ゆうすけブログ
初春粉骨砕身
やっちゃいました。
事故りました、単独です。
とある駐車場で原付バイクに乗って遊んでいたのですが何を考えていたのか、スタンドを下したままエンジンをかけて車体を押して発信、当然ロケットダッシュになって体が前方に吹っ飛び、アスファルトの地面に叩きつけられました。
何メートル飛んだかはわかりませんが動画にしてユーチューブで配信したらかなり笑える映像になったはずです。
けれど事故の瞬間は悶絶ものの痛みで右肩から落ちたらしくしばらくは立ち上がれませんでした。
10代のやんちゃな子がやるのならともかく50のおっさんの所業とは思えないです、我ながら。

それでその日は家に帰りましたが夜になるとどうも肩からがズキズキ痛み、お風呂に入ろうと服を脱ごうとしても腕が上がらない状態だったので(打ち身にしては痛すぎるな)と思っていました。
風呂の脱衣所にある鏡で見ると右肩を中心に青ジンが広がっていました。
妻が「病院に行きなさいよ」というので翌日は日曜日でしたが地元の高島市民病院に電話をして緊急枠で診ていただきました。
レントゲンを撮ると医師から「折れてますね」の一言。
画像を見せてもらうと右肩の鎖骨が真ん中から見事にポキリとグリコポッキーです。
ギプスを巻いてもらい2日後にもう一度来てくださいとおっしゃるのでその日は痛み止めのお薬を出してもらい帰りました。

新春から運勢最悪やんと考えていたら思い当たるものがありました。
元旦に初もうでに行こうと母や妻、娘、息子が言うところを「ワシは行かん!君たちだけで行きたまえ」と居残って家でお雑煮を食べながらテレビの新春番組を観ていました。
初もうでに行かなかったからバチが当たったのかな、神に対する不敬が災いを呼んだのだと反省して地元・今津の住吉神社に初詣に行ったのが今日です。
1月10日の初詣。
神社には誰もいませんでした。
(神様すいませんです、これからは元旦には詣でますからゆるしてちょ)と一心不乱に祈りました。

高島市民病院に行って再びレントゲンを撮ってもらうと2日前より骨が引っ付いてきているので手術はせずこのままギプスを装着して治しましょうということになりました。
ギプスが取れるのは6週間後、約1か月半ばかりかかりますがその方が私も助かるのでありがたかったです。
今回も高島市民病院にお世話になってしまいましたが医師の皆様や事務、スタッフの皆様が本当に親切にしていただけるので感謝しています。








誕生日の次の日に思うこと
改めまして新年おめでとうございます。
昨日はケーキも花束もない誕生日でしたが私にとって一番の贈り物は皆さんのお言葉でした。
これも改めてありがとうございましたと申し上げます。

さて誕生日の翌日、またお正月から縁起でもないことを書き込みますが、「門松は冥土の旅の一里塚」という和歌があります。
お正月は華やかだがみんな年をひとつづつとってそれだけあの世に近づいているんだよという意味です。
この歌、下の句は「めでたくもありめでたくもなし」と続く一休禅師の作です。

私事でまた気恥ずかしいのですが私の子どもの頃、この「死」というものに異常にビビっていてとにかく死ぬのが怖くて怖くてたまらない、死ぬことを考えたら生きる意味を失うぐらいに忌み嫌っていました。
夜中にトイレに1人で行けない、行けばトイレの花子さんが待っていて地獄に引きずり込まれるのではないか、朝までがんばろうという少年でした。
もう究極は「死にたくない、死にたくない、死んでも命がありますように」と近所のお稲荷さんに願掛けに日参していたほどです。
小学校の卒業文集に「将来の夢は?」で「不死身」・・バカです。

私の学校の大先輩で俳優の故・丹波哲郎氏が晩年、霊界研究者を名乗り「死後の世界はある」と声高らかにおっしゃっていたのでお話を聞いたことがあったのですが子どもの頃はTVドラマ(Gメン75)などで颯爽とした演技を見せていた丹波さんがなんで死後の世界を語るようになったんですかと訊いてみれば「子どもの頃から死ぬのが怖かったから」とおっしゃって(私と同じだ)と思ったことがありました。
このことを京都産業大学に行っていた友人に話したら「いいな、俺らの先輩は゛あのねのね゛なんだぜ」というので(どうでもいいやん)と思っていました。

脱線しましたがだからと言って私は死後の世界というものをどうしても信じることはできなくて死んだらただ無に帰すのみと思っていました。
いつだったか仕事帰りに車を運転中、眠くて眠くてたまらなくなり、このままでは交通事故を起こすと思い、急遽路肩に車を止めてシートを倒して寝たことがありました。
30分ほどしてぱっと起きたのですが一瞬、あ、生きてた!と感じたのを憶えています。
あの何も考えることなく眠っていた時間が私にとっては死のイメージかなと。
あれがおそらく永遠・永劫に続くのでしょう。

50才を過ぎてさすがに子どもの頃のように「死」に対して構えることはなくなりました。
これまでに「死んだ方がマシだ」という経験が何度もあり、「生きていてよかった」と思うことが数度ありで死に対して不感症とまではいかなくても特別なものと思わなくはなりました。
死は生の向こう側にあるものではなく表裏一体、(今そこにあるもの)に過ぎなくなったからです。
それよりも限られた「生」そのものを楽しむことの方がより建設的と捉えています。
正月から辛気臭いお話をしてしまいました。
お礼
新年おめでとうございます。
私事ながら今日、1月3日で52才の誕生日を迎えました。
妻からは小声でぼそりと伏し目がちに「おめでと」と言われた以外はfbで皆さまからお祝いのメッセージを頂き感謝申し上げます。
ただ、わたくしのタイムラインが1年ほど前から故障状態でこちらから発信ができない状態なのでお礼の言葉が送れません。
私にとっては日頃お世話になっている皆様にご挨拶をさせて頂きたい気持ちは山々なれど状況をご賢察の上、ご理解を賜ればと思っています。

52才と言えば麻雀で例えると(ゴンニ)つまり5200点で子の20符(プ)4翻(スーファン)上がりとなります。
振り込めば大変痛いのですが満貫よりはマシかな程度です。(意味不明)
とって付けるようですが本年も皆様とご家族にとってご健康でご多幸に恵まれた年となることを祈念しています。

年の瀬床屋談義ー滋賀県編
いよいよと言うか、とうとうと感じるか、あれよあれよと申しますか大晦日になってしまいました。
所詮は365日のうちの1日と割り切れない何かが大晦日にはあります。
そのような特別な日に家事が全く不得手な(生ごみ父さん)としては行きつけの理容店、散髪屋さんに赴きサッパリしました。

私よりはるかに年上の店主に髪をカットしてもらっている時に「マスターでどれぐらい商売されています?」と聞いてみれば7代目で店としては創業100年を越えていると言われビックリ。
息子で8代目と言われそりゃそうだな、7の次は8だし、7.5代なんて言い方ないわなと思いました。
それよりも(髪結いに喰いっぱぐれなし)とは言ったもので息の長い商売ですなとしゃべっていました。

聞いてみると滋賀県内の理容店さんで100年を越えているところは34店あり、最長は東近江市五箇荘のお店だそうです。
創業は何と1700年代、江戸時代享保で徳川吉宗の御代ときました。
今まで何人の髪を切ってきたのか想像もつきません。

ですが不景気知らずと言われた理容業も近年は様変わりしてきて格安でカットしますなんて謳うチェーン店も地方にどんどん進出してきてお客を奪われがちで大変とおっしゃてはいました。
当然ながら理容組合には加盟しないので料金体系から営業日まであっちに引っ張られて(競争になって)これも大変と聞きました。

私も小泉内閣の時から「官から民へ」というスローガンも行き過ぎれば怖いな、反って民業圧迫につながらないかと警戒していたこともありました。
手に職がある方や特殊な資格・技能をお持ちの方はさっきの話ですが(喰いっぱぐれ)にはならないかもしれませんが世の中(私も含めて)すべての方がそうであるとは限りません。
実際には町の小売りや商売やさんも規制緩和や国際化、自由化の波に押されてどんどん廃業されていきました。
酒屋さんはコンビニに、薬屋さんはドラッグストアにと。
全国いたるところで商店街がシヤッター街となっていったのはご存知の通りです。

規制緩和がすべて悪いとは私も言えません、そう言うだけの確証もありません。
ですが世の中には仕組みや規制で食っている人も大勢いることは確かです。
すべてに自由化を叫べば究極は大手・大資本が勝つのは自明の理でもあります。
私たちは社会分解すれば1人1人が生活者であり、生産者で消費者なのですからその辺りのバランスはとった方が丸く収まると思えるのです。




分別盛り
今年、平成28年も押し詰まってきました。
今日、明日ともう残り2日です。

我が家も大掃除でどこにあったのかというぐらいゴミが出てしまいます。
それを大隊長(妻)から命令を受けてゴミ集積所に持っていくとご近所の主婦さんから「あら、石田さん、今日は燃えるゴミの日じゃなくてよ」と注意されて「すいません」と謝りました。
人間50才、世間では分別盛りと言われる年代ですが近所では(分別できない男)として通っています。

年賀状千本ノック
皆さんは年賀状をもう書きましたか、出しましたか?
私はまだです、悪戦苦闘しています。
例年ならインクジェット紙の年賀はがきを買ってきて裏面はプリンターで印刷、表書きの宛先はアプリで印刷と楽ちんでしたが今年はパソコンの不調で起動せず、手書きを余儀なくされているからです。

12月に入った段階で妻から今年は年賀状を手伝わないからあなたが1人で出してと言われ、ええ!と思ったものの毎日30通ばかり書いたら出来上がると日割り計算で皮算用していましたが、今日は観たいテレビがあるから、今日は忘年会だからと毎日を先送りしている間にノルマが溜まってきてニッチもサッチも行かなくなりここ数日は深夜まで泣く泣く書いています。
(深夜食堂)ならぬ(深夜書道)。

筆ペンで宛先を書いていると眠くて目がショボショボ(´・ω・`)してきて、手首が痺れてきます。
苦しくて「もう書けましぇん・・手が痛くて腱鞘炎ですぅ」と泣き言を言うと「さぼっていた自分が悪いんだろ、腕が折れるまで頑張れ!」と言われ(オレは侍ジャイアンツか!)と思ってしまいます。

書いているうちに(だいたい近頃の若い人は年賀状なんか出さずにメールで済ますらしいじゃんか、その方が楽だし、早い、虚礼廃止につながる、うんうん)とかの思いが脳裏をよぎり、年賀状を書くことを投げ出したくなります。
テレビのニュースを見ていると来年の6月からは郵便はがきの配達も採算が合わないので現行の52円から62円に値上げと聞くにつけ、(それみろ・・はがきの値段も上がるのを機に年賀状も来年から出さんぞ)と思ってしまいますが、よく聞くと普通はがきは10円上がるものの年賀状は黒字なのでお値段据え置き52円のママと言われ、(さすが元郵政省・・商売上手だ)と感心。
年賀状放棄の口実を与えません。

それに頑張っているのは郵便局員の皆さん。
この寒空に連日、外に出て業務に邁進されている姿を見るにつけ心からエールを送っています。
元旦の年賀状配達なんかは大変な業務だと想像しただけでわかります。
この日本中の各戸に年賀状を遺漏なく届けることの壮大なミッションインポスビル、いや持続可能なあくなき探求と不断の努力には頭が下がる思いです。
どうか年末年始、お疲れとお察ししますが交通事故だけにはお気をつけいただき日本の郵便事業の発展にご活躍ください。




クリスマスケーキに売れ残りはあるのか
今日はクリスマスイブです。
以前から思っているのはクリスマスよりイブの方が盛り上がるのです、日本では。(世界中も)
イブの終わった次の日(12月25日)に街を歩くともうひっそりとしたもので前夜のあの賑わいや高揚は何だったのでしょうかと祭りの後のような寂しさすら覚えます。

さて、これを言うと世のジェンダー論者から袋叩きに遭うので今まではためらっていたのですが女性の婚期をクリスマスケーキに例える話を昔はしていたことがあります。
(12月)24日前のケーキは売れるが25日になってしまったら(売れ残り)というあの話です。
女性も24歳までならほいほい行きてがあるものの25歳にともなれば賞味期限が切れてくるよというとんでもない(今から考えれば)話です。
クリスマスケーキに例えた俗話です。

それを言うなら私が妻と結婚した時には彼女は27歳でしたがすでにクリスマスケーキではなく正月用の餅だったと言えます。
(意味不明の例え)
正月三が日は床の間に鏡餅で飾っていましたが松の内を過ぎた頃にはひび割れてきたので慌てました。
(これは比喩です、あくまでも)

話を元に戻しますと現在では女性の結婚する年齢は30歳を越えてからなど世間にはザラにあり、時には40代もさほど珍しくもなくなる世相でそもそも(結婚しない)という選択も当然あるという昔から考えれば随分と結婚観の幅が広がったような気がします。
(結婚適齢期)という言葉自体がすでに死語となってしまっています。
これも月並みですが晩婚化も日本人の平均寿命が延び続け、男女ともに(特に女性に)経済力がつき、価値観の多様化が進んだからかなと思ったりしているクリスマスイブの今日です。
もっと言えばクリスマスには3種類の人々がいます。
恋人と過ごす人、家族と一緒の人、孤独を愛する人です。
サンタクロースは誰に微笑むのでしょう。

老けるは恥だが役に立つ
昨晩、東京に住む6才下の妹と電話でしゃべっていました。
兄弟の会話ですから実に他愛もない内容です。
親は元気かとか正月はどうするとかその程度のものです。

談話の最後の方で妹が、「でもお兄ちゃんももう初老なんだから無理せんといてや」と。
(しょ、初老ぉ!)
これには愕然としました。
初老・・老・・まさか老いてるなどと言われるとは・・。(ショック・拡大!)

私は昭和40年生まれで1月が誕生日ですから年を越せばもう52才になりますが気持ちは青年、体は中年と思っていました。
髪に少し白いものが出てきましたが老眼はあらわれていませんし、どこから考えても壮年だと思っていたのに・・とほほ・・初老。
ですが、先日もある識者からお話を聞いた時に「石田さん、自分の可能性を年齢で判断することは愚かなことですよ、なぜなら人は誰しも今日の自分が自分史上一番(若い)のですから、行動することにためらってはいけません」とおっしやって、(なるほど!)と思ったばかりでしたから。
それとともに「昨日がんばろうと言ってもムリ、昨日はもう過去、なら明日がんばろうならいいのかと言えばザンネン、明日が来たら今日になる、明日は永遠に明日でしかない、ではいつがんばるのか?今でしょ!」
(あんたは林先生か)と思いました。

そうは言っても人間も自分の外見つまり年齢による評価というのが気になるのが真情だと思います。
年を重ねれば経験や知識の(貯金)だけは持っておきたいと昨夜はつくづく考えました。


電灯今昔
まいど馬鹿馬鹿しいお話を。
平成生まれの人がもうすぐ30歳にもなろうとしているこの頃ですがいよいよ平成世代が社会の中核になってきたかなと思ったりする半面、最近では私たち昭和生まれの人間が昔を懐かしんだりすると「昭和テイスト」などと言われたりでちょっと心境が複雑です。
思えば私たちもひとつ前の年号世代を「大正ロマン」などと言ったりして懐古趣味として遠ざけていた感もあったりでいつの世も後から来たのに追い越される「後世畏るべし」は避けられない運命かなと嘆息することしきりです。

45才以上の人はおそらく憶えていらっしゃると思いますがLEDも普及してきた最近からはもう考えられないことに昔の蛍光灯はスイッチを入れてから点灯するまでにすごく時間がかかったものです。
部屋にかかった蛍光灯から伸びている紐などを引っ張っても点灯管がチカチカしだして30秒以上かかってやおらパッと電気がともるという風情でした。
なのにトイレなんかにつけられていた白熱灯などはすぐに点くというわけで蛍光灯や白熱電球の違いがわからない当時幼稚園児の私なんかは父に「なんでトイレの電気はすぐに点くの?」と訊いた覚えがあります。
父は「急いでいる時にすぐに点かんと不便やからや」と説明しました。
その時は(ああ、そうか)と納得したのですが後から(なんかおかしい)と疑問がさらに深まりました。

父はよく言えば鷹揚、悪く言えば大雑把な人でしたが残念なことに息子の私もその気質を受け継いでしまっているようでどうも細部に目が届かないことが多くて困っています。

NHK「真田丸」いよいよ最終回
1年間、私を楽しませてくれたNHK大河ドラマ「真田丸」がこの日曜日にいよいよ最終回を迎えます。
幸村の最後はどうなるのか?家族は?真田の庄の人々の運命は?
結末を知りたくて今から居ても立ってもいられない心境になり当日の忘年会は即答で断りました。

来年の大河ドラマは柴咲コウさん主演の「おんな城主直虎」ですがこれにも期待しています。
ところがここへ来て井伊直虎は男だったのではないかと文献上の注文がつきネットなどでは話題になっています。
歴史研究の上では1次資料、2次資料、伝聞など様々な資料を上から横から比べて判断していきますが古代、中世はもとより近世、近代も資料の検討は難しい作業となります。

来年の大河主人公・井伊直虎についての1次資料は皆無、それ以外でも極めて乏しく検証は大変困難な人物とされてきました。
今の浜松市・龍潭寺和尚の「井伊家伝記」により戦乱で男の子が次々と討ち死にし、お家風前の灯で断絶しかかっていた井伊家に後見人の井伊直盛の一人娘「次郎法師」が直虎と名乗り相続、井伊家中興の祖として戦国期を乗り切ったと言われてきました。
私たち滋賀県人にも(ひこにゃん)じゃなく彦根城の井伊家としてなじみが深いドラマになりそうです。

もともと歴史は本当のところがわからないのが想像力をそそり、面白いものです。
近世・近代でも「戦国武将・上杉謙信は実は女だった」とか「維新の英雄・坂本竜馬は存在しなかった」とか「源義経は大陸に渡ってジンギスカンになった」とか「明智光秀は天海和尚だった」など奇説・珍説がゴロゴロしています。
ドラマですから肩肘を張らず、ファンタジーのような感覚で私はいつも鑑賞しています。



小池知事、あなたもか
先日のブログの続きのような内容ですが都議会でも議会(主に自民党)と小池知事の舌戦が続いています。
質問合戦。
小池知事に対して「黒い○○とは誰のことか?」と議員が質問すれば知事は「発言通告になかったことは答えられない」と応戦。
小池知事は場外乱闘では(希望の塾)を立ち上げ「来夏の都議会議員選挙に塾生から出馬したいという人がいる」と議会内での政党政治を牽制しつつ知事与党形成の為の多数派工作に乗り出し、これが自民党都連を刺激しています。

あれ?こんな光景をいつか見たな・・と既視感というかデジャービューに捉われますがそうでしたいつかのK知事が新幹線栗東新駅建設停止を公約して初めて滋賀県知事選挙に出馬した時に議会(主に自民党)と起こった経緯マンマです。

あの時は(もったいない旋風)が湖国を吹き荒れ、3選を狙う現職K知事を倒して挑戦者のK氏が勝利した選挙でした。
もともと現職K知事の3選はおそらく固いと言われていました。
ところが自民党県連はなぜか現職に対して推薦をなかなか出さなかったのです。
選挙は暑い7月と日程決定されており、現職の続投宣言は議会で表明されていたにも関わらず2月になっても3月になっても県連は動きませんでした。
では知事選挙は自民党として誰を応援するのかと党員からブーイングが出始めていましたが挑戦者のKさんから自民党に(推薦依頼)が出ているので慎重にというのが県連役員の答えでした。
しかし、それを主導していたのは当時の県連会長でありました。

結局、Kさんは自民党の推薦獲得を諦め、3月以降は「新駅もったいない」のビラを県内に配布しだしてムーブメントを創ります。
Kさんに政党として推薦を出したのは社民党だけでした。
当時の現職K知事は自民党と政策的に相反するものもなく良好な関係であったにも関わらずこの時、推薦決定が遅れたことは大きく足を引っ張る結果になり、新人Kさんの勝利を呼ぶ結果となりました。
なぜ、このような出し惜しみをしたのか今となっては謎です。

新人Kさんが知事選挙に勝利してわずか1週間で今までの知事与党だった民主党(現民進党)が「民意は新駅反対だった」とあっさりと寝返り、知事与党宣言をします。
なんと変わり身の早い民主党よ!と呆れたのですが残った自民党は反知事勢力とレッテルを貼られ、新知事は対話の会を結成し、塾生から来春の県議会議員選挙に立候補者を擁立すると宣言。
翌春の選挙では自民党はズタボロ負けで過半数割れ、県政始まって以来の革新議長が誕生します。
これは滋賀県におけるK劇場と言われましたが今の東京・小池劇場と似通っていませんか?


議会における答弁協議
師走に入り国会でも地方議会でも議会では質問の日々が続いています。
一般人からみると(あれは何をやっているのか?)と疑問を持たれたりもするでしょうが民主主義は言論主義ですから議場でまた委員会で政治課題を質問したり、答弁することで一歩でも前に進もうとしているわけです。
議員が質問することにより問題が浮き彫りになり行政サイドが対策検討や取り組みを明らかにすれば予算もつき、問題解決につながるということですから大きな前進ですし、議会の質疑には収穫があったとなります。

たまに議員の中には(爆弾男・女?)のようにネーミングされ、政府内事情や県・市町の内部事情とかゴシップに近い形の内容のものを当局にぶつける人もいます。
世の中にはいろんな考えの人がいるわけであり、議会でそのような不確かな内容のものを質問されても議事録に残ったり、マスコミの好餌となって報道されさらに人々の憶測を呼んだりで概して(良い結果)を生みません。
そこで行政当局としてはそのような発言通告(○○について質問すると事前に通告書を出すこと)を受理したらその議員とコンタクトを取ろうとします。
誤解を解き、できれば質問を翻意してくれればいいと意図するわけです。

「あ、○○先生ですか!今回の先生のご質問なんですが一度お目にかかってご相談をさせていただきたいのですが・・」
「私の質問に何かあるのか」
「はい、実は先生のご質問の○○の部分がすでに条例上過去に確定していることがありまして、更に○○については一度高裁で争われた時にも判決が出ており、その他文言についても少し修正をお願いしたい件があり・・」
「失敬な!ケチをつける気か」
「そうではございません、先生のご質問の内容を担保させていただくお手伝いをさせていただきたいだけです」
「直すとこなどないわ、これで質問する!ガチャン!」(実際は携帯電話なのでガチャンなどと鳴ったりしない)

以上のように当局と議員先生の話し合いは決裂・没交渉となりました。
議会を前に首長を囲んで答弁協議に入りますが担当者は「○○議員のこの質問については一切の話し合いを拒否されました、つきましては知事に置かれましては適当にあしらっていただきとう存じます」

議会の質問を傍聴していて首長と議員の質問がまったく嚙み合っていない、チグハグで首長がそっけない態度をとり、質問を早く打ち切ろうとするように見える時はこのパターンが進行しているケースです。

くどいですが議会の質問は行政と立法が互いに適度な緊張感を持ちながら政治としてどこで決着点を見出すのかという作業であり、政治そのものといっても差し支えありません。
誰しもそのような重要な場所でいきなりテーマを持ち出されても即答できるはずもなく、その為に(事前協議)が必要になります。
議員としてはできるだけ丁寧に自分の質問の意図を説明しておき、当局と信頼関係を結び、できればこのように妥協点を出してもらえるかと言質でも頂いておくと完璧です。
もちろんそれは自分たちの住む街の発展や住民福祉の向上に繋がるものでなければ単なる我田引水や売名行為、もっと酷ければ利権と後ろ指をさされることは言うまでもありません。

太平洋の架け橋
安部首相がハワイを訪問し、真珠湾の慰霊祭に参列されています。
この訪問の目的を菅官房長官は「慰霊の為であって謝罪の為ではない」と政府見解をコメントしていますが適切な表現だと評価します。

1941年12月8日の日本軍によるパールハーバー奇襲によって火ぶたを切られた太平洋戦争はその後3年8か月の激闘に至り、日米両国に深甚なる戦争の爪痕を残して終戦となりました。
歴史を特に戦争というものを評価することは大変困難な作業です。
特にそれが自国のことになると尚更です。
ましてや終戦から71年が過ぎた今でもこの戦争の真実はすべてが明らかになっていないのですから。
先日もNHK特番で「戦艦武蔵の最後」というドキュメンタリーを観ていましたがレイテ沖海戦で沈んだ旧帝国海軍の(不沈艦)と呼ばれたこの戦艦が静かに海底で眠っている画像が映り、(まだまだ生々しいな)と思っていました。

アメリカでも次期大統領にトランプ氏が選ばれ、氏が選挙期間に主張していた「日米同盟はアメリカに不公平、日本に応分の負担を求める」という発言から今後の日米関係を懸念する声も多くあがっています。
今朝もネットニュースを見ていれば政治コメンテーターのビル・オライリーが書いた米国でバカ売れしている本、「killing the Rising sun」(日出づる国をやっつけろ)が取り上げられていました。
内容は過激で広島、長崎への原爆投下はもちろん、日本の都市部への無差別爆撃も正当化しているものです。
それならアメリカは非戦闘員への戦闘行為を禁じたジュネーブ条約を批准しながらどう考えているのかとこの本の内容に憤りを感じますがここは冷静にならねばならない時です。

日米同盟は軍事同盟ですからいつかは両国にとってその使命と役割が終わり失効する日が来るでしょう。
ですがその日が来ても日本とアメリカは新時代を迎えて友好的に太平洋を囲む諸国と対話を尽くして付き合っていくべきでしょうし、そうでなければなりません。
「パールハーバー攻撃を日本が謝った代わりにアメリカに日本への無差別空爆の謝罪を求める」などと言い合いをしている場合ではなく、太平洋ひいては世界の平和の為にも日米がより緊密に付き合っていくことが大切なのです。
(憎しみの連鎖)を断ち切っていくことを主眼とした安部首相のハワイ訪問は未来志向で、その意味からも好判断であり、官房長官の「慰霊であり、謝罪でない」という言葉も活きてくると思っています。


JR湖西線並行在来線化問題急浮上
今からちょうど1年前(12月10日)の福井県議会・新幹線対策特別委員会では北陸新幹線敦賀以西の小浜ー京都ルートが確定した場合、JRから経営分離される並行在来線は一般的に湖西線が該当するとの考え方を示しました。
これは「特急列車が新幹線に移る線」とする旧運輸省の見解を踏襲したものです。
(つまりサンダーバードが走っているのは湖西線だから解釈として並行線は湖西線になるべきということ)
加えてJR西日本が言及している小浜線は該当しないと強調して国とJRと協議を重ねていくと結論付けました。
これは「在来線となるのは湖西線」と福井県が主張していることに他なりません。

滋賀県高島市の有志の1人として長年、琵琶湖ー若狭快速鉄道の実現に向けて福井県嶺南地域と何度も折衝してきましたがここ数年、この構想はあれほど福井側が熱望していたにも関わらず、すでに没交渉となっています。
要は北陸新幹線が小浜から滋賀県を通らず西側を抜けて京都にすべりこむようになればわざわざ小浜から近江今津まで出て湖西線で京阪神に向かう必要はないとの合理的判断からであり、本音で「バイバイ滋賀県(@^^)/~~~」と言うことです。

更に地元・小浜線を並行在来線にしない為に今から運動しようというのがその時からの福井県議会の動きでした。
これを批判はできません。
地元議会は地元の地域振興の為に動くのが鉄則ですから。
滋賀県、大津市、高島市も湖西線と沿線住民を守るために動かねばならないだけです。
政治は闘争であり、綱引きであります。
ボヤボヤしている地域が衰退するだけのことです。

(並行在来線)とは新幹線を通るルートにある路線は完全赤字化が予想されるためJRから経営分離して沿線自治体に押し付けたり、第3セクター化されることですが北陸新幹線小浜ー京都ルートの決定により福井の小浜線と滋賀の湖西線が俎上となっています。
これは綱引きというより福井と滋賀の押し付け合いですが湖西線沿線住民としてはたまったものではありません。
新幹線ははるか西を通過して利用もままならず、路線は便数減、値上がり等不便に不便を重ねることになるからです。
毎年、JRに風で止まらない湖西線、通勤・通学時間にもう1本運行を通してほしいと利便性向上のためダイヤ改正を訴えてきたことは何だったのかと思えるほどの激変です。

私は現場を去ってから北陸新幹線敦賀以西ルート問題は滋賀県の交通政策上最も緻密に取り組むべきと訴えてきましたが、残念ながらルートは福井県の主張が通るところまで絞り込まれてしまいました。
後は「湖西線の並行在来線化」を何としても阻止してもらいたいのですが滋賀県の底力と大津市・高島市住民の盛り上がりを期待するしかありません。
でなければあの琵琶湖循環線構想は何だったのかと30年に亘る運動が水泡に帰する思いでいます。



何でもいっしょー整髪料編
今朝、起床して洗面台に直行。
歯を磨き、顔を洗い、ヘアムースをブラシに取り、髪を整えました。
いつもの朝です。
整髪料も男子の場合は人によりそれぞれで私のようにムースを使う者、リキッド派やヘアスプレー、ジェルなど好みの問題です。

(今日もバッチリ決めるぜ)と哀川翔さんの真似をしながら鏡を見てブラシを頭髪になでつけましたがバッチリどころか頭が白髪になっていきます。
(おかしいな?白髪染めは聞いたけど黒髪染になっている)
不信を感じて手元を見るとシェービングクリームではありませんか。
不思議なことにこれでも髪の毛がセット出来ちゃうんです。
不思議発見。
ついでに剃刀で剃ってスキンヘッドにと言ったら悪乗りのしすぎですがヘアムースでもシェービングクリームでも同じだなと思ってしまいました。
旅のお供にシェービングクリームで髭剃りも整髪もこれ1本。
明日は歯磨き粉で試してみようと思いました。


喜んで
暖かだった師走も大陸から寒気団が流れ込んできて一気に冬型の天候となりました。
それとは関係なしに古本屋(ブックオフ)をたまにのぞく私。
政治や経済の本などはおおむね「これからの日本は、世界はこうなる、ああなる」と未来予測がつきものです。
そのような予測本を過去の出版物から調べて(この著者は当ててるな、この学者はとんでもないな)と過去は未来だった現在から批評するのが楽しくて趣味となっています。

先日は店に入るとレジ周辺で店員さんが大忙しでしたが下を向きながら作業していても気配がわかるのでしょうか、自動扉をくぐったら「いらっしゃいませ」と元気な対応。
トイレを借りようと戸口まで行くと「ご利用のお客様はスッタフまでお声がけをお願いします。清算前の商品は持ち込まないようお願いします」と張り紙がありました。
レジまで戻り忙しそうに動いている店員さんに「すみません!トイレ貸してください」と声をかけると「はい!喜んで」と返ってきました。
こ奴・・夜は居酒屋にいるなと思った次第です。
疑問・小池劇場は続いているものの
昨夜もテレビのニュースで流れていたのは都議会での小池知事の発言でした。
地方議会ではすでに全国津々浦々で12月議会が始まっていますが取り上げられた小池知事の内容とは「予算編成に関して都議会の゛復活予算゛を廃止する」というものでした。
更には「こんな習慣があるのは全国でも都議会ぐらい」と批判。
あたかも議会(議員)の特権、団体との癒着や汚職の温床のような言われ方でありました。

まず(復活予算)ですが、これは全国の地方議会というよりも予算編成の過程であります。
何も東京だけの専売特許ではありません。
滋賀県にもあります。
もともと予算編成の実務は前年の夏場ぐらいから始まりますが予算(案)という形で協議の過程において何度でも(消滅)したり(復活)したりして最終的には年を越えておそらく1月10日~15日ぐらいに(知事協議)で確定します。
この12月議会中に議会としては各団体や市町さらに住民のみなさんのご意見を集約して(消滅)した予算を何とか(復活)できないかと折衝します。
これが(復活予算)であり、何もおかしな点はありません。
議会は承認機関ですから予算に対して(減額)はできません、できるのは上積み(増額)だけです。
もちろん予算には限りがありますから財政担当から拒否されるケースが多々あるものの必要性に応じて粘るのも議会の役割です。
小池知事が二重に錯覚していると思われたのはこの予算に対する(陳情行為)をこれから議会を通さず、直接知事が聞くと発言している点です。
議会が一定の行政に対する発言権があるとすればそれは承認機関として立法の重みで意見ができるというものです。
これを団体や個人が直接知事に訴えても聞き届けられるのか、いえ、そもそも知事にそんな時間があるのかという疑問です。
よく選挙の時に議員候補者が「私は住民と市政の架け橋になります」と訴えるのもそのような意味からです。

これについても過去に大失敗の事例があり、民主党政権時代に当時の小沢一郎幹事長が全国の要望はすべて民主党幹事長室を通すようにお達しをして政治が全く動かなくなった時がありました。
全国の行政要望は毎年雲霞の如く(失礼)湧いてくるものでこれを政党の一部署でさばけるはずもなかったのですが夜郎自大に陥っていた民主党は理解できず政治停滞によって国民の支持は下落しました。
小池知事もその愚を犯そうとしています。

小池百合子氏は知事選挙出馬の会見でも「当選したら議会解散」など?マークの発言をされていましたが本当に地方政治をご理解されているのか、まだ国会と同じように思っていやしないかと心配になります。
都議会はもちろん二元代表制であり、国会のように与党や野党という構図を押し付ければ迷惑するのは最後は都民です。
劇場型政治は見ている分にはおもしろ可笑しいものですが当事者には何の益もありません。
知事と議会はなれ合いはいけませんが適度な緊張感のもと方向は都民の為と一致して協力関係を築くべきでしょう。
今は都議会も来年の選挙を踏まえておとなしくはしていても終われば政局が待っているようでは何度でも指摘しますが都民の利益となりません。
小池知事も筋の通った問題提議をされることを期待します。

それでいいのだろうか
今日から12月、師走です。
もう平成28年度も終わりの月になったのかとしみじみ思いながら時間の流れの速さに抗らがうように今月も過ごしたいと・・・。
皆さんにとって今年一年はどんな年でしたか?

あまり気が進まなかったのですがとある政治集会に誘われて行ってみました。
一通りの次第が終わって最後に司会が「改革は若者・よそ者・バカ者にしかできないと言われています」と締めくくり。
おいおい、それで締まっていいのかなと心配になりました。
誰の集会だって?
特定しないでください・・特定しないでください・・

韓国大統領の沈没
他国の政治形態や指導者を無規範に批判するのは如何なものかと思いますが今の韓国の政治指導者はちょっと酷すぎると思えます。
朴槿恵大統領が昨日、自身の身柄を国会に丸投げする声明を出しましたがこれは野党中心で検討されていた弾劾決議逃れからの延命策ではないかと疑われています。
政治的混乱を避けるのなら潔く辞任すべきですがそうすれば大統領権限を失い、即刻逮捕となるのでそれもできないと勘繰られてもいます。
現在の支持率は4%!
これはすさまじく酷いものです。

思えば朴大統領の任期となって韓国は国勢を著しく落としてきました。
あまり詳しくは書きませんが内政面でもかなりの反民主化傾向が出ています。
一昨年の12月には憲法裁判所(日本で言う最高裁)にとある政党を違憲政党審判で引き出し解党判決を出させました。
北朝鮮に同調する趣旨が強いというのが理由でしたが憲政史上始まって以来のことでもありこれは言論弾圧に直結するものと韓国マスコミも強く批判しています。
大統領に批判的な報道をすれば容赦なく名誉棄損罪で訴えるという事例が強まり、これは自由主義諸国の一員として問題があるのではないかと論じられてきました。
我が国の産経新聞ソウル支局長に対する起訴もそうです。
身柄を出国禁止処分として韓国国内に留めるという措置は内外で批判を浴びました。

経済もガタガタです。
今年の11月時点で(火を噴くスマートフォン)のサムスンを始め、現代自動車、SKイノベーション、現代重工業、起亜自動車、GSカルテック、韓国ガス公社など錚々たる企業が大幅減収、あるいは赤字転落と燦々たるものです。
頼みの対中国輸出も21か月連続減と振るいません。
日本には今年早々に日韓通貨スワップ再開を打診してきましたが「告げ口外交」でこれもさんざん(反日)を世界中に触れ回ってどの顔して頼んでくるのかと日本政府もさすがに冷ややかです。

国民からの支持も先ほどのとおりですが特に10代、20代、30代からは支持率0%!
これは呆れるのを通り越して笑える数字です。
ノンアルコール、糖分0%と間違っているのではと思ってしまいます。

2014年4月に起きたフェリー船セウォール号の海難事故でも乗客・乗員合わせて295人という死者を出し、うち250人は修学旅行中の高校生という大変悲惨なものとなりました。
この時に朴大統領は日本の救援申し出を断っています。
(反日)のメンツの方が大切だったのでしょうか。
これで若者の支持が離れたと言えなくもないでしょう。
事実、事故1周忌の追悼式典に合わせて中米への外遊を入れて不参加を決め込んでいたことに批判が集中して慌てて参加するという見苦しさでした。

もちろん現在の韓国では若者失業率が11%超という今世紀に入ってからでは最悪と問題視されるべき状況にあり、朴政権のかじ取りの稚拙さや汚職以外の要因がマグマのように国民感情から噴出していることは多くの識者が指摘されているとおりです。
私も個人的には当然ながら隣国とは仲良く、またお互いに発展していける環境づくりが大切とは思うものの朴大統領の行動を見ていたら残念に感じるものが多いのでとほほとなっています。




NHK大河いよいよクライマックス
今年のNHK大河ドラマ「真田丸」も12月を迎えていよいよクライマックスです。
ドラマや映画、舞台などは演じる俳優さんの力量が問われますが見えないところで大切なのは(脚本)です。
これの出来・不出来で作品の質が大きく変わります。
「真田丸」の脚本は三谷幸喜氏。
2004年の大河「新選組」も素晴らしいものでしたが今年もバツグン、1年を通して楽しませていただきました。
三谷氏の映画も「ラヂオの時間」(1997年)、「ザ・マジックアワー」(2008年)、「ステキな金縛り」(2010年)、「清州会議」(2013年)など傑作が目白押しですが、上手の手から水も漏れることもあり「ギャラクシー街道」(2015年)などの疑問作もあります。
NHK大河ドラマにもそれは言えて三谷脚本ではありませんがあの衝撃のズッコケ作「○燃ゆ」などは放映開始されてからすぐに観なくなりました。
1年を棒にふりました。

「真田丸」も今週の放送は家康秘策のエゲレス製大筒が淀殿(竹内 結子)の寝所を襲い炸裂、多数の侍女が犠牲になったことから真田幸村(堺 雅人)が猛反対するも大阪方は徳川連合軍と和睦します。
そこで家康はしっかり狸おやじぶりを発揮して真田丸はおろか大阪城の内堀、外堀を埋めてしまい、(大阪冬の陣)が終わったところです。
次回からいよいよ最終局面の(大阪夏の陣)が始まりますがこの「戦国日の本最後の大戦」をどう三谷氏が脚本したかが私にとっては関心事です。

史実では大野治長ら家老・近習が(籠城)を主張しますが丸裸の城に籠るアホウはいないと浪人集が徳川方に対して(野戦・要撃)を主張します。
この時点で浪人集がいなければ戦にならない大阪方としては野戦案を黙認します。
ただ、大阪方の二人の軍師・真田幸村と元黒田家家臣・後藤又兵衛(哀川 翔)の「どこで邀撃するか」の意見が分かれます。
幸村は四天王寺、又兵衛は小松山を決戦場に押しました。
四天王寺は大阪城から約4キロ、いざとなると城からの支援(増援)も受けられ徳川軍の動きに柔軟な対応ができるメリットがあり、他方、小松山は城からすでに20キロ離れて孤立無援ながら東から進軍してくる徳川軍も(国分越え)といって大和川を越えて隘路を登ってこなければならず、ここに布陣すれば少数の大阪軍でも徳川軍を各個撃破できる地理でもありました。

当然ながら幸村と又兵衛はお互いに譲らず激しく口論したと伝えられていますが、ここにまたあの大野がしゃしゃり出て四天王寺と小松山にそれぞれ真田軍、後藤軍と分けてしまいます。
古今東西、軍法では敵に対して少数の味方を分けることは「各個撃破」を招き、もっとも避けなければならないのにこの大野は・・いつもいらんことをする奴です。

私はこの時の大阪方は後藤案で行くべきだったと思っています。
事実、徳川は小松山に現れ、6400名の後藤軍にさんざんやられており、もしここに真田軍がいれば勝利していた可能性が高いからです。

ここで私は三谷幸喜氏の脚本を観たいのです。
歴史では真田幸村も後藤又兵衛の策の鋭さに気がつき小松山に進軍をします。
幸村のいる四天王寺から小松山までは15キロあまり、5月6日の夜半2時に出て合戦場に到着したのが手前の藤井村で正午になっていました。
行軍速度は4キロを3時間もかかっています。
神速真田軍としては考えられない遅滞、スローモードでした。
すでに小松山の合戦は終わっており、真田軍はもう一度四天王寺に引き返し、翌7日に徳川勢18万と戦い、家康本陣にまで肉薄する猛攻をみせますが衆寡敵せず東に下がった安居天神境内で割腹して最後を遂げたといわれています。
私としては知将幸村の「小松山謎の遅延」をどう三谷脚本が捌くかが今から楽しみです。




韓国大統領の呪い
表題の「韓国大統領の呪い」は正確には「韓国大統領への呪い」ですが、昨夜ある会合に出席して雑談になり座長が「しかし、韓国の大統領はいつも悲惨な末路を辿るね、どうなってんのか」と話されたので考えてみました。
現在の朴政権も身内びいきが祟って100万人抗議集会などで政権としてはすでにレームダック(死に体)です。
韓国の歴代大統領は建国後、揃いもそろって呆れるほど悲惨というかお粗末な最後を見せつけてきました。
日本で言うと「晩節を汚しまくる」といった感じです。
挙げてみても・・。
初代~第3代 李承晩 選挙不正でハワイに亡命
第5第~9代 朴正煕(現大統領の父)側近のKCIA長官に暗殺される
第11第~12代 全斗愌 粛軍クーデターの反乱首謀容疑で逮捕 光州事件で無期懲役
第13代    盧泰愚 秘密政治資金が発覚 逮捕 懲役17年
第14代   金泳三 次男が収賄 逮捕
第15代   金大中 息子二人が金銭授受で逮捕
第16代 盧武鉱 収賄事件で事情徴収 自殺
第17代 李明博 兄が不正資金で逮捕 長兄も脱税
第18代 朴槿恵 キャビネット主要人物らの公金不正流用疑惑発覚

見事に亡命・暗殺・汚職・逮捕・懲役などよくもこれだけ続くなと呆れますが日本ならおそらく「政治浄化」の名のもとに何らかの対策が取られるところですが韓国にはこの(自浄作用)が働きません。
なぜなのでしょう。

「本当の民主化ができていない」と批判するのは簡単なのですがそれはまだまだ皮相的な観方です。
私は「儒教の影響」または「大統領にかけられた儒教の呪い」がキーワードになると思っています。
もともと儒教はその祖である孔子が広めた宗教ですが2000年に亘り、東アジアで絶大な影響を振るいました。
5大教義の仁・義・礼・智・信は現在の私たち日本人が聞いても「別に悪いこと言ってないじゃん」と思えるのですが儒教には「毒」が隠されていました。

ある国が敵国に攻められて苦戦。
国王は有能な将軍に討伐に出向くよう命令します。
ところが将軍は「行けません」と命令を拒否。
色めく国王に彼は「私の父が病気なので故郷に帰って看病しないといけません」と答えます。
普通なら「何言うてんねん!」と怒るところですが儒教の国では法律・法規より「忠義・孝行」がそれを越えて最高規範となります。
国王は出征命令を押し付けられず他のどちらかと言えば無能な軍人に兵を預けざるをえませんが大敗して国は滅亡という筋書きです。

本家の中国ではすでに影響力が全く低下していますが21世紀の現在でも純粋培養され社会通念として人々の行動規範としてしぶとく生き残っている儒教大国が「韓国」です。
とにかく親や親戚の叔父さん、伯母さんに言われたら子どもとして拒否することができません。
それは儒教の教えに反するからです。
染みついた孔子スピリッツのDNAが命令違反を許さなのです、それが法に触れようが。
もうおわかりだと思いますが大統領という政治的最高権力を得たらこれら家族・友人・知人が群がってきてワシワシと利権漁りをするのを本人が止められません。
閨閥が完全に儒教論理と結びついて社会通念を排斥します。

朝鮮半島では14世紀の李氏朝鮮時代、光宗が儒教に基づく「科挙制度」を導入し、成宗の世には「国子監」、儒教の最高学府を設立して国教として確立しました。
日本にも江戸幕府時代に入ってきて朱子学や陽明学として教えられたのですが幕府の意図としては「将軍の権威に忠実な武士をつくる」でした。
余談ながら儒教には他の毒もあってそれは(商業蔑視)でしたが自分の手を汚さずモノを右から左に動かして利を得る商いを蔑み、「士農工商」という身分制度を作り上げました。
しかし、マックス・ヴェーバーの「プロテスタンティズムの論理と資本主義の精神」を紐解くまでもなく、人は対象物を馬鹿にするとそれを得られないという原則が働きます。
女性を馬鹿にする男はもてない、家庭を馬鹿にすれば離婚、政治を馬鹿にすれば不満の呪縛から、お金を馬鹿にすれば貧乏に。
明治維新になり日本が近代化に成功したのは中国や韓国(当時は李氏朝鮮王朝)のように科挙制度を導入せず、儒教を立身出世の必須科目にしなかったこと、つまり毒に侵されていない人が大勢いたことが幸いしました。
今も韓国の受験競争は世界で一番激しくて、いい成績を収めて有名大学に入り、財閥系企業に就職できないと一生お先真っ暗という価値観が社会に横溢していると問題になっています。

韓国は縦社会と言っても家や閨閥が強すぎる。
このような悪い政治的見本をこれ以上国際社会に見せつけない為には韓国は儒教の「呪縛」または「毒」から解き放たれる必要があるのではないかと個人的には考えます。
そうでなければいくら大統領が代わっても同じことの繰り返しでしょう。

社会を支えるのも楽じゃない
私の知人がこぼしていたのは妻に死に別れた父親と2人で住んでいるが朝、自分が出勤する時に父はテレビを観ていて、夜に仕事が終わって帰宅しても観ている・・父は一日中テレビ漬けになっているのではないかと心配していました。
そう言えばわが身にも思い当たるフシがあって最近、テレビの視聴時間が増えてきたかなという自覚があります。

今朝もテレビを観ていたら「犯罪被害者支援センター」の取り組みが報道されていて、広島のお好み焼き店に強盗が入り、店のご主人と奥さんが刺殺された悲惨な事件があったようです。
そのご子息が現場を発見してしまいかなり精神的に参ってしまったところセンターを紹介してもらって裁判の付き添やカウセリングを受けて「闇夜に一筋の光がさした」と感謝しておられる映像がありました。
ただ、センターの現状では5年前に比べれば相談数が約3倍となり、人出もかかる、研修費ももちろん、相談者への訪問の交通費もそれなりに増加となり、慢性的な財源不足を嘆いているようです。
これは広島県だけではなく全国的に同じ傾向でまず「活動財源の確保が必要」とアンケートに答えているセンターが9割を超えているという現状から社会的必要性が増しているにも関わらず活動費の捻出に苦しんでいる窓口の思いが浮き彫りになっていました。

これは類似したケースとなるかも知れませんが運転免許の更新に行くと窓口で「交通安全協会」への入会を勧められます。
私も免許取得した20代から毎度の更新の際には会費を払ってきました。
この会費の額も都道府県によって違って確か滋賀県の場合は現在、3年1000円・4年1200円・5年1500円だったと記憶しています。
私が毎回の更新時に感じることは協会への会費納入者がだんだんと少なくなってきたかなと思えることです。
世の中は決して景気がいいとは言えなくて皆さんもできる限り不必要と思える出費を抑えようとされている心境は私もまったく同じです。
協会に会費を払わなくても別に免許更新に支障は生じません。
知人に「会費を払わなかった理由はなに?」と訊いても「別にメリットがないじゃないか」と返答があります。
確かに個人としてのメリットはないかもしれませんが協会が行っている交通安全啓蒙活動は交通教室の開催や収入印紙の委託販売事業、自転車の反射シール配布事業などなかなか民間では行えない社会活動を展開していることを考えたら私は3年に1000円ぐらいは出そうと思っているだけなのです。
「今だけ、自分だけ良ければいい」という風潮がもし社会に蔓延してくれば随分と殺伐とした世の中になるのではないかと心配もします。
みんなの悩み
私の精神状態またはバイオリズムが下降線を辿っていて今日も愚痴になることをお許しください。
また、お食事中の方またはこれから1時間以内に食事をされる予定の方はお目通しを控えられるようお願いします。

私は新聞・雑誌の悩み事相談欄などが好きで自分も(若きウェルテルの悩み)や(ハムレット)のように人生をくよくよ生きて来ましたから他人が悩んでいる姿を見てかえって(悩んでいるのは私だけじゃないんだ)と安心するというか、納得するというかのうじうじした性格の持ち主です。
そのような中で日々愛読しているのが読売新聞の(人生案内)です。
投稿者は人生における様々な悩みを紙上で開陳して回答者が大学教授や弁護士さんなど社会的立場がそれぞれにある方々で一家言持っておられてやさしく悩める相談者に答えていくというスタイルです。
相談の内容は仕事や家族関係、恋愛など多岐に渡っていますがどうも家族間の悩みが5割ばかりを占めている感じです。
やはり基礎的生活基盤である(家庭)は一筋縄ではいかないのだと思います。

2016年11月21日の(人生案内)は「私の新車で吐いた夫に冷めた」でした。
40代前半の主婦、夫が泥酔して買ったばかりの車の中で吐き、一気に愛情が冷めたと相談。
夫の顔を見るたびに吐いている姿が目に浮かび、一緒に食事をするのが苦痛になったと訴えられ、それからは別々に食事をするようになったと言われています。
あの日を思い出すと離婚したいと考えてしまうと締めくくられていました。(山梨・I子さん投稿)

記事を見ての正直な感想は(こんなことで離婚されたら男って悲しいね)でした。
それなら私も妻からすでに100回ばかり離婚されているでしょう。
私たちの結婚式の時に親戚のおじさんが「夫婦生活は長い航海、晴れの日もあれば嵐の日もあり・・・」と挨拶してくれていたのを憶えていますがその時は(またぁー一般論言っちゃって・・いるんだよね、こんな教訓おじさんが)などと不遜極まりないことを式中に考えていました。
結婚してから10年はエーゲ海をクルーズしているようで順風満帆、ところが次の10年に入り海が荒れだして5年ばかりは(嵐にしやがれ状態)で家庭という船は右に左にと振り回され難破、破船、転覆、沈没、漂流と進み、ただ今は社会の無人島に命からがら漂着した状態です。
夫婦生活ってエーゲ海と思っていたらいつの間にか魔の三角海域サルガッソーに入ってたのねとよく破たんしなかったなとさえ思っています。

小泉元首相は「人生いろいろ、上り坂があれば下り坂あり、しかし(まさか)もある」と名言を残しています。
自分たちだけは大丈夫と思っていても私の場合も(まさか)がありました。
先のことは自分も読めない人生航路を誰しもが恐る恐ると進むのですがそう考えてみれば人生は深いなと思います。
はい、本日も見事に愚痴になりました。






地域猫についての世間の評価
いささか言い訳から入りますが私の場合、ブログを毎日書いていた理由の一つは「文章オンリーだった」ことによるものです。
写真や動画だと見た瞬間に投稿者の意図を察知してもらえますが文章はそうはいきません。
現代人は忙しい、やらねばならぬ事が実に多い、そのような中でSNS上で見かけた石田某というののブログには何が書いてあるのだ?政治のこと?家族?猫?・・・こいつは分裂症なのかと疑いの念を世間様から持たれた場合、世間から排斥されるのが「怖い」からです。
人間何が怖いといっても戦争・革命・恐慌・飢饉・暴動・・いやいや、それはわが身に降りかかる時はみんな一緒・・根源的な恐怖は(自分一人だけが)村八分・シカト・排斥される・・これが一番怖い・・。
日本は自殺大国ですがおおよその原因は経済的な理由、重篤な病気に悲観して、受験や出世競争に敗れてなどが引き金になっての(孤立化)です。
よくある(金の切れ目が縁の切れ目)とはこのことを指します。
誰にも相談できなくなった、支えてくれる人がいなくなった・・これら人生最後のセフティーネットが外れる瞬間に人は自ら死を選ぶことになる可能性があるようです。

重たい・・重たい話になってしまいました。
こんな事をしゃべりたくてパソコンの前に座ったのではないのですが手が勝手に動きます。(これも怖い!)
話を元に戻して「文章オンリーのブログ」ですから読み手によって私が人格破綻者の烙印を押されるのが怖くて毎日書いていれば(ああ、彼はこのような人間なのだ)と思ってもらえるのではないかと・・「木を隠す時は森に隠せ」と言うではありませんか、そのせいで何処に隠したかわからなくなっても・・・。

本日書きたかったことは今朝のテレビを観ていて千葉県浦安市で市が地域猫について斬新なアプリを提供している取り組みについて思うことを書いてみようと考えたのですがこれから延々と地域猫についてをしゃべると益々人間性を疑われるのでまた日を置いてから書き込むことといたします。
(私は結構ビビりなのです)



前滋賀県知事の講演を聴いて考えた
先週の土曜日(11月19日)に地元の県立安曇川高校創立50周年記念式典が挙行されたのでPTA役員として出席しました。
会場は高島市民会館であり1階750名、2階250名の計1000席がいっぱいになる盛会ぶりでした。
その式典の記念講演でびわこ成蹊スポーツ大学学長・嘉田由紀子氏が約90分にわたって話されました。
テーマは高島市の魅力を考えるという観点から9っのアプローチで語られ、とても聞きやすいいい講演でした。

嘉田氏は滋賀県前知事でもあり、その意味から政治的なお話も入っており、「今回のトランプ氏はなぜ勝ったか」というところからご自身がアメリカに研究員として3年赴任していた時にアメリカの農地は広大で車で1時間、2時間と走っても延々とトウモロコシ畑が続く、そこには人がそれほど住めなくなって学校や病院など社会インフラが整備できず、(これはやり過ぎだ)と思ったと話されていました。

別にアメリカの農業批判のお話ではなかったのですが確かにアメリカ農業と日本農業を比較するのは滑稽なことだと講演を聴きながら考えていました。
日本では「米作」ばかりが中心となっていると言われますが他の野菜類、トマト・レタス・きゅうり・かぼちゃ・ジャガイモ・大根・かぶら・ネギ等かなりの品種を地方の偏りもありますが作っています。
果物もリンゴ・みかん・さくらんぼ・柿・スイカ・いちじく・イチゴ・メロン等々そうとうの品種を生産しています。
アメリカは一部カリフォルニア州などでフルーツの多品種栽培がみられるものの他では圧倒的に単品大量栽培です。
アメリカ農業は次の5っの品目で集約されています。
大豆・大麦・小麦・トウモロコシ・綿花・・これのみを嘉田氏が言われた気の遠くなるような広大な農地でせっせとつくっています。

ここで発達したのがいわゆる(遺伝子組み換え食品)ですが要は単品種の栽培に適するように除草剤耐性や害虫耐性を強くして農薬等の配布回数を減らし、生産コストを下げることを目的としたものだと言えます。
アメリカの世界的な種子メーカーであるモンサント社が開発した「ラウンドアップ」という除草剤は必須アミノ酸を合成する酵素の働きを妨害してすべての植物は枯れてしまいますが、遺伝子組み換えによってラウンドアップの(耐性大豆)のみ育つという構図です。
これによって延々とどこまで行っても(大豆畑)が続くという光景が出現しています。
これはもちろん他に(トウモロコシ畑)や(小麦畑)も同様のことです。

日本の消費者は「遺伝子組み換え食品」についてかなりの警戒感を持っておりその気風を反映してか食品メーカーも原材料として使用することには及び腰です。
スーパーで並ぶ(納豆)でも「遺伝子組み換え大豆ではない」とわざわざ明記されている場合が多いのですが逆に言えば書いていなければ遺伝子組み換えであると思った方がいいでしょう。
厚生労働省では「実質的同等性」という見解を示しており(他の性質が従来の品質を変えなければこれまでの品種と同等とみなす)つまりは特に問題はないと言っていますが日本の消費者団体は「長年の研究データーが出揃っておらず健康被害が生じる可能性が全く否定されたこととは言えない」と慎重な姿勢です。
また、(生態系への影響)や(一部企業の食料支配につながる)と反発があります。

TPPがもし締結され場合、農業への影響は甚大なものがありますが少なくとも日本においてアメリカの主要品目である先に挙げた5っは栽培しても全く太刀打ちできません。
潔く切り捨てて別のアプローチで利益確保を狙うべきでしょう。
その際に私たちが日常食べるパンやうどん・ラーメンなどの麵類、スナック、納豆、豆腐などは「遺伝子組み換え」であることへの受け入れが必要となります。
そうでなくとも国産牛ですらすでに遺伝子組み換えトウモロコシを配合した飼料を食べて育っているのですから。

アメリカもすべてが遺伝子組み換え作物をつくっているわけではなく10%ほどはわざと組み換えていない種子で耕作しています。
もちろんその農地は害虫や病気でボロボロになっていますがこれは有名なレイチェル・カーソン女史が警告した「沈黙の春」をもとにして自然の反乱を抑えるための(人身御供)としてつくられています。

嘉田氏のお話を聞いていて私も議場で8年間のおつきあいをしてきましたが思ったのは、氏のメッセージ内容はやはり研究者または教育者としての立場から発信された方がより多くの人にわかりやすく伝わるだろうなということでした。
これは別に氏の政治的経験を軽視しているのではなく純粋に今までとは違った感じで「聴きやすかった」だけのことです。
その意味から今もいいフィールドで活躍されていることには慶賀なことと思っています。
願わくばそのフィールドも「遺伝子組み換え」されませんことを。





知能指数って結局何なんだろう
今まで十数年に亘ってブログを毎日書いていましたが何かルーチンワークのようになり、(もう毎日書くのはやめよう)と思いったったらなぜか心が軽くなり、日々の行動面でも時間ができてきたのでバカボンのパパのように(これでいいのだ)と思っていた矢先に友人から電話があり、「おい、ブログ更新してないけど大丈夫か?」と。
「毎日読んでくれてたの?悪いね」と言ったら、「邪魔臭いから読んでないけど生きているかチエック代わりにな」と返ってきて複雑な心境でした。
私は何?独居老人か?君は遠縁の息子か、見守りか・・。
ともかくこれからは気の向いた時に書く程度にしようと心に決めたのでした。

その友人としゃべっていたらなぜか小学校時代の思い出が蘇ってきて「知能テスト」の話になりました。
そういえば受けたよなって感じで。
学校の説明では知能指数(Intellℊence Quotient)つまりIQを測定するために実施してそれ以外の目的には利用しない、もちろん完全非公表で本人にも結果は伝えないと前説があってから答案用紙が配られた覚えがあります。
そりゃ結果を貼りだしたら大問題になるだろうと思いつつ本人にぐらいには教えてよとも思ったりもしました。
後で概略を聞いてみるとIQの平均値は100で集団としては前後に分布されるがおおよそ130を超えるのが母集団の上位2%。
犬で賢いのなら65ぐらいのがいるので後ろの1%はそれぐらいと言われて(いぬぅ!犬かぁ!あの干支になっている犬!人間なのに犬扱いとは・・・)とショックを受けたのでした。
ウルフマン(狼男)ならまだかっこいいがドッグマン(犬男)なんて全然おしゃれじゃない。

そういえばマイナーな話になりますが昔観たアメリカのTVドラマ「刑事コロンボ」のなかでエピソード「殺しの序曲」(邦題)というのがあり、アメリカのエリート集団で(シグマ協会)という組織があり、ここは知能指数がトップから2%という天才しか入会が認められない会員制クラブなのですがそのメンバーの1人が対立したメンバーを完全殺人で葬るわけです。
頭のいい人ばかりのクラブ内で起こった殺人事件なのですがエリート達が頭を絞っても犯行の方法がわからない。
そこへコロンボ警部が現れ、犯人を追い詰めていくという筋書きでした。

捜査中に犯人がコロンボを見下してある問題を出します。
『ここに金貨が複数枚入った袋がいくつかあります。でもその中の1袋は(ニセ金貨)の袋です。ニセ金貨は本物より(10g重い)です。さて、ここに(ハカリ)が1個あります。このハカリを(1回だけ)使って、ニセ金貨の袋を見つけてください。できますか?』
コロンボ警部の悩む姿をみて犯人は安心します。
(大した奴じゃない)と。
しかし、それは演技であってラストで犯人の殺害トリックが暴かれ、この問題も解かれて改めて犯人がコロンボに脱帽するというオチでドラマが終わります。

この歳になってくればもうIQが小学校の時にどうだったのかなどは実はどうでもいい話になってきます。
かのエジソン先生も教師から劣等生扱いを受け、アインシュタイン博士も落ちこぼれと言われました。
その程度のものです。
それよりも社会に出れば協調性や自主性、また心の指数(EQ)や(稼ぐ力)などが重視される(現実)のなかを渡っていくことになります。
本当の頭の良さなどはなかなか定義が難しいものです。
「知識があっても知恵がない」などと言われてしまうのも(学校秀才)の陥りやすいところです。
結局、知能指数って何なのでしょうね。

忍び寄る過疎
昨日、自宅を車で出て県高島事務所前を通って左折、NTTドコモショップのある北浜交差点で信号待ちをしていた時に目の前に道路を横断するベビイカーに小さなお子さん(乳児)を乗せ押しているお母さんの姿が映りました。
微笑ましく、心が癒される姿であることには違いがないのですが、その時、私は妙に違和感を感じていました。
それはこのような光景を高島市それも北部で見たのが本当に久しぶりであることに気がついたからです。

高島市今津町の中心から国道303号を西北に上がっていって福井県小浜の方に向かう県境に天増川(あますがわ)という集落があります。
今から30年ぐらい前に町長選挙で青年部弁士として夜間に会議所におじゃました時には集落から40人ばかりの方が出席されて熱心に耳を傾けていただいたことを憶えています。
その時の候補者に対して住民の方は「ここも年々人が、それも若い人が減ってカラスが鳴く日はあっても赤子が泣く声はここ10年聞いたことがない」と過疎対策を訴えておられました。
あの時、昭和から平成になり28年を過ぎようとしている今になって天増川の住民はおそらく10~15名ぐらいになっておられると思います。
夜に集会を開くから出てきてほしいと言ってもたぶん今なら7、8名ぐらいがせいぜいのところではないかと思えます。
住民の過半数が65歳以上を占めたら農作業や冠婚葬祭を行うのに支障が生じるという意味から(限界集落)という社会概念を定義したのが高知大学名誉教授であった大野 晃氏であったと記憶していますがここ天増川もその意味からすると限界集落です。

高島市では区や自治会の数が190ばかりありますが県中間地域過疎高齢化集落問題研究所といういささかくどい名前のシンクタンクの調べによりますと市内でこの(限界集落)と認定できるのが10集落、55歳以上が過半数を占める(準限界集落)が41地域と発表しています。
この割合は滋賀県内でも多賀町の16集落に次ぐ県下2番目、市ではトップという高齢化率をマークする要因となり高齢化率が2016年のデーター、3.4ポイント増の24.1%となった滋賀県全体の水準を大幅に超えています。

今から2年半ばかり前の2014年5月に「日本創生会議」の人口減少問題検討分科会が「出産年齢の中心である20~39歳の若年女性が半減することにより、全国1800自治体の半分にあたる896市区町村が2040年には゛消滅゛する」という衝撃的な発表を行い話題を呼んだことを記憶していますが(平成の日本沈没)はこれより早くやってくると私は地方の現場にいて感じています。

政権がただ今、「地方創生」の目玉として東京などの大都市圏の企業が本社機能を地方に移せば投資額の7%を法人税から差し引ける(優遇措置)を行い、管理部門など社員の転勤などで地方の雇用が増えた場合は1人あたり140万円を税額控除できるように(税制改革)を押し進めていると胸を張りますがそんなものは何のインセンティブ(動機づけ)にもならないと思います。
実際にそれで地方に拠点を動かす企業発表を寡聞にして私は知りません。

人口減少の最終大波が地方を襲うことはもはや避けられない状況であり、ここ5年が勝負どころでしょうがこの状況に対応できる地域づくりを政権のお手盛り政策で実現できるという甘い幻想を捨てて、住民が知恵を絞って考えるべきでしょう。
いかに地域が自立できるのかがポイントであり、その為の仕掛けづくりを構築できるか否かが私たち地方生活者に課せられているのです。






熊のまち
数日前の夕方、家族で食卓を囲んでいたら防災無線から放送が入りました。
次男が「また熊の話やで」と言うので聴いていたら「こちらは高島市防災無線です、臨時放送をお届けします、今日午後5時47分ごろ〇〇で熊の出没が確認されました、付近をご通行の方はご注意ください」。
やっぱり熊か!ぎゃははは・・と家族で大笑いして、(ポケモンGO)でモンスターを探していたら熊に会いましたではシャレにならんなとか馬鹿なことを言ったりして、また笑っていました。

誤解のないようにと思いますが別に熊を馬鹿にしているわけではありません。
昔観た映画「グリズリー」で熊の怖さに震えたり、日本でも大正4年に北海道で開拓村落が熊によって襲われた実話を描いた吉村 昭氏の小説「熊嵐」を読んだことがあったりと結構、熊には興味があります。

実はこの高島市でも探してみれば「熊」とつく地名が多くて昔から熊が多く出たのだなと容易に推測できます。
日本狼は全滅してしまいましたが熊は健在です。(何言ってるんだろう?)
全国でも狼とかを入れた地名は少ないのですが熊とか鹿が入った地名は多く、古くから日本においてこれら動物と共生していた形跡が残っています。

それが平成の大合併で古くからの地名が消え、(希望ヶ丘)とか(緑の里)など没個性的な地名に代わったのは残念です。
誤解のないようにと思いますが別にこれらの住宅地にお住いの方を愚弄するつもりはなく、新興住宅地なら当然新地名もありかなとは思いますが昔からの地名を簡単に変えることは控えた方がいいと思うだけです。
(言霊信仰)の日本ですから「熊」とついた地名なら熊にまつわる何かが隠されているはずですし、「〇〇崩れ」と地名にあるなら土砂災害が多い地域だから気をつけろというメッセージがあるはずです。

地名には古からのしきたり、習慣、事件など様々な(記号)が込められているのですからそれを追いかけるのも楽しいのですが今は暇ではないので老後の楽しみに取っておきたいと思っています。
それにしても防災無線で(熊出没)を連呼する高島市って平和なんですかね。
もしかしたら今度の選挙でも熊が出たりするかもしれません。

サンマは頭から腐る
昨週、知人から「とんでもない条例が市議会で検討されているのよ」と聞かされ、何か?と尋ねたら「共産党の折り込みを見て」と言われ、家に帰って紐で括ってあった新聞の束から探したら・・ありました。

「議員政治倫理条例案」゛市民の知る権利゛を奪う 委員会に提案、即決と表題に。
これは酷いことを議会がやっていると私すら思いました。
(議員の立場で知った、議会情報をみだりに漏えいしないこと、ただし、市が公開している情報についてはこの限りではない)
なんだ!これは?
これは全国で公開されている「全国珍・迷トンデモ条例集」の筆頭をいく内容じゃないかと。

(漏えい)とは何を言っているのかわかりません。
市民の負託で市政のチエックをする為に議会に赴いている議員さんが知り得た市政・議会情報を広報するのはむしろ議員活動の原点ではないのでしょうか。
高島市議会は病んでいるのではないかと失礼ながら思いました。

知っている高島市議会の女性議員さん(共産党所属ではない)に「あんな議会制民主主義を破壊するようなとんでもない条例をなぜ審議しているのですか?」と尋ねてみれば「だって、市長が可哀想じゃないですか」。
あいた口がふさがりませんでした。
こりゃダメだ・・・。

どうも推測すれば6月に議会と市の執行部との間で開かれた「全員協議会」の場で一部議員が監査請求人の名前を教えろと迫り、市長の指示で監査委員会事務局が請求書をコピーして配布したおそまつな事件がありましたがその内容の一部始終が監査請求人たちに(漏えい)していたことに対して今後このようなことがないようにブロックするためにこの条例の追加が行われたフシがあります。
市と議会がこのようなことが起こらないように襟を正すのが大人の態度なのに、今度は市民に情報を公開するなと縛るなど病んでいるのかと議会に言ったのはその意味からです。
二元代表制の一方としての矜持やプライドの欠片も感じられず、厳しく言いますがこれでは高島市議会は(学芸会)です。
市民の代表者としての責務を自ら放擲する重大な権限放棄につながります。
SNS上でこれだけの地元議会批判をするのですから私もそれだけの覚悟もあってのことですがこれは酷過ぎる条例ともう一度言っておきましょう。
抗議は受け付けますが今度は市の職員に言わせたりせず、議員自ら出向いてきてもらいたいものです。
討議いたしましょう。
これでは市の最重要課題だった昨春の市庁舎位置条例問題も議会で解決せず、市民に丸投げとなった(住民投票条例)に賛成して市民に亀裂を入れた軽い判断と議会としての責任逃れもよくわかります。

戦前の権力に阿る(大政翼賛議会)に堕してから日本に民主主義は消え、軍部独裁の政治体制のまま戦争に突っ込んでいった情けない政党政治の成れの果てを知っているだけにこの「議員政治倫理?条例案」には断固反対します、一市民の立場として。
「サンマは頭から腐る」と言われますが「政治は議会から腐る」と議員のみなさんは肝に銘じて日々の議会活動に取り組んでいただきたいと思っています。
この一連の条例についてまともなことを言っているのは共産党だけではないかというところに悲しさを感じます。
13日には市議・市長選挙説明会がありますがこれも荒れそうなのはむべなるかなとしか言いようがありません。



運命の選択
もう10年以上前になるが知人が脱サラしてラーメン屋を始めると言い出しました。
「もう豚骨ラーメンは古い、これからは牛骨や」とのたまい、退職金と貯金を崩し、それに借り入れまでして暖簾を上げました。
「牛骨ラーメン」・・店主は意気揚々でした。
おりしも九州発の「狂牛病騒動」が勃発して、原因はどうやら米国産の牛の骨髄となり世は騒然となりました。
テレビで子牛がよろよろと歩き、いきなりバタンと倒れる映像が流れ衝撃を与えたのです。
知人の店には誰も入りませんでした。
そんな怪しげな、やっかいなものを食べようとするチャレンジャーはいなかったのです。
3か月で廃業となりました。
ちなみにこの時、牛丼チェーンの「吉野家」もアメリカ産牛肉にこだわり、長きにわたって牛丼の販売を中止する羽目に陥いっています。
商売に限らず世の中には常に運・不運がついてまわります。

この知人が不運なら最寄りの幸運を引き寄せたのはトランプ氏でしょう。
もうクリントン氏で決まりというところを最後にメール事件でひっくり返しました。
しかし、民主党というよりもクリントン氏勝利を予想していた政府関係者や投機筋が大慌てです。
これからの世界の政治経済に深刻な影響が出ると論じています。
おそらくTPPはご破算になりますし、メキシコ国境に壁を造ったり、アメリカは内向きの姿勢を前面に出すことになるでしょう。
「世界の警察官」なんてヤメヤメと言い出して、喜ぶのは中国やロシアとなります。
このアメリカの汎アメリカ主義、いわゆるモンロー主義に回帰するのは80年ぶりです。
これから世界中に激震が走ることになります。

大統領選挙中、私はジョン・スタインベックの「怒りの葡萄」を読んでいました。
この小説の中にはトランプ氏を応援しそうな人が大勢出てきますし、なぜ今回クリントン氏が負けたのが納得できる作品でした。




カレンダー

03 | 2017/04 | 05
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 - - - - - -



天気予報


-天気予報コム- -FC2-



最近の記事



月別アーカイブ



カテゴリー



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる



ブログ内検索



counter