ゆうすけブログ
蜂蜜の話
蜂蜜(はちみつ)と聞いて人は何を頭に描くでしょうか。
また蜂蜜を食べたことがない、味を知らないという人と私は今までお目にかかったことはありません。
それほど世界各国で愛されている蜂蜜。
甘味の中に蜂たちが集めた花の種類によって様々な香りづけがなされており料理の中に取り入れられてきました。
日本ではポピュラーなレンゲやアカシヤ、クローバーを始めみかん花、ナタネ、トチ、ラベンダーなど枚挙にいとまがありません。
この間、喫茶店で久しぶりに蜂蜜をべったり塗ったフレンチトーストを食べましたが本当においしかったです。

料理の調味以外にも滋養に強壮に美容にと蜂蜜の持つ効果は古来より万人が認めるものですが私のイメージではデズニーの「くまのプーさん」がはちみつ壺を持っている感じです。
実際は冬眠から目覚めた熊が蜂の巣を襲い、怒った蜂たちにブチブチ刺されてもものともせず最終は蜂の巣をムシャムシャ食べている映像が頭に残っています。
この場合、熊のお目当ては巣の中にある蜜です。

脱線しましたが最近になってショツキングなニュースが流れました。
東京都で生後6か月の男子の乳児が蜂蜜摂取が原因とみられる乳児ボツリヌス症で亡くなったということです。
乳児は痙攣や呼吸困難に陥って今年3月30日に息を引きとったとありましたがボツリヌス症の典型的な症状です。
親御さんは離乳食代わりに市販のジュースに蜂蜜を一日10gほど混ぜて与えていたと報道にありました。
親心で蜂蜜の滋養や栄養に期待してのことだったと推察します。
事実、幼児(乳児ではなく)に蜂蜜を定期的に与えることによって体力、知力が飛躍的に上昇したという医学的実験データーも数多くあります。

ただ、蜂蜜にはボツリヌス菌の芽胞が存在している場合があり、極めて熱処理に強く、しかも嫌気性で空気がないところを好むため大人の成長した消化器官や腸内環境ならまったく問題がないのですが生後1年未満の乳児の場合は芽胞が腸管まで到達してボツリヌス菌が発芽して大暴れして最悪の場合は前述のケースのようになる可能性があります。
日本では1987年に厚生省から通達が出ましたが国内生産の蜂蜜商品には「生後1年未満の乳児には与えないでください」と但し書きが印刷されていることもあります。

そもそもボツリヌス菌は猛毒であり、専門書にも約0.5㎏で世界人口が全滅するほどの殺傷力を持ち炭そ菌などとともに生物兵器の開発に取り入れられているとあります。
0.5㎏で人類滅亡ってイメージ的に湧かないのですがとにかく凄く猛毒なのです。
1984年に熊本で地元名産・辛子蓮根を食べた36人中、11人がボツリヌス中毒でお亡くなりになる事故がありました。
真空パックされた中で酸素が存在しない環境で嫌気性のボツリヌス菌が繁殖したようです。
加工会社の事前熱処理の甘さと蓮根に付着した土壌から入ってきた菌の除去を丁寧にされていなかったからです。
瓶詰だとか缶詰、レトルトだから安心と思っていても菌の中にはこのような環境(無酸素)でも生き残っているのがいるから加工の工程は本当に大切です。

滋賀県でも鮒ずしを漬ける人はボツリヌス菌の怖さを知っています。
昔は木の樽を使っていたので比較的空気が通ってボツリヌスが繁殖しなかったのですが近年になってプラスチック樽を使うようになって中毒が見られるようになりました。
ある鮒ずしを漬けている方からもらった時に「毒見しておいたから安心して」と言われたことがありますがこのボツリヌス菌のことです。
東北地方にも昔から飯鮨文化がありますがかなり神経をとがらせて生産してきた文献が残っています。
蜂蜜から思わぬ方に話がいってしまいましたが食と味と安全性はいつの時代にも切り離せない大切な問題なのです。



海津の桜
この季節、日本人なら妙に心が浮き立つのはなぜなのでしょう。
桜の花のつぼみが膨らみ、開花寸前となれば傍に寄って愛でたくなるそんな浮かれ方です。

今年の冬はここ数年来なかったほどの厳しい寒さでした。
やはり全国的にも桜の開花が例年よりも遅れているようです。
私も今日は奥琵琶湖・海津大崎に行ってみましたが開花状況は3分咲きどころかまだ少し開きかけたぐらい。
思ったほどの人出がなく、一緒に行った人と「みんな、もっと咲いているスッポットに行っているんだね」と話をしていると「昨日は京都に行ったけど満開には程遠い5分咲きぐらいだったよ」と言われ、(あんたも日本人だねぇ)と内心思ってしまいました。
つまりは追っかけ、桜ストーカーです。
ここ琵琶湖海津は近畿の桜名所の中でも満開が遅くてだいたいは1週間から10日ぐらい遅れて咲きます。
本当は今日の桜状況も写真で撮ってSNSでアップすればよかったのですがどうも写真を撮るのは苦手なので文章でゴマかします。


テッシュボックスは二度宙に舞う
テッシュボックスは家庭の必需品です。
特にありがたみは無くても(必要な時に)無ければ「ママ、テッシュは?」と尋ねてしまうのです。
ガソリンスタンドでオイル交換をしたらもらえたりしますが大抵は喜んで受け取られます。
このテッシュ・・なぜかボックスから取り出す時に1回、つまり1枚でいいのにわざわざ2回(シュ・シュ)と取り出しませんか?
なぜ自分がこのような行動をするのか考えていましたが結論は未だに出ません。

今日はテッシュについて考えるわけではありません。
表題の「テッシュボックスは二度宙に舞う」はアメリカの小説「郵便配達は二度ベルを鳴らす」のパロディです。
この「郵便配達は二度ベルを鳴らす」(以下゛郵便配達゛と略)は誠に不思議な小説です。
作者はジェームズ・M・ケイン、1934年の世界大不況の最中に出版されて今まで4度も映画化されブロードウエイではミュージカルとして現在も上演されています。

私が不思議と思っているのは作者ケインの名は世界の文学史の中でほとんど無視されているのです。
更に追い打ちではっきり言えばケイン以外でアメリカ文学を語らねばならない重要な文筆家は大勢存在します。
ストーリーもどこにでもあるお話です。
どこかギラギラとした野性味が残る浮浪者フランク・チエンバースがある中西部のガソリンスタンド兼レストランに流れ着く。
そこはギリシャ移民の中年オヤジ、頭がツルツルのパパ・ダキスが経営していた。
妻は美人だが代わり映えのしない日常に飽き飽きしているコーラ。
フランクはその店に雇ってもらうもののお目当てはコーラだった。
しつこくコーラに言い寄りねんごろになった二人は(つまり悪徳不倫ですね)パパ・ダキスを亡き者にしようと計画を立て遂に自動車事故に見せかけてダキスを殺害する。
しかし、ダキスには高額の保険が掛けられていたことから保険会社が二人を起訴。
弁護士が保険会社と取引をしてコーラのみ有罪となるが後に保釈。
返ってきたコーラとフランクはぎすぎすした関係を続けながらずるずるとした生活を営む。
ある日、コーラが本当に自動車事故で死んでしまう。
今度はフランクが裁判にかかって死刑判決を受けてしまう。

どうですか?
なんかどうでもいい話でしょう。
なぜアメリカでは流行るのかがよくわかりません。
作者自身が出版が決まるまで14回も出版社に持ち込み門前払いにあっています。
ようやく本が出る時に編集者から「で、ケイン、本のタイトルは何にする?」といい加減な対応でした。
ケインはさらにいい加減で「小説を持ち込もうと出版社のベルを押したら無視されたから郵便配達員を装って二度ベルを鳴らしたらドアを開けてくれたんだ、お宅の場合」。
実際にこの小説は流れ者のフランクと多情な人妻コーラ、やられ役のパパ・ダキスのはげちょびんしか出てきません。
題名の付け方からしてその場限りなのにもう80年以上映画や舞台で取り上げられている不思議な作品です。

アメリカ人大丈夫か?と言いたくなるのは「キングコング」です。
こちらはご存じでしょうから筋書きは書きませんがこれもひつこいぐらい(これでもか)と映画でリバイバルされています。
「郵便配達」と双璧の作品です。
困ったことに(キングコング女優)という言葉があるようにハリウッドではNHKの朝ドラヒロイン以上に女優としての登竜門です。
かってジョン・ギラーミン監督の「キングコング」に出演した女優のジェシカ・ラングは30年以上経ってからヘラルドトリビューンのインタビューに「あんな猿と戯れる作品に出たなんて後悔するわ」と応えています。
出世作なのにめった切りです。
同じくキングコング女優のナオミ・ワッツは「サルの前でダンスなんてばかばかしい」とこれも突き放しています。
出演している俳優がみんな阿保らしいと白けているのに何度も作品化される「キングコング」・・世界がなぜ熱狂するのか?謎は深まるばかりです。
ちなみにジェシカ・ラングは「郵便配達」にもコーラ役で映画出演しています。
このアメリカを代表する2大作品に出てからのち別の作品でアカデミー主演女優賞を取りました。
なかなか計算高い人ではないかと推測できます。

日本人なら何度も飽きるほど観るのは「忠臣蔵」ですが前述のアメリカ2大リバイバル作品に比べると江戸時代中期の赤穂事件をテーマに見事に日本人論の中核に迫り、忠とは何か、武家社会とは何か、封建体制とは何かと哲学的であり何度も様々な角度から考証してもなお飽き足らない深みと文学性があります。
大石内蔵助を演じる俳優が「あんな単純な仇討ち、やってらんねぇすよ」と語ったとは聞いたことがありません。
ただ、最近になってテレビドラマでやっていた「忠臣蔵」は討ち入りの12月14日の夜半は小雪が舞う寒い日だったのに赤穂浪士たちが切腹する場面では桜が散るのどかな春の日だったのは何かいただけませんでした。
やりすぎでしょう。
義士たちはすぐに切腹しているので春と言うのはちょっとね・・でした。








ハウスのプリンは昭和の味
先日は新朝ドラの「ひよっこ」が昭和39年からスタートしたお話をしました。
この昭和39年(1964年)はお菓子界ではエッポックメーキングが起こっていたのです。
ずばり、ハウス食品工業が「プリンミックス」を発売したのです。

それまでプリンを食べようと思えば都会の洒落たレストランでデザートを注文するか、喫茶店でというパターン、あるいは母親がよっぽど暇で(失礼、時間的余裕があり)かつお菓子作りの趣味などをお持ちになっていないとありつけなかったのです。
街のお菓子屋さんでは1個いくらのプリンが見渡らず、あっても高級品でした。
デザートという概念が普及しておらず、お菓子職人と言われる人がまだ存在せず、もちろんパテシェなどというこじゃれた言い方などは平成になってからです。

「プリンミックス」の登場は簡単に家庭でプリンが楽しめるコンセプトを提供したのです。
ハウスプリンの名は不動のものとなりました。
小学生の私たちが午後3時ごろ家に帰って先ずすることは「冷蔵庫を開ける」ことです。
庫内にプリンが固まって出来上がっていれば弟や妹の分まで頂き、一気に外へ出て少年野球に興じます。
夜は母から怒られておかずが一品減らされても昼下がりのプリンの誘惑には勝てませんでした。

「プリン、プリン、ハウスのプリンが冷蔵庫にありますように」と願をかけながら下校する毎日でした。
夏になるとこれもハウスの傑作「ゼリエース」や「シャービック」が待っていたりで後の「フルーチェ」も結構楽しめたのですがまた格別でした。
プリンを食べる時は慌てず別添の粉状「カラメルソース」を水で溶いて上からかける、カラメルだけに絡めないとと小学生ギャグが炸裂したものです。
この少しほろ苦く、しかし香ばし甘いカラメルソースがプリンの風味を引き立てました。
まだスイーツなどという言葉がなかった頃の話です。
NHK新朝ドラ「ひよっこ」第一回を観て
半年に一度新シリーズが始まるNHK朝ドラですが大変楽しみにしています。
今日、4月3日からは「ひよっこ」がスタートしました。
時は1964年(昭和39年)の奥茨城村。
あの時代の茨城県北部の農業地帯ですから「あかるい農村」に出てくるような典型的な日本の農村風景から始まりました。
主役は有村架純さん。
有村さんはシリーズの中で超絶人気を博した「あまちゃん」であの小泉今日子さんの娘時代を演じて劇的デビューを果たした女優さんですがこの時のポジションは助演女優でした。
朝ドラのヒロインに選ばれるということは女優の登竜門とも言われ、文学界なら直木賞にも匹敵すると(私から)言われていますが「あまちゃん」では別の天才・能年玲奈さんが主役だったので一瞬は(霞むかな?架純だけに)と思われたものの存在感を示してその後の活躍は順風満帆です。

話はそれましたが「ひよっこ」ファミリーは主人公の谷田部みね子(有村架純)高校三年生を中心に祖父・父・母・妹・弟の6人家族ですがお父さん(沢村一樹さん)は東京五輪開催準備の建設ラッシュで沸く首都へ工事現場労働として出稼ぎに行っています。
朝の食事でみんなが「お父さん、秋の稲刈りには帰ってくるのが楽しみ」とあくまで労働力の中心と期待されるある意味涙が流れるほど頑張っている存在として登場しました。
東京のビル建設現場で汗を流し、茨城に置いてある家族からは田刈に返ってこい、ゼニ持ってと父親の悲哀を感じる沢村一樹さんです。
夕方、仕事が終わって疲労感が滲むなか東京の下町を作業ズボンに長シャツ姿の労務者風いでたちで首には日本手ぬぐいを巻きながらふっと靴屋を見れば子ども用の運動靴が並んでいる。
(息子の足も大きくなっているだろうな)と一足買い求めるところなどは朝からほのぼのとした気持ちになります。

朝ドラのストーリーとして概ね二つの流れがあって一つは平凡そうな主人公が周りのみんなに見守られながら様々な出来事に出くわし、支え、支えられてたくましく成長していくグローイングアップ物語。
もう一つは女傑というのでしょうか、これはただ者ではないというほど意思の強い女の子が男顔負けの仕事力を発揮して成功していくサクセスストーリー。
最近の作品では夫婦でウイスキーづくりの「マッサン」や翻訳家の「花子とアン」、「あさが来た」、「べっぴんさん」などの女性実業家などがこの系譜です。
普通風の女性が意外といけるぞと感じて思わず応援したくなる前者のパターンとして「梅ちゃん先生」、「とと姉ちゃん」、「あまちゃん」などが挙げられるでしょう。
今回の新番組「ひよっこ」は前者の作風です。

オープニングも良いですね。
過去の作品にも中島みゆき、ゆず、SMAP、宇多田ヒカル、ユーミン、AKB48などJPoPのビッグの歌が流れましたが今回はとうとう大御所・サザンの桑田佳祐さんでした。
曲は「若い広場」。
朝から元気いっぱいです。





NHKの政治的中立について考える
昨日はNHKの放送受信料についてブログしました。(こんな日本語はありませんが)
今日は報道の政治的中立性について少し考えてみたいと思います。
その意味でNHKは格好のテキスト足りえるからです。
まず昨日指摘したようにスポンサーがつかない(あえて言えば視聴者がそうですが)ので商業主義の観点からも(色がつきにくい)し、税金が投入されていないので時の権力からも比較的フリーハンドを取れる可能性があります。
(もちろん許認可その他で完全に自由とは言い難いのですが)
しかし、マスコミ論としては他の媒体と比べても(国民目線)を強調し易いと言えましょう。
もちろんあの朝日新聞のように反権力・反日をあからさまに売り物にする(確信犯)のようなところは政治的中立などの議論に入れてあげる必要はまったくありません。

それでは(国民目線)とは何かです。
結論としてはそんなものはありません。
悠久の歴史の流れでギリシャ哲学からプラトンの「国家」、モンテスキューの啓蒙思想、マルクスの「資本論」、ヒトラーの「我が闘争」、ケインズの経済理論、フリードマンや最近ではトマ・ピケティの「21世紀の資本」など有象無象(失礼!)の政治経済書の中に社会体制とそれを構成する人々とのかかわり方が書かれてきました。
私も永年、個人の趣味で(社会とは何か)と考える癖付けが抜けきれずJR湖西線に乗っている間はずっと考えてきましたが結局は政治的に右派と左派の違いをやや暴力的に決めつけると前者は(全体主義)で後者は(個人主義)を支持していると言う概念に行きつきました。
それを言うと「旧ソ連は共産主義であれは左派なのか」と突っ込んでくる方がいますがあれは一党独裁で他の思想信条を一切拒否していた意味でマルクス・レーニン教に染まった国でした。(あれは実験的宗教国家なのです、マルクスは共産主義以外の宗教はアヘンだと言い切りました、実に排他的でしょう)
立派にファシズム国家であり広義の意味では右です。
社会主義や共産主義云々で論じては間違いの元となります。
その意味からも現在の北朝鮮や中国(チャイナと呼べばいいのですが)もモロに右国家です。

本題に返ってNHKに報道の政治的中立性を求めるのはそれが達成できる現在の日本の国家体制と世論、さらに大口のステークホルダー(利害関係者)がつかない環境・条件が整っているからです。
ロシアのプラウダや中国の新華社通信、イギリスのロイターにそれを求めることは「八百屋で肉を求める」ことと同意義です。
国策企業でもなく商業主義にも染まらない可能性がNHKにはあります。
それを支えるのが国民からの一律公平な受信料ですから昨日はあれほど必要性を強調いたしました。
加えて言いますと報道は怖いですよ、使い方を間違えると社会を一気に間違った方向に誘導してしまいます。
ナチス全盛時のゲッペルス宣伝相の事例をわざわざ取り上げませんが。

国民(と言う概念がすでに゛右゛なのですが)の中にも思想信条が個人個人で別々ということは論を待たないと思います。
それが成熟した民主主義国家ならとりわけ。
支持している政党も別ですし、温度差もあります。(当然です)
無党派層というお洒落な考え方の人も社会の多数を構成してきました。(期待したいです)
その中でNHKが政治的中立性を確保するというのはどのようなことでしょうか。
一党一派に属さない報道の手法とは何でしょうか。
これを詳述するとマスコミ論に入っていき、面白くないので気の向いた時に書き込みます。

面白かったのはNHK前会長の籾井勝人氏でこの方ほど歴代の会長で毀誉褒貶が激しい人はありませんでした。
すなわち右の人からは「立派な会長だ」と評価され、左の人からは「あんな奴、○○だ」とボロカスでした。
特定秘密保護法が国会で成立した時はNHKがニュースとして流さないので参議院予算委員会で民主党(当時の)議員が追及すれば「あまりカッカすることではない」と答弁して相手をカッカとさせて、竹島問題では「政府が右と言っているのに我々が左と言えない」なんて政府は常に右ですよ、だって全体主義の総元締めなんだからと突っ込みを入れたくなったり、慰安婦問題では「戦争している国はどの国にもある、イギリスやフランスだって」と発言してイギリスやフランスから抗議がくるなどお茶目な方でした。
私は民進党の議員は面白みがないのであまり好きではないのですが「籾井さん、あなたはNHKはNHKでもNなんて・H恥ずかし・K会長だ」と言ったときは笑いました。
以上、好きなことを書ける現在の日本の言論自由には大変感謝しています。













NHK受信料を巡る議論について考える
メデイアやマスコミュニケーションの在り方について日頃から関心があるので4日前に流れた裁判記事が気になりました。
「国内大手ホテルチェーン東横イングループへNHK受信料支払い命令下る」です。
東京地裁の判決でテレビ3万4000台分・19億3000万円が原告のNHKの申し立てのまま認められたというものです。

この裁判の判例根拠になっているのは放送法64条です。
長いので一部だけご紹介すれば「協会の放送を受信することのできる受信設備を設置した者は、協会とその放送の受信についての契約をしなければならない」(後略)
要するにテレビ等の受信機を部屋におけば協会(日本放送協会)と受信契約を結んだ上で受信料を支払う義務が発生するという解釈です。

このNHKの受信料支払いを巡ってはNHK創立時から国民の間で様々な議論がありました。
「なぜNHKを見ないのにお金を払わなけらばならないのか」、「どうしても義務付けするなら税のように強制徴収しろ」、「払いたくない家庭にモザイクをかけて受信できないようにすればいい」など様々です。

また上記で紹介した放送法第64条もザル法ではないかと法改正の動きがあります。
つまり受信契約をしなけらばならないと定義しているのに正当な理由なしに契約を拒否した場合の罰則規定がないからです。
契約を結ばない、違法行為なのに罰せられない?ならば契約を拒否し続けた方が得だねと考える不届き者が現れる可能性があるからです。
平成に入って日本人も行き過ぎた個人主義に偏った団体・個人がネット等で声を上げ始め、この受信料についても好きなことを書き込んだりしています。
先日もネットで「NHK受信料断り方」というサイトを見ていれば「ドアを開けない、NHK訪問員(集金人)と対面しないのが一番、もし間違って開けてしまったらNHKは見ないと言えば法律をたてに突っ込まれるのでテレビはないと言いましょう、そうすれば帰る」と書かれていました。

せこい話です。
つまりNHKの放送内容はどうだとか散々番組制作批判をしている人ほど本音の部分は(受信料を払うのがもったいない)だけの理由です。
更にそのサイトの最後に「※これはけっして法律違反を推奨しているわけではありません」・・推奨しているじゃないですかと突っ込みたくなります。
ここでお断りをしておきたいのは私はNHK職員でも関係者ですらなく公平な第三者のつもりです。

NHK受信の2017年3月時点での料額は地上波契約で月1260円、衛星契約(つまり衛生放送を観る契約)で2230円です。
月に1200円、2200円をケチる為にNHKに文句を言うことが個人主義ではありません。
我儘と倒錯した感情のおもむくままにネットで書き込んでいるのだと思います。

民放ならお金がかからないという方もいますがあれはCMというスポンサーを募り、広告料収入で運営しています。
昔懐かしい(紙芝居屋さん)ならタダで公園に子どもたちを集めて紙芝居(黄金バットとか怪傑ハリマオなんか、懐かし!)を披露しますが子どもらに飴を買ってもらってスタートするのと変わらないビジネスモデルです。
子どもらは飴や駄菓子をなめながら食べながら紙芝居を観るのです。

ですがNHKについてよく誤解している人がいるのは公共放送であって国営放送ではないということです。
国鉄だったJRや電電公社だったNTTとも違い国策企業であった歴史もありません。
つまり現在に至るまで税金の投入はなく、視聴者(つまり国民)の受信料収入で98%賄っています。
後の2%はNHKエンタープライズなどの子会社が制作した本やDVDの販売収入です。

ここまで書くとさらにNHKの肩入れをしたくなりますが民放と違って視聴率にこだわらない番組制作ができるところがNHKの強みと言うか特徴なのです。
視聴率を上げなければならないのなら老若男女すべてに届く番組制作は困難になります。
子ども番組、手話放送、ニッチなスポーツ中継、外国語講座、園芸や囲碁・料理等の番組の制作と放送は民放なら却下されます。
視聴率が期待できずスポンサーがつかないからです。
これができるのが公共放送の強みです。
災害の際にも一番詳しく、更に長期間にわたり報道する体制が整っているのがNHKです。
スーパーハイビジョン、8K、16Kなどの映像技術の開発に投資しているのがNHKであり、支えているのは皆様の受信料です。
海外からも舌を巻かれる貴重な映像のストックはNHKならではのものであり国民財産と言えるでしょう。

ただ私からNHKにお願いしたいのは公共放送だからこそ広く情報・教養・娯楽を発信してもらいたいことと政治的中立性は堅守して公正・公平・透明な番組制作を続けていってもらいたいだけです。
朝の連続ドラマ「べっぴんさん」ももう終了ですが半年間楽しかったです。
この春からの新シリーズにも大いに期待しています。





飲み会
昨日は久々に県庁職員さん(OB多数含む)、十数人と飲み会をいたしました。
年度末ですが移動なども発表され多少は落ち着いた雰囲気でした。
県庁も滋賀県のれっきとしたシンクタンクなのですから明るく元気にがんばっていただきたいものです。
老いるということ
老いるということは社会科学的に診れば(世の中の動きに鈍感になる)ことかと昔から一部のお年寄りに対して幻滅していたことを告白します。
50を越えて(初老)を迎えた今だから言えますがいわゆる老成でもなく達観でもない社会に対しての(無関心)に若い頃は腹立たしかったのです。

「そんこともういいやないか」「なるようになるわ」とかを行政懇談会の場で言われた日には(何しに来てるんや、この人らは・・)とやり場のない思いでいっぱいになったものでした。
賛成でなくてもいい、反対なら反対ではっきり理由を聞かせてもらえれば議論として成り立つ、むしろその方が盛り上がる(失礼)発展的議論として成立するのにと思ったものでした。
今まで生きてこられて人生経験を積み、企業なら相談役、政界ならご意見番とも言われる年代の人からケ・セラ・セラなるようになると言われても「はぁ?」としか言いようがありませんでした。

年齢というものは社会科学では重要なファクターであり、私が小学生の頃の総理大臣と言えば佐藤栄作氏や田中角栄氏でしたがテレビでしか見ない御仁の姿を(どえリゃーでらかっちょいいいおっさんだわ)と思ったものでした。
小学生から見た政治家などは仰ぎ見る存在とはちょっとニュアンスが違いますが立身出世を目指す男の子にとっては(いつかはクラウンではなく到達してみたいおっさん)だったのです。
巨人・大鵬・卵焼きの時代より少し後の北の湖・輪島・アントニオ猪木の年代です。
余談ながら人気漫画(ちびまる子ちゃん)の著者・さくらももこさんは1965年のお生まれだそうで私と一緒の年齢だそうです。
あるエピソードの中で市長(静岡県清水市?)が運動会にやってきて緊張する場面が出てきますがこれは見事に時代の空気を伝えています。
もも子のおじいちゃんでさえ握手されて緊張しているところなどは高度成長期の地方都市の自治を垣間見るようです。

それに対して平成不況の現在の年配者は社会に対して何かモノ申しておられるのかと冒頭、憤慨いたしました。
もう少し尖がれないのかと。
50年代、60年代の全共闘世代に対しても私たちの昭和40年男子は冷ややかな目で見ていました。
(あれは本気ではない、所詮は甘えだ)と。
ばんばんの「いちご白書をもういちど」を聴くまでもなく学生運動で暴れても就職シーズンになれば無精ひげを剃って短髪にするなどを(転向)したと言ってましたがそんなものではなく(予定の行動)つまりモラトリアムに浸っていただけのことだと批判しました。
それなら活動家になったらいいのかと言えばそれは疑問でしたが。
若い男が就職もせずアパートで爆弾をつくっているというのも如何なものかと。

森友学園問題で荒れている国会ですが国民の目がそちらに注視されている間に組織犯罪処罰法改正案が提出されましたが籠池理事長の昼食は何が出たとか言ってるよりも大切なことを審議してもらいたいですし、ご年配の方々にはこのような時こそ経験を活かして声をあげてもらいたいものです。
「なるようになる」なんて聞きたくもありません。




ふるさと納税はふるさと衰退
現職の頃から(ふるさと納税)については懐疑的な観方をしていました。
そんなに地方を活性化するのに効果があるのだろうかと。
地方議会の現場で(滋賀県議会だけとは限らず)議員が「わが街のふるさと納税額を向上させるための方策を当局に問う」などと質問しているのを聞くにつれうんざりしていたことは確かです。
それを首長がさもありなん風に「○○議員のおっしやることは尤もです、返礼品の更なる魅力アップと国に対しても予算獲得に励んでいきます」などの答弁を聞くと(大丈夫か?)と思ったりもします。
明言しますが(ふるさと納税)は地方創生の名を借りたバラマキにすぎません。
税が入るのに何がバラマキなのかと関係者は憤慨するかもしれませんが。

まず(ふるさと納税)は自分のふるさとだけではなく全国どこへでも納税できる、その結果、特産品という名の(別にその自治体でつくったものとは限らない)返礼品を受け取ることができた上に寄付控除をうけられるものというところが眉唾なのです。
雑誌にも「゛ふるさと納税゛でこんなに得する」なんて特集が組まれるほどここ数年は加熱してきました。
自治体によっては専門サイトを立ち上げ、カタログまで用意するぐらいの熱の入れようです。
ケースとして1万円納税したとして8千円の控除(所得税+個人住民税から)が受けられ5千円相当の返礼品を貰えれば3千円得したとなるのです。
しかしそれは懸命に努力している特産品生産業者の汗をないがしろにしている行為となります。
特産品市場の価値が下落し、中長期的に市場が下降線を辿ることに繋がり、もはや税制優遇という特別措置がつかなければ見向きもされなくなる、これは生産者の営業努力を蝕むことになりかねません。
自治体によってもいつまでこの税収が安定的に続くのかが読めないので予算計画として上げられないことも容易に想像がつきます。
さらに(まぼろしの税収)を追いかけ維持するための追加予算を計上して更なる歳出が増え、一時的に潤った納税で施策したもの(医療費免除や子育て補助等)は数年で打ち切らざるを得なくなる可能性が高まる、しかも財政赤字とともに。

一番の問題は税の公正さに欠ける点です。
返礼品で受け取る納税金額の差額は国税補てんです。
一般に住民税とは本来、その地域に住み受けられるサービス(上下水道、電気、ガス、ごみ収集)などに支払われているのに全国どこにでも納税して控除を受けられるというシステム自体が著しく(受益者負担)の概念から逸脱しています。
つまり制度を利用したり、自治体に商品を納める業者などの関係する人たちは潤いますがそれ以外の方は制度維持の為の負担を強いられている極めて不公平な制度と言えましょう。
自治体はいつからデパートの通販部門に成り下がってしまったのでしょうか。
今は(勝ち組)といっている自治体も数年後は大穴があくのは見えています。
ブランド牛一頭分を進呈とか○○のコートだとか・・商品は税で釣るモノではないと思うのは私だけでしょうか。
生産者の真摯な努力と熱意を削ぎ、税金の公正な流れを歪める(ふるさと納税)はいらない制度です。

さすがに総務省の方もまずいと感じているのか3月23日の読売新聞に「ふるさと納税返礼3割まで・競争抑制総務省通知へ」と記事が出ました。



書きたくないこと
森友学園のネタや地名のことなどは本当は書きたくないことでした。
森友は論点がどんどんズレていっているし、地名の話はどうしてもナショナリズム関係に抵触するからです。
大袈裟と言われても地名が付くということは(ある意図)、多くは政治的な思惑が働いてのことですから地名を語ると政治がついてくるのは避けられないのです。
ですからこれだけ前置きしても読む人によってはかなり捉え方が極端になるのは覚悟の上です。
私は別にリベラルを気取ったことは一度もありませんし、極右思想の持ち主であるとの自覚もありません。
ごく普通の日本人でありたいと願っています。

それで今日取り上げるテーマは『中国人は京都の名称を嫌っている』です。(あぶない!)
これは私が今冬、中国から来た京都に定住している方々としゃべっている時に言葉の端々から感じたものです。
それよりも前提としてこの「中国」という固有名詞について私たち日本人が一般的にかの国のことをなぜそう呼ぶのかを考えてみたいと思います。(ここもあぶない、我ながら地雷を踏んでいる感あります)

まず「中国」という言葉を世界的に使っているのは当の中国人と日本人のみということです。
当たり前ですが中国人が中華思想に則って勝手に「我々は世界の中心に位置する文化的最高峰」と言い張るのは本人たちの勝手ですが日本人がそれに付き合う必要はないのです。
向こうは日本人のことを東夷と言っているのですから。
自分たちのことは世界の中心、相手のことは東の文化が発達していない野蛮人と言う人のことを持ち上げる必要が私には理解できません。
かってのナチスドイツが自分たちの国を永劫に続く(千年帝国・第三帝国)と呼び、自らを(世界最優秀民族)と言いふらしていたのに日本人の方から近寄って行った過去を振り返るべきでしょう。
現在、世界では中国は単にチャイナと呼ばれています。
センターランドなどと呼んでいる国は一国もありません。
もともと中華思想とは中国の力が弱い時(時代)は素晴らしい中国文明が(国境的に)世界地図から縮小し、力を取り戻したら世界中を覆う(征服)という危険思想なのです。
ですから経済的にGNP世界第2位という大国になった現在は習近平さん曰くアメリカと話をしてハワイから西太平洋は中国が管理するという談話が入ってくるのです。
そのことを知っている世界中の人は中国の中華思想を戒めるためにも(中国)という表記をかの国に与えません。
日本でも古来から唐土(もろこし)とか志那(しな)と呼んでいました。
それでいいのですが戦後、中華人民共和国が成立してから日本では中国というプロパガンダに乗せられているのは嘆かわしことです。
今からでもシナと統一名称にすべきでしょう。

前置きが大変長くなりましたがそのシナ人が前から忌々しく思っているのが(京都)であり本音は「なぜ倭の奴らの街が都なのだ」につきます。
シナには北京・南京と京の文字がついた都市がありますが両方とも首都だった(首都である)歴史があります。
彼らからすれば世界首都であり唯一にして絶対の世界の中心であるはずなのに東の辺境に京?しかも都とつけて京都!ありえないという感覚があることを先日のインタビューで沈さん(仮名)が語ってくれました。
中華の力が伸びて日本が自治区(倭自治区と呼ぶそうです)になったら東京があるから最低でも西京に格下げよと言っていました。
そうですか、では世界では東西南北に京があるのですねと皮肉を言ったら、現在の北京が大京になると頭がこんがらがることを聞いてしまい、そのまま頭痛が続きました。

こんなことを言うと誰かが「でも韓国にはソウル(京城)があるではないか」と突っ込んできそうですがあれは日本統治下時代に設置された(京城府)であって現在の韓国内では全否定されている名称です。
2005年、当時ソウル市長だった李明博氏がソウルを(首爾)と改め京城表記を撤廃しています。

最後に付け加えますとチャイナとかシナは決して蔑称ではありませんから堂々と使って頂いて結構です。
でもこんなことを書くと今までのお友だちが去り、右から別の人たちが来そうなのでSNSでは乗せたくなかったなと本音がポロリ。







故郷の地名から考える
私は滋賀県高島市今津町という街に住んでいます。
もう50年ぐらいになります。
本籍は隣のマキノ町です。
ここは祖父や父の出生地です。

今津という地名について考えていたら要は今の津ですから、(新しい港)という意味なのでしからば(古い港)はどこかなと探したらあったのです。
汽船全盛の時代に琵琶湖上交通の要となった今津港から南に歩いてほんの5キロも行かない場所が(木津)と呼ばれています。
現在では新旭町木津となっています。
木津の読み方については京阪神の人なら(キズ)と発音するでしょう。
木津川のイメージがあるからです。
地元では(コウツ)と呼ばれています。
木津をコウツと発音するのは日本語的にいささか力業だなと思っていたら(古津)と呼ばれた名残だそうです。
すなわち新しい港(今津)より先に港として栄えていた場所だったということがわかります。
ですがここで少し考えてみて実際に自分たちの住処を(古い港)などと命名するでしょうか。
これはあくまで(今津)と対比して(古くから栄えた港)の意味で一時的に(古い港)と呼んだだけでしょう。
それが証拠に朽木から安曇川経由で下りてきた木材の集積地だったことから(木津)という新しい名前をつけて港の名残を後世に示したと考えられます。
この場所が(古津)の前には何と呼ばれていたかは私は郷土史家ではないのでこれ以上は考えませんが興味のある方は調べられても面白いと思います。
ちなみに今津港と木津を西に三角形に結んだ場所が高島市合併後に係争地となった条例上は高島市役所建設予定地となっている場所ですがこれも朽木の市場で売り買いされた牛をここまで歩かせて処分(つまり屠殺した)屠場でした。
昭和初期まではあったと聞いています。
朽木には市場と言う地名が残っていますがこれは青果市場や米市場ではなく西江州一帯の牛相場を仕切る食肉市場だった名残です。(あと木材市場と)
現在、高島市役所建設を巡り南北争議が続いていますが近江牛たちの呪いなのかもしれません。

今津と言う地名をネットで検索してみれば(近江今津)と出てきます。
言わずとも近江つまり滋賀県の今津という但し書き付きです。
すると本元の今津はと調べれば兵庫県西宮の今津が堂々と(今津)と全国的には認知されているようです。
ここは阪神本線と阪急今津線の始発・今津駅がありますが、JRである近江今津駅を押しのけて(今津駅)となっています。
決して(播州今津駅)とか(摂津今津駅)ではなく単独で(今津駅)なのです。
私たち近江今津の人間が隣の木津と名前争いをしている間にまんまと本家を名乗られました。
こちらは分家扱いです。
それが証拠に大阪駅で「今津まで切符ください」と言うと職員さんが「それは阪急です」と答えます。
しかたなく「近江今津です」というと「ああ・・」とか言われるので(ああ・じゃないだろ)と思ってしまいます。
私の今津人としてのナショナリズムが傷ついたりします。

だいたい(近江)という名称もおかしいと思います。
(江)はもともとゴウ、数年前にNHK大河で浅井三姉妹の数奇な運命を辿った(江)を放映していましたが意味は(海)です。
(近い海)・・・どこに海があるのか?となります。
訳知りさんは「それは琵琶湖のことに決まっているじゃないか、馬鹿だな」と言いますが馬鹿だけ余計です。
和歌などを調べましたが誰も琵琶湖のことを(海)と表現していません。
浜とか内湖という記述はありますがいわゆる(大海)の意味で使われた形跡は無かったのです。
ましてや(近江)という表現は山城(京都)や越前(福井)のように国号なので(江)という表現はまさに国単位の考え方となり湖沼などは当てはまらないのに勇壮な(江)を付け(近江)というのは昔の都人は遊びに行く水辺が琵琶湖だったのか、もう少し足を延ばせばそれこそ日本海・越前とかそれこそ播州明石とかいくらでも海に行けるのになぜ(近い海)が滋賀県なのかと疑問が残ります。
更に(遠い海)は遠江(トオトウミ)ですがなぜ遠州つまり静岡県大井川以西なのか?
そこまで行かなくとも紀州(和歌山)でも十分遠くの海で良かったのではないのか?
なぜ地味な静岡の海なのか、何を考えているのだろう古今和歌集の選者は?と暇を持て余すとロクなことを考えません。
暇なのでこれから散髪にでも行ってきます。(本日休暇)






森友学園のバカらしい闇
ブログで森友ネタだけは書かないでおこうと思っていました。
理由はバカらしいからです。
まず、大事件感が全くない。
これは凄い、政治の暗部だ、解明と追及さらに検証が必要だと思わせる社会科学的情熱が持てない事件だからです。

過去に昭和から平成にかけて日本を震撼させた大型疑惑と比べても雑魚(ザコ)感丸見えです。
GHQを巻き込み占領下日本の統治の暗部を見せつけた(昭和電工事件)、吉田内閣が吹っ飛んだ(造船疑惑)、今太閤と人気絶頂の田中角栄首相(当時)を辞任、逮捕せしめた(ロッキード事件)、藤波孝生官房長官が議員辞職、起訴、中曽根前首相、竹下登首相、宮澤喜一副総理(蔵相)、安部晋太郎自民党幹事長、渡辺美智雄政調会長(いづれも当時)が国会で追及を受けた(リクルート事件)、などと比較しても小物感がありありと伝わってきます。
籠池理事長?夫婦で何でしょうか、あのはしゃぎぶりは・・・。
小佐野賢治氏の大物感や江副会長の不気味さの片鱗も感じられないどこにでもいるうさん臭いおっさんにしか見えません。

身内暗殺と核実験で暴走する北朝鮮、大統領が弾劾され政治的空白が生じている韓国、蠢くロシアと消える魔球の星 飛雄馬の如く球筋が見えないトランプ外交など現在、内閣として対応しなければならない外交課題だけでも山積しているのに森友言ってていいのだろうかと心ある日本人なら思っていることだと感じています。

発端の稲田防衛相の初動が良くなかったです。
別に過去に交流があったならあったとはっきり言えばいいのに結果的には国会での偽証とされてしまったのが全く痛いですね。
そのようなことで政治キャリアに傷がつかないのに総理に飛び火してしまったのが閣僚としては致命傷になりました。
稲田氏はこれまで党政調会長、防衛相として他の政治家から見て垂涎のポストに起用されてきただけあって残念です。
もっと言えば日本国最初の女性首相に最も近かったのにと。
はっきり言ってこれで打ち止めとなるでしょう。
政治家の言動はいつも激しくチエックされています。
旧聞ながら滋賀県・湖国政界でも昭和後半から平成にかけて期待されてきた大物政治家・山下元利氏は竹下登氏や金丸 信氏の画策した田中派分裂、創世会立ち上げの時に二階堂 進九州男児と供に旧派に残留した為に政治的に干されました。
張り合っていた宇野 宗佑氏がその後総理になるのですから政治の世界は一寸先が闇か光かわかりません。
そこへ武村 正義代議士(元滋賀県知事)が急きょ(さきがけ)を立ち上げ、滋賀県政界はさらに激動の時代を迎えますがこの立ち上げの時に滋賀県議会で起こった何とも言えない人間模様は字数の関係でまたの書き込みにします。

思うに安部総理も稲田大臣も完全無欠になろうと意識しすぎのきらいがあります。
森友や籠池氏と仕事で(法廷関係として)関係が多少あったとしても完全否定するとかえって火傷(ではすまないが)をします。
100万円を夫人が寄付したとして何の法規に触れるのでしょう。
講演を依頼されて快く引き受け、謝礼があまりに相場から見て多額だから受け取れないので「学園の子どもたちのためにお使いください」と寄付の名目で辞退することは大人の世界ではよくあることです。

籠池氏の国会証人喚問に際して委員会が気をつけねばならないことは本筋を外さない質問です。
・なぜ大阪府・国・関空エアポートのそれぞれ3か所に7億円・23億円・15億円と異なる契約書を提示したのか。
・近畿財務局からごみ処理料として8億円もの金額が国有地払下げから値引きされたのはなぜか、そもそも建設後にどのようにして地中のごみを撤去すると考えたのか。(これは国にも聞くべき観点)
・大阪府は森友の認可基準緩和にどう動いたのか、府私立学園審議会が不可を出していたのに。(松井知事にも聞いてみたい)
以上でいいと思います。

余談ながら先日、ある国会議員としやべっていれば総理もかなりピリピリしていて周囲では(やぶれかぶれ解散)があるのではと警戒しているとのことでした。
それはさすがにないでしょうと答えていましたがこのタイミングで解散すれば政権としては維持できても返り血は全国で20~30の議席減として浴びます。
自民党として与党残留は間違いないでしょうが政権は責任問題として党内で追及されますからI氏やK氏が内心は喜ぶでしょう。
いづれにせよ今秋までに解散しておかないと来年になると消費税問題がクローズアップしてきて(野垂れ死に解散)に追い込まれるのは誰の目にも明らかですがこのタイミングはありえないことです。
政治の世界は光りか闇しかないと言い切るのは我ながら情けないことです。








スマートフォンで一つ困ったこと
永年のガラケー携帯のユーザーであった私が一大決心をしてスマートフォン(以下スマホと略)に買い替えたのが今年の2月のことです。
それまでは(携帯は所詮は電話、話せればいい)と割り切っていたのですが仕事上現場対応でグーグルマップの使用やlineを使っての業務報告をリアルタイムに行わねばならない必要性からスマホに乗り換えたのです。
なじみのauショップに出向き、「あのースマホに機種変更したいんですけど・・」とショップのスタッフにおずおずと申し出たら「どのような用途でお使いでしょうか?」と質問されて咄嗟に「外に出ることが多いのでバッテリーが長持ちするのがいいです」と言いました。
するとスタッフ(女性)は「それならSONYのXPeriaは如何でしょう、この携帯を選べばほぼほぼ大丈夫と言われるほど信頼性の高い機体ですよ」と勧められ、営業トークに昔から弱い私は「それでいいです」と購入。

さてスマホを持ってみたものの、折りたたみ式のガラケーに馴染んでいた私が一番ひやひやしたのは(勝手に電話がかかる)ことでした。
電話が勝手にかかるわけがないのですがスマホど素人の私の操作が未熟なのでタッチパネルをいじっているといつの間にか通話をこちらから意図しない方に接続してしまうわけです。
慌てて電源を切ったりしますがそれでも(接続中です)とテロップが流れて案の定、「何ですか?」と相手が応答してくれるわけです。
運よく途中で切れたりしても最近は着信履歴がちゃっかり残って相手から電話がかかってきたりするのでその着信を取ろうか、取るまいかと5秒ほど悩むのです。

「や!久しぶり、元気してた?声が聞きたくなってね」などと軽く対応できる相手だと取るのですが携帯の連絡先メモリーに(もう一生電話しないだろう)と思っていても何となく消去できず残っている人っているじゃないですか。
つまりノリで電話番号交換した人。
そんな人生の隘路で一瞬知り合ったがその後は別々の道を歩んでいる人にこちらから電話してしまい、しかも返信があった時って取るの困りませんか?
そんな時は(バカ・バカ・スマホ、勝手に電話するんじゃねえよ、俺は知らんからな、お前が責任とれよ)とXPeria君を罵ってシカトするのが私の対応です。



京都・市バスの掟
今日は京都に行きました。
朝のJR湖西線に乗り、強い風にまたしても運行が妨害されるのかとひやひやしながら車窓より左を見れば琵琶湖の水面をキラキラと春の優しい日差しがこちらを覗き、他方、右を見れば昨晩からの比良八荒で山々に白いものが被っておりさながらに雪化粧。
冬と春の微妙な関係が垣間見える3月の湖西路です。

京都駅に着いて正面口にある市バス乗り場へ。
嵐山・大覚寺方面行28系統・市バスに乗り込みました。
終点の大覚寺まで約55分で大人230円です。
四条烏丸や四条大宮を経由していきます。

本日はド平日なのにさすがは京都で多くの観光客の姿が見えました。
バスも混み込みで私は比較的バス待ち行列の前に並んでいたので前の方の横並び椅子に座ることができました。
私の左隣はまだ若い女性、観光マップを熱心に見てチエックを入れているところから観光客でしょう。
右はどうも地元のおばさん、年のころは60代ぐらいか。

バスが5っ目か6っ目の停留所に停まった時、バス中央の乗降口から小柄で白髪の70代後半から80代の女性が乗ってきました。
それを見て私の右隣の女性は弾かれた様に立って「どうぞ」と席を譲りました。
白髪の女性は軽く会釈するとここからが私の想定外だったのですが私の左隣の若い女性の方をポンポンと叩き、「そこは優先席よ、譲りなさい」とおっしやるではないですか。
若い女性もパッと立ち上がり、白髪の女性は席を譲ってくれた60代女性に「あなたもどうぞ」と勧めたわけです。
これだけなら私も(京都の女性は強いな)ぐらいの感想を持っただけなのかもしれません。

嵐山からの帰り、再び同じバスに乗り、今度は京都駅に向かいました。
行きと違ってまだ昼過ぎなのでバスは空いていました。
空席もちらほらとありました。
京都外大前から4人の若い女性、今度はどう見ても観光客のようでしたがそれぞれが旅行かばん・ケースを下げて優先席に座るや賑やかにおしやべりが始まりました。
言葉を聞いていると中国人だとわかりました。

そこへバス後方から女性の声が飛んできました。
「その席は優先席よ!お年を召した人やお腹の大きい人の為の席やからあんたら遠慮しといて!」
またしても!
中国人の女性はお互いに不思議そうに顔を見合わせて「ワタシタチ コトバ アマリ ワカリマセン」。
すると後方から「おたくら京都の人と違うわね」(当たり前やん)
中国人は「ユウセンセキ マンインジャナイカラ イイデショ」(立派に言葉わかってるやん)

この市バスでの行きと帰りの出来事を通じて理解したことは京都の市バスの優先席にはご老人と妊婦さんや小さなお子様連れ又はお怪我を召した方以外が座ったら市民レベルの容赦ない叱責が待っているということでした。



都市のオアシス
2か月ばかり京阪神(主に京都)の都市部を歩き回っていたことはこのfbでも書きました。
都市部と言っても私が彷徨ったのは商店街やオフィス街のようないわゆる繁華街ではなく都市に労働力を提供し続けている住宅街です。
見渡す限りの住宅またはマンション・アパートの群像。
ゼンリンの住宅地図だけを頼りにひたすら戸別訪問を続ける日々。
車ではなく現場には原付バイクで移動して公園やアパートの駐車場に停めてから延々と付近を9時間ばかり歩き回るのが日常でした。
「一番辛かったことは?」と尋ねられたら「寒さです」と答えたでしょう。
京都伏見区の向島に行ったのが1月の後半でしたが高さ11階立ての市営住宅が見渡す限り延々と続く様はレゴのブロックを並べている光景さながらにエレベーターを使うものの部屋から部屋の通路は外部とむき出しで「横歩きマンション」ですから北風がビュンビン吹いてきて体温を奪います、冷凍庫に入ったマグロの気分です。
(ああ・・暖が、暖が欲しい)と希求し、一瞬脳裏に昔観た石原裕次郎主演の黒部ダム建設の映画(黒部の太陽)や亡くなった高倉健さん主演の「海峡」または「八甲田山」などが浮かびました。(健さんは「駅」でもそうですが北が似合う人でした。その点、若大将はハワイがピッタリの人です、どうでもいいことですが)

困ったことは下世話なことですが(トイレ)です。
ともかく気温が日中3℃ですからもよおします。
それでも近くにガソリンスタンドや食堂、ドラッグストアなどありません。
公園があっても共同が無しときます。

しかし、しかし・・コンビニ様はあります。
こんな都会のアスファルトジャングルにも・・ありがてえ!
食堂も近くにない状態ですからコンビニ弁当を買って、店員さんの「温めますか?」のご質問に「もちろん!」と答えフードコーナーに持って行ってパクつくと(生き返った!)と歓喜の涙が流れます。
コンビニ様はそれ以外にもお金の引き出し、必要品の供給、荷物の受け取り、公共料金の支払い、もちろんトイレ!!など生活インフラのすべてが街のほっとステーションの如く集結したとにかくありがたい生活拠点と表現しても過言ではない施設です。
コンビニ様が無ければ私の調査は続行ができませんでした。

100円のホットコーヒーを飲みながら外を見るとみぞれ交じりの氷雨が降ってます。
(外に出たくない、この暖かさを離したくない)との思いを断ち切り、男たちは再び任地に向かうのでありました。(ジャンジャン!)





体重激減
京阪神を中心とした社会情勢調査が本日終了しました。
約2か月半でしたがかなり苦しい思いをしました。
仕事に就く前が体重73㎏、今日体重計に乗ったら64㎏でした。
何と9㎏減、ライザップもびっくりです。
久しぶりにあった知人に「痩せたね、最初わからんかった」と言われたりもしました。
選挙よりも痩せます。
食わない、寝ない、歩き回る、ストレス溜まるの生活は・・・。

今日は書店に寄って自分へのご褒美に村上春樹の新刊「騎士団長殺し」を買い求めました。
春の宵に自宅でゆっくりビールをちびちびとしながら読書と洒落こみましょう。
福祉の現場
今年に入ってそう、正確には1月6日から仕事に出ていました。
今日は休みなので久しぶりに高島の自宅でゆっくりとブログなどを打っています。
仕事のはっきりとした内容は書きませんが議員時代に培った個別訪問能力を活かせる仕事です。

各ご家庭を1日に300軒ばかり訪問しますが正直に言えば「人生いろいろ、暮らし向きもそれぞれ」と感じてしまいます。
その中で多くの(生保の家庭)も訪問しました。
生保と言っても生命保険ではなく(生活保護受給者)のご家庭です。

生活保護制度ができたのが戦後5年ばかりたった1950年(昭和25年)ですが(社会の最後のセフテーネット)として基本的に勤労世代の受給はできず、65才以上で年金も受け取れず、もちろん働けない高齢者しか認定されていませんでした。
それでも全国的受給者がだいたい100万人から130万人ぐらいで推移していてバブル経済の頃は100万人を切り70万人ぐらいにまで落ち着いていたようです。

受給者が急増したのが2009年3月以降、いわゆる厚生労働省の一通の通知「職や住まいを失った方々への支援の徹底について」が各都道府県・政令指定都市・中核市の民生主管部(局)長宛に出されてからです。
その中で「単に稼働能力があることをもって保護の要件をかくものではない」という一文から一気に受給要件が緩和されました。

それまでは窓口に生活保護を申請しても(あなたは働ける)と言われ撥ねられるケースが激減して全国的に受給者(それも労働世代)が急増し、昨年2016年7月の統計では214.5万人(163.5万世帯)にのぼっています。
生活保護費は全体で3・3兆円にものぼっており、これは国の一般税収40兆円の1割に値する看過できない数字となっています。
これについては世論的にも「本当は働こうとすれば働ける人にも受給されているのではないか」という不公平感からくる批判が常に付きまといます。
なにしろ国民年金受給よりも金額的に多いのだからこのような意見が出るのはしかたがないところです。

厚労省がこの通知を出した2009年の前年にはリーマンショックが起こり、銀行や生命保険会社、証券など金融インフラを支える大企業でさえ潰れるような状況であり、東京日比谷公園(厚労省の前)には職と住宅を失った人々が(テント村)をつくり、ホームレス状態が連日マスコミに報道され(年越しテント村)などと言われて大問題になっていました。
もしここで餓死者・凍死者がでれば批判は厚労省のみならず政府そのものに向かうことになります。
それが前述の厚労省通知となったわけです。

私が先日訪問した市営団地にお住いの生活保護受給者Sさん(男性・55才)とお話しさせていただきました。
Sさんは3年前に山科で営んでいた居酒屋を廃業、借金が多額に残り、奥さんと離婚、子どもも3人いるがそれぞれがバラバラと自嘲気味に語ってくれました。
私が訪問したときはまだ午後の3時ぐらいでしたが缶酎ハイを飲んでおられました。
「そりゃ生活を立て直したいですよ、また働きたい、でも気力が湧かないんですわ」

私も生活保護制度を巡って様々な議論があることぐらいは理解できますが現状ではイエスともノーとも言えません。
不正受給や福祉を食い物にする貧困ビジネスと言われる闇世界との関連などを考えると如何なものかと思えますが一刀両断に解を求められることではないからです。
少なくとも私が会った人々から現状で制度を引き剝がせばそれこそ(路頭に迷う)ことになりかねないからです。
この訪問を始めてから約2か月がたちましたが当時73kgあった体重が7kg落ちて今では66kgとなりました。
激ヤセです。
それだけ気力を振り絞った対応をしていたと我ながら思うものの(福祉の現場)は大変です。

卒業式
今日から3月。
県立高校では卒業式が挙行され、長男がお世話になっているので列席させていただきました。
無事に卒業してくれて親としては一安心というところです。
明日からは天候も崩れると予報にありましたが本日は快晴でその点でもありがたかったです。

あの頃は
昨日、2月14日はいわゆるバレンタインデーでした。
私は仕事で終日、京都市内にいましたが街の雰囲気はいつもと変わらずといった様子です。
恋人たちが街を散策しているとか、若者が練り歩いているといった風でもなく、閑散とは言いませんがいつもの一日の風情です。

私が20代の頃、ちょうどバブル経済の真っ最中でバレンタインともなるとレストラン、ホテルは満員御礼で浮かれ気分でロックンロールの世界でしたが今の若者は本当に現実的でシビアだと感じた一日でした。
それがいいのか、悪いのかは判断ができませんが。
その頃のバブル組だった20代、30代も今では50才、60才です。
皆さん、あの頃をどう捉えているのでしょうね。
真冬の熱い戦い
昨年が記録的な暖冬だったのですっかり油断していましたが今年は滋賀県北西部高島市でもわんさか雪が降り、行事は中止、学校は休校、道路は一部遮断、交通機関もバスなどは不通路線が出たり、湖西線も遅れが目立ちます。
これでは2月の節分までどれほど降ってくるのかとひやひやしています。

そんな中で高島市市長選挙、市議選挙のW選挙が告示から5日目を迎えました。
各陣営必死の舌戦を繰り広げています。
私も今日の夕方にはある選挙事務所にお邪魔して集っていた方々とお話をさせていただきました。
やはり中身の濃い内容のお話ができます。
地域の問題点もあからさまになり、今後のまちづくりの参考になるご意見が飛び交っていました。
つくづく対話が大切と感じた今日一日でした。

街は大騒ぎ
滋賀県北西部の高島市は朝から大雪で大変です。
積雪の為に大型トラックが転倒、新旭から今津の交通が遮断されました。
バイパスが通行止めとなり大渋滞が発生しています。
企画されていたイベントが次々と中止され、それ以上に昨日から告示された市長選挙・市議選挙にも影響が出ているようです。
この大雪の中、選挙カーに乗って街宣している候補者本人や選挙運動チームの方々のご苦労には心中お察しするものがあります。
つくづくと自然の力の前には人はなすすべもないのだなあと考えてしまう今朝でした。
平成を生きてきて
今朝の読売新聞の一面を観て驚いたのは今上天皇があと2年後の2019年にご退位あそばされ、皇太子さまが即位され新しい年号に代わることが発表されたことです。
もともと天皇陛下が一昨年ごろからご退位のご意向をお示しめになられており、政府内や国民の間でも様々な議論が進んでいたところでしたので(とうとう決まりましたか)という気持ちです。

そうなりますと平成も30年というひとつの区切りで次の御代に移行するわけですが陛下のご健康上のこともありますから寂しいですがいたしかたないと思います。
紙面を観て(平成もあと2年残っているものの、どんな時代だったかな)と考えていました。
私は昭和40年生まれで昭和という時代を23年間生きてから平成ですから自身の半生を考えますと平成の生きざまの方が長かったわけになります。

私が子どもの頃、明治の産まれの方が「ワシは明治・大正・昭和と3時代を生きてきたんじゃ、すごいだろ」と自慢されていましたがとうとう私も3っの時代を生きる切符が手に入ったとミーハーとは思いますが喜んでもいます。
小学生の時の国語の教科書に日本植物学の祖と言われた牧野富太郎教授の伝記があり、「牧野博士は明治に生まれ、大正、昭和と3時代にわたり活躍しました」と書いてあり、子ども心に(すげー)と思っていました。
長生きはするものです。
このご発表を期に皇室の益々のご発展を心より念じておる次第です。

初春粉骨砕身
やっちゃいました。
事故りました、単独です。
とある駐車場で原付バイクに乗って遊んでいたのですが何を考えていたのか、スタンドを下したままエンジンをかけて車体を押して発信、当然ロケットダッシュになって体が前方に吹っ飛び、アスファルトの地面に叩きつけられました。
何メートル飛んだかはわかりませんが動画にしてユーチューブで配信したらかなり笑える映像になったはずです。
けれど事故の瞬間は悶絶ものの痛みで右肩から落ちたらしくしばらくは立ち上がれませんでした。
10代のやんちゃな子がやるのならともかく50のおっさんの所業とは思えないです、我ながら。

それでその日は家に帰りましたが夜になるとどうも肩からがズキズキ痛み、お風呂に入ろうと服を脱ごうとしても腕が上がらない状態だったので(打ち身にしては痛すぎるな)と思っていました。
風呂の脱衣所にある鏡で見ると右肩を中心に青ジンが広がっていました。
妻が「病院に行きなさいよ」というので翌日は日曜日でしたが地元の高島市民病院に電話をして緊急枠で診ていただきました。
レントゲンを撮ると医師から「折れてますね」の一言。
画像を見せてもらうと右肩の鎖骨が真ん中から見事にポキリとグリコポッキーです。
ギプスを巻いてもらい2日後にもう一度来てくださいとおっしゃるのでその日は痛み止めのお薬を出してもらい帰りました。

新春から運勢最悪やんと考えていたら思い当たるものがありました。
元旦に初もうでに行こうと母や妻、娘、息子が言うところを「ワシは行かん!君たちだけで行きたまえ」と居残って家でお雑煮を食べながらテレビの新春番組を観ていました。
初もうでに行かなかったからバチが当たったのかな、神に対する不敬が災いを呼んだのだと反省して地元・今津の住吉神社に初詣に行ったのが今日です。
1月10日の初詣。
神社には誰もいませんでした。
(神様すいませんです、これからは元旦には詣でますからゆるしてちょ)と一心不乱に祈りました。

高島市民病院に行って再びレントゲンを撮ってもらうと2日前より骨が引っ付いてきているので手術はせずこのままギプスを装着して治しましょうということになりました。
ギプスが取れるのは6週間後、約1か月半ばかりかかりますがその方が私も助かるのでありがたかったです。
今回も高島市民病院にお世話になってしまいましたが医師の皆様や事務、スタッフの皆様が本当に親切にしていただけるので感謝しています。








誕生日の次の日に思うこと
改めまして新年おめでとうございます。
昨日はケーキも花束もない誕生日でしたが私にとって一番の贈り物は皆さんのお言葉でした。
これも改めてありがとうございましたと申し上げます。

さて誕生日の翌日、またお正月から縁起でもないことを書き込みますが、「門松は冥土の旅の一里塚」という和歌があります。
お正月は華やかだがみんな年をひとつづつとってそれだけあの世に近づいているんだよという意味です。
この歌、下の句は「めでたくもありめでたくもなし」と続く一休禅師の作です。

私事でまた気恥ずかしいのですが私の子どもの頃、この「死」というものに異常にビビっていてとにかく死ぬのが怖くて怖くてたまらない、死ぬことを考えたら生きる意味を失うぐらいに忌み嫌っていました。
夜中にトイレに1人で行けない、行けばトイレの花子さんが待っていて地獄に引きずり込まれるのではないか、朝までがんばろうという少年でした。
もう究極は「死にたくない、死にたくない、死んでも命がありますように」と近所のお稲荷さんに願掛けに日参していたほどです。
小学校の卒業文集に「将来の夢は?」で「不死身」・・バカです。

私の学校の大先輩で俳優の故・丹波哲郎氏が晩年、霊界研究者を名乗り「死後の世界はある」と声高らかにおっしゃっていたのでお話を聞いたことがあったのですが子どもの頃はTVドラマ(Gメン75)などで颯爽とした演技を見せていた丹波さんがなんで死後の世界を語るようになったんですかと訊いてみれば「子どもの頃から死ぬのが怖かったから」とおっしゃって(私と同じだ)と思ったことがありました。
このことを京都産業大学に行っていた友人に話したら「いいな、俺らの先輩は゛あのねのね゛なんだぜ」というので(どうでもいいやん)と思っていました。

脱線しましたがだからと言って私は死後の世界というものをどうしても信じることはできなくて死んだらただ無に帰すのみと思っていました。
いつだったか仕事帰りに車を運転中、眠くて眠くてたまらなくなり、このままでは交通事故を起こすと思い、急遽路肩に車を止めてシートを倒して寝たことがありました。
30分ほどしてぱっと起きたのですが一瞬、あ、生きてた!と感じたのを憶えています。
あの何も考えることなく眠っていた時間が私にとっては死のイメージかなと。
あれがおそらく永遠・永劫に続くのでしょう。

50才を過ぎてさすがに子どもの頃のように「死」に対して構えることはなくなりました。
これまでに「死んだ方がマシだ」という経験が何度もあり、「生きていてよかった」と思うことが数度ありで死に対して不感症とまではいかなくても特別なものと思わなくはなりました。
死は生の向こう側にあるものではなく表裏一体、(今そこにあるもの)に過ぎなくなったからです。
それよりも限られた「生」そのものを楽しむことの方がより建設的と捉えています。
正月から辛気臭いお話をしてしまいました。
お礼
新年おめでとうございます。
私事ながら今日、1月3日で52才の誕生日を迎えました。
妻からは小声でぼそりと伏し目がちに「おめでと」と言われた以外はfbで皆さまからお祝いのメッセージを頂き感謝申し上げます。
ただ、わたくしのタイムラインが1年ほど前から故障状態でこちらから発信ができない状態なのでお礼の言葉が送れません。
私にとっては日頃お世話になっている皆様にご挨拶をさせて頂きたい気持ちは山々なれど状況をご賢察の上、ご理解を賜ればと思っています。

52才と言えば麻雀で例えると(ゴンニ)つまり5200点で子の20符(プ)4翻(スーファン)上がりとなります。
振り込めば大変痛いのですが満貫よりはマシかな程度です。(意味不明)
とって付けるようですが本年も皆様とご家族にとってご健康でご多幸に恵まれた年となることを祈念しています。

年の瀬床屋談義ー滋賀県編
いよいよと言うか、とうとうと感じるか、あれよあれよと申しますか大晦日になってしまいました。
所詮は365日のうちの1日と割り切れない何かが大晦日にはあります。
そのような特別な日に家事が全く不得手な(生ごみ父さん)としては行きつけの理容店、散髪屋さんに赴きサッパリしました。

私よりはるかに年上の店主に髪をカットしてもらっている時に「マスターでどれぐらい商売されています?」と聞いてみれば7代目で店としては創業100年を越えていると言われビックリ。
息子で8代目と言われそりゃそうだな、7の次は8だし、7.5代なんて言い方ないわなと思いました。
それよりも(髪結いに喰いっぱぐれなし)とは言ったもので息の長い商売ですなとしゃべっていました。

聞いてみると滋賀県内の理容店さんで100年を越えているところは34店あり、最長は東近江市五箇荘のお店だそうです。
創業は何と1700年代、江戸時代享保で徳川吉宗の御代ときました。
今まで何人の髪を切ってきたのか想像もつきません。

ですが不景気知らずと言われた理容業も近年は様変わりしてきて格安でカットしますなんて謳うチェーン店も地方にどんどん進出してきてお客を奪われがちで大変とおっしゃてはいました。
当然ながら理容組合には加盟しないので料金体系から営業日まであっちに引っ張られて(競争になって)これも大変と聞きました。

私も小泉内閣の時から「官から民へ」というスローガンも行き過ぎれば怖いな、反って民業圧迫につながらないかと警戒していたこともありました。
手に職がある方や特殊な資格・技能をお持ちの方はさっきの話ですが(喰いっぱぐれ)にはならないかもしれませんが世の中(私も含めて)すべての方がそうであるとは限りません。
実際には町の小売りや商売やさんも規制緩和や国際化、自由化の波に押されてどんどん廃業されていきました。
酒屋さんはコンビニに、薬屋さんはドラッグストアにと。
全国いたるところで商店街がシヤッター街となっていったのはご存知の通りです。

規制緩和がすべて悪いとは私も言えません、そう言うだけの確証もありません。
ですが世の中には仕組みや規制で食っている人も大勢いることは確かです。
すべてに自由化を叫べば究極は大手・大資本が勝つのは自明の理でもあります。
私たちは社会分解すれば1人1人が生活者であり、生産者で消費者なのですからその辺りのバランスはとった方が丸く収まると思えるのです。




分別盛り
今年、平成28年も押し詰まってきました。
今日、明日ともう残り2日です。

我が家も大掃除でどこにあったのかというぐらいゴミが出てしまいます。
それを大隊長(妻)から命令を受けてゴミ集積所に持っていくとご近所の主婦さんから「あら、石田さん、今日は燃えるゴミの日じゃなくてよ」と注意されて「すいません」と謝りました。
人間50才、世間では分別盛りと言われる年代ですが近所では(分別できない男)として通っています。

年賀状千本ノック
皆さんは年賀状をもう書きましたか、出しましたか?
私はまだです、悪戦苦闘しています。
例年ならインクジェット紙の年賀はがきを買ってきて裏面はプリンターで印刷、表書きの宛先はアプリで印刷と楽ちんでしたが今年はパソコンの不調で起動せず、手書きを余儀なくされているからです。

12月に入った段階で妻から今年は年賀状を手伝わないからあなたが1人で出してと言われ、ええ!と思ったものの毎日30通ばかり書いたら出来上がると日割り計算で皮算用していましたが、今日は観たいテレビがあるから、今日は忘年会だからと毎日を先送りしている間にノルマが溜まってきてニッチもサッチも行かなくなりここ数日は深夜まで泣く泣く書いています。
(深夜食堂)ならぬ(深夜書道)。

筆ペンで宛先を書いていると眠くて目がショボショボ(´・ω・`)してきて、手首が痺れてきます。
苦しくて「もう書けましぇん・・手が痛くて腱鞘炎ですぅ」と泣き言を言うと「さぼっていた自分が悪いんだろ、腕が折れるまで頑張れ!」と言われ(オレは侍ジャイアンツか!)と思ってしまいます。

書いているうちに(だいたい近頃の若い人は年賀状なんか出さずにメールで済ますらしいじゃんか、その方が楽だし、早い、虚礼廃止につながる、うんうん)とかの思いが脳裏をよぎり、年賀状を書くことを投げ出したくなります。
テレビのニュースを見ていると来年の6月からは郵便はがきの配達も採算が合わないので現行の52円から62円に値上げと聞くにつけ、(それみろ・・はがきの値段も上がるのを機に年賀状も来年から出さんぞ)と思ってしまいますが、よく聞くと普通はがきは10円上がるものの年賀状は黒字なのでお値段据え置き52円のママと言われ、(さすが元郵政省・・商売上手だ)と感心。
年賀状放棄の口実を与えません。

それに頑張っているのは郵便局員の皆さん。
この寒空に連日、外に出て業務に邁進されている姿を見るにつけ心からエールを送っています。
元旦の年賀状配達なんかは大変な業務だと想像しただけでわかります。
この日本中の各戸に年賀状を遺漏なく届けることの壮大なミッションインポスビル、いや持続可能なあくなき探求と不断の努力には頭が下がる思いです。
どうか年末年始、お疲れとお察ししますが交通事故だけにはお気をつけいただき日本の郵便事業の発展にご活躍ください。




クリスマスケーキに売れ残りはあるのか
今日はクリスマスイブです。
以前から思っているのはクリスマスよりイブの方が盛り上がるのです、日本では。(世界中も)
イブの終わった次の日(12月25日)に街を歩くともうひっそりとしたもので前夜のあの賑わいや高揚は何だったのでしょうかと祭りの後のような寂しさすら覚えます。

さて、これを言うと世のジェンダー論者から袋叩きに遭うので今まではためらっていたのですが女性の婚期をクリスマスケーキに例える話を昔はしていたことがあります。
(12月)24日前のケーキは売れるが25日になってしまったら(売れ残り)というあの話です。
女性も24歳までならほいほい行きてがあるものの25歳にともなれば賞味期限が切れてくるよというとんでもない(今から考えれば)話です。
クリスマスケーキに例えた俗話です。

それを言うなら私が妻と結婚した時には彼女は27歳でしたがすでにクリスマスケーキではなく正月用の餅だったと言えます。
(意味不明の例え)
正月三が日は床の間に鏡餅で飾っていましたが松の内を過ぎた頃にはひび割れてきたので慌てました。
(これは比喩です、あくまでも)

話を元に戻しますと現在では女性の結婚する年齢は30歳を越えてからなど世間にはザラにあり、時には40代もさほど珍しくもなくなる世相でそもそも(結婚しない)という選択も当然あるという昔から考えれば随分と結婚観の幅が広がったような気がします。
(結婚適齢期)という言葉自体がすでに死語となってしまっています。
これも月並みですが晩婚化も日本人の平均寿命が延び続け、男女ともに(特に女性に)経済力がつき、価値観の多様化が進んだからかなと思ったりしているクリスマスイブの今日です。
もっと言えばクリスマスには3種類の人々がいます。
恋人と過ごす人、家族と一緒の人、孤独を愛する人です。
サンタクロースは誰に微笑むのでしょう。



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