ゆうすけブログ
誰かが見ている
昨夜はマキノサマーカーニバルの帰りにあるコンビニに寄りました。
トイレを借りたら「近頃、トイレットペーパーを大量に流し詰まらせるいたずらが頻発しておりカメラで監視しています」と書かれていました。
幼稚ないたずらには困ったものだがカメラの監視は店のはったりだろうと思いました。
トイレと言う場所は個人の究極のプライバシーが発露するところ、これをビデオ撮影していたら今度は店が訴えられますから。

道路を走っていたら目の前にピザ屋さんの宅配バイクが。
後ろに(ドライブレコーダー搭載車)と札が貼っていました。
たぶんですが営業のバイクだとたかを括って後ろから車で煽るような不埒な輩がいるからその自衛手段でしょう。
おそらくレコーダーは搭載していません、これもブラフです。

老人がお一人でお住いのお宅に訪問したら玄関に警備保障のシールが貼ってありました。
「警備保障と契約されてるんですか?」と何気なくお聞きしたら、「最近ぶっそうだからね、でもシールを貼ってるだけ」との返答。

人は誰かが見ているという心理が働いたら悪事の行使が抑制されるのでしょうか。
私の子どもの頃は大人から「悪いことをしたらダメだよ、みんなお天道さまが見ているからね」とよく戒められたものです。
最近は仏教で言う(末法)。
仏さえ見捨てた世に成り果て天道の見守りなど誰も信じないから監視カメラなどがその代わりをしている情けない世になってきているのかと考えてしまいます。
人間は本来、誰もいなかったら悪事を働くことを躊躇しないのか。
これでは荀子の説く(性悪説)丸っぽの社会です。

イギリスの法学者であるジェレミー・ベンサムによると「パノプィテコン」という概念で表しています。
これは監獄で囚人を監視する建築上の仕組みで監視塔を中心とした収容者の部屋を円形に配置すれば監視塔からはすべての牢獄をもれなく監視することができるというものです。
要点は監視者からは囚人を見ることはできるが囚人からは監視塔の内部を見れないことです。
つまり、実際は監視塔に人がいる必要がないということです。
囚人からすると常に監視されている状態に置かれることにより(第二の監視者)が現れることになります。
つまりは(自分)です。
囚人は自らを内面から律する主体(サブジェクト)となっていき社会に順応していくという考えです。

ミシェル・フーコーは自分からこのように社会に進んで適応していく有様に注目して(規律訓練)と呼びましたがこれは軍隊・病院・工場・学校等社会のそれぞれの場所でそれとなく浸透している考え方です。
そこで前段に戻っての疑問ですが「私たちは本当に誰かに監視されないと、評価されないと正しい行動ができないのでしょうか」という思考の袋小路に迷い込んでしまいます。


ビールへのいじめはやめてください
今年の暑さは天井知らずでこれから8月に向かってどれだけ気温が湿度が上昇するのだと恐怖すら覚えます。
こんな蒸し暑い日本の夏を乗り切る大人のたしなみは(ビール)。
この一杯があれば元気に夏を過ごせるという方はもちろん多いでしょう。
昼間の労働で疲れた体と乾いた喉に流れ込む冷えたビール。
想像するだけで喉がなります。
しかし、どうして中国人は常温のぬるいのしか飲まないのでしょう。
マグロ・サンマ・牛肉なんでも日本の食文化を真似して大量消費して資源を枯渇させる達人が冷えたビールだけは手を出さないのは人類のエネルギー量確保の為にはいいのでしょうが。

私はエジプトのピラミッドでもビールがなければ建設できなかったと思っています。
あの酷暑の地で20年から30年かけてつくられたといわれる壮大なピラミッドですが激しい労働を要求される人夫たちの疲れた体を元気にして明日への労働の意欲をかきたてたのも1杯のビールでした。

中世ヨーロッパではビールづくりもずいぶんと研究されてそれゆえに現在のビールとはいえないものも多くつくられ、ある意味バラエティに富んでいるのはいいのですが百花繚乱、支離滅裂となりドイツ・バイエルン王国のウィルヘルム4世が出したのが(ビール法)、正しくは(ビール純粋令)つまり「ビールの原材料は麦芽・水・ホップ以外は使ってはいけません」という厳格なものでこれはEU統合の現在でもドイツでは守られています。
日本では一部、米も使用しています。

さて、本題はこれからで先月からビールの税制が改訂(改正ではない)され、それにともないお値段がまたしてもぐっと上がりました。
それまでは350mlの缶ビール6缶で1000円ぐらいが1200円になりました。
政府よ、庶民のささやかな楽しみをなんだと思っているのか、取れるところから取ろうという発想はいい加減やめなさいと言いたいですが言えずにブログで愚痴ります。
私の知り合いの滋賀県にあるビール工場のある方が「私たちの日々の努力が・・・」と嘆いていました。

それなら発泡酒があるではないですかと言う人もいるでしょう。
その通りで発泡酒や第三のビールはこれもメーカーの努力の結晶で本来のビールの味わいに近くなってきていてのど越しなどはほぼ変わらないので私なんか平日の夜は発泡酒、休みの日は少しリラックスしてビールと決めています。
それでも政府は今度は発泡酒に目をつけ酒税を上げる方針だそうです。
もういい加減にしてくださいと怒り心頭です。
先のビール工場の方も「もういいすわ、好きにしてください」とあきらめモードでした。
取れるところから取るではメーカーのやる気が損なわれ、ひいては日本のものづくり文化が衰退するのではないかと心配です。
事実、軽自動車が税制優遇ゆえに売れているからと言って軽の税率を上げることを検討しているそうです。

「まず櫂より始めよ」の政治テーゼに則り、ビールを購入の際には身分証を呈示して霞が関の役人だったら一般購入価格の10倍で買うことを法律で義務付けすることを提案します。



お友だちのツケ
夏休みにも入って暑い毎日が続いていますね。
夏真っ盛りです。
あ!申し遅れましたが忘れた頃にやってくる元ブロガーの石田です。

さて政治的つぶやきを久しぶりに・・・。
つくづく安部首相は(お友だち運)の無い人かなと思います。
第一次安部政権の時も塩崎さんの官房長官を筆頭に閣僚のほとんどをお友だちで固めた結果、(お友だち内閣)と批判されしかもそれぞれが失言・失態のオンパレードで辞任に追い込まれました。
その轍を踏むまいと思っていると思いきや政権奪回後は慎重な人事でベテランを起用して重厚な政権運営で支持率は高止まりだったのですが昨年の内閣改造はまたもお友だちから火が噴きました。

お友だちのK計学園への獣医学部設置認可問題、M友学園(モロに友です)、更に秘蔵っ子の稲田防衛大臣の数々の失態で最後は防衛省へのシビリアンコントロール疑惑まで招きました。
お友だちは大切にしなければならないのはわかりますが政治とは非常な決断を迫られる日々の連続する積み重ねですからできるならお友だちは近づけ無い方がいいのではないかと思います。
早稲田大学の創設者の大隈重信さんも実は政治家として台頭してきた頃、彼の友人で昔からの友達、震五郎さんという仕事は築地で野菜商を営んでいる方がいました。
大隈さんとはいつも飯を食べ、どこへ行くにも一緒の仲でしたが、ある日その震五郎さんが「ねえ、大隈先生、あっしにも一度でいいから大臣ってやつをやらせてくれませんかね」と頼んだところ、大隈さんは「それはできないんだよ、いかにあんたと私の関係でも、政治はそんなもんじゃないんだよ」と断ったというエピソードが残っています。

安部総理も来月の内閣改造は心して布陣を引いていただきたいと自民党員の1人として願っています。
文明の利器と政治と生活
昨日の七夕は天候を心配しましたが強い夕立があったものの夜空はきれいでした。
梅雨明けの日本列島は今年も暑くなりそうです。
熱中症にご用心です。

今日はお休みを頂いているので朝から1週間さぼっていた部屋の掃除機かけです。
猫が3匹いますから取れる、吸えるで「けっこう毛だらけ猫灰だらけ、我が家の廊下も猫の毛だらけ」です。
NHK朝ドラ「ひよっこ」が時代設定的に昭和40年代に移りましたがちょうど私のオヤジやおふくろがガンガン働いていた頃で(子どもの頃の日本てこんなんだったんだなあ)と少し記憶がスリップしていました。
掃除機をかけながらふと思ったのは(便利だな、掃除機は、これがなかった頃の例えば明治・大正時代は箒にちりとりだから家事も大変だったんだろうな)というものでした。

掃除機に限らずいわゆる(白物)と呼ばれる家電製品、冷蔵庫・洗濯機・エアコン・炊飯器などは私たちの暮らしを便利・豊かにしてくれたものです。
今の生活でこれら無しにはまず暮らし向きが考えられない必需品でしょうが日本のメーカーもナショナル(現パナソニック)、サンヨー(現パナソニック)、日立、東芝、三菱、SONY、キャノン、シャープ、NEC、富士通など数多の企業が家庭用電気製品を世に送り出し人々の暮らしに貢献してくれてきました。
ただ、1990年代頃からそれまでの経済発展途上国(この表現も懐かしい!)より家電生産が猛追を受けてふらふらしていたり、バタンキューも出ているのはご存じのとおりです。

今朝の読売新聞社説に「税収7年ぶり減・成長頼み財政への重い警鐘だ」とありましたが所得税・消費税・法人税の基幹3税が2016年度国の一般会計税収報告でいづれもマイナスになった。
要因の一つとしては昨年から続いた「円高」の影響もあるが予算編成でも政府の税収見込みの甘さが目立ち、歳出面でも高齢化による社会保障費の増大への抑制策や無駄を省いた真に必要な事業への集中が必要と論評がありました。
その通りと思いますが一方で内閣も「有効求人倍率は全国平均で1.49%、これは40年前の高度成長期を塗り替える」と経済政策の成果を喧伝していますがこれも数字のレトリックで生産人口(15才~60才)が年々減少し始めていて社会全体に人手不足感が蔓延し始めてきているからです。
だからと言って介護や医療(医師ではなく医療介護)の現場は過酷な労働条件と低賃金で人出が集まらず常に求人を出している状態でこれを政府が改善しようとすると厚労省ではなく財務省が(社会保障費の増大)を盾に反対するという構図が見えているのです。(厚労省は社会保障が増えた方が省益となる)
だれかまともな国会議員が1人でもいいからメスを入れればいいのにと思ってしまいますがどうでもいいつまらない政争の主役になれば目立つとばかりに目もくれませんし、省庁を敵に回すのも恐いのです。
ですがこれが本来の政治改革であり、国民から負託を受けているものが果たすべき役割です。

昨日、ある個人企業主さんとお話ししていたら「ワシは政治は嫌いや」とおっしやっていました。
その気持ちはわかりますが嫌いでもいいし、100歩譲って(不信)でも仕方がないとは思うものの(政治への参画意識)だけは持って頂きたいと思います。
現在の平和な(世界的に見て)社会ととりあえず個人の人権と自由が保障されている日本が間違った方向に行かないように国民間で議論を重ね、民主的手法でそれを達成していくことが大切と思えるからです。
無知・無関心な大衆の跋扈だけは避けなければなりません。
自戒を込めてそう思います。








1強の時代
7月に入りました。
部屋でじっとしていても首筋から汗が流れる蒸し暑い日本の夏の到来です。
凉を求めて縁側にうちわを持って出ますがすぐに虫が寄ってくるので蚊取り線香は必要です。

都議会選挙は予想通り自民党苦戦です。
4月に行われた自民党本部の情勢調査でもかなり厳しい数字が出ていましたがそれを大幅に塗り替える壊滅的ともいえる結果が出そうです。
やはりⅯ友とかK計学園とか、閣僚の度々の失言が尾を引いたのかと思ってしまいます。
自民党員の立場から見れば(なんで野党はこんなつまらない問題をいつまでも追及するのか)と思わなくもないのですが彼らの側から考えてみればやらざるを得ないといったところでしょうか。

ただ、都議選挙に入ってからの稲田防衛相が応援演説で「防衛省・自衛隊も自民党を応援しています」と言ったのは大チョンボでした。
失礼ながら稲田大臣ほどのキャリアがありながら政治の本質を掴んでいないと思ってしまいました。
これでは国会議員の1期性、2期生はどれぐらいのものじゃと心配になります。
自衛隊員は特殊国家公務員であって政治介入はおろかシビリアンコントロールでその立場を表明することは厳に戒められています。
また有事に備えて当然ながらストライキ権など認められず、国民の安全を守る為の自衛隊であります。
その点、中国の人民解放国軍は中国共産党の為の軍隊であり、治安を守るという名目で天安門で自国民を戦車で踏みつぶすことなんてへっちゃです。
ここを稲田氏は間違えているから自衛隊は自民党の軍隊なんて言い回しをしたと誤解(と信じたい)を受けたのでしょう。
もちろん組合も結成できませんが同じ公務員でも日本教職員組合とか自治労などがなんで認められているのかが私には不思議です。

稲田発言についてはネット上でも炎上していて「ただちに大臣を辞めろ」という意見が目白押しでした。
これについては私がその発言の的確さにおいて注目している作家の八幡和郎氏が「即刻の辞任や罷免はやめた方がいい、外相や防衛相のような対外的な閣僚が失言ですぐさま交代という前例は外交や防衛という観点から好ましくない」という趣旨の発言をされていましたが全く同感です。
少なくとも次の内閣改造までは務めるべきでしょう。

それにしても政治的に自民党1強とか言われて調子に乗らないでほしいというのが前回の下野から政権奪回まで散々苦労した者たちの生の声です。




6月らしからぬ
書くことがないと時候のネタしかありません。
政治や経済もいいのですが最近はどうも触手が動くような事案が無くて森ナントカとかカケほにゃららとかいつまでやっているのかと思ってしまいます。

さて6月らしからぬ晴天が続いています。
6月らしからぬ湿度の低い、さらりとした天候です。

このところ大津方面に出ていますが今朝も自動車を運転して高島市白髭神社を越えて北小松の集落に達したところで琵琶湖を眺めると5~6艘の漁船がすくい鮎漁をしていました。
夏の琵琶湖の風物ですがさて、今夏は鮎の漁獲が大変悪いためにどうなるのだろうと心配しながら眺めていました。
待つ身の辛さと6月の休日
この土曜、日曜と比較的良い天候となりましたが友人に誘われたゴルフを断ってしまいひたすら体力回復に充てました。
昨日は会議や催し物、今日は朝から地元の清掃活動に半日従事、昼からは家でぼけっ~と贅沢です。

昨日の自民党役員会で「本年度は総選挙を想定せず予算を計上しない」と事務局から説明があったのですが・・
私は心の中で(いや、選挙はあるでしょう)と思っていました。
違憲状態にあると最高裁から指摘されていたいわゆる1票の格差問題でも衆院小選挙区の区割りを見直し、改正公職選挙法が一昨日成立したことにより首相が解散権を行使するフリーハンドルを握ったからです。
このまま来年の12月、任期満了を待つとは過去の安倍首相の選挙行動からしてあまり考えられないと思います。
ただ、安倍政権が悲願としている憲法改正についての動きを考えるとさすがに今年度は在り得ず、国会での改憲発議が行われた際に国民に信を問うという形で解散となるのではないかと言うのが大方の見方です。

それにしても国会議員はよろしいなというのが地方議員の言い分です。
政治浪人という言葉がありますが選挙に出て落ちて次の選挙を待つ身でしょうが地方議員にとって返り咲きを狙うとしても丸々の4年間はやはり長いのです。
糊口凌ぎ、家族がいれば批難に耐え、下手したら国会ではなく家族が解散する恐怖に怯えながら地道に選挙活動をする・・これは近代・中世期の布教家たちが体験した(行)です。
4年間ですから比叡山延暦寺の千日回峰行を上回る(1460日回峰)です。

しかも地方議会には地方自治法の議会解散は制度上ありますが99.9%解散はありません。
その点、衆議員は過去のデーターでいくと3年に1回は解散をしており任期満了まで待つ必要がありません。
しかも、途中で参議院選挙に鞍替えとか知事選挙とか地元の市長選挙とかいろいろと選べるバリエーションもあり、知事さんや市長さんにとって落選しても余力を残す衆議院議員は目の上のたんこぶとなります。
その点(くどいですが)地方議員に救済はありません。
まず、党でさえ生活を保障してくれず、先ほどのオプションを取るとしても後押ししてくれるのは個人後援会だけです。
後援会がもうやめろと言うと自動的に政治から引退となります。
荒行です。
前回の地方統一選挙から2年2か月がたちました。
結構長かったです。
あと2年・・長いです・・。
いつの世でも男はつらいよ、待つ身も辛いものです。



6月の雨の朝
6月に入っていよいよ近畿も梅雨入りまじかとなっています。
今朝は雨。
朝の通勤・通学時間に近江大橋を通り、草津イオンモール前を右折して川辺を瀬田駅方面に車を走らせていたらおよそ60人ぐらいでしょうか、小学生の集団登校に出くわしました。
ランドセル姿の小学校低学年たちでしたが傘をさしてぞろぞろと歩いている姿は何ともほのぼのとして心が温まる風景でした。
傘も昔と違って黒や赤だけではなく青色、水色、紫、ピンク、緑と非常にカラフルで雨の中を紫陽花が動いているようにも見えました。
ポエムです。
再訪ー琵琶湖の味
昨日の福祉施設イベントで出店の揚げ物調理担当をしていたので様々な食品をつまみ食いしていました。
もちろん揚げ物ばかりですが自分で揚げて熱々をつまむのはなるほど旨いものです。
よく主婦が家族の食事を用意する際に作っているだけでお腹がいっぱいになると聞かされていましたがデマでつまみ食いをしている事実が判明しました。

コロッケ、から揚げ、手羽先、ポテトと揚げては口に運び、「うわ!アチ、アチ、ウマ、ウマ」とか言っていましたが数ある揚げ物の中で私が一番旨い、これは感涙ものの揚げ物と感じたのは(稚鮎の天ぷら)でした。(または若鮎)
他を断然引き離してのダントツの文句なしの1位です。
小麦粉の衣でさっくり揚げた稚鮎をさっくっと齧れば鮎独特の香味とほろ苦い旨味が交互に押し寄せてきておやじ発言になりますが、「う~ん、ビール持ってきて」と言いたくなります。
やはり天婦羅は肉系よりも魚介の方が私は好きですね。

一般に(五味)と言われ、甘味・酸味・塩味・うま味・苦味を指すそうですが舌にある味蕾から味覚神経を経て脳で味を認識する過程で人間にとって苦味の認識が一番発達しないようです。
子どもが「苦いのいやだ」と言うのはなるほどお子ちゃまだな、君たちにはまだ早いよと大人の余裕をかましてしまうのも苦味がわかれば味がわかると言っても過言ではないからでしょう。
鮎の腸、レバー、サザエなど貝類の肝など幼少期から食べなれていると必然的にグルメがわかります。

その意味から滋賀県人は恵まれていて鮎の食文化に慣れているので味覚が発達しやすい環境にあると思います。((`・∀・´)エッヘン!!)
ただ先日のブログでご紹介したように今年は鮎漁が大不漁で漁師さんが1日琵琶湖の出ても1㎏も獲れない日が続いています。
昨日、揚げていた若鮎も例年に比べてとても小柄でエサ(動物プランクトン等)を十分に摂取できていないと思えるものでした。
今年だけの不漁ですめばいいのでしょうが来年、再来年とこれが続くと深刻なことになります。



琵琶湖の変
早いもので5月も今日で終わりです。
来月はもう梅雨入りが見えていますがなんだか今年の夏は猛暑になりそうな気配があります。
大変です。

県行政の仕事は多岐に渡りますが滋賀県の場合、琵琶湖の水環境の保全と生態系の維持は最重要課題です。
ですが今年の春になって琵琶湖の風物・アユ漁が大不振で例年の漁獲の五分の一も獲れていない様子がテレビ放映されていました。
漁師さんも開店休業状態で「船も出せない」とぼやいている様がインタビューであらわになっていました。
滋賀県も新たに稚鮎10tの追加放流を決めましたが時期は8月後半か9月となるので夏の鮎すくい漁とはまた関係ない措置となります。

テレビで解説していましたがオーストリアの(エクストリアハーデイ)という巨大プランクトンが琵琶湖の中で大繁殖しており、それが食物連鎖で植物プランクトンを捕食するのはまあいいとして巨大プランクトンですから琵琶湖の鮎がそのハーデイを大きすぎて食べきれなくなって食物不足に陥っているとありました。
ハーデイが琵琶湖の動物プランクトンに占める割合は80%以上ということもあって琵琶湖の生態系が変調しているとその報道では言っていましたが真偽はわかりません。
あくまで仮説でしょう。
ただ、我が国はおろか世界でも有数の歴史を誇る琵琶湖の環境を保全していくのは滋賀県民として当然の責務ですから常に湖に目を向けていたいものです。



ある淋しさ
週末に入った今日は良いお天気に恵まれながらも夕方になってくれば少し肌寒さを覚えました。
そのような爽やかな一日でしたから午後から湖北へドライブに出かけました。
長浜の木之本から湖岸を通って右手に陽光きらめく奥琵琶湖を眺め米原まで走りました。

その際に昔見たものが沿道からすっかり消えていることに気が付いたのです。
(無人販売所)
道路沿いに地元の野菜が置かれ、客はお金を入れて取れたてのトマトやキュウリ、ジャガイモなどを買うシステムですがいつの間にかどこにも見当たりません。
道の駅などに行けばこれらの生産者の顔がわかる野菜は同様に販売されているのですが。
農家の方に訊いてみればあれはやめたとのことでした。
お金を払わずに持っていく、ひどい時にはお金すら盗っていかれるというので誰も出さなくなったそうです。
本当なら悲しい、淋しい話です。
人と人との信頼に拠っているちいさな絆が否定されたような気分になります。
男の一生
「女の一生」はギ・ド・モーパッサンの小説ですが「男の一生」と言えば誰を想像するでしょう。
私はミーハーですが007ジェームズ・ボンドです。
スパイ映画007シリーズは大好きでビデオやDVDを借りてきてよく観たものです。
わけても3代目ボンドだったロジャー・ムーアさんが好きで彼のユーモア溢れるボンド像に男の余裕や優しさを学ぼうとしていた中学・高校生時代の私がいました。

今朝(5月25日)の朝刊を開いて驚いたのはロジャー・ムーア氏の訃報でした。
また一人私のヒーローが逝ったという感慨。
享年89歳。
今まで勇気を与えていただきありがとうございます。
ファンとしてはもう一度スペクターと対決して頂きたかったのですが。
どうぞ安らかにお眠りください。



スクランブル熊
今日の内容は滋賀県高島市にお住いの方しかピンときませんので予めご了承ください。

本日は市の防災無線が鳴りっぱなしでした。
朝から晩までそれこそひっきりなしです。
市民としては何があったのか?もしかしてミサイルでも飛んできたのかと五月晴れの青空を見上げて恐怖におののいている人もいました。

「防災高島市です、今朝○○時に今津町宮の森公園で子熊が発見されました、周囲をご通行の方はくれぐれもご注意ください」
「お昼の○○時に今津町大供で子熊が発見されました・・・」
「夕方○○時に今津町○○で熊が確認されました!」
ともかく熊・熊・熊・・他に何か変わったことはないのかと思わず突っ込みたくなるほど熊日和でした。

人々は「今年の春は子熊がたくさん生まれたそうな」とか「冬眠から覚めた熊は恐ろしぞ」や「子熊の近くには母熊が必ずいるので気をつけろ」などを口々に囁いていました。
ここで不思議なこと、違和感を覚えられる方もいらっしゃるでしょう。
なぜ今津町ばかりなのかと・・・。
山間部で言えば朽木地域やマキノ地域でも熊目撃情報が挙がってもいいじゃないかと。
いや地名で言えば熊野本がある新旭町や熊谷さん発祥の地・安曇川町、棚田で有名な畑地区など山間部を擁する高島町でも熊が出没する可能性はまんざらでもないのになぜ今津町ばかりなのか?
タネ明かしをしましょう。
それは自衛隊の方々が見つけているからです。
総じて陸上自衛隊基地がある今津町周辺の目撃情報が多く集まることになります。

ミサイルで思い出しましたが昭和40年代から50年代前半にかけて日本海福井県の越前海岸でまるで神隠しにあったように海岸を散策していた人々が突如として消える怪事件が連発しました。
現代の怪奇大作戦かウルトラQかと騒がれましたが犯行は朝鮮民主主義人民共和国による拉致であることが判明しました。
その際に滋賀県で同様の事件が起こらなかったのは自衛隊の存在が大きかったと言われています。
犯罪抑止力としての、災害緊急対応力としての自衛隊の力を舐めてはいけないのです。
もちろん本筋はあくまで国防と言う崇高な使命であることに余念もありません。


人生は一篇の小説
暖かいのだか肌寒いのだか何だかわからない日が続いていますね。
こんな時は体調の調節(なんか変な言い回しですね)がうまくいかない方も多いのではないかとご自愛をお願いしたいものです。

さて「人は誰しも一本は小説を書くことができる」と言われます。
2本目はわかりません。
3本目も4本目もどんどん書ける人はベストセラー作家になれます。(なります)
ですが1本目(1作目)は自分の人生・体験談を書けばすごい小説になります。

「人に歴史あり」と言われているように特別有名人でなくとも人として成長してきて社会のハードルを越えていったり、落とし穴にはまったりとさながら障害物競走のような人生が誰しもに用意されているからです。
自分が競技に参加している時に他人の走り方に興味を覚えるのはあながち不自然ではありません。(むしろ覚えるでしょう)

初恋・仲間・恋愛・友情・勉強・受験・就職・結婚・昇進・左遷・子育て・介護・倒産・借金・失業・離婚・再出発・務所暮らし・闘病・・・
楽しいハッピーなことや打ち砕かれる絶望がさざ波、大波でやってきて笑いと涙と傷心と興奮がなにか混ぜ込みとなって私たちを襲ったり、訪れたりしてきて人は何かを悟ることになります。

「男は失敗談を好み、女は成功談を好む」とも言います。
これは裏返せば男はいつまでも夢を追いかけるので自らの戒めの為に、女は人生の現実を知っているので夢を追いかける為にとも解釈されます。
人生の主人公は自分自身・・そんな真剣な物語を他人は読みたがるのです。




明け方のつぶやき
ここ1週間ばかり真夜中の0時から1時に就寝してもなぜか真夜中の3時頃に目覚めてしまい、もう寝付けなくなり仕方なく起きてしまう日々が続いています。
その時間は当然ながら外は真っ暗で、手持無沙汰なので本などを読んで再び眠気が来ないかと期待したりもするのですが頭だけは妙に冴えてしまっていてもう二度寝などできません。
そうしているうちに今の季節、4時半ぐらいになるとぬばたまの夜は明けてきて玄関先の郵便受けに「ガサリ」と新聞が配達されるのを待って、熱いお茶を入れてから読み始めます。

そうするうちに外がしらじらとしてきて鳥の鳴き声が聞こえてきたり、徐々に遠くから自動車などのエンジン音が響いたりで街の生活始動の空気を感じ始めます。
もしかしたら定年後の生活はずっとこんな調子なのかと考えたりもします。
ただ、日中は強烈に眠くなる時があります。
家にいれば昼寝という選択もありですが野外での対応は困難です。
思うに人間の睡眠や食欲は多分に精神的な要素に左右されており、良く寝たから気分がいいのか、気分がいいから良く眠れるのかと問えば明らかに後者の要因が大きいと思えます。
快食・快眠が精神的・肉体的健康を担保するのではなく、逆で、ストレスフリーな生活習慣・様式によって快眠に誘われるのだとここ1週間の真夜中の目覚めで悟りました。

なお、全世界に向けてこの12年間、つれづれなるままに私のいとくだらない日常をブログとして発信してきましたがそろそろ近々お開きにさせていただこうと思っています。
長年に亘ってのご高覧誠にありがとうございますと申し上げる日が参ったようです。




与党の宿命
昨日は大津プリンスで年1回開かれる自由民主党滋賀県支部連合会定期大会に出席しました。
私も役を頂いていることですから当然です。
今年も会場に入って思いましたが来場者は高齢者層中心で20代は元より30代40代すら目立つ存在、男女比は9対1で男性が圧倒的に多い印象でした。
これを言ったら政治の式典なのですからどの政党でもかなり似た感じのでしょうが自民党はとりわけまだ男社会のイメージが強すぎます。(それも年功序列で)

県連会長の挨拶のなかで「過去の2回の衆議員選挙、平成26年と平成24年は勝たせてもらい、参議院選挙も勝利した、それまでの滋賀県での所属国会議員ゼロが嘘だったような勝ちっぷりだが次に予想される選挙は苦しいと思う」から入りました。
まさにその認識通りだと思いますが有権者が簡単に与党・自民党に支持を与えて下さるかは全く未知数だと私も思います。
確かにその前の民主党による超ポピュリズム政治に騙されたと国民の怒りは再度の政権交代を行い、自民党・公明党の連立政権に託していただきましたが政権再奪還からおおよそ4年半が経過する今、そろそろ評価が固まってくる時期でもあります。

例えば延期を重ねた消費税増税は本当に財政の健全化に資するのか、社会保障の充実の為と言うので認めているが他に無駄な出費はないのか、政治改革の本気度を問われたり、憲法改正議論の中身を尋ねられ、震災復興の進捗を量られたり、安全保障の確実性を担保する立場にあったりで要は(結果)を出さねば納得していただけないのが政権与党です。

しかし、いかに口先ばかりだったことが露見した民主党(現民進党)や他の野党の議会での質問や追及にも言論には言論で正しく応じなければなりません。
例え、結果を出せなかった、選挙に勝つためだけにポピュリズムに走った野党でも失礼ながら言っていることが全く間違いとは思えない案件もあり、そこは謙虚に政策に取り入れ、一部修正を加え、国民福祉向上の為により完成度の高い施策とする必要があります。
また、それだけの度量があってこそ国民も安心して政権を託せるのです。

思い上がりは断じてご法度であり、独断と偏見は選択肢を狭めます。
政権党とは辛い立場ですが同時に結果に反映しやすいのでやりがいもあります。
そんなことを考えながら大津から帰途につきました。







5月の肌寒い日
大型連休も終わり、いよいよ新録の季節、もしかして鮎はしる初夏も見えてくるかもと思っていたらここ2日間ばかりは雨がしとしと降っていてしかも肌寒いです。
花冷えというにも若干季節外れですが早朝や深更には片づけたストーブを思わず引っ張り出したくなります。
日中も窓から外を眺めていると外回りの仕事をしていた数か月は大変だったなと今更ながら感慨にふけます。
雨が降る日は内でがいいですね。
国際間の信義にどう向き合うのか
迂遠かもしれませんが日本の開国時の話をさせて頂きたいと思います。
言うまでもなく江戸幕府が260年の太平の眠りから目を覚まさせられて諸外国と条約を結んだ件です。
まずアメリカと日米和親条約を結びました。(1854年)
次に日米修好通商条約。(1858年)
これにより日本は関税自主権を完全に喪失し、治外法権により日本滞在の米国人への裁判権を執行できなくなるのです。
いわゆる不平等条約です。
これは独立国家として誠に面目が立ち行かない事態でありその後の明治政府は条約改正に躍起になりました。
関税の問題でも現在でさえTPPがあれだけまとまらないのは国家の利益に直結したことだからです。
鹿鳴館でのダンスパーティなどは媚態外交の現れと当時も批判されましたがこれも日本は文明国の一員であると当時の帝国主義の嵐が吹き荒れていた世界情勢にアピールする涙ぐましい努力だったと思います。
当然、アメリカだけで済むわけもなくイギリスと日英和親条約、ロシアと日露通商条約、オランダと日蘭和親条約、フランスと日仏修好通条約、プロイセンとイタリアと・・・・とにかく世界中の当時の列強とは一方的に不平等な条約を結ぶことになりました。

国際ルールに則り、条約の一方的破棄は(戦争)につながります。
当事国としてはそれだけの覚悟がなければ条約破りはできません。
また、国際間信用も無くなり、世界の孤児となります。
日本がアメリカと日米通商航海条約を結び、完全に関税自主権を取り戻したのが1911年と第一次世界大戦勃発の3年前であり、それまでに日清戦争や日露戦争などという夥しい血を流すことをやむなくされていました。
日本人として相当の努力と犠牲の上で平等条約を勝ち取っています。
アメリカとの最初の不平等条約を結んでから実に57年の歳月が流れていました。

日本が結んでいる現在の不平等条約は(日米地位協定)だと指摘されています。
基地の所有権や負担、航路や空路の優先・占有、裁判権の有無(これで沖縄でも米兵による女性乱暴事件などで大問題となっている)など改訂しなければならない課題が多いのは事実です。
同じ第二次大戦敗戦国でもドイツやイタリアは冷戦勃発時に大使館の敷地以外の地位協定は完全に回復しています。
地位協定が正式に結ばれたのが1960年(昭和35年)ですが現在は2017年、ちょうど日米和親条約を覆したのと同じ57年という歳月が流れていますが政府としても憲法改正議論と同時に地位協定の見直しをそろそろテーブルにのせるべきです。

長々とブログで書きましたが今夜にでもお隣の韓国も大統領が決まるようです。
先走りしますが文在寅(ムン・ジェイン)氏の当選がほぼ確実の情勢となっているようです。
この方、1953年の生まれで済州島出身、弁護士・市民活動家・国会議員の肩書を持ち、バリバリの反日家。
私としてはもはや誰が韓国大統領に当選しても日韓の未来志向は前向きに望めない状況なのでどうでもいいいのですが一点だけどうしても気になることがあります。
それは文氏が選挙戦を通じて慰安婦問題をめぐる2015年の日韓合意の見直しというより一方的不履行を訴えていることです。
これを韓国のマスコミは概ね好意的に報道しています。(朝鮮日報・東亜日報・中央日報など3大紙を始めとして)
韓国は朝野狂っているなと私は思っています。
日本でも選挙の公約と言うものは内政問題が主体となりますが、もし外交や安全保障をマターにするなら当時国同士の(交渉を再開する)というところで留めねばなりません。
それを(破る・破棄する)ということを訴えるのは「私が大統領に当選した暁には日本と戦争をします」と宣言しているに等しい行為です。
これを非常識と批判するメディアがかの国にはないのでしょうか。
韓国内では(政権交代)が行われるのだから当然だという意見があるようですが選挙は(革命)とは違います。
選挙は政権に民主的正当性を与える為であって前政権が交わした条約・協定・覚書を当事者同士の話し合いも行わず破棄する行為は革命政権とみなされ日本のみならず全世界中で韓国はまともな民主国家と取り扱われなくなることを覚悟しなければなりません。
日本でも選挙を経ずして政権が交代した明治維新政府が前任の江戸幕府と諸外国との不平等な条約改正に誠実に取り組んだので57年もかかったのです。
これは国際間の常識です。
ましてや選挙を行っている国が何をか言わんです。
韓国の民度を疑われることになるでしょう。
もっと言わせてもらえれば慰安婦問題自体が言いがかりから発生しています。
しかし、これは話し出したら長くなるのでここでは触れませんがそのことをお互いに乗り越えての2015年日韓合意だったはずです。
文新大統領に期待の欠片もしませんが日本人の1人として以上のことは主張します。







地方創生の着地点
GWも今日の日曜で暦上も終わりとなり、みなさんそれぞれの連休をお過ごしだったことと思います。
リフレッシュできた方、世間は休んでいても頑張って仕事をされてこれから休みが取れるという方、人生いろいろです。

昨日もお昼が少し遅くなったのですが何かお腹に入れようと京都十条のガストに入りました。
注文を入れて料理が来る間にもう一度メニューを見ようとテーブルのスタンドに手を伸ばすと『ふるさと納税カタログ』が差し込んでありました。
「どうぞご自由にお持ち帰りください」とも書かれていました。
相変わらずお盛んなことだと少し気分が萎えました。

以前、このブログで(ふるさと納税)は税として極めて不安定な上に徴収原理としての公平性が担保されておらず納税者からみて不公平なものであると批判しました。
その意見は今も変わっていません。
もともと税と言うものは①所得税②消費税の2種類に分類できるものです。
入り口で取るか、出口で取るかの違いで、この(所得の補足)をきっちとしておれば個人が得た収入に更に課税しているのですから法人税や相続税は突き詰めると(二重課税)の批判を浴びることとなります。
それでも日本ではトーゴーサンと言われサラリーマン10割、個人事業主5割、農林水産業者3割という所得捕捉率のアンバランスがある為に(漏れている課税対象)として渋々認めているわけで今後はマイナンバーの活用などで捕捉率の向上も見込めるわけですが同時に二重課税として甘めに見ていた部分の排除も納税者としてはチェツクしておかないといけないと思います。

話が横道に反れましたが(ふるさと納税)と並んで地方創生の目玉と言われているのが(プレミアム商品券)です。
これはふるさと以上に問題がある施策ではないかと思えてなりません。
平成27年12月に滋賀県甲良町の当時の議長がプレミアム商品券購入の制限を大幅に超えた大量買いが発覚して辞任するという事件がありました。
他の自治体でも同様の立場を利用して大量に取得していたという事例は後を絶ちません。
ご存じのように1万円で売られていたとしても1千円のチケットが12枚ついていて2千円お得というのがプレミアムなのですがこのお得幅は(国庫負担)つまり税金です。(国民負担とも言えるでしょう)
買い求める人は朝から行列、ネットでは転売され、抽選に漏れた人は知らないうちに負担させられているというのはどうでしょうか。
これで地方創生に繋がるかと言えば過去の(地域振興券)や(定額給付金)と同じで税金のバラマキ批判は免れないところです。
穿った見方をすれば万が一のデノミ(通貨価値の下落現象)が発生した際の(新円切り替え)までのつなぎとしての社会実験ではないかと警戒している複数の識者からの指摘もあります。
プレミアム商品券が地元商工会と組んで販売されたとしても地元自営業者の売り上げにつながるのならまだしも大半はスーパーや大型量販店に向かうだけですから地域活性化に何ら貢献もせず、更に消費の先食いを起こしデフレに拍車をかけるだけとなります。

地方創生と言うは易し、行うは難しですがもしかして地域住民としては人口減少がこの先にどうしても避けられない現実を認めた上で穏やかにスローに街のありかたを見つめ直して柔らかな着地(ソフトランディング)を考える段階に入ったように思えてなりません。
人が少なくなったから(昔に比べて)活力が無くなると嘆くだけではなく、それでも物質的にも精神的にも豊かに自立していける方法がきっとあるはずです。
政府としてもバラマキなどの対症療法ではなく地方の英知を汲み上げながら仕組みづくりのお手伝いをする気持ちぐらいの方が上手くいくように思います。






ソバ屋がないー大阪駅の現状
大型連休も後半に入り高速道路のUターンラッシュも今日がピークと報道されていました。
昨日はあるイベントに参加の為に久しぶりに大阪に出ました。
最寄りの近江今津駅から新快速姫路行きに乘れば京都で乗り換え無しにそのまま現地に行けるので便利です。
この日は朝食を取らずにいて、さりとて昼食の時間は電車が着いて会場までの移動時間を考えると20分ぐらいなので駅の2階に確かあったはずの立ち食いソバのスタンドでと考えていました。
大阪駅は京都駅などとは違ってホームに立ち食いソバがないのです。

電車は超満員でした。
連休中だから当然なのですが京都を越えて高槻駅や新大阪などはホームにいた乗車客が乗って来れないほどのギュウギュウの乗車率でした。
久しぶりです、関西でこれだけ押し合い圧し合いとなったのは。
大阪駅に着いたのが11時でしたが地下鉄に乗って移動することを考えても食事に割ける時間は25分程度、窮屈なミッションです。
今津を出る時に考えていたように(これは立ち食いソバだな)と観念しました。
立ち食いソバでいい、私は立ち食いマニアなのですからグルメじゃなくグルマンなのです。
それに25分では座って食べる時間がありません、弁当持参ならともかく、注文して料理が来る時間でタイムアウトです。

電車が大阪駅に到着してホームに滑り込み、それまで満杯だった乗車客を吐き出し(私も流れるように)ホームのエレベーターから2階に登ったら我が目を疑うことになりました。
駅が・・きれいになっている・・何もない・・立ち食いスタンドも何もかも・・。
そこは全面ガラス張りの清潔空間であたかもルーブル美術館のガラスの間の如しであり、当然ながら立ち食いなどという庶民の下賤なフードコーナーなどは一掃されているのが私にも一目瞭然でした。
(こんなのは大阪駅ではない)
大阪のもっと庶民的なこてこてのパワフルで遠慮がない親近感が湧くことが全くない、これはどこの街や!と私は叫びたかったです。
これが横浜、百歩譲って仙台や神戸なら私も諦めがつくのですが大阪がこのクリーンさを出してどうするというのでしょう。
街のイメージを考えて駅づくりしてほしかったです。
以前、駅地下でとても好きだった松屋という立ち飲み一串屋さんでウズラの揚串片手にぐいっと生ビールを飲んでいた頃はよかったです。
駅を再開発するからと言って店に立ち退け、立ち退かんと揉めていた頃になんで反対運動に加わらなかったのかと後悔しました。
結局、構内にあるセブンイレブンであんぱんと牛乳を買って柱にもたれながら人目を気にしてむしゃむしゃ食べました。
これでは大阪のしょぼいおっちやん丸出しです。





恐怖の講習
大型連休なので久しぶりに東京で学生生活を送っている長女が帰省してきました。
昨日は京都の親戚の家に遊びに行くというので駅まで車で送ってやったのです。
その車中で娘がおもむろに「ねえ、パパ、私車の免許取ってまだ一度も自動車を運転していないからこのままではペーパードライバーになっちゃうし明日にでも車の運転させて?」と言ってきました。
ガーン!ついにきた。
(娘が免許取ったのは確か昨年の夏に山形の合宿でとか言ってたな・・もう10か月ばかり前にもなる・・すでに十分ペーパーだ。)
続けて「ママがパパが助手席に座っていれば練習していいよって言ってた・・」
その時私の脳裏に浮かんだのはシートベルトやエアバッグのメーカーが実験で車を壁に衝突させて人形がフロントガラスを突き破って飛び出している画像でした。
(あな恐ろしや・・)ああなりたくないと心の声が木霊しました。
「東京は車が多すぎて怖くて運転できないのよね、その点田舎なら安心できるわ」
(それは認識が違うぞ、カントリーロードの方がみんなスピードを出していて深甚な事故が発生するのだ、ましてや今はGWではないか・・他府県の車も多い!)
それでも娘に言われては父親は甘い(弱い?)もので約束をさせられたのでした。

で、今日になってなるたけ安全な場所ということで公道ではなく近くにある今津総合運動公園の駐車場に娘と行きました。
そういえば昔,「恐怖の報酬」という映画を観たっけ?
あれは確かニトログリセリンを積んだトラックを命知らずの男が運送する筋書きだったな・・今日の私はまさしくそれだ、いや、この場合は運転するのは俺ではなく娘だ、娘が火種、ニトロだ、それならニトロが運転するから映画よりシリアス?怖い、怖い・・・。
恐怖の想像は膨れ上がり、留まるところを知りません。
妻も妻で自動車教習所の路上研修車などは教官が座る助手席にはもうひとつブレーキが附いていていざとなったらそれを踏むようになっているのです。
でなければ命がいくつあっても足りません。
娘の無謀を止めるのも妻の役割ではなかったのでしょうか。

シートベルトを締めていざ車を動かそうと娘が「エンジンのかけ方から忘れてしまった」
(ここからか・・・)と私。
「いいか、一つだけ約束してくれよ、パパが゛ブレーキ!゛と言ったらすぐにブレーキを踏むこと、いいね?」
「うん、それでブレーキってどっちだっけ?」
(頭が痛い・・心がしんどい・・)
その後は四苦八苦して運動場の周りの道をゆっくり進んだのでしたが疲れました・・・。



大型連休
5月に入りました。
爽やかな新録の季節です。
ゴールデンウィークの真っ最中ですがこんな日には小難しいことをブログに書かずさらりとしようと思います。
それぞれの大型連休をお楽しみください。
眼精疲労で夫婦喧嘩
私の永年の疑問の一つに「男女の性差による気質の違いはあるのか?」があります。
つまり男だから荒々しいとか活発、女性だから心配性だとか優しい、また母性本能とは本当に存在するのか?などです。
性として男としての鋳型、女性としての特徴的と言える性格が傾向的にあるのかが研究対象でした。(真面目に言ってます)

こんなことを言うのも血液型占いで「A型の人は細かい」とか、県民性比較で「滋賀県人は貯金が好き」とか、国別お人柄で「アメリカ人は大雑把」とかいう類の都市伝説がある一方でなにか男女の性格の違いやものの捉え方、感じ方などには自然科学でも通用する一種の(法則)があるのではないかというのが私の考えでした。
A型でも豪放磊落な人は世界中でも7億人ぐらいいるでしょうし、滋賀県人でも浪費癖の人もいますし、アメリカ人でも神経質な人を私は知っています。
法則としては成り立ちづらく、傾向としても根拠が希薄です。
言いたいことはその人の性格としての特徴、個性ほど明確で興味深いものはまずありえないのでそこを血液型や人種で括るのは無理がありますが、唯一男女の性差つまり(DNAとしての大まかな特徴)はあるかもしれない・・と思ったのです。

なぜこんな疑問を最近なって再び感じたのかは妻とのやりとりからでした。
私は50才を越えても視力はいい方でだからと言って老眼の傾向も見られません。
裸眼で遠近両用であり遠くを見るのにも近くの新聞や雑誌を読むのにも(今のところは)不自由していません。
ただ最近はパソコンの長時間の使用やあまり散歩にも出なくなったせいか遠くの緑を眺めて目を休めることが少なくなったので慢性的な(眼精疲労)に悩まされています。
そこを目薬をさしたり、ブルーベリーのサプリを飲んだり、熱いタオルを両眼の瞼に当てたりで疲れを癒しています。

先日、新聞で気になる記事があったので妻に「これ読んでみて」と渡しました。
おそらく介護の記事だったと思います。
朝の早い時間で妻はバタバタしていて機嫌が若干悪いかなと感じていたのですが案の上というか「こんな細かい字はメガネがないと読めない」と突っ返されました。
私の脳裏にその時に浮かんだ絵面が昔テレビで観たピクサーの映画で「カールじいさんの空飛ぶ家」でした。
冒頭の場面でカールじいさんの若い時からの回想があり、ある女性と出会い、若い二人がゴールイン、結婚して仲睦まじく暮らすシーンが出てきます。
夫婦は年を重ねある日、気がつけばおじいさん、おばあさんになっていました。
ある日カールじいさんが妻に新聞を読んでくれと言うと妻が悲しそうに「私はもうこんな細かい字を読めなくなったのよ、カール」と言います。
それから場面が飛び、妻が亡くなり、カールじいさんが墓標の前で悲しそうに佇んでいるシーンとなります。
私は一瞬でその映画を妻の言葉から思い出したのです。
そこで私の口から思わず出た言葉が「死ぬなよ」でした。
これが妻の逆鱗にふれました。
「なんで朝からわけわからないこと言うのよ!私が死んでもいいと思っているわけ?」ときました。
彼女にすればこの一瞬の「死」という言葉におそらく(過剰に)反応したのでしょうが私とすれば新聞の文字を読めないという事象から(カールじいさん)という過去のデーターを引っ張り出して発言しただけなのにそんなに怒らなくてもいいのではないかと思ったのです。(だいたい説明すれば長くなるのです)
私としては妻に先立たれたらすごく困るのです。
恥ずかしながら私は我が家の下着のある場所すらわからず、財産管理、支払い決済、世間との社交はすべて妻が握っており、近所から「あの家は奥さんでもっているのよね」と言われており、屋台骨が倒れるということは支柱である私が倒れるということであり、ともかくすごくまずいことになるから「死ぬな」という発言が出たわけです、カールじいさんのように。

それを妻の場合は(新聞の文字を読めないとバカにされた)➞(夫は私の死を願っているのではないか)➞(ゆるせない)という思考回路が成立したわけです。
そこで私の冒頭のバカの壁ではなく(男女の壁)はあるのでしょうかという疑問が堂々巡りするわけです。











開いた口がふさがらない
今村雅弘復興大臣が辞任とは言え事実上の更迭となりました。
問題発言、「東北でよかった、むしろあっちだったから」と一昨日都内のホテルで開かれた自派(二階派)のパーティでの発言です。
これには安倍総理がただちに陳謝、電撃的に解任を行った由です。
しかし任命責任を問われることは必定でしょう。

あの東日本大震災を日本人は忘れることはなく、忘れられもできません。
死者行方不明者は18、446名と発表されており全壊・半壊家屋401、885棟、避難者は実に40万人以上(現在でも123、000人以上が避難生活をされている)、停電世帯800万戸以上、断水世帯180万戸以上と自然災害としては我が国始まって以来ともいうべき未曽有の大災害でした。(原発問題は自然災害ではないという意見は当然ながらですがここでは触れません)

今村大臣の言動には復興相としての資質に大いに疑問な点があり、今年に入った1月28日の(原発災害からの福島復興再生協議会)の場で「復興はマラソンで例えると30キロ地点だ、これからが勝負」と挨拶し、同席していた福島県知事から「避難指示区域を解除された地域でさえまだスタートラインにたったばかり、まして解除されていない地域においては・・まだ序の口だ」と反発を受けています。
今月4日に閣議後に行われた会見では自主的避難者の無償住宅使用の打ち切り措置について記者が質問すると切れて「出て行け!」と怒鳴る始末です。
しかも「あれは自己責任だ」と暴言ここに極わまったかのように感じました。
それが極まらず先日の発言、「東北でよかった」です・・・(;´д`)トホホを通り越して開いた口がふさがりません。
都心だったら災害規模がもっと拡大していたということを言おうとしたようですが論点がズレまくっています。
今村氏は経歴をみると当選7回のベテランですが「親の顔が見たい」ということわざから見れば7回も国会に送ってくれた地元選挙民の顔に泥を塗ったようなものです。
東大法学部卒業とありましたが最高学府の権威にも同様の失態で失礼ながら知識はあっても知性が乏しいと判断されても仕方がないところです。

私は別に(正義の味方面)をしたくてこのようなことを申し上げているのではありません。
私の愛する自由民主党の顔に泥を塗ってくれた今村氏に憤っているだけです。
あの2009年(平成21年)の「政権交代」の悔しさをもう忘れたのかと言いたいだけです。
最後の麻生政権の時には国民の支持と流れは完全に民主党(現民進党)に移っていました。
7月21日に解散に追い込まれ、その後の選挙戦を通じて308議席と圧倒的に信任された民主党政権が誕生した時、「もう一度自民党の出番をつくろう」と歯ぎしりしていた人たちの苦労を忘れています。

経済政策が稚拙だとか、官僚の言いなりだとか、外交では失点ばかりだとか言われた挙句に最後には漫画ばかり読んでいるから国会答弁でも間違えるなどと言われる首相や絆創膏を貼って記者会見に出ただけで袋叩きの農水相とかあれやこれやで国民から自民党政治の限界を指摘されまくっていた時に「それでも日本には保守政党が必要です」とマイクを持って演説していても聴衆から腕で大きくバツ✕マークを出されたあの悔しさは忘れられません。

あの時も閣僚の問題発言、失言、暴言がどんどん出ていました。
もっと緊張感を持てと言っていましたが地方組織の歯がゆいばかりの思いは当時の国会議員には届きませんでした。
今村氏は辞任した方がいいです、閣僚だけではなく議員を。
夏目漱石が小説「坊ちゃん」の中で卑怯な赤シャツ教頭をこてんぱんに殴りつけるシーンがあります。
「天網恢恢疎にして漏らさずだ!」
天は悪人を捕まえる為の網を使いますが粗くて漏らしてしまうことがあるかもしれない、だけど悪い行いをしたものは結局は逃れられないという意味だそうです。

後味が大変悪くなりました。
1つだけ嬉しいこともあります。
ネットやツイッターで今村発言の後に「それでも私は東北が好きです、誇りを持っています」、「風土や景色、食べるものすべてがいいです」と多くの投稿があることです。
私のように揚げ足取りではなく故郷への限りない思いを素直な気持ちで表せる人たちが大勢いるのはなんて素敵なことかと感じます。
これだけで日本に生まれてきてよかったと思えます。











ポピュリズムの時代
昨日、トランプ大統領に触れましたが彼が世界のメディアに登場した時は過激な発言から「彼はポピュリズムを煽っている」と一斉に批難されていました。
本当に彼はポピュリスト政治家なのか、それは今後の言動から判断されるべきものでしょうが選挙中に彼が掲げた「アメリカファースト」(アメリカ第一主義)が移民政策や産業転換により貧困層に落下した中産所得層から支持を集めたことは事実です。
これには先進諸国も警戒し「行き過ぎた保護貿易や世界規模での問題を自国の利益のみで図るという姿勢は孤立主義に陥る」と先の大戦の教訓を持ち出しています。

『ポピュリズム』をウィキぺデイアで検索すると「一般大衆の権利や利益、願望、不安、恐れを利用して大衆の支持のもとに既存のエリート主義である体制側や知識人などと対決しようとする政治思想または姿勢。戒めの意味から大衆迎合主義と言われる」とありました。
この記述はギリシャ・ローマ時代からあるようでラテン語が語源となってもともとは(エリート)の対比から(民衆)の意味で発しているようです。

先日、fBでの友人であり社会学者の早川洋行氏から氏の労作である論文「新幹線新駅中止ー地域社会のドラマ分析ー」を寄贈頂き早速拝読しました。
私としても第一線の学者から出来立ての論文を頂くことは初めてであり、しかもテーマが(思い出の栗東新駅)だったものですから大変興味深く読ませていただいたものです。
論調は社会学的に氏の編み出された「ドラマ分析」という斬新な手法を用い、文字通り切り込んであるもので数々の資料と関係者へのインタビューなどを上手く処理された読み応えのある論文でありました。
私も栗東新駅騒動(あえてそう言います)の頃は二次的に関係者の末席にいたように思えますから早川氏には「この問題は今までマスコミに数々取り上げられましたが全体を俯瞰して論じられる資料もなく、この論文によってこれから(栗東新駅問題)を参考にしようとする自治体関係者にはメルクマール(道標)となるに違いありません」と謝辞を送っています。
公正な記述で進められている論文でありましたがその中で珍しく早川氏が手厳しく自らの主張をされている箇所があります。
「有権者はそろそろ、こうしたポピュリズム政治家をポピュリズム政治家として、冷静にとらえるリテラシーを持つべきではなかろうか」(-P111ーL5)。

当時の滋賀県自民党県議団も栗東新駅問題には真っ向から嘉田由紀子知事(当時の)に論戦を挑み、2006年12月定例議会では滝一郎県議(故人)が代表質問に立ち、「議会でも承認されている新駅建設を民意と言って別の方向からひっくり返すという政治手法をとればそれは衆愚政治に陥る」と嘉田知事を批判しました。
これを逆用したのが嘉田氏であり、その後の政治集会や氏の主宰していた「対話でつなぐ滋賀の会」(いわゆる対話の会)の会合では繰り返し「自民党は県民の選挙での意思を゛愚民政治゛と罵った」と選挙民を煽り続けたのでした。
結果として2007年4月に行われた統一地方選挙において自民党議員は結党以来初の過半数割れの惨敗、嘉田氏を支持する地域政党「対話の会」や國松県政時には栗東新駅賛成を表していた民主党(現民進党)も嘉田氏が当選してすぐに新駅反対に方向転換した節操の無さが功を奏して躍進しました。
滋賀県議会初の革新系議長が誕生したのもこの年でした。

話をポピュリズムに戻しますが最近脚光を浴びている小池百合子都知事はポピュリズム政治家と呼べるのでしょうか。
何となく嘉田由紀子知事と近似値を感じるのは私だけでしょうか。
両者ともあえて緑色の衣服を好んで着用して嘉田氏は(対話の会)でしたが小池氏は(都民ファーストの会)。
またファーストです。
政策は前任者の否定(破壊)と代替案の用意の無さ、嘉田氏は県財政への危機を小池氏は環境問題をそれぞれ有権者に煽りました。
小池知事のいう築地新市場の一括売却がよく見積もって4370億円で手放したとしても東京の都市計画としては大きな齟齬が発生する恐れが強すぎます。(オリンピック開催なども含めてです)

この辺りを自民党都連は指摘するのですがすでに熱狂モードに入っているファースト軍団は聞く耳を持たないようです。
かなり悪いタイミングであと3か月後には都議会議員選挙がありますが自民党本部の選挙情勢調査では自民党はかなり苦しい戦いを強いられています。
躍進すると見られるのは(都民ファーストの会)。
地滑り的勝利が今から予想されます。
今月都内のホテルで開かれた(自民党都議会決起大会)では安倍総理も駆けつけて「出来上がって間もない地域政党には都政の運営ができない」と語気を荒げました。
民進党に至っては議席ゼロも考えられる事態で沈む船から逃げるように離脱者が出ています。
この党の場合は国政レベルがガタガタなので長嶋さんが逃げたり、細野さんが距離をおいたりで蓮舫二重国籍執行部もイライラしていいます。
公明党も都議選挙には昔から一段の執着を見せてきました。
なりふり構わず小池知事へすり寄りを見せています。
怒った自民党選挙対策本部長名で全国都道府県連幹事長に「次の総選挙時には公明党との名簿交換を禁じる」と文書が出ました。
自公連立も20年にして軋みが出ているようです。
ここは私見ですがポピュリズム政治を仕掛ける者は今後も尽きないとは思いますが民主主義を退廃させない為にも有権者がいい意味で(判定眼)を持つことが肝要となります。
そうでなければ次に来るものは大衆が忌み嫌うものとなりかねないからです。








米空母打撃艦隊半島へ
明日(4月25日)は北朝鮮・朝鮮人民軍の創設記念日である建軍節だそうです。
この日を記念しておぼっちゃまくん・金正恩委員長は軍事パレード以外に何かやるという噂が前々から漂っていました。
最悪なのは(核実験)です。
実行すれば今でさえ世界中の民主主義国家と国民から白眼視されている北朝鮮は決定的にダメ出しされることになるでしょう。
すでに米空母カールビンソンを中心とした打撃艦隊が攻撃可能水域に配置されていると言われ一発触発の状況です。
このニミッツ級の空母は搭載機90機、所蔵火薬量2000tとも呼ばれ一夜にして大型都市を壊滅するだけの破壊力を持っているそうです。

もともと選挙中に現職のオバマ大統領の化学兵器を使用してISテロの温床ともなっていると言われている対シリア・アサド政権への弱腰を批判していたトランプ氏は今月6日にあっさり空爆を実施しました。
ちょうど中国・習近平主席との会談中にこのニュースが飛び込んだので主席が(マジか・・このおっさん)という顔で絶句している写真が出回りました。

(何かやったら何かやるからな)と無言ではなく実際の圧力で半島に位置する米空母打撃軍に対して北朝鮮のマスコミは「空母は太った生物だ、わが軍は一撃で水葬の準備ができている」とこちらも挑発しています。
更に事態を静観しているお隣の中国に対しても「我が国との決定的亀裂が入るに違いない」と何をトチ狂ったのか絶交宣言までする始末です。
まさに逆ギレですが何かあったら素直に助けてと言えばいいものをめんどくさい国だと思います。
もちろん日本人である私は「助けなくていいよ」と思っています。

先立つこと10日前の4月15日は朝鮮民主主義人民共和国の初代にして偉大なる指導者・金日成国家主席の誕生日記念パレードが行われ(本当にパレードが好きな国です)その席上で事実上のNo2である崔竜海党副委員長が「米国が挑発をしかければ即時に壊滅的攻撃を加え核戦争には核攻撃で応える」と演説しました。
そんなことできるんかいな、盛り過ぎやで崔さん・・と鼻であしらっていたら続けて「最初の攻撃は日本に対してだ!」とゲゲ!マジで狂っているこいつらと思ってしまいました。
接近しているのはアメリカやで、なんで日本が攻撃されなあかんのやと思うのが人情でしょう。
でも考えてみたら北朝鮮はICBM(大陸間弾道ミサイル)で直接米本土を攻撃する能力がなくもちろん通常の海洋戦力などへぼいのでアメリカに基地を提供しているというかアメリカの基地がある日本に攻撃を加えるのが理の当然なのかと考え直してしまいました。

これに対して日本のマスコミ関係者はいろいろ言っています。
右から左まで実に多種多様な意見を。
面倒なのでいちいち紹介はしませんがひとつ言えることは「平和がいちばん」ということです。

今回の空母カールビンソン派遣も本来ならば横須賀港を母港としている米第五打撃艦隊ロナルド・レーガンに出撃命令が下っているはずですがあいにく同船は修理中でした。
作戦中で行動している空母はミサイル巡洋艦やミサイル駆逐艦、攻撃型原潜、イージス艦により鉄壁の守りで北朝鮮の海軍力では寄り付きもできないでしょうが帰港している空母はレームダック・・座りこんだアヒルです・・危うしレーガン。
そのようなわけでロナルド・レーガンも出航しました。
この船は東西冷戦を勝利した偉大な大統領である(と言われている)故・ロナルドレーガン大統領の名を冠した空母ですがもしかしてトランプ大統領もテロとの戦いに勝利したとの功績で(空母ドナルド・トランプ)就航を狙ってんじゃないのとゲスノ極みじゃなく勘繰り入れたくなります。
私としてはもっとお茶目に(ドナルド・ダック)ならいいなと思ったりもしています。




fBって結局なに?
天気のいい日曜日でした。
うららかな春の休日にfB友達から各地の風景、楽しそうな行事、おいしそうな食べ物、美しい草花、かわいい動物等々目を楽しませてもらえる画像が届き「いいね」を押していました。
もちろんニュースなどをシェアして出来事についてコメントをはさんだ投稿もありますがわかりやすくて楽しんでいます。

私自身はあまり写真などを取らず自宅のパソコンから打ったブログがfbに飛ぶように設定しているだけですが最近もfbに参加していない友人としやべっていて話の内容がfbに及んだ時に結構ネガティヴな意見が聞こえました。
「あんなの身内同士で゛いいね゛押して自己満足しているだけ」・・・決してそのようなものではないけどなあ(私の心の声)
「自慢に見えてうざい」・・・悲惨な現状を見るよりずっと心が晴れるのに。
「個人情報が漏えいしている」・・・考えすぎでしょうね、いやなら友達限定でブロックでもすれば。

世界で広がっているfbのように誰しもが参加できて楽しんでいるコンテンツなのだからもっと積極的に評価すればいいのにと思っていましたがいい子ちゃんに徹する私は発言しませんでした。
ラジオを聴いていると評論家が座談会をしており、監視社会が始まっている、個人の情報が洩れていると発言している若干左派の有識者がいましたがそこに某与党の政治家が「誰が隣のおっさん、おばさんの個人情報に興味持つねん」みたいな言い方をしておりプライバシーと情報保護の議論は難しいよねと思っていました。
震災が発生した時によく言われたのは「プライバシーも大切だがそもそも誰が住んでいるのかわからなければ確認して助けようもない」という意見がありました。
この議論は(公)と(個人)の問題であり、深いです。

パリテロ
夕方、妻が帰ってきて「パリでテロがあったの知ってる?」と尋ねるので「え!知らないよ」と言ってました。
どうも長女が大学の国際発表会とかでパリに行っているようで宿泊先のホテルでは外出禁止となっていて現在待機中らしいです。

慌ててネットで(パリテロ)と検索するとやはり事件が起きていて21日4時頃パリのシャンゼリゼ通りを警戒中の警察官3人に対して男が連続して発砲。
警察官1人が即死、2人が負傷して駆けつけた4人の警察官との間に銃撃戦となり男は射殺されたとのことです。
ちょうどフランスでは大統領選挙の投票を23日に控えておりオランド大統領が「過激派組織IS(イスラミックステート)による大統領選挙妨害のテロである」と声明を出していました。
ISもネット上で「我がIS戦士の行動だ」と言っているようです。
娘も恐いところにいるのねと親として心配です。
彦根市長選挙始まってました
一昨日の日曜日お昼過ぎ、自宅でプロ野球・阪神対広島のテレビ中継を観ていた時携帯に着信が入りました。
デスプレイを見ると議会では私の大先輩ですでに政治活動は引退されている彦根市選出だった方でした。
何だろうかと思って電話に出ると「石田君、今日の○○の個人演説会はお宮さんに変更になったのでそっちに回って」ということ。
「先生、それは市長選挙のことですよね?私、それについては何も聞かされていないんです、今は高島の自宅におります」と返答。
まさか呑気に野球観てますとまでは言えませんでした。
しかし、私のような彦根市民でもない人間にまで動員が入るなんて市長選挙も熱が入っているなというのが実感でした。

その県会大御所の言われていた○○さんとは今回の彦根市長選挙に1年半ばかり前から現市長に対抗して出馬すると言われていた人ですからおおよそ自民党勢力はその方に乗ったのでしょう。
もう一人新人が立候補されましたから今回は三つ巴の選挙です。
現市長に対する彦根市の西部地域、商工業者、自民党関係者の不平不満はここ4年ばかり口を開くと飛び出していましたから激しい選挙になるなとも思っていました。
現市長はかって滋賀県発の準ローカル政党(さきがけ)のメンバーであり、かなりの期間は政治的に浪人でしたが数回のチャレンジが実り、前回の市長選挙では見事当時の現職を破り当選している1期目です。
従って自民党政治とは冷却期間を置いていたものの本質では相容れないのはわかっていたことですが今回の彦根市長選挙では過去の(さきがけVS自民党)という構図がぶり返したのではなく街づくりについての思想の相違からだと分析しています。

これは彦根市民の皆さんが聞けばお叱りを受けるのは承知の上なのですが県内では彦根市はプライドが高く、商売がしづらい所と囁かれてきました。
多分に城下町であることからそのように思われてきたきらいがあるのですが私に言わせれば街について誇りがある、プライドが高いというのは地域の活性化や街づくりにプラスに成り得るし、むしろ必要不可欠なものと思っていました。
彦根市民の(特に彦根城周辺地域の)市民意識モニタリングを行ったことがありますが同じ滋賀県では大津市にかなりの対抗心を燃やしておられました。
ずばり(こちらの方が上だ)です。

明治期に滋賀県議会が結成されて以来、何度も県庁所在をかけて大津市と綱引きをしており、ある時などはとうとう県議会議員の多数が県庁は彦根市と賛成に回ったはずが翌日はひっくり返ったり、それで紛糾して最終的には国から県議会が解散させられたり、未だに滋賀県庁では膳所校(大津)と彦根東(もちろん彦根)の派閥争いがあるとか話題に事欠きません。
特に彦根東が旧一中だったのに膳所は旧二中だったからこっちが上、全国でも別格であるとういう自負心が垣間見えたりします。
高島高校の卒業生である私は議論に加われません。
滋賀大学は大津と彦根に学部があるがこちらが上。
気象台は彦根にあるが大津にはないからとか、県民カードであるPOPカードの平和堂の本部は彦根市におわす、近江ちゃんぽんも彦根が発祥とお国自慢ならぬ城下町自慢をどうしても飲んでいると聞かされます。

ですが彦根市民(の一部の方)も薄々気づいているようで大津市と張り合っていた明治・大正・昭和の時代から平成に入って他の地域が伸びてきてむしろ彦根の存在感が薄れてきているのではないか、後退しているのではないか、政治はどうなっているのかという焦燥にも似た感覚がどうしてもぬぐい切れないように見受けられます。
いつまでも大津と県下一番争いができる立場にあるのかというのが最近の彦根市民の率直な感想です。
現に人口では10年前に新興の大国(市ですが)草津市に抜かれました。
あらあら2番から3番になったのねと思っていたら大合併が成功したお隣の長浜市にも抜かれました。
平成29年3月末の人口と世帯数ですが・・・。
大津市:342、154人 145、381世帯
草津市:131、665人 56、246世帯
長浜市:121、344人 44、804世帯
彦根市:112、660人 46、539世帯で人口では県内4番手に後退です。(更に後ろから東近江市が猛追中です)
世帯数では長浜市の方が少ないと思われますがこれは長浜市旧伊香郡や東浅井郡などの西部地域の中山間エリアを中心に日本の良き伝統である大家族制度が堅持されている集落がまだ多数残っているとからと考えられます。

つまり大津市だけ見て走っていたら草津市や長浜市に抜かれていたというかっこ悪い結果となり、只でさえむしゃくしゃしている彦根市民マインドが爆発しそうになっているのが今回の市長選挙の争点です。
NHK大河ドラマで本当だったら今年は当たり年なのに彦根のホテルに入ってきたお客さんが「江の小谷城はここから何分ほどかかりますか?」と尋ねるとフロントが「ただ今、おんな城主直虎のキャンペーンがほらそこにある彦根城にて開催されていますよ」と言っても「別に観てないし、浅井3姉妹の方が面白かったし」と言われギャフンです。
彦根では過去に井伊家の元藩主の筋でいらっしゃる方が9期36年間市長を務められていた時代もあり、市長=藩主という感覚の方がつい最近までいらっしやったのです。
特に黒壁の成功や市庁舎問題もクリアした長浜市政、駅前の再開発も躍進して成長軌道に乗る長浜市に追いつかれ、追い越されたと彦根市(の一部の方)は切歯扼腕です。(曳山もありませんからね、あ!長浜だけではなく大津にもありますよと煽ってみる)
「市長は何をしているんだ!」「もっと経済をしっかりしろ!」「投資をしろ!」と声が湖西まで聞こえてはいました。

彦根市の場合はViVa Cityなどがある市東部方面に経済発展と人口増加がポールシフトしてしまい、それも彦根市西部の方からは不満点となっています。
それならと近江鉄道車庫跡地など土地区画整理事業、都市再整備計画も策定され、彦根駅にも東口をつくり東口一帯の39ヘクタールの開発事業も2018年度までとなっていたもののデベロッパーにやる気がないのか、市からの進捗管理に問題が発生したのか遅滞しています。
彦根インターからの降り口306号と8号線の結節、外町交差点を中心に渋滞は朝夕相変わらずです。
道路アクションプログラムはどうなっているのでしょうか。

あれやこれやと彦根市が抱える問題は商業と交通だけではありませんが東西格差問題や高齢化が進む市街地と人手不足に悩む医療と介護(これは全国どこでもですが)、今回の彦根市長選挙は過去の因縁と現在の問題が交錯するものとなっています。





今さらながらの清原和博論
今日は日曜日、しかも昨日とうって変わって晴天。
滋賀県湖西では今年の桜も今日が見納めとばかりに他府県からも多くの車が流れ込み一日中混雑していました。
昨日は意識を失うほど花見で飲み、もう酒と花はいいと私は午前中は自宅の掃除、午後からは少し休もうとテレビのリモコンをONにすればプロ野球デーゲームの生放送(中継)をやっていました。
阪神VS広島でしたがついつい引き込まれて試合終了まで観てしまいました。
プロ野球をテレビであれこんなにゆっくり観るのは数年ぶりと思いながら観戦していましたが試合は阪神・原口選手のレフト前タイムリーが決勝打となり2対1で広島に競り勝ち、それぞれの監督の采配が動の金本監督と静の緒方監督という風に印象深く(やっぱり野球って面白い)と堪能しました。

何も関連もないのですが今日の試合を観ていて阪神の4番福留選手とか広島の新井選手が打席に立つにつけ私は往年のスター・清原和博選手の姿がなぜか瞼に浮かびました。
よく言われますが清原元選手は(無冠の帝王)と呼ばれました。
バットマンとしてのビッグタイトル、首位打者・ホームラン王・打点王のいづれもをついに取れなかったからです。
それでも清原選手は人気者であり、球界を代表するバッターであり続けました。
よく言われる(記録ではなく記憶に残る選手)だったのです。
選手生活のスタートを切った頃はPL学園で同僚だった桑田真澄投手(その後は因縁であり続ける)とKKコンビなどともてはやされスーパールーキーと言われた清原選手も西部ライオンズから彼の本命だった読売ジャイヤンツに移籍した頃はでっぷりと太ってしまい(番長)というニックネームに模様替えしていました。

私は彼を一度だけ(生)で見たことがあります。
球場で彼の真実の姿、野球選手としてです。
あれは東京ドームでの対広島戦でしたがそれが何年の試合でありそのゲームの広島カープのピッチャーが誰であったかはもう忘れました。
その時に不動のレギュラーで俊足好打の高橋慶彦選手に代わって売り出し中だった広島カープ1番の野村謙二郎野手が先制のホームランを放ったのを憶えています。
綺麗なホームランでした。
糸を引くように真っすぐライナーでライト前段に突きささりました。

試合は中盤に差し掛かりランナーを2塁に置いて4番ファースト清原選手がバッタボックスに立ちました。
どう贔屓目に見ても威風堂々の存在感がありました。
ピッチャーが投げ込んだ内角高めのシュートを一閃、同時にガキーンとにぶい音がしました。
カキーンと軽い音ではありません、ボールが潰れるようなガキーンです。
内野席で観戦していた私は一瞬ボールの行方を見失いました。
滞空時間は5秒ほどもあったのでしょうか、目を凝らして外野の方を見れば白い筋を引くようにレフト上段にボールが飛び込んでいました。

私は現在に至ってもまだこれほど完璧なホームランを見たことがありません。
何と言おうと完璧な当たりでした。
1回に見た野村選手の本塁打が糸を引くような巡行ミサイルなら清原選手のそれはICBM(大陸弾道ミサイル)でありスケールが違ったのです。
まぎれもなく清原和博は野球の天才だと思いました。

引退後の清原氏はその人柄もありやはり人気者でした。
野球評論家としても活躍し始め、テレビのトークやバラエティ番組にも引っ張り抱っこでした。
それが一転して世間の批判にさらされたのが2016年2月3日東京都港区の自宅マンションに覚せい剤0.1gを隠し持っていたとして覚せい剤取締法違反の疑いで現行犯逮捕されてからです。
青少年に夢を与える元プロ野球の選手としてこの反社会的行為に弁解の余地はありませんでした。
彼はヒーローから一気に本物のヒール(悪役)として社会から糾弾される身となったのです。
プロ野球界は彼の野球殿堂入りを抹消し、彼は愛する野球や家族を失いました。
このことは彼の野球人生を眺め続けてきたファン(私のような)に取っても限りない悲しみでした。

清原和博選手の22年間の現役としての記録は通算打率2割7分2厘、打点1530、本塁打525本ですが三振数1955と被死球196は現在でも日本野球のレコードです。









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