選挙でじっくりと訴えを聞いた上で選びたいと思いませんか。
あれでは(興行)です。
みそもくそも一緒といえば怒られるかもしれませんが4年に1度あの光景をみればその後の落ち着きのない市政も想像がつくというものです。
ですから市議会に立候補されるなかで良識派の方には「任期が短くなるが市議会の見識を通すためにも夏場で1度解散した方がいいですよ」と申し上げています。
市長選挙と議員選挙は少なくとも半年は空けた方が高島市の発展的な議論を維持できると私は思っています。






10月終わります
10月が終わります。
今年も残すところあと2か月となりました。
早いですね、月日の流れは。
早くも年賀状を買ってほしいと郵便局から営業が来たり、北海道では大雪が降ったりで秋から一気に冬にまっしぐらです。
野菜も高騰!
スーパー業界に入って30年だが、こんなに野菜が値上がりするのは「何て年だ!」と(小峠調で)友人が叫んでいました。
近くにある平〇堂に行ってもネギ1束がいつもなら100円なのに300円越え、レタス1玉460円Σ(・□・;)・・ニンジンはか細く、小さい・・・。
どうなっているんでしょう。
ハロウインのかぼちゃが貴重品に見えてきました。
そうなると道の駅が満員御礼です。
ここは地場の野菜が比較的いつもの値段で並んでいるからです。
穴場です。
野菜の無人販売・・置いてありません。
修羅場です。
寒くなってきてそろそろ鍋の季節なのに入れる野菜がお肉より高いです。
土壇場です。
困った会社の困った社食
毎日ブログを更新することに疲れを感じ始めた昨今ですがそれでも長年の習慣だったので反動もあって(寂しい)です。
私はテレビを観るといってもニュースかお笑い番組しかチャンネルを合わせませんが先日はコント番組を鑑賞していてネタを考えていました。

(昼時・・とある会社の社員食堂にサラリーマンが2人入ってくる。)
「ああ、今日は何食べよかな、なにせ昼食は我々サラリーマンのささやかな楽しみやからな、迷うわ」
「それでも何やかんや言うて毎日似たようなもの食べてたりせえへんか」
「そやったら日替わり定食なんかどうや」
「それええな、今日の日替わりは何やろ」
「ええ~と、゛気まぐれ社長のリストラランチ゛」
「ええわ、食欲なくなる」
「やっぱ単品ものでさっさと食べよか、煙草を吸う時間も欲しいからな」
「それやったら゛査定がカレー゛」
「やめとく」
「ラーメンはどうや?」
「お!ラーメンいいね、好きやわ」
「どれどれ・・゛本格中華過労三昧゛」
「却下!」
「゛仕事に中丼゛、゛満員電車牛丼゛・・・」
「仕事中毒かい!電車にギュウギュウ・・無理やりやな」
「やっぱ定食かな、゛定年退食゛」
「それがマシかな、消極的選択の帰結ちゅうやっちゃ、それにしとこ」

(食後、サラリーマンのテーブルに給仕がやってくる)
「定食には食後の御飲物がついていますがお持ちしましょうか」
「どんなんがあるの?」
「本日は゛ブラック企業コーヒー゛、゛お客からのクレームソーダ゛、ハーブティーは゛文句を言ったらナキミール゛からお選びできます」
「もういいわ!」
「ありがとうございました!」
(幕引き)

※この投稿はすべてフィクションで実際のものではありません


潮流ーグローバリズムvsナショナリズム
「秋は一雨ごとに深まる」の言葉どおり、一日一日と季節が移っていく様が面白く感じるこの頃です。

さて、先日の米国大統領選挙の恒例であるTV討論ではメディアの評価はヒラリー氏がトランプ氏を圧倒したと評していました。
勢いよくヒラリー氏を批判するトランプ氏に彼女はミシェル・オバマ大統領夫人の「相手が低俗な時にもあなたは高尚に」という言葉を引用して会場から喝采をあびています。
CNNを始めとするテレビ局やロイターなどの通信社、NYタイムズ、ロサンゼルスタイムズ、ワシントンポスト、ウォールストリートジャーナルなどの主要紙は一斉にヒラリー氏に軍配を上げました。

日本でもマスコミはトランプ氏に対して(政治的素人)(キワモノ)(野蛮人)とどちらかと言わずともレッテル貼りを行っています。
ですがトランプ氏とてアメリカでは知られた実業家であり、何度も挫折を繰り返しながら成功した立身伝中の人には間違いありません。
政治経験の有無を問われても過去に俳優出身のロナルド・レーガン大統領やアーノルド・シュワルツネガー氏、クリント・イーストウッド氏と比較しても著しく能力が不足しているとは思えません。
私は今回の米大統領選挙をヒラリー氏に象徴される21世紀を主導してきた(グローバリズム)とトランプ氏が代弁する(ナショナリズム)の激突として非常に注目しています。
全世界の主要なマスコミは概ね(グローバリズム)の波に乗っています。
理由は商業的なことと私は理解しています。
その方がお金になるということです。
ただし、グローバリズムの一環であるTPPはさすがにヒラリー・クリントン氏も米国内の反発を考慮せざるをえず、見直しを表明しています。
日本でもマスコミは今国会でのTPP承認審議について「アメリカを後押しをする先鞭をつけよ」と盛んに世論を煽っています。
まるで戦前の「バスに乗り遅れるな」を彷彿させますが、もともとTPPが米国より持ち出された時に黒船来航の如く慌てていたのは誰だったのかと少し鼻白む思いもあります。

アメリカや日本だけではなく今や全世界でグローバリズムの潮流への抵抗が見られます。
この春にはイギリスがEU離脱を国民投票で決めました。
例によって日本のマスコミは懸念を示していましたがあれは(グローバリズム化陣営)の一員としての立場と理解しなければなりません。
昨年、日本でも「ドイツ帝国が世界を破滅させる」を上梓し、一躍その名を知られるようになったフランスの歴史人口学者エマニュエル・ドット氏は英国のEU離脱を予言したと言われていますが氏は「英国民の選択はポーランド移民問題ではなくブリュセル(EU本部)から議会の決定を取り戻すことにあった」と講演しています。
名誉革命、マグナカルタなど様々な歴史的政治成果を掴んできた伝統ある英国議会の沽券復活が今回の離脱の真相であったようです。
その意味からもこれは立派なナショナリズム派の巻き返しと言えましょう。

いづれにせよ21世紀の政治課題はグローバリズムとナショナリズムの戦いと決まりました。
グローバリズムを信奉して業績を上げてきたマクドナルドやユニクロがここに来て成績低迷に陥っているのもなにも政治問題だけではなく経済にも当然ながら影響を及ぼしているものと考えられます。
どこからでも安く原料を調達して、どこよりも安い人件費の国に工場を建てて、だれにでも仕事ができるようにマニュアル化を進める商品を大量生産、大量販売するビジネスモデルの跋扈が世界を幸せにするのかは甚だ疑問です。
その地域にあった、オンリーワンのものづくりを応援するのが地方再生の第一歩ではないでしょうか。




湖国選挙ー2016年後半
夏の参議院選挙が終わり、滋賀県もようやく落ち着きを取り戻したかと思われたこの秋から県内では2016年後半の選挙が始まっています。
まず湖南市長選挙は現職の無投票当選が決まりました。
無投票当選は候補者のみならずご家族、友人、選対本部と選挙戦が1日で終了するので本音で言えば(ありがたい)ものですが他方、難しい点もあり、1度無投票になれば次の4年後まで選挙民はその候補者の名前を前後ですから8年は投票用紙に(書かない)ことになり次回の選挙実勢が読みづらくなるということがあります。
また、政治家は選挙を通じて強くなるという側面からも1度の楽が次に向けてのトレーニングにつながるのかという心配も出てまいります。
思うに選挙というものは地域のマグマのようなもので激しく揺さぶるように噴火することもあれば無投票のように静かに終わることもありでリズムとサイクルのようなものかもしれません。

同時に甲賀市長選挙が告示されていますがここは4選を狙う現職と新人の激しい一騎打ちとなりました。
どちらも市内はおろか県内でも有名人で実力者ですから注目度の高い選挙となっています。
本来ならこの程度で留めておくのですが今はフリーなのでもう少し突っ込んだことを言わせていただくと激しい選挙ながら合併から失政のなかった現職が後半にかけて地力を出してきたかというのが中間情勢です。
新人は争点の深化と浸透がままならないように受け止められます。

来週からは野洲市長選挙が告示されますがここも現職と新人の激しい一騎打ちが予想されています。
ここは前回が無投票でしたから現職の強みが選挙から1回遠ざかったせいで活かしきれるかが注目されます。
また、新人に思いのほか保守政党がまとまって応援に入ってきたことと、現職が県職員時代に当時の知事との意見対立があって退職していることから今回は当時の知事も熱心に選挙区に入っています。
現職がこれまでのまちづくりの実績をいかに有権者に訴えられるかが勝敗の分かれ目になりそうです。

年は越しますが今後の日程は高島市長選挙と市議会議員選挙の同日選挙が1月に執行されます。
すでに現職は再選を目指す旨を表明されています。
市議会議員選挙は今回から20名の定数を2名減の18名となるものの現状では現職の立候補の意向が固まっている方と返り咲きや新人で合わせて28名ばかりとなっており10名オーバーの大激戦模様です。

2月には東近江市長選挙、3月には米原市長選挙がありますがいづれもすでに現職が再選、3選を目指す旨を表明されています。
こちらについては公式には新人の出馬表明はされていませんがどちらも無投票となる公算は薄いと思われます。



福祉のこころ
3連休も終わり、10月も何となく前半が終了した感じです。
昔なら(ああ・・もう月の半分が過ぎた、売り上げが伸びてない)とか商売人マインドで過ごしていましたが、今は(もう半分きた、残りの半分をこれで過ごせるのだろうか)と消費生活者として生きています。
思えば遠くに来たものだ・・・。
いづれにせよ(生きる)ということはいつの時代でもサバイバルなんですね。

(福祉)というものは誠に大切ながら、一面難しいものだとこの10年思い続けてきました。
バラマキをすれば財政が破たんする、なければ社会が破たんする、受益と負担をどう考えればいいのか、社会でみんなが納得して進めるのはどのように理屈付けするのか、考えるところは多いのです。

これも私の居住している高島市の話になりますがこの4月から条例が改正されて3人目の子どもさんの保育料が無料化になりました。
このこと自体は素晴らしいことなのですが(福祉)全体を見れば多少の問題点が浮かび上がってきます。
3人目なら0歳児でも預かってもらえるとなり、これまでお控えになっていたママさんも保育園に来られるようになりました。
これは政策が意図していることですから当たり前なのですが気になることはそれ以降(条例改正以降)に市内の保育士さんの離職が目立つことです。
もともと介護士と並びきつい割には待遇で報われにくい職業であるとされている保育士ですがこの春から保育現場がより一層大変になり今度は保育士不足が問題となってきています。
少子高齢化の県内トップをいく高島市ですがさすがに少子化だからまだ何とか保育現場が踏みとどまっている面もありながらサービスを供給する側のことも考えないと混乱が生じる例です。

これは高島市と違って少子化どころか子だくさんの滋賀県内のある市(名前は挙げません)ですが高島と違って(待機児童問題)が発生しています。
そこで親御さんの悲痛な願いにほだされて園ではお預かりをされているようです。
ただし、法的には保育士1人がみられる児童数が規定されているので市の担当職員が見回りにくると子どもたちを押し入れに隠すという何とも想像すると複雑な光景があると聞きました。

森鴎外の作品に「高瀬舟」という小説がありますが、苦しんでいる弟の自殺をほう助した罪で島流しになる兄の話を聞くわけですが(福祉)がどこまで手を差し伸べていいのか、どこまでできるのかは政治的課題というよりも今日でも社会問題です。
政治に゛利権゛はあるのか
昨日は列島全体が大雨でこれを(季節替わりの雨)と呼んでいましたが、なるほど今朝からはすっかり秋模様となりました。
昨日のブログで「オリンピック利権」と書いたら「本当にそんなものはあるのか」というお問い合わせもありましたが「ないわけないでしょ」が返答です。
すでに候補地の誘致の段階からIOC内でも行われているのは世界周知のことですし、開催決定から競技設備の建設や運営について様々に蠢いています。
これだけで本が一冊書けます。

(政治に利権は付き物)と小賢しいことを言いたくもありませんが、現実は受け入れる必要がありそうです。
例えばこの間、久しぶりに永田町に行って感じたのですがあそこには国会議員事務所棟である衆議院第一会館、第二会館、参議院会館と3棟がそびえ立っています。
あの建設費を聞いて驚きました。
ちなみに私の隣である長浜市の新市役所が昨年からオープンしましたが建設費は約40億円です。
妥当なところでしょう。
議員会館は400億円その10倍、それも1棟がです、3棟で1200億円!
そんな馬鹿な話があるわけがないと思っても事実ですから仕方がないわけで、あの建物はどう見積もっても1棟100億円から150億円で出来そうです。
つまり1棟あたり100億円はゼネコンとその周辺の゛利権゛として消えたと思えるわけです。

先日から都議会で築地移転問題が論議されていますが小池知事が指摘したのは豊洲市場で青果市場、畜肉市場、魚類市場がそれぞれ違うゼネコン各社によって落札されていますがそれぞれの予定価格への落札率はいづれも95%を超えています。
普通はありえないのですがこれは゛談合疑惑゛の典型であり、立派に゛利権゛の疑いがあります。
オリンピックではこのようなことがないという人はそちら側の方か、精錬潔癖で人を疑うことがない高潔な方です。

ここで誤解を招くかもしれませんが言ってしまうと、「政治にはお金が必要」ということです。
それは庶民である我々が額に汗をたらして家族の為にお金を稼ぎ、一家の食費や教育費、介護費に使うという感覚ではなく、まさに「政治力発揮のためにお金がどんどん出て行く」という感覚です。
家庭収入が共働きで45万円ばかりあると現在では゛中流゛と思える暮らしが何とかできます。
ですがそれはあくまでその家庭内での支出であって税金以外ではたぶんよそへいかないでしょう。
政治の世界はそうじゃなくよそへどんどんいくのです。
また、お金を動かさなくては政治の世界ではのし上れません。
議員報酬だけでは工作資金など捻出できず、はっきり言って(派閥の長)になるなど夢のまた夢で国会議員で居続けるのも難しくなります。
選挙の際の(地元対策費)すら用意できなくなるから選挙になったら足で稼がなくてはならず一か八かの死に物狂いの選挙を戦うことを余儀なくされるからです。
陣笠議員ならそれも仕方がありませんが、当選回数を重ねることができれば二度とそんな博打はしたくないとなれば資金力で制圧しなければならなくなります。
それは個人の贅沢願望などとはかけ離れた政治の力学です。

古の佐藤栄作総理も幹事長時代に造船疑惑でパクられそうになりましたが保守本流の政治家を潰すわけにはいかず、犬養法相(当時)の指揮権発動で政治生命を救いました。
田中角栄氏はまさに典型的な利権政治家と見られていましが裸一貫からのし上るには(金)が武器であったのはしかたがないことでした。
(集金力)で自民党内を駆け上りました。
ですがその氷山の一角である(ロッキード事件)により総理の座は失いました。
中曽根内閣を直撃した(リクルート事件)でも竹下登氏は逃げ切りましたが藤波孝男官房長官は沈没しました。
後に盟友である金丸信副総裁の政界引退も資金稼ぎが表面化した為です。
自宅に金塊がどっさりあったのも金丸氏が個人的に蓄財を考えていたのではなく政治に必要と考えていたと考えられます。

現在でも麻生さんや岡田さんが比較的選挙の際にばたばたせず、地元に帰らなくても当確といわれるのも本人たちの能力が高いとか魅力があるということとはまた別のところで資金バックがしっかりあるということでしょう。
それだけで他の政治家よりも各段にシードされている高校野球に例えるなら(有力校)なのです。
最近ではTPP交渉で活躍された甘利経産大臣がURへの口利きで建設会社から事務所内で現金50万円を受け取った疑惑で閣外へ出ざるを得なくなりましたが、現職大臣たるものがなぜ50万円などの(はした金)を直接受け取るような場所をつくったのかが疑問です。
また検察が本気になったら十分に起訴までいけたのに止まったかも疑問です。
昨日は菅官房長官の白紙領収書を巡って国家で揉めていましたがあの緻密な人がなぜこんなくだらないボロを出したのかが疑問です。

私は別に(金権政治)がいいとは思っていませんが(金)に代わる(権力)、例えば(武)などが取って代わるよりはマシかとは思っています。
所詮は人間社会のことですから人々の欲望を何が満たすかとなれば昭和の一時期のように清廉だが(軍権政治)に戻ればいいとも思いません。
それなら(金)が仕切ったほうが血を見ないだけ平和だなと思っているだけです。










都政の闇・市政の歪み
小池百合子都知事が誕生した時、(これで一波乱あるだろうな)とは予想していました。
歴代を見ても都政に睨みをきかせていた鈴木俊一氏から宇宙人の青島幸男氏は除いて、石原慎太郎氏、猪瀬直樹氏、舛添要一氏の流れから小池百合子氏は完全に(鬼っ子)です。
異端であり、今回の都知事選挙でも従来の都政の本流なら増田さんでしたがこれは(都庁革命)が成功した選挙となりました。

私は森喜朗氏を頂点とする(オリンピック利権)に喧嘩を売ると思っていましたが(築地市場移転問題)、つまり豊洲市場で切り込んできたのは意外でした。
思えば選挙中に市場問題を小池さんが街頭演説していたのを聞き流してはいたものの、あの時点でシナリオはできていたのかと思えます。
小池知事は国会議員出身ですからオリンピック問題のような国政マターの方が情報が入っているからそちらに矛先を向けると考えていたものの築地移転問題に詳しいのならおそらく1年ぐらい前から内情を知るために石原都政や舛添都政に反発する都職員グループ(現役とは限らない)と接近していたはずです。
これがクーデター(都知事選挙)に結びついたのは容易に想像できます。
(市場移転の)一連の問題の中で建築物の下に(盛り土)がされておらず認可を与えた当時の知事である石原氏に公開質問状を送った小池知事ですが従来の都政と都議会(保守勢力)との戦端は開かれています。

さてこれに比べれば世間の耳目がほとんど集まらない私の居住している滋賀県高島市も現市長が環境基準値を超えるダイオキシン類を含む煤塵を神戸市の最終処分場に搬入していて問題となった事件で今年7月に退職者を含む当時の担当していた市職員21人に対して国家賠償法に基づく求償を行いました。
21人対しては合計で700万円、施設コンサルタントには約1100万円でした。
市長はその時の会見で「職員の法令順守の意識の欠如」と厳しく断罪しています。

これに対して21名は連名で「支払う意思はない」と文章で市長宛に送っています。
言い分として「故意や過失ではなく、あくまで市の規定に従ってきたもの、更に今回の求償者の対象が゛不公平゛である」と主張されています。
確かに全国的に調べてみても行政の長が職員にかかる求償を行うケースは誠にレアケースであり、理不尽でもあります。
組織論として考えてみても社長の管理ミスを社員(それも担当していただけの職員)にすべてを負わすのは如何なものかと考えてしまいます。
そこに当時の社長(つまり市長)や担当部長の名がないなら尚更のこと(不公平)と反論したくなります。
現市長は求償を行う前に設備を導入した当時の市長や担当部長に経緯を訊いたのでしょうか。
少なくとも小池知事のように石原さんから攻めなければ世間は納得しません。
市内では単なる弱いものいじめと言われています。

当然、求償ですから議会の決議を得なければなりませんがどのようなわけなのかこのようなへんてこりんな議案が過半数を制して通ってしまいました。
もちろん心ある議員もおられて「昨年もこれら職員に減俸を命じておいてさらに求償とは行き過ぎではないか」と質問されていますが市当局の答えとしては「昨年は市としての指導、今回は法に則っての手続き」と無慈悲なものです。
何度も言いますが指導を受ける側としても上から順にされるのなら納得もできますがこれでは(上の責任逃れの為の犠牲)とされているようで憤りすら感じるでしょう。
一番に責任を取らねばならないのは市長のはずです。

(公僕)という言葉はあまり使われなくなりましたが公務員は常に自分たちの活動原資が税金であることを肝に銘じて動いており、それが市民サービスの基本と心得られています。
市長といっても市民の負託を4年間受けて働いているだけですから考えなければならないのは職員をいかに外に(市民に)向けて働いてもらうかのおぜん立てをすることが一番大切なことです。
職員に対しては市民の為に全力を尽くしてほしい、足りないものは市長である私が手当する、責任も取ると言うのが普通ではないでしょうか。
ですから問題が起こったら職員に求償するなんて無分別なことがなぜ通るのかが私には理解できません。
職員がまさに(萎縮)してしまって挙句に行政サービスが遅滞する結果を招いてしまったら高島市民としても損失です。
市長たるものは内(自分)ではなく外(行政サービス)に職員を誘導しなければならないのです。




再び原発問題
表題の「再び原発問題」と言ったところで私も原発政策にのめり込みたいわけではなく、勉強を進めると原子力発電は本当に難しいということが徐々にわかってきたというのが今の心境です。
原発推進派、反対派それぞれの意見や思想はありますが議論としてみれば双方がかみ合っていないとも思えます。
特に「被爆限度」についての基準があの東日本大震災以後ではぶれまくっていますから議論が成り立たなくなっています。
震災前は「1年に1ミリシーベルト」と言われており、それを基準に議論されていました。
もちろんこれは原発事故等による直接被爆ではなく紫外線からの自然被爆(あくまで放射線としての)であり、食物からも0.5ミリばかりとレントゲンのX線やCTスキャンなどの医療被曝で2.2ミリシーベルト、合算すると日本人の平均として3・7ミリシーベルトから4ミリシーベルトは年間被爆している計算になります。
これはあくまで日本の話であり地球規模で言えば日本より紫外線が多く降り注いでいる地帯もありで一概に規定できないのですが国際的に決められた「我慢できる限界の数値」として「人工的に加算できる放射線量を1年1ミリシーベルト」とすると定義されていました。
これは前述の食料から医療からを除いており、紫外線等の自然被爆の基準です。

これが震災以後わが国では「適度の放射線を受け続けることはむしろ健康に良い」とか「実は20ミリシーベルトぐらいまでは大丈夫」などと科学者からもちんぷんかんぷんな意見が飛び出して混乱が生じています。
おそらくラドン温泉と錯覚しているのと20ミリシーベルトなら原発内部で防護服を着用してメンテナンス作業をしている状況ですから到底一般人と比較してはなりません。
それなら「なぜ被災地の住民は故郷に帰れないのか」とか「今も収まっていない汚染水の海洋流出はどう認識しているのか」など突っ込みどころばかりですが私は原発の(必要性)よりも先に(危険性)について議論を尽くしたほうが健全と思っています。

2011年3月の現場にいてその時に死力を尽くした福島第一原発の故吉田昌郎所長と施設にいた東電社員の皆さんの献身的な災害対応についてはいささかの疑惑ももっておらず、むしろ感謝の念でおりますがそれでも1号機に続いて3号機が爆発していよいよ2号機に危機が迫った時、「もし2号機が爆発したら東日本に誰も住めなくなる」と所員に漏らした吉田所長の言葉をかみしめるべきです。
日本の2000年の歴史の中で陸地の半分に人が住めなくなるなどといった危機があったでしょうか。
2号機爆発による危険性は単純な水素爆発を引き起こした1号機や3号機のようなメルトダウンによる燃料が炉心を突き破って地中に溶解したケースのように、原子炉内の核燃料そのものが飛散したのではなく原子炉建物内に充満していた気体の放射線物質がミストや液体となって飛び出したような軽い事態ではありませんでした。
もし2号機が爆発となれば原子炉ごとの爆発となりその濃度は1号機や3号機のケースと比較にならず、吉田所長の「誰も住めなくなる」は現実のものとなる可能性は十分にありました。
ちなみに2号機爆発事故防止作業中に隣の4号機が爆発しましたがそれは核燃料がプールにストックされていただけでしたから放射性物質の飛散は微量だったとは思います。

福島第一原子力発電所も震災発生から津波が押し寄せることを予測して危機対応マニュアルどおりに原子炉に制御棒を注入して核分裂を停止させています。
それでも炉心内の温度上昇が収まらず、1号機、3号機、4号機が次々に爆発事故を起こしました。
「電源消失」で温度制御ができなくなったのです。
別に津波が原子炉建物を直接破壊したのではなく浸水程度のことで地下に集中していた電源がショートしたからです。
ここに原子力規制委員会や電力会社、もっと言えば政府が長年言い続けていた「原発安全神話」は終焉したのです。
結局、(自己制御)や(多重防御)などは存在しなかったのです。

昨日はお隣り福井県の関電美浜原発3号機が原子力規制委員会から安全審査による合格証となる「審査書」を受理しました。
やれやれです。
ちなみに私の住む高島市の住民の多くは昔から大変、行政について鷹揚な気質でいい意味でご理解が早くて地域として統一感があってよろしいのですが他方、事なかれ主義でもあり自分さえ被害がなかったらいいと思ってしまうことも多々あるようです。
福井県嶺南でもし原発事故が発生しても30キロ圏内には朽木の山の中やマキノ、今津でも人が住んでいないところにひっかかるだけとタカをくくっている方もいるようです。
ですが福島のケースでも浜通りと言われた原発所在地から放射線物質は風に乗って200キロを浮遊して中通りの二本松市や郡山市に落ちているのです。
この放射性物質の煙のことを「死の灰」と呼んでいます。
福島の前にチェルノブィリ事故が25年前に発生して、その25年前にスリーマイル島事故。
わずか4半世紀に1回、地球規模の大事故が発生しているものを「1000年に1度」とか「想定外」とよく言えたものです。
もちろん福1の2号機がもしあの時に爆発していたら「未曽有」の大惨事になっていたでしょう。
先例をはるかに超えてしまうものに。
あの事故であの被害状況であったのは実は奇跡です。
滋賀県としてももっと関係のところと議論をした方がいいと思います。







ノーベル賞は偏っているのか
台風がいよいよこっち(近畿)に来ます。
明日の今頃は暴風圏内でしょう。

さてまた韓国の告げ口おばさんが世界会議の場で突然、日本を加害者とねつ造する従軍慰安婦問題をスピーチに持ち出して各国から轟々の批判をあびました。
この朴槿恵さんは歴代の大統領の中でも極めつけの政治的無能をさらけだしています。
韓国大統領に通信簿があるなら限りなく0点に近い数字です。
経済発展・外交・国土防衛・教育・産業振興・危機対応(セウォール号事件等)すべてダメです。
「漢江の奇跡」を演出したお父さんの朴正熙氏なら70点をあげられますが彼女は不肖の娘でしょう。

さてさて、ノーベル賞が今年も発表の時期になりました。
日本人としては3年連続で受賞者が出ました。
オートファジー理論を発見した東京工業大学の大隅良典名誉教授です。
どうやらがん抑制に道筋をつけられる発見だそうです。
おめでとうございます。

これでノーベル賞の自然科学部門での受賞者は日本では17人になりましたが近年加速度的に(この表現は少し似つかわしくありませんが)出ています。
日本の自然科学部門の研究が世界の最先端に追いついている証左なのでしょうか。
思いかえせば私が子どもの頃、日本人初のノーベル賞を受賞した湯川秀樹博士が世間では「知の象徴」としてもてはやされていました。
湯川博士は原子核内部において陽子や中性子を互いに結合させる中間子の存在を理論化した功績が認められたのですが私の子どもの頃なら昭和45年ぐらいと仮定して博士が受賞したのは昭和24年です。
その頃なら戦後の焼け野原から少しづつ立ち直った日本人も国際的な賞に同胞が栄に浴したと大喜びだったことは想像に難くありません。
でも私が湯川称賛を聞いたのはそれからもう20年以上過ぎた頃です。
何を言いたいのかとなれば「ここ数年は日本でもノーベル賞を取る研究者が続いて日本人も少々これに不感症気味かもしれないがこれはとんでもなく凄いことなんです」ということなんです。

ここであの告げ口おばさんの国のことを考えてみました。
私と同じことを考えていらっしゃる方は結構おられたようでネットで「なぜ韓国からノーベル賞が出ないのか」を検索したらかなりヒットしました。
韓国では建国以来受賞者はただの1人も出ていません。
これは中国でもそうだったのですが昨年(2015年)に1人出ました。
代表的な意見を少しご紹介いたしますと・・。
①ノーベル賞に値する研究がない。(ストレートなご意見ですね)
②論文は英語で書かなければならないが下手。(これについては日本人も言えませんが少なくともスピーチより書く方が向いているのは確かです)
③同じ趣旨の論文なら英語圏の西洋の方が採用されるが韓国は日本人研究家のパクリが多いから。(ノーコメント)
④目先の研究、もっと言えばすぐにお金になる研究しか出来ておらず長期的視野に立った理論構築ができない環境にある。
(これは納得できる意見で台湾籍でありそのことを隠そうとしなかった蓮舫氏が民主党政権時代にスーパーコンピュータ研究を事業仕分けで停めるべく゛2番じゃだめなんですか゛と言い放ったのは有名です、あの頃から反国家的な政治家でした、最近では゛2重じゃだめなんですか゛と言ったとか言わないとか・・)


いろいろなご意見がネットで飛び交っていましたが私は④あたりに落ち着くのではないかと思っています。
別にノーベル賞の獲得数がその国の民度、もっと言えば教育度合に依るものとはさらさら思ってはおらず、もちろん民族的な偏見など一切ありませんが少なくとも中国や韓国ではすぐにキャッシュを生む研究に目がいってじっくりと理論から組み立てる土壌を構築する余裕がないことは指摘できます。

これは同じノーベル賞でも文学部門にも言えて日本からは2人出ていますがかの国からはゼロです。
もっと自国の文化・風土・歴史をゆっくりと表現できる文学者がいてもいいのかなと思ったりします。
ただし、日本でも大江健三郎氏の受賞は私も疑問で何度読んでも意味不明な文章で共通テストで出したら平均点が大きく落ちることは予測できます。
あれがなぜノーベル賞なのか選考委員に1度インタビューしたいものです。
それに比べて村上春樹氏・・今年こそ獲っていただきたいと思います、ハルキストの1人としても。

今日の私のブログを最後まで読まれた辛抱強い方も相当ご不快な思いをされたのではないでしょうか。
いつも思いますが台風の進路が沖縄から九州に入ってそのまま朝鮮半島に行かず必ず右にシュート回転して本州に来るのは気象も嫌っているのでしょうか。(最後にダメ押しで不快なことを書いてしまった)


















議員は一生
やはり台風18号がこちら(日本列島)にぐんぐん迫ってまいりました。
今日も曇天、明日から明後日にかけて天候は荒れると覚悟です。

今日は思い出話を。
私が選挙に初出馬させていただいた時にあるお寺を借りて個人演説会を開かせてもらいました。
近所の方が夜でしたがお越しいただいて境内で地元のためにがんばる、みなさんのためにがんばると訴えていました。
そこへ一人の男性が手を挙げられて「石田クン、選挙に出たからには覚悟が必要だ、受かっても受からなくても生涯その誓いを胸に地元のために奉仕できるか」と言われたのを今でも憶えています。
選挙に出て世間様に訴える以上中途半端はだめだと改めて思った瞬間でもありました。

厳しい選挙でしたが幸い当選させていただくことができ会派はその当時の自民党である(自民党・湖翔クラブ)に所属いたしました。
その当時の会派代表は草津市選出の黒川 治先生でした。
黒川先生と議会でご一緒したのは次の春までのわずか9か月間でした。
翌春の改選を機にご勇退されたからです。

それから3年ほど経った頃でしょうか、ひよっこりと黒川先生が会派室に顔を出されました。
ご無沙汰しております、お元気だったでしょうかなどと挨拶をさせていただいていると黒川先生が「後援会の用事で昨日は東京に行ってね」なんかおっしゃるので「へ!先生、まだ後援会をお持ちなんですか?」と驚いて訊くと「やっぱり政治の道に入らせてもらうとハイ辞めましたとすぐにはいかんよ、いままでのしがらみがあるからね、最低足を洗うのに5年はかかるんじゃないか」とおっしゃいました。
足を洗うのに5年?
まるで反社会的勢力みたいでおっかないなと思いましたが黒川先生のようにかなりの御年まで政治活動をされてまだ完全停止するのに5年とは・・とほほ・・と感じた次第です。

今日の教訓:気をつけよう、政治家は急に止まれない



便利は不便
10月最初の日曜日は何とか晴れたようでアウトドア派の立場に依ればまずは好スタートを切ったようです。
インドア派の私には(晴れの日も良し、雨の日も良し)なのですが。

朝から珈琲カップ片手に何気なく新聞を読み、9月30日に朝ドラの(とと姉ちゃん)涙の最終回と書いてあり、(見逃した!)と悔しがったり、中国の人民元がIMFより特別引き出し権(SDR)を与えられたと知ったりして(これで中国の鼻がまた高くなるな)と憶測したりでいつもの日曜の朝でした。
しかし、夜の大河ドラマは見逃さないでおこうと誓いました。
どうでもいい話なのですが我が家のテレビには番組を選んだら例えば連続ドラマの場合でも毎週勝手に録画してくれる機能がついておりましてこうなるとその時間にお茶の間にいなくても後でまとめて観ることも当然可能なわけです。

そこで思い出しましたが、一昨年(2014年)のNHK大河ドラマは戦国時代きっての参謀といわれた黒田官兵衛を主人公にした「軍師官兵衛」でした。
「この男がいなければ秀吉の天下はなかった」・・かぁ、かっこいい!しびれるフレーズ!
戦国時代フェチの私としてこれは毎週見ねばと当然思います。
配役も官兵衛に売り出し中の岡田准一さん、この方は映画「永遠のゼロ」でも主人公のパイロット役が良かったので期待できるし、私が嫌いな徳川家康は寺尾聡さん、ちょっとつかみどころのない家康を演じてくれるのではと期待し、運命の主人・秀吉には竹中直人さん、私の好きな俳優さんです、織田信長には江口洋介さん、NHK史上最も頭が悪そうな信長を見れそうで期待はふくらみ、父の黒田職隆には柴田恭兵さん、この方は渋い俳優さんで私は大好きです、以前の大河「武田信玄」でも信玄のライバル上杉謙信を演じて超絶した演技を見せていただきました。
いつぞやのガクトより良かったです。

そのように私のマインドはいやがうえにも高まったわけですが間の悪いことに2014年春には統一地方選挙が控えており、とても毎週日曜日にお茶の間でくつろぐということはできませんでした。
選挙に出られた方はご理解いただけると思いますがあれは命を削ります。
もう髪を振り乱し、形相も変わり、体重はぐんぐん減り、骨と皮だけになり(これは言い過ぎ)ともかく必死のパッチでテレビなんか見ている余裕など全くない、こっちが合戦しているのに何が大河ドラマじゃと言えばわかっていただけますか。

(くそー官兵衛あきらめにゃならんか)と思っていたらテレビっ子の次男が「こんな機能がある」と先述の録画撮り機能を教えてくれました。
「これはいい、頼む」と予約録画を頼んだわけです。
時は流れ・・昨年、傷心の私はふと(そうだあの時の録画を観よう)と思い立ち大河ドラマを検索したら(無い!)。
次男に訊いたら「もうとっくに消したで」。
「ええ!」
「だって1年以上保存してたけどまったく観てないから容量がオーバーして邪魔やったし」としれっと言われてがっかり。
諦めですね。

「NHKは人殺し番組ばかり流す」と私の学生時代の友人が批判していましたが(彼もマスコミの人間なのに・・)、冗談じゃないですよ、リアリティですがな。
ミステリィを読むときに(これは人が殺されるからダメ)と思って読む人がいますか?
マッチ箱がなくなったから行方を捜すなんて小説は読む気もいたしません。
人が殺された・・これは大変なことだと感情移入できるから読めるんです。
過去の重大事件でも多くの犠牲が出ている歴史や事実があるからこそ未来に向かってしっかり検証して少しでも愚行をなくしていこうとしているのが編集方針ですがな。(ちょっと興奮して大阪のおっちゃんになってしまいました)
「臭いものにはフタをしろ」で未来はかえられませんで。
現実を直視しなければ正しい推論は得られません。
その意味からもNHKの姿勢は正しい。
私は生涯、視聴料を払い続けます。
く・・日曜日は時間があるから余計なことを口走ってしまいました。





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